プロローグ 1 「たっく。やってらんねーよなぁ。」 黄色に近い脱髪をかきあげて、うんざりした顔つきを覗かせながら、竹で作られた箒の柄の上に尖った顎を乗せた。 「掃ききれないよね。風でいくらだって飛んで来るんだもん。」 小柄な少年もまた、竹箒の柄に顎を乗せた。 溜息を一つ。 確かに、春の風はいたずらで、どこからともなく砂埃やゴミを運んでくるのだが、 ・ ・ ・ 「ばぁか。あいつのことだよ。」 どうやら掃除のことではないらしい。 首元まで長く伸びた髪を手で梳いて、 「いつまでも大人しくしてると思ったら、大間違いだぜ。」 空を睨むように吐きすて、黒のポリ袋を乱雑につかんだ。 「まぁ、んな熱くなんなよ。」 制服のズボンのポケットに両手を突っ込んで、壁に体を任せている男。 タバコ 無造作にYシャツの胸からLARKを一本取り出して、一服。 広い糸が春天に立ち上るのを見届け、焼却炉に向かった。 ポリ袋を投げ捨て――、 「ねぇ。これ……」 些かあどけなさの残る少年が手に取ったもの。 「見せてみろ。」 赤のギンガムチェック模様の、辞書くらいの大きさで、厚さは15mm程のノート。 開いてみる。 一枚目のページには、綺麗な字でこう綴られていた――……。 明日から私は、3年生。 春。 何もかも新しいような、そんな感じ。 だから私は、今日からこうやって、自分の思いを綴ってみようと筆をとった。 でも。 まさか、第一ページにこんな過激なことを書くことになるなんて、思っても見なかったけど。 誰かに見せるわけでもないか、いいかな。 正直言って、今でも胸が鼓動を打っている。 突然、好きだ。なんて、抱きしめられたら、誰だってそうだと思う。 彼が私を押し倒そうとしたとき、思わず突き飛ばしてしまったけど。 彼、怪我はしなかったかしら。 明日、学校であったら、どんな顔をしよう。 露骨に無視なんてしてしまったら、彼は傷ついてしまうだろう。 普通でいられるように頑張ってみよう。 そろそろ床につくとしよう。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 麗らかな春の日差しが差し込む窓辺。 し な ほ 「紫南帆、どーする?」 細く長い人差し指を小さな口に近づけ、大きすぎない二重の瞳。 そうみ し な ほ 数回瞬きをして、蒼海 紫南帆は黒板を見た。 つい一週間ほど前、入学式を終えて、だいぶ和やかな雰囲気になってきた、一年一組の教室。 ホームルームの時間を利用して、委員会決めを行っている。 湘南海岸に程近い、神奈川県立S高校。 北棟の3階教室。 「図書委員会って部活ORクラブとみなされるんだよねぇ。」 「それが狙いかぁ。」 おうみ せお 席に腰を下ろしている紫南帆の形の良いおでこを、この春仲良くなった桜魅 瀬水が軽くはじいた。 「えへへ。運動とか苦手だし。それに、本好きだから、いいかなって。」 漆黒のストレートな髪に手をやり、小さな舌を覗かせてはにかんだ。 「そっかぁ、私しゃどうしようかなぁ。」 教室の後ろを見ていた瀬水は腰から振り返って、白のチョークで委員会、係りの種類が板書されている黒板に目を移した。 学級委員から始まって、図書、美化、保健等。 とりあえず全員参加である。 もちろん、重複する生徒もいる。 「私も部活やりたくないしなぁ。」 呟きながら、瀬水の足は前へと動いている。 自由に書き込めばいい。 「蒼海さんたちも、図書?」 紫南帆がチョークを黒板に向けると、ソフトなソプラノヴォイス。 からおり うい あ、唐織 羽衣ちゃん。 紫南帆は、心の中で呟いた。 まだ一週間程度しか経っていないので、名前と顔の一致しない人も多いが、ふわりと柔らかな栗色の肩まで伸びる髪と小柄な体つきに、はごろも。と、書いてうい。と、いう名が良く似合っていて覚えていた。 そうでなくとも、人の名前と顔を覚えるのは、少なからず得意なのだが。 「うん。唐織さんも?」 紫南帆の言葉に、小さな顎を立てに軽く下にずらして、 「知ってる先輩がいるんだ。」 そういって、中学のときの。と付け加えた。 たいていは、各委員会2名ずつなのだが、図書委員は仕事上制限はないようなので――、 「羽衣ちゃん、ってかわいいよね。はごろも。って書くんでしょ。」 尋ねながら、瀬水の名前も書き加えた。 紫南帆よりも背の低い羽衣は、背伸びをする格好で、紫南帆が書いた瀬水の名前の下に自分の苗字を書いていた手ととめ――、 「もう、名前覚えてくれたんだ。羽衣でいいよ。紫南帆ちゃん。」 にっこり微笑んだ。 羽衣も紫南帆の名前を覚えていてくれたらしい。 「私は、桜魅 瀬水。よろしくね。」 「よろしく。」 今更ながら、自己紹介を行った。 名前を書き終えて、席に戻る。 「早速今日の放課後集まりあるらしいよ。一緒に行こう。」 「うん。」 そう約束して、席に座った。 南棟の3階だったかな。図書室は。と、校舎の構造を思い浮かべる。 窓の外を眺める。 南棟の屋上が見れた。 S高校は斜面に建てられているため、南棟3階と教室連の北棟1階が東西の渡り廊下で繋がっている。 それゆえに、紫南帆たちの教室からは、太陽をめいいっぱい浴びた湘南海岸が見える。 紫南帆は、ちらりと窓際の一番うしろの特等席に視線を動かす。 背中を丸めて、腕を枕に、机に突っ伏している青年。 ストレートで長い前髪は赤い。 きさらぎ みたか 幼馴染の如樹 紊駕。 「紊駕、ちゃんと選べよ。」 その前に仁王立ちをして声をかける青年。 少し癖のある、部活焼けした少し茶色の髪、甘めのフェイス。 あすか きさし やはり、幼馴染の飛鳥 葵矩。 無言の紊駕におもむろに溜息をついて、紫南帆と目が合って、しかたないな。と、眉間に皺を寄せた。 紫南帆も微笑して、頷いた。 「彼氏?」 その様子を見ていた、羽衣が尋ねる。 「え?ううん。幼馴染。」 紫南帆は、慌てるでもなく、そっ、と口元を和らげた。 「かこいーよねぇ、飛鳥くん。」 諦めずに、紊駕に声をかけている葵矩を見て、瀬水。 「何しろ優しいし、親切だし。如樹くんもいいけど、私しゃ飛鳥くん派だな、うん。」 独り言のように言って――、 「で、さっきのアイコンタクトはなんなのよ。つーかあんな二人と幼馴染なんて、幸せ者よね。でも、ただの幼馴染なんて、ウソっぽいぞ。ウソぽいぞ。」 瀬水は紫南帆の腕を肘でつついた。 「せーお。」 語尾にアクセントをつけて、軽く睨む。 「うそだってば。」 イタズラな笑み。 そして、放課後――、 「トイレいってこよーっと。」 「あ、あたしも。あとから瀬水ちゃんと行くから先いっててね。」 瀬水と羽衣が教室を出て行ったのを見届けて、紫南帆は図書室に向かった。 やっぱりきかれると思った。 先ほどの羽衣の言葉を思い出して溜息。 幼い頃から、紫南帆と葵矩と紊駕は一緒にいた。 それがずっと普通だったから、意識なんてしたことない。 しかし、成長していくにつれて、周りからは特別に見られていく。 異性と親しいと付き合ってることになっちゃうのかな。 どっちとつきあってるの? 付き合っていることを前提に尋ねられたことも何度もある。 何を隠そう瀬水もその一人だった。 今でも冗談半分で聞かれるが……。 周りは紫南帆たちを自然には認めてくれないのだ。 紫南帆は、もう一度溜息をついた。 東の渡り廊下を渡って、南棟に入る。 図書室のドアをあけて――、 うっ。 ドアを開けてすぐに、思わず一歩下がりたくなった。 タバコの臭い。 窓から差し込む光が白い煙霧を冴やかに映しだしている。 窓辺の本棚の上に腰を下ろして、方膝をたて、手元の本に目を向けている一人の男。 右手には、タバコ。 左手で器用にページをめくる。 風向きが南なので、男の吹かしたタバコの煙は、全て図書室に入ってくる。 軽く咳払いをして、紫南帆は躊躇なく、男に近づいた。 「火気厳禁です。」 男の手からタバコを取り上げた。 「何すんだっ……よ。」 男は勢い良く振り返って、語尾を弱めて、少し驚いた表情をした。 短めの、頭をかいたままのような赤みがかった髪。 ネクタイをはずし、着崩した制服。 「南風ですから、煙、こっちにきちゃいます。」 校内でタバコを吸っているのだから、そういう問題ではないが、紫南帆は痩せすぎない頬を膨らませた。 たどき 「くっ……ほら、北刻。降りろよ。」 そんな光景を見ていたと思われる、猛一人の男が苦笑して、隣の図書整理室から顔を出した。 さらさらな髪の色白な男。 きちんとネクタイをしめた制服。 「君、勇気あるね。たいていこういう場に出くわすと、見て見ぬ振り。っていうのが相場なんだけど。」 紫南帆の行為と的の外れた注意に、もう一度苦笑した。 「本当。」 北刻と呼ばれた男は、読みかけの本を棚の上において、飛び降りた。 紫南帆の手からタバコを取り返えす。 かかとを踏み潰した上履きを引きずるようにして、ドアから出て行った。 どうやら捨てに行くらしい。 渡り廊下といってもスグに外に出られる通りなのだ。 しがら みむろ 「委員会の1年生かな。俺、3年の矢柄 御室。」 紫南帆の頷きを確認してから、御室は挨拶をした。 紫南帆も名乗る。 「さっきの奴は――」 すあ たどき 「巣彼 北刻。」 御室の言葉に重なるように、北刻が発した。 >>プロローグ 2 へ <物語のTOPへ> |