8th LAP

 ほずみ
 保角の目の前に西門が見えてきた。
 肩で息を吐いて、腰を折り曲げた。

  「……待ってるわけ、ねーよな。」

 両手をアスファルトについて、大きなため息をついた。
 約束の時間は7時。
 辺りはもちろん真っ暗で、人通りはそれなりにあるが、はいねの姿はなかった。
 保角はその場に座り込む。

  「はあ。」

 どーすっかなぁ。

 はいねの怒った顔が脳裏に浮かんだ。
 短い髪を豪快にかき回して――、

  「あ。そーいえば。」

 ……はいねん家、今日両親いないっつってたっけ。
 電話してみっか。
 そうだよな。

 保角に一筋の光が見えた。
 再び、全力疾走。
   ぎん
  「銀ちゃん、銀ちゃん、銀ちゃん!!」
 さつひ
 紮妃の自宅にあがりこんで、電話を半ばひったくるようにして、はいねの自宅の電話番号を押した。
 何て謝ろうか、など考えている余裕はない。
 とにかく謝らなくては。
 声をきかなくては。

  「もしもし、はいね?」

 息せききって相手が受話器をあげるやいなや声をあげた。
 しかし。
 次の瞬間、保角は固まる。

  「どちらさまですか。」

 低く、地を這うような声。
 太く、怒りを押し込めたような声。
 あきらかに歓迎ムードではないことがわかる。

  「……っ。」

 まずい。
 これは……、

 保角が受話器をもったまま硬直した。
 生唾を飲み込む。

 ……おやじさんだっ。

 顔面蒼白。

 何でいんだよ。
 今日はいねぇって……ひょっとして予定が変わった??
 だとしたらはいねの外出もバレたかも。

 保角は頭の中で自分と会話した。
 いつも夜に電話をするときは、9時と決まっていた。
 その時間は、父親が風呂に入る時間であり、はいねの部屋の子機がなるようにセットされている時間だからだ。
 それほどにはいねの家は厳しかった。

 無論、保角がはいねと付き合っていることなど、知っているわけがない。
 知っていても許されないだろう。

 ……やっべぇ。

 受話器をもったまま無言の保角に――、

  「どちらさまですか。」

 再びむすっとした声が聞こえた。
 受け入れられていないことは明白。

  「あ、あの。」

 保角は意を決した。
        とさき
  「お、僕。戸崎と申します、が……はいねさん、いらっしゃいますか。」

 できるかぎりの丁寧な言葉遣いで、緊張マックスの保角に、

  「どういうご用件ですか。」

 一蹴するはいねの父親。
 続けざまに――、

  「娘とどういうご関係で?」

 ……ご用件と関係までいわなきゃなんないのかよ。

  「と…友達です。」

 こいつ。
 本当はわかってんだろ。
 くそ。
 早くはいねと変われってんだよ。

 保角の焦る気持ちもよそに、はいねの父親は淡々とした声で続ける。

  「娘はもう寝ています。こんな夜中に不謹慎だと思わないのかね。」

  「……す、すみません。」

 ……不謹慎だあ?
 そりゃ10時すぎだし、お宅はそうかもしんねーけどよ。
 寝てるはねーだろ。
 急用だっつーの。

 心の声。
 伝えられたらどんなによいか。

  「じゃあ、あの。電話のことだけ、はいねさんに伝えてください。」

 ……なんて、伝えてくれるわけねーよな。

  「はあ。マジ焦ったあ。」

 保角は受話器を置くと、その場に座り込んだ。
 その様子に、紮妃が無言で、情けないな。という表情を見せた。

  「だって。はいねのオヤジだよ。俺らが付き合ってることも知らねーもの。すっげー厳しんだって。今日だって両親いねーっつうから夜の外出もできたのに……あーもー!」

 早口で言って頭をかかえ込む。
 紮妃は温かいココアの入ったマグカップを差し出す。

  「約束してたのか。何時?」

  「7時。」

 ココアの礼をいって両手で包みこんだ。
 指先から緊張がほぐれていく。
 上目づかいで紮妃を見る。

  「3時間半か。待ってるわけないわな。」

  「……だよね。せっかく。渡そうと思ったんだけどなぁ。」

 四角い箱をジャケットのポケットからだした。
 綺麗にラッピングされたプレゼント。
 はいねの好きなピンク色のリボンにしてもらった。
 ネックレス。
 今、保角ができる最高の贈り物だった。

  「オンナに貢ぐなんてやめとけよ。」

  「……そりゃ銀ちゃんはモテるし……けどさ。」

  ぶつくさ小言をいう保角に――、

  「夢にオンナはジャマだぜ。」

 マグカップを右手によく引き締まった腕を組んで、壁に寄り掛かった体勢のまま、紮妃は鋭い瞳を向けた。
 真剣な表情で続ける。
             わから
  「特に、男の夢を理解しないオンナはな。」

  「……。」

 ――夢を理解しないオンナはジャマ。

 紮妃は保角から目をそらして、マグカップをテーブルに置いた。

  「シャワー浴びてくか。」

  「え、あ。ううん。大丈夫。」

 保角が首を振ると、紮妃は、わかった。と顎を下げて意思表示し――、

  「……何、それ。」

 失礼するぜ。と上着を脱いだ紮妃の均整のとれた背中に、思わず注視してしまう。
 保角は口が閉じれず、回答を待った。
 露わになった紮妃の脂肪のない筋肉質で逆三角形の背中。
 左肩の少し下から背骨を斜めに断つように傷が走っていた。

  「ああ。前に事故った痕。」

 さらりと口にした紮妃だが、皮膚の再生しきれない部分が、ピンクに近い色合いで当時の事故の重大さを語っていた。

  「じこったって……8耐で??」

  「何ビビってんだよ。」

  「だって。それって結構ヤバめ……」

 現状の傷痕からでも、当時は相当な事故だったのではないかと容易に推測できる。
 後遺症などが残っていてもおかしくないのではないか。
 保角が血の気引くのを見て――、

  「男でこれだもんな。オンナならやっぱ泣くわな。」

 ああ、そうか。

 保角は紮妃の言葉を理解した。
 自嘲して奥のバスルームに遠ざかる紮妃の背中が言っていた。

 ――夢を理解しないオンナはジャマ。

 8耐は過酷で危険なスポーツだ。
 最高時速290km/hという中、転倒したらひとたまりもない。
 選手の身近な人間は、どんな気持ちで応援しているのだろうか。

 ……彼女、やめてって言っただろうな。

 保角は見たことのない紮妃の彼女を思い描いた。
 そして、はいねを重ね見た。
 ただでさえ、バイクが怖いというはいね。
 
 ……やっぱ知ったらやめろっていうか。
 でも。
 俺は、走りたい。
 やっぱ夢だし。

 保角は唇を噛んだ。
 この後、自分たちの関係はどこへ進むのか。
 隠し通したままでいいのか。

 でも。
 俺らの夢をわかってくれる女っているんだろうか。
 キャンギャルとかは他人だから見てられる。
 応援する。なんて言える。
 でも、恋人は?
 自分の男が事故るかもしんないの、胸が締め付けられそうな気持で、見てる。
 自分の男が目の前で死ぬかもしんない。

  「……。」

 きっと。
 銀ちゃんは、彼女のために彼女と別れたんだ。
 そして、夢を追うことを決めた。
 もう、本気で付き合うのを、やめた。

 保角は、バスルームからの鳴りやまない水音をきいて、なんだか切ない気持になっていた。
 と当時に真剣にこれからのことを考え始めた――……。


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