Promise

                 
1 / / / / あとがき




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1986年、春。

一面の銀世界。
咲き誇る樹氷。
やがて、広大な大地が優しい太陽の光華に包まれると、生物たちは目を覚まし、少し遅い春支度を始めた。
真っ白な雪が溶け、枯れ木たちが一斉に緑に色づいていく。

――私のこと、忘れない?

――うん。

――本当に?


――忘れないよ。

鮮やかな紫のじゅうたんを敷いたような、ラベンダー畑。
夏の太陽色をした、ポピー畑。
粉雪を名残惜しむような、かすみ草畑。
地平線をも貫く、麦畑。

――約束だよ。大きくなったらお嫁さんにしてくれるって。

――うん。大きくなったら絶対迎えにいくよ。

約束だよ――……。


「……。」


何で、今頃こんな夢……。
みなき  みやつ
皆城 造は、寝ぐせがかった薄い黒色の長めの髪をかきあげ、ベッドの上であぐらをかいた体勢のまま、冴やかに脳裏に残っている情景を眺めていた。

ふと、壁に掛かっているカレンダーを見上げる。

1991年、7月。

再び、がしがしっと頭をかくように髪をかきあげ、起き上がる。

「あら、おはよう浩。」

「……おはよう。」

台所の母親と挨拶を交わして、こじんまりとした部屋のテーブルにつく。

「何呆けてんのよ。」

「……いや。」

曖昧な返事をする息子に首を傾け、玄関の外へと母親は足を運ばせた。
すごく、鮮明だった。
純白の雪景色が、太陽によってダイヤモンドダストを奏で、ゆっくり、その白雪が溶けていく。

ラベンダーの紫。
ポピーの橙。
かすみ草の白。
麦の緑。
そして……、

――約束だよ。


「……。」

ため息を吐く。
……
何考えてんだ、俺は。
静かに席を立ち、薄っぺらい鞄をつかんだ。


「浩。」

手入れのよく行き届いた、ワインレッドのKawasaki GPZ1100のボディに身をまたいで、ヘルメットをかぶる手を、母親の歓喜と懐旧の声が止めた。

「綺麗になったわねぇ、誰だかわからなかったわ。」

一通の往復ハガキが手のひらにのる。

「……。」

夢の中での笑顔が映し出されていた。
隣の背の高い男性に包まれて――……。

「おっす。」

     とひろ
「おはよ、斗尋。」

私立K学園高等部、3年A組。

「ねみぃ、ねみぃ。ふぁぁ。」

大きくあくびをして――、

「何それ?」

「あ。」

美人じゃん。誰だよ。お前も隅におけないねえ。」
              すいき とひろ
ハガキを自分の手から奪った、須粋 斗尋にあきれ顔を向け、

「よく見てみろよ。」

ハガキの写真の下を指差した。

――結婚式招待状。
 
いなか
北海道のイトコだよ、イ・ト・コ。」

「へぇ、いくつ?」
        あおい
「おー、おっす。。」

後ろからの声に、

「16歳。」

浩は答える。

「じゅうろくー?もう結婚しちゃうのかよ。何々?涙巳ちゃんか。かーいーのにねぇ。」

斗尋は浩の前席の椅子をひいて後ろ向きに腰をおろし、ハガキに再びじっ、と目を凝らした。

「8月10日?じゃ、北海道帰るのか。」
          あおい ひさめ
隣の席に鞄をおいて、滄 氷雨はハガキを垣間見る。

「ああ、そうだな。」

……
今朝の夢はこれを暗示していたのか?

「大変だよなぁ。そいや、浩が神奈川来たのって小学生のときだっけ。」

「小六の時だったかな。それから、北海道は帰ってない。両親も忙しかったし、たまに連絡くらいしか。」

「北海道か。一度旅行行ってみてぇな。」

「あー俺も。」

そういう氷雨と斗尋に――、
     
しさき
「あさざと白紫、4人でいってくれば?いいとこだよ。」


あさざは氷雨の彼女で白紫は斗尋の彼女である。
2組とも中学3年からの付き合いだ。

「あーんだよ。案内しろよなぁ。」

砕けた斗尋の言い方に、優しさを感じ、そっ、と微笑した。

「あ、そいや、浩。今日二者面?」

高校3年生、7月。
各々進路を担任に報告し、相談する第一段階である。

「ああ、二人はどうするんだっけ?」


出席簿順なので、既に済んだと思われる氷雨と斗尋に訊いた。

「俺は家継ぐ。そんくらいの頭しかもってねーしな。」

乾いた笑いをする。
斗尋の家はバイク屋を経営しているのだ。

「俺はまだわかんねぇけど、とりあえず就職。弟食わしてかねぇとな。」


氷雨の両親は、氷雨が中学3年の時に離婚して、今は父親と氷雨、そして7つ下の弟と生活をしている。
が、父親はなかなか家にも帰ってこなく、生活費は中学の頃から稼いでいる氷雨の金で殆んど賄ってるという。

「お前は?」

些か言葉を濁して――、

「法学か経済関係の勉強したいと思ってる……。」

「すげーじゃん。浩なら裁判官とか政治家とかすぐなれちまうかもな。」

「そんなことないって……。」

「じゃ、進学か。がんばれよ。」

2人とも優しく力強い笑顔を見せた――……。


「法学、経済、か……。」


放課後の教室。
浩は担任と向かい合わせに腰を下ろした。
担任は眼鏡をかけなおし、浩の成績表を片手に全国大学年鑑を、ぺらぺら、とめくる。

「できればY国立大学を受験したいんですけど。」

「ふむ。まぁ、成績は問題ない。……というよりT大はどうだ?どうせ狙うならT大を第一志望にして――、」

年鑑が乾いた音をたてる。

「Y国立大だと法律系はないだろ?法律系でいくと――、K大、W大、R大、J大、A大、云々……。」

ここぞとばかり有名大学を挙げる担任に、心の内でため息。

「受けるならY大一本。落ちたら職探しますので。」

頭を下げ、席を立った。

「そんなもったいないこと言うなよ。また夏休みに保護者の方ともお話して、な?とりあえず、保留にしとくから。」

……

教室を出て再びため息。
うちの学校の名上げようなんて気、さらさらないっての。
何がもったいない?
聞いて呆れるよ。
学歴社会、学歴社会、か……。


「そう。浩の自由にしていいのよ。」

家に帰り、母親に進学の旨を伝えた。

「ありがとう。……がんばって国立受かるよ。それに授業料もバイトで稼ぐから。」 

お茶をすすりながら、言う。
北海道から職を転々として、なんとか生計を立ててきた。
お世辞でも裕福とはいえない家庭。

「そんなに……ごめんね。心配しなくていいのよ。」

「いや。高校も俺の都合で私立行かせてもらって、本当悪いと思ってる。わずかだけど、親孝行させてよ。」

そんな浩の思いに母親は、

「ありがとう。でも、あんたは本当に親孝行な子よ。」

感謝を込めて礼を言った――……。




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