Promise

                 
/ / / 4 / あとがき




                 4



「ただいま。」

「おかえり。どうだった、新しい学校は。」
                   みやつ
家に着くと、温かいお茶が浩を迎えてくれた。

「うん。皆幼い頃の友人ばかりだったから、すごくいごこちよかったよ。」

いつまでも変わらない、きさくな仲間たち。
温かい絆。
     るいみ
「……涙巳っ。」

茶の間を通った涙巳はわざと浩をさけるように、奥座敷へと足をすべらせてしまった。

なんで、さけるんだ。

昨夜
北海道に到着し、当分は涙巳の家で世話になる、と荷物を整理した。
涙巳はそんな浩に何も言わず、換言すれば無視をしているかのようだった。
そして、その時からずっと顔をまともに合わせない。

「ごめんなさいね、浩ちゃん。何だかあの子、変なのよ。何があったのか何も話してくれないし。……9月から高校に通いたいっていってたのに、やっぱりやめる、なんていいだして。」

……涙巳?

結婚を取りやめにして3ヶ月。
一般の女の子として生活してもいい境遇にさえなったのに。
軽く襖を叩く。

「涙巳。入ってもいいか?」

「っ……イヤ。」

中の涙巳は、それが浩だと悟ると、露骨に言葉に出した。

「涙巳。……じゃあ、ここでいい。」

冷たい廊下に腰を据え――、

「何で無視するんだ。俺は涙巳に何をした?」

全く自分には覚えがない。
でももし気づかずに涙巳を傷つけてしまったのなら……。

「……がう。」

襖の向こうでか細い声が聞こえる。

「違う。みやちゃんは何も悪くない。悪くない……だから。」

――東京に帰って。

「……何を急に。」

襖に顔を向ける。
中でしゃくりあげる声。


「何があったんだよ、涙巳!!」

突然の衝動に思わず両手を後ろに付く。
腰にしがみついた涙巳の腕。
浩の言葉に勢いよく襖を開け、浩の胸に飛び込んできたのだ。

「……涙、巳?」

体勢を少し起こして、優しく髪を撫でてやる。

「みやちゃん……みや……ちゃん。」

何度も、何度も浩の名を呼んだ。

「あたし……あたし……。」

再びしゃくりあげ、涙を流しているようだ。
浩は無理には問いたださず、ずっと、ゆっくりその綺麗な髪を撫でていた。
数分、そうしてゆっくり時が流れた。

「……あたし。」

涙巳が涙の跡を残したその顔をあげた。
小さな薄い唇をかみしめ、そして――、

「……妊娠してるかもしんない。」

浩の髪を撫でる腕が止まった。
顔も硬直した。
再び涙巳は浩に顔をうずめ、大声を出して泣いた。


……うそ、だろ。

胸に涙巳を抱きながら、浩の瞳は異空間をさまよった。
冗談でこんなこといえない雰囲気だってことは、良くわかってる。
でも、信じられなかった。
相手はかの、北海道庁の御曹司。
結婚を断ったことの理由の陵辱。

「ごめんっ……涙巳。ごめん。」

浅はかだった。
どうして……。
御曹司ともなれば、一度決まった結婚式、突然の破棄は侮辱行為。
そのくらい、わかるはずなのに……。

8月のあの日、北海道へ戻ると決めた浩たちは、色々な手続き、整理のためにすぐ神奈川に戻った。
父親も母親も退職願を提出し、浩も学校へ転校、進路の旨を伝え、そして友人との別れ。
着々に進む自分の周りに精一杯で……。

「ごめんな、涙巳。」

一番大切なもの、守ることを忘れていたなんて。
一番大切な……。

「みやちゃん……みやっ……。」

誰にも言えなかった。
恐怖と屈辱と甚大な羞恥心、数多の、精神的、身体的苦痛。
ずっと背負ってきた。

「……病院にいこう。」

優しく問いかけるように、涙巳を包み込む。

「イヤ……怖い……。怖い。」

「涙巳。」

そんな涙巳を、浩は抱き上げた。

「みや……ちゃん。」

涙巳の言葉には何の反応も示さず、些か眉を険しく、浩は――、

「おめでた、3ヶ月ですよ。」

にっこり、看護師の笑顔が冷たい矢を二人に射った。
浩は涙巳を抱きしめる。
気力失せたような、つらい気持ちを押し隠すような顔を――……。

浩は無言でバイクを走らせた。
自分に怒りをぶつけるように、憎むように、涙巳に謝罪するように。

――札幌市、北海道庁。

「何だ君。失礼だぞ。」

そんな忠告は無視して、浩は中へ進む。

「アポをとってない部外者はたっ……」

立ち入り禁止、と言いかけた地方公務員も押しのける。

「何事だ。」

写真の男。こいつか。

「話がしたい。」

浩の言葉に蔑むように、口元をはねあげ顎をしゃくる。
浩は役人に両腕を捕まえられた、が。

「涙巳のことだ。」

それでも冷静に言葉にする浩。

「……お前ら、さがってろ。」

高飛車に役人に命令させ――、

「あなたの行為が親告罪だからといって、安穏としてないでくださいね。」

鋭い瞳を向ける。

「……何のことだ。」

些か御曹司の表情が曇り、後ろめたさが浮かんだ。

「白を切るつもりならそれでもかまいません。ですが、吹聴することだってできるんですよ。」

「ふん。彼女が傷つくことになってもか?」

「彼女はすでに深い傷を負ってる!!……彼女の存在を明確にしない方法だってあるんですよ。うわさは怖いですよ。いくら親の七光りでも、住民直接選挙の地方公務員、長では、よくて左遷。悪くて――……。」

浩の毅然たる態度に、唾を飲み込んだ。

「……何がのぞみだ。」

御曹司の顔が引きつり、こわばる。

「二度と、俺たちにかかわらないでください。」

無表情でいって、そして、ゆっくり右腕を引いた。
鈍い音が広い部屋に響き渡った――……。

「あら、浩どこいってたの。」

相変わらずの態度で自分を迎えた母に、

「ちょっと。涙巳は?」

曖昧に返事をしてたずねる。

「……部屋じゃないかしらね。もうすぐ夕食よ。」

元気のない涙巳をやはり心配していたのだろう、そういって母親は浮かない微笑をしてみせた。

「……涙巳。おいで。」

浩は癒すように涙巳を抱擁して――、

「大丈夫。俺がずっと守ってやるから。涙巳は何も心配するな。」

「……。」

夕食支度の終わった茶の間、不自然な沈黙が流れた。

――妊娠しています。

一瞬間をおいて涙巳の父親の拳が浩に飛ぶ。

「っお父さん!!みやちゃん、大丈夫?……違うの!違うの、お父……。」

誤解を解こうとした涙巳の口を、優しく浩はふさぐと、

「申し訳ありませんでした。」

土下座をして謝った。

「……みや……ちゃん。」

涙巳が目を見開く。

「おじさん、おばさん。」

ゆっくり顔を上げ――、

「涙巳さんを僕にください。」

「……浩。」

浩の両親も目を丸くする。

「……みやちゃん!やめて……やめてっ本当のことゆうから。違うの、違うの!!」

「涙巳、俺は本気だよ。」

まっすぐ、浩は涙巳をみる。

「っだって。……だって。」

涙巳は泣きそうな声で、おなかを押さえた。

「約束、したろ。大きくなったら迎えにいくって。」

「……。」

―― 約束だよ。大きくなったらお嫁さんにしてくれる、って。

―― うん。大きくなったら絶対迎えにいくよ。

「約束。守りにきたんだ。……涙巳、愛してる。」

浩は一番大切な涙巳を、優しく抱きしめた――……。


FIN


>>あとがきへ

<<物語のTOPへ