
1 / 2 / 3 / 4 / あとがき
4
「ただいま。」
「おかえり。どうだった、新しい学校は。」
みやつ
家に着くと、温かいお茶が浩を迎えてくれた。
「うん。皆幼い頃の友人ばかりだったから、すごくいごこちよかったよ。」
いつまでも変わらない、きさくな仲間たち。
温かい絆。
るいみ
「……涙巳っ。」
茶の間を通った涙巳はわざと浩をさけるように、奥座敷へと足をすべらせてしまった。
なんで、さけるんだ。
昨夜北海道に到着し、当分は涙巳の家で世話になる、と荷物を整理した。
涙巳はそんな浩に何も言わず、換言すれば無視をしているかのようだった。
そして、その時からずっと顔をまともに合わせない。
「ごめんなさいね、浩ちゃん。何だかあの子、変なのよ。何があったのか何も話してくれないし。……9月から高校に通いたいっていってたのに、やっぱりやめる、なんていいだして。」
……涙巳?
結婚を取りやめにして3ヶ月。
一般の女の子として生活してもいい境遇にさえなったのに。
軽く襖を叩く。
「涙巳。入ってもいいか?」
「っ……イヤ。」
中の涙巳は、それが浩だと悟ると、露骨に言葉に出した。
「涙巳。……じゃあ、ここでいい。」
冷たい廊下に腰を据え――、
「何で無視するんだ。俺は涙巳に何をした?」
全く自分には覚えがない。
でももし気づかずに涙巳を傷つけてしまったのなら……。
「……がう。」
襖の向こうでか細い声が聞こえる。
「違う。みやちゃんは何も悪くない。悪くない……だから。」
――東京に帰って。
「……何を急に。」
襖に顔を向ける。
中でしゃくりあげる声。
「何があったんだよ、涙巳!!」
突然の衝動に思わず両手を後ろに付く。
腰にしがみついた涙巳の腕。
浩の言葉に勢いよく襖を開け、浩の胸に飛び込んできたのだ。
「……涙、巳?」
体勢を少し起こして、優しく髪を撫でてやる。
「みやちゃん……みや……ちゃん。」
何度も、何度も浩の名を呼んだ。
「あたし……あたし……。」
再びしゃくりあげ、涙を流しているようだ。
浩は無理には問いたださず、ずっと、ゆっくりその綺麗な髪を撫でていた。
数分、そうしてゆっくり時が流れた。
「……あたし。」
涙巳が涙の跡を残したその顔をあげた。
小さな薄い唇をかみしめ、そして――、
「……妊娠してるかもしんない。」
浩の髪を撫でる腕が止まった。
顔も硬直した。
再び涙巳は浩に顔をうずめ、大声を出して泣いた。
……うそ、だろ。
胸に涙巳を抱きながら、浩の瞳は異空間をさまよった。
冗談でこんなこといえない雰囲気だってことは、良くわかってる。
でも、信じられなかった。
相手はかの、北海道庁の御曹司。
結婚を断ったことの理由の陵辱。
「ごめんっ……涙巳。ごめん。」
浅はかだった。
どうして……。
御曹司ともなれば、一度決まった結婚式、突然の破棄は侮辱行為。
そのくらい、わかるはずなのに……。
8月のあの日、北海道へ戻ると決めた浩たちは、色々な手続き、整理のためにすぐ神奈川に戻った。
父親も母親も退職願を提出し、浩も学校へ転校、進路の旨を伝え、そして友人との別れ。
着々に進む自分の周りに精一杯で……。
「ごめんな、涙巳。」
一番大切なもの、守ることを忘れていたなんて。
一番大切な……。
「みやちゃん……みやっ……。」
誰にも言えなかった。
恐怖と屈辱と甚大な羞恥心、数多の、精神的、身体的苦痛。
ずっと背負ってきた。
「……病院にいこう。」
優しく問いかけるように、涙巳を包み込む。
「イヤ……怖い……。怖い。」
「涙巳。」
そんな涙巳を、浩は抱き上げた。
「みや……ちゃん。」
涙巳の言葉には何の反応も示さず、些か眉を険しく、浩は――、
「おめでた、3ヶ月ですよ。」
にっこり、看護師の笑顔が冷たい矢を二人に射った。
浩は涙巳を抱きしめる。
気力失せたような、つらい気持ちを押し隠すような顔を――……。
浩は無言でバイクを走らせた。
自分に怒りをぶつけるように、憎むように、涙巳に謝罪するように。
――札幌市、北海道庁。
「何だ君。失礼だぞ。」
そんな忠告は無視して、浩は中へ進む。
「アポをとってない部外者はたっ……」
立ち入り禁止、と言いかけた地方公務員も押しのける。
「何事だ。」
写真の男。こいつか。
「話がしたい。」
浩の言葉に蔑むように、口元をはねあげ顎をしゃくる。
浩は役人に両腕を捕まえられた、が。
「涙巳のことだ。」
それでも冷静に言葉にする浩。
「……お前ら、さがってろ。」
高飛車に役人に命令させ――、
「あなたの行為が親告罪だからといって、安穏としてないでくださいね。」
鋭い瞳を向ける。
「……何のことだ。」
些か御曹司の表情が曇り、後ろめたさが浮かんだ。
「白を切るつもりならそれでもかまいません。ですが、吹聴することだってできるんですよ。」
「ふん。彼女が傷つくことになってもか?」
「彼女はすでに深い傷を負ってる!!……彼女の存在を明確にしない方法だってあるんですよ。うわさは怖いですよ。いくら親の七光りでも、住民直接選挙の地方公務員、長では、よくて左遷。悪くて――……。」
浩の毅然たる態度に、唾を飲み込んだ。
「……何がのぞみだ。」
御曹司の顔が引きつり、こわばる。
「二度と、俺たちにかかわらないでください。」
無表情でいって、そして、ゆっくり右腕を引いた。
鈍い音が広い部屋に響き渡った――……。
「あら、浩どこいってたの。」
相変わらずの態度で自分を迎えた母に、
「ちょっと。涙巳は?」
曖昧に返事をしてたずねる。
「……部屋じゃないかしらね。もうすぐ夕食よ。」
元気のない涙巳をやはり心配していたのだろう、そういって母親は浮かない微笑をしてみせた。
「……涙巳。おいで。」
浩は癒すように涙巳を抱擁して――、
「大丈夫。俺がずっと守ってやるから。涙巳は何も心配するな。」
「……。」
夕食支度の終わった茶の間、不自然な沈黙が流れた。
――妊娠しています。
一瞬間をおいて涙巳の父親の拳が浩に飛ぶ。
「っお父さん!!みやちゃん、大丈夫?……違うの!違うの、お父……。」
誤解を解こうとした涙巳の口を、優しく浩はふさぐと、
「申し訳ありませんでした。」
土下座をして謝った。
「……みや……ちゃん。」
涙巳が目を見開く。
「おじさん、おばさん。」
ゆっくり顔を上げ――、
「涙巳さんを僕にください。」
「……浩。」
浩の両親も目を丸くする。
「……みやちゃん!やめて……やめてっ本当のことゆうから。違うの、違うの!!」
「涙巳、俺は本気だよ。」
まっすぐ、浩は涙巳をみる。
「っだって。……だって。」
涙巳は泣きそうな声で、おなかを押さえた。
「約束、したろ。大きくなったら迎えにいくって。」
「……。」
―― 約束だよ。大きくなったらお嫁さんにしてくれる、って。
―― うん。大きくなったら絶対迎えにいくよ。
「約束。守りにきたんだ。……涙巳、愛してる。」
浩は一番大切な涙巳を、優しく抱きしめた――……。
FIN
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