第一章:один:壱

                        



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  「流石。Agitatorアジテーター。」

 天羽てんうのアパートの屋上。
 Yusry bin Abdulalaziz Al Saudユスリ― ビン アブデュルアディーズ アル サウド―――Yuriユーリィ。は、誇らしげに白い歯を見せた。
 スナイパーライフルを構えていたMalik Al Saudマーリク アル サウドは、顔を上げる。
 大きな黒瞳に、金色がかった髪が少しミスマッチな幼い表情だ。

  「あれが?……っていうか、いつの間にそんな体制を?」

 低い建物ばかりの周辺。射線を通すには、最短でも5km。
 へたしたら7Km。の射程が必須。
 現在最新のスナイパーライフルの最大射程は7km。
 昨年開発発売したロシア製のライフルだ。
 だが、新世代カートリッジと新弾薬が必要な上、計画上の数値ときいた。

 そんな武器を数丁と、さらに腕利きのスナイパー複数人。どうやって集めたのだ。
 Malikは、ロシアの見張り役二人が姿を消し、YuriがAgitatorと呼んだ男が白いコートを翻すのを見届け、Yuriに向いた。

  「体制?」

 Yuriは、大きな黒瞳をさらに開いて、そして細めた。
 中東の匂いのする彫りの深い顔がいたずらっ子のように幼くなる。

  「……え!!ブラフ?」

 寒さ対策にかぶっていた茶色のニット帽を取り、天然パーマの黒髪を手櫛で梳かして、Yuriは笑った。
 アラブ系ともスラブ系ともいえて、国籍は判りづらいが、爽やかな笑顔だ。

 先のAgitator。
 監視役の二人を包囲していると見せかけた。というのだ。
 
  「そ。見事な視線誘導と、天気まで味方につけて。ね。俺たちが居るのは、織り込み済みだろうけど、なかなかできない芸当だよねぇ。」

 胸ポケットから、いつも持ち歩いているスキットルを取り出して、口をつけた。
 ウォッカの匂いがした。Yuriは、師匠にもらったという年期の入ったスキットルをMalikにも飲むか。と、見せたが、Malikは首を横に振った。

 サウジアラビアでは、公共の場での飲酒は、法律違反だが、日本ではいいらしい。
 Yuriは生まれはサウジアラビアだが、少年期から青年期の大部分をロシアで過ごしていたらしい。
 だから、ウォッカに馴染みがあり、サウジアラビアと同様、公共の場では禁酒のロシアと比べて、日本はいいよね。と、また一口飲んだ。

  「で、でも。銃を向けられて歩み寄るなんて、ブラフだとしたらなおさら……」

 怖いんじゃ。と、いいかけて言葉を飲む。
 それすらも陽動。か。

  「そこが彼だよねぇ。完璧な気配のコントロールはもちろん、場を完全に支配して自分に有利な状況を作り出す。」

 Agitator―――扇動者。か。
 自分と6つしか違わないのに。と、Malikは感心した。

  「それに、愛情に溢れた優しい、Agitator。だ。」

 Yuri曰く、監視役を拘束しなかったのは、相手への温情もある。らしい。
 彼らの失態が上司へ伝われば、おそらく厳しい罰がある。
 だから、交渉した。相手の状況、性格まで考慮して。
 用意周到で度胸も判断力もある人だ。
 武力行使なしでの解決。すごい。参考になるな。

 Malikは、ライフルをおさめたバッグを肩に担いだ。
 ようやく扱いに慣れてはきたが、師匠―――Yuriと同行でないとまだまだ危うい腕だった。
 射線がきれいに通れば、2、3kmなら確実に狙い撃ちできる自信はあるが、さすがに5km。ましてや7kmは無理だ。

  「Ya Amm,Yusry……」

 Yusryユスリ―叔父さん。と、つい呼んで口をつぐんだ。Ustadhウスターズ―――先生。と、言い直す。
 Yuriは、咎めることなく、何?と、優しく聞き返してくれた。
 仕事。の時は、いかなる場合でも本名を使わない。身分は絶対に明かさない。
 まだまだ新米で幼いMalikには、難しかった。

  「先生や先生のご師匠様でしたら、7kmは、その……可能ですか。」

 恐縮した態度を隠さず、上目遣いで見上げたMalikを、やはり、怒ったり不機嫌になったりすることなく、口元を緩めて、Yuriは、言った。

  「うーん。師匠は当然だね。俺は……」

 微妙。と、はにかんだ。目標が大きければ大きいほどありがたいね。と。
 謙遜だ。と、Malikが思って口に出そうとした瞬間。

  「ご謙遜を。」

 どこからか嫌味のない、爽やかな優しい笑い声がした。
だ。

  「あちゃぁ。居場所もバレちゃってたかぁ。」

 まあ、そうだよね。と、Yuriは、笑って屋上の入口へ脚を向けた。
 Agitatorだ。Malikは思わず敬礼した。
 Agitatorは、上から見るより長身で、雰囲気が形容し難いが、特異。非凡。だった。
 先の柔和な交渉の中に、畏怖があるのを感じたように、目の前にすると一歩も動けなかった。
 この人は、ヤバい……。

  「いやいや、そんなに身構えないでよ。初めまして。」

 Agitatorは、近所のお兄さん。のような言い方で、右手を差し出した。
 Malikは、Yuriを見て、そして、その手を握り返した。
 やはり、体術も相当だ。と、察する。
 しかも、アラビア語もロシア語も解す。
 そんな、Malikの態度に、Yuriは出来のいい弟子でしょ。と、少し茶化すように、しかし自慢げに言った。

  「ジャマ。してすみませんでした。」

 Agitatorは、Yuriの自慢に大きく頷いてから、頭を下げた。
 心からの謝罪。というよりは、牽制。のようにMalikは感じた。
 いや、おそらくわざとそう感じさせた。のだ。

  「いやいや、想定内。想定内。」

 Yuriも解っていて、笑った。かけひき。
 悪意はないように観える。が、こちらの目的―――監視役が武力行使にでたら射殺。を、遂行させない為のAgitatorの行為。

  「おつかれちゃん、Aceエース。上手く説明しておくよ。大丈夫。」

 誰に―――Malikには判らない。AgitatorのことをAce。と、呼んだYuri。
 Yuri自身も誰かにAce。と、呼ばれているのを聞いたことがある。

  「助かります。」

  「逆に、こっちも助かるわぁ。あの二人に抑止が効いている内に、敵を何とかしないとね。」

 Yuriは、語尾を低めに、真面目な表情で言った。
 お願いします。と、今度は本当に心からの謝意だった。
 不思議な人だ。でも、魅せられる。と、いうか引き込まれる。
 あの瞳と雰囲気。
 Malikは、Agitator―――Ace。が去った跡をじっと見つめていた。

  「さて。俺らも移動するよ。」

 Yuriの言葉に我に返って、はい。と、返事をした。
 今回の仕事―――任務。は、このアパートの住人、飛龍 天羽の護衛。
 とはいえ、四六時中というわけではなく、要所要所。
 Yuriに指示されたときのみ、Malikは同行が許された形だ。
 姉さんの手前、あまり危険な事はさせられない。Yuriは何かにつけ口にしていた。
 姉さん―――Malikの母だが、Malikは、母が少し過保護すぎる事に不満があった。
 双子の弟、Kalim Al Saudカーリム アル サウド。は、父に付いて、既にイタリア、マフィアとして頭角を表し始めているらしい。と、聞いてなおさらだった。
 焦り。がないと言えばウソになるが、いずれサウジアラビア王国を治める国王の座につくのなら、世界を知ることと同時に自らを磨かなければならない。と、真剣に考えていた。

 だから、叔父であり、超一流のスナイパーのYuriに弟子入りしたのだ。
 Yuriはサウジアラビアを守るためにスナイパーになったといった。
 Yuriは、師匠、Kir Moskvinキール モスクヴィーンと出会い、薫陶を受けた。
 そのKirの息子。それが天羽だ。
 銀色の髪に茶色と青のオッド・アイ。
 Kirはロシア人ときいたが、成程、日本人離れしている容姿を持つ少年だった。

 自分より2つ上だが、身体的には全くかなわないほど大人びている。
 詳細は教えてもらえていないが、どうやら先の監視役とさらに別勢力から狙われているらしい。
 そして、天羽の母、飛龍 冥旻ひりゅう みらは、日本一大きなヤクザ組織、飛龍組の娘。
 何やら色々複雑な感じらしいことは察する。

 先のAgitatorも、天羽の味方のようだが、ヤクザには見えなかった。
 最も、Malikが想像する“ジャパニーズ・ヤクザ”に。だが。
 そういえば、父も“イタリアンマフィア”には見えないか。と、心中で独りごちる。
 もう、すっかり晴れて、大海原がまぶしいくらい輝いていた。
 それは、幼少に父と訪れたシチリアの海を起想させた。



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