第二章:Два:貳
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またか。と、張然傑は、皿やコップ、点心が空を舞うのを眉一つ動かさず見ていた。
心中では呆れているが、一ミリも態度には出さない。
足元に飲茶が飛び散ろうが、食べかけの小籠包が飛んでこようが。
直立不動の体勢を崩すことは、ない。
秦博宇は、がなり声を上げて怒鳴り散らしている。
理由は判然としている。
握られているスマホが原因だ。報告―――部下の失態。
秦博宇は、自分の思い通りに事が運ばないと暴れ狂う。
「そんな無能な奴ら、早く始末しろ!」
何人、何十人、部下がいても足りない。秦博宇の周りは、無能ばかりだ。
当然本人も含まれている。血筋が与えた分不相応な地位。
それに甘んじ、努力も精励もせず威勢を誇示する。わがままなガキ、そのもの。
下女たちがせっせと後片付けをするのを睨みつけて、苛立ちをさらに加速させた。
「そもそも、誰の情報だ!新幹線に奴が乗っていると言ったのは、ああ?」
部下の一人の頭にフカヒレスープが浴びせられた。部下は顔を歪めたが、熱い。とは言えない。
情報元もおそらくもうこの世にはいないだろう。
無能な奴らめ。と、秦博宇は金切り声を上げた。白いこめかみに血管がうく。
肉付きのいい顔に小さな目と大きな鼻、赤い厚い唇が中央にまとまっている。
日本の……何と言ったか。女の仮面。に似ている。と、張然傑は毎度思う。
怒りで紅潮した頬も助長した。
「何故、たかがガキ一人、殺れない!」
自分では手を下せないくせに、傲慢な態度で今度は北京ダックの背をナイフで刺す。
ガキ―――秦博宇の標的は、日本人だった。
会ったことも見たこともない、ガキだ。名前しか知らない、対象。
秦天羽。中国名を持つ、日本人。飛龍 天羽。
悪しき教育。洗脳。秦博宇は、親から言われた通りに天羽に悪意を持って、そして行動を起こしたに過ぎなかった。
憐れだ。と、思わない事はない。が、しかし。13も過ぎれば自我というものが芽生えるだろう。自分で考え、自分で判断する。そんなことも出来ない無能だった。
親の言うことは正しい。そう信じている。
いや、信じることで何をしても許される。と、勘違いしているのだ。
「張然傑。」
すがるような瞳で、自分を見る秦博宇を、張然傑は見つめた。
はい。と、返事をして歩み寄る。
下女たちを足蹴にして、部下たちを下がらせ、奥の部屋へと向う。
「どう思う。」
天蓋付きベッドに腰下して、見上げられた。手を握られる。
いつものことだ。慣れている。張然傑は、かがんだ。立膝をつくようにして。
白く小さな丸い手にキスをした。
「無能ですね。」
ぱっ、と秦博宇の頬に赤みが差す。そうだよな、自分は、悪くないよな。そう解釈したようだ。
握っている張然傑の右手を自分の頬に運び、撫でさせた。
女のようにもっちりとした柔らかい肌だ。
秦博宇は、恍惚な表情を浮かべ、猫が主人にすり寄るように、張然傑の手に顔をこすりつけている。
親に甘えられなかった分を埋めるように。といっては、少々まともではないが、何も言わず受け入れる張然傑に信頼をおいているのは、確かだ。
張然傑は、優しく秦博宇をベッドに横たわらせた。すぐに寝息をたてる。
このまま殺せる。何度思った事か。
「おつとめごくろうさん。」
秦博宇の部屋から出た張然傑を、下卑た心を隠そうともせず顔と声に出したのは、壬梓芳だ。
何を言っている。張然傑は、不愛想に口にしたが、壬梓芳は、またまた。と、肘で横腹をつついて、ひひっ。と、笑った。
皆、ウワサしてるぜ。お前と秦博宇の仲を。と、垂れ目が言っている。
張然傑は、一蹴した。
いくらどんなウワサをされようが、誰も直接本人に言うことはない。
言ったら自分の首が文字通り飛ぶからだ。
「で、本当の所どうなの。どこまで?どんななの?」
張然傑は、壬梓芳を睨んだ。
こいつだけは、いつか本人に言いそうだ。と。
「日本に行く。」
秦博宇は、寝落ちする寸前。一緒に日本に行こう。と、言った。
張然傑は、来た。と、心中を見透かされぬよう、尊命。仰せのままに。と、秦博宇の額に口づけをしたのだ。
興ろそう。と、壬梓芳は、口角を上げた。一緒に行く気らしい。
―――自分の目で見て、自分で判断をしろ。そして、その判断に責任を持て。
その人を敬うのも、蔑むのも、慕うのも、疎むのも、小然。お前の、自由だ。
張鋭豪の言葉が頭の中を駆け巡る。
張然傑は、スマホに指を這わせ、日本への航空券の手配をした。
何故か淡いピンク色の花をつけた木々―――桜。の光景が目に浮かんだ。
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