1/2/3/4/5/6/Atogaki


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   1988年、夏。
   7月31日、その日は憎らしいほどの晴天で、蒼の絵の具を、神様が天から零してしまったかのよう
   な、雲ひとつない空だった。
   生暖かい港からの微風が、何度も俺の額に触れていく。
   窓を半分覆っている白のカーテンが、風に踊るのを横目で見ながら、時折瞳を閉じては天井を見つ
   めてた。
   なんの変哲もない、日常。

    「こうきっ、こうきっ、箜騎っ!」

   騒々しい物音と、けたたましい叫びにも似た母親の声に、ドアの方へゆっくりと顔を向けた俺を、母親
   の次の言葉は奈落の底へと導いた。

    「立くんがっ……今、亡くなった。……って。」

   ――タツルさんが、亡くなった。

   瞬きすることさえ、できなかった。
   一瞬にして、冬がきて、俺は凍った。

    「何ソレ。……ジョークでも怒るよ、母さん。」

   無表情のまま呟いた俺に、

    「箜騎ぃ……。」

   母親は、悲嘆な声を出して俺に抱きついた。

    「今朝、危篤状態になって、緊急手術したんだけど。お昼に……。」

   何……?

    「手術って、何?……危篤って、何だよ!」

   徐ろに声を上げて、俺は母親の細い肩をつかんで揺さぶった。

    「……すまなかった。箜騎くん。立が絶対に言わないでくれ、と。」

   白い壁に辺りを覆われた冷たい病室。
   ここ、私立横浜中央病院の院長である立さんのお父さんが、頭を下げた。
   ひどく疲れきった赤い目をした立さんのお母さんは、涙の跡もそのままに、立さんの7つ違いの妹の
      しぶき
   飛沫ちゃんの手を握ってた。
                   ロ ー ド           とくさ   つづし
   立さんが造った族、“THE ROAD”の特攻隊長の木賊 矜 さんは、いつものB・RJOY丸グラサンを
                                 ゆづみ
   頭にのせて、いつもの黒でまとめた服を着てて、夕摘さんは、いつもの長く綺麗な髪で、いつものす
   らっとしたパンツルックで……それなのに。
   それなのに。

    「立さんっ!!」

   細い体をゆすった。
   白いベッドに横たわった細い身体を。

    「立さんっ立さん。立さんっっ!!」

                ヒト
   いつも一緒にいた人間が。
                 ヒト
   いつもおいかけてた人間が。
   いつもっ……。

    「立さんっ―― っっ!」

   動かなかった。
   いつもの優しくたれる瞳をみせてはくれなかった。
   薄い唇も開かなかった。
   肩を組んでくれた腕も。
   何もかも。

    「うそだ。…うそだ。うそだ、うそだ、うそだ――!!」

   俺は体の動くままに病室を飛び出した。

    「箜騎っっ!!」

   腕を引かれ、俺はそこに腰砕けになった。

    「うそだ……。」

    「箜騎……。」

   矜さんの黒のワイシャツをつかみながら、

    「温かかった。ちゃんと、温かかったっ……立さん……立さんっ……。」

    「箜騎。」

   俺は矜さんの胸でしゃくりあげた。

   ……信じられなかった。

    「風邪だって。……立さん、風邪だって言ってた。風邪っ……」

    「言えなかった。お前には、立、箜騎には言えなかったんだよ!わかってやってくれっ、箜騎。お願
   いだ。箜騎っ……。」

   ……立さんは、肺がんだった。

   自分は2年も前から気づいてて、20歳まで生きられればいいっていわれてて、それでも、立さんは
   族をやめなかった。
   俺達に気づかれないように通院してた。

   ……言ってくれなかった。

   幼いころからずっと一緒にいたのに。
   立さんがサッカーを始めた時も、名声をあげた時も。
   族を造った時も。
   いつも。
   一緒にいたのに。
   いつも、俺は立さんを追ってたのに。

    「苦しいって……立さん、言ってくれればよかったのに。……苦しいって。」

   言ってくれなかった。
   何もっ……。

    「俺はっ……俺はっ……。」

   そんな立さんを、何ひとつわかってなかった。
   気づいてもあげれなかった。

    「自分を責めるな、箜騎。」

   責めずにはいられなかった。
   俺は……。
   立さんっっ。
   1988年、7月31日、18歳。
   立さんは、あの青の、遠い空になった――……。


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