

6 「行く行く行くぅ〜!」 めの 碼喃の語尾にハートマークをつけた声が教室中に響いた。 かいう みら 学校が終わった後、海昊がいるだろう江ノ島に遊びに行こうか。と、冥旻が言ったらこの騒ぎ。 めみ 萌は笑った。 穏やかな優しい笑み。 あれから、嘘のように晴れ渡った自分の心。 素直に笑えている自分がいた。 「じゃ、あたし。そっこーでクッキー焼いてくる!海昊さんに食べてもらうんだぁ!」 満面の笑み。 碼喃を待って、江ノ島に向かった。 江ノ島。 神奈川県藤沢市にあり、湘南のシンボルでもある、神奈川県指定史跡名勝だ。 北鎌倉駅から、JR線で鎌倉まで。 鎌倉からは、江ノ島電鉄で行ける。 4人は、江ノ島の駅を降りて、国道134号線に出る。 冬のこの時期、国道は混雑はしていなかったが、車は多い。 夏になると基本的に渋滞な、この道路。 ……お兄ちゃん? 江ノ島の弁天橋方面から走り出て、すれ違った紫のフェラーリ。 萌は振り返って確認する。 母親のお金で買わせ、運転手に運転させたり、無免許で運転したりやりたい放題だ。 しかも、世の中にそう転がっていはいない、紫色のフェラーリ。 億でもたりない。 「あ、いたいた、お兄ちゃ……」 冥旻が兄の姿を見つけて、声を発したが、異様な雰囲気を感じ取った。 言葉を飲み込む。 学生服の男たちが、何人か集まっている。 「冥旻。どないしたん。」 海昊は、一瞬バツの悪い顔をして、それからきわめて普通に、妹の名を呼んで、受け入れた。 「あー、この間のかっこいいお兄さん!」 みたか 「紊駕。」 「あ……。」 碼喃、時雨が声を上げた。 萌も、紊駕と呼ばれた男を注視する。 小町通り萌を引き止めたS高校の男だった。 どうやら、碼喃も時雨もこの男を知っているらしい。 たきぎ 「薪……。」 「時雨かよ。」 「え、姉貴?」 今度は、時雨、薪。 そして、バンダナを巻いた脱髪の小柄な男。 「どーなってんだ?」 前髪を赤く伸ばし、後ろを一本で結わいている男。 ガタイのひときわおおきな男。 同時に首をかしげた。 「俺の、姉貴っすよ。」 バンダナの男が皆に説明する。 ささめ 「細雨、お姉さんなんていたっけ?」 小柄で、すこし稚気の残る男が尋ねる。 「もう、ずっと会ってないけどね。」 時雨は、萌たちに目配せして弟を見る。 ……。 ひさめ 「時雨の兄貴って、氷雨のこと、か。」 「紊駕、兄貴のこと知ってたの。」 冥旻は紊駕と呼ばれた男の言葉に、目を丸くした。 どうやら、時雨の兄、氷雨のことは以前から知っていたらしい。 萌は、胸が苦しくなるのを覚えた。 中学からずっと一緒にいたのに。 時雨たち兄妹弟は、両親の離婚のため別々に引き取られたのだという。 時雨は母親に、氷雨と細雨は父親に。 「世の中は狭いんやな。」 海昊は左エクボをへこました。 紊駕も、瞳を細めた。 「薪、あんたって変わんないね。相変わらず、チビだし。」 「っるせーよ。てめぇこそ。口のへらねぇ女!」 時雨と薪の口げんか。 中学の頃を思い出す。 ケンカするほど、仲がいい。 萌は優しく微笑んだ。 「この間は、すみません。」 紊駕の側に寄った。 紊駕は、萌を見て、首を振る。 長い脚を組んだまま、海を眺めた。 萌は、まだ口げんかをしている時雨と甲斐甲斐しくクッキーを配っている碼喃を見て微笑んだ。 その表情はとても穏やかだった。 優しいから。 他人を思いやるから、自分が傷つく。 時雨も、お父さんも。 そして、紊駕さんも。 それでも優しい嘘をつく。 優しい嘘を……。 「ごめんごめん。私も萌のこといえないっかぁ。」 帰り道、時雨はあっけらかんと自分の話しをした。 離婚、兄弟との別れ。 「でも、自分自身、ふっきれてたしね。」 小学校4年生の時に母親に引き取られた。 今では、兄弟の連絡は途絶えていたという。 冥旻は、神様は意地悪だと口を窄めて言った。 早く話していれば、兄弟の再会はもっと早かったに違いない。と。 時雨は、一言も言わなかった。 萌は、はりさけそうな思いがした。 中学の時雨の動向。 辛いと弱音を吐いたこともなく、いつも元気で笑っていた。 そんな時雨を、私はわかろうともしなかった。 「ごめんね……時雨。」 ずっと、中学の頃から一緒にいたのに。 気付いてあげれなかった。 私は、本当に自分のことしか考えていない……。 「何、謝ってんの。私、兄貴のこと信じてたから。何処にいても、いつでも私のこと考えてくれるって。」 ――信じてるから。愛し方って一つじゃないだろ。 時雨は、優しく強いまなざしで微笑んだ。 愛し方は一つじゃない。 自分の心に素直に猛進する愛し方。 側で支える愛し方。 陰から見守る愛し方。 友人を、家族を、他人を。 愛する愛し方……。 萌は、今までの自分の行いを反省した。 これからの自分を見つめた。 その勇気を、冥旻が、時雨が、碼喃が。 しなだ 氏灘が、紊駕がくれた。 たつし 「闥士さん!!」 つがい 「何度いったらわかんだ、津蓋!!」 玄関を開けたとたん、闥士の怒鳴り声が聞こえた。 「ゆったろ。」 ――紊駕と氷雨。海昊はぜってぇ、ゆるさねぇ。ってよ!!! 「!!」 萌の手がドアノブにかかって止まった。 どういうこと……、何を考えているの? 萌が目を見張る。 確かに聞こえた。 兄が、紊駕たちを許さない、と。 「24日。クリスマス・イブ。11時ジャスト、江ノ島。後にわひかねえ!奴らに連絡しとけ!!!」 闥士が低い唸り声をあげ、不敵な笑い声を発する。 萌は、脚が震えるのを感じた。 まさか、兄と紊駕たちとがかかわっているとは、露ほどもしらなかった。 「……そうやったん。」 萌は、兄の言葉が心配で、冥旻を通して海昊の下へ訪れた。 さっぱりと綺麗に整頓された2DK。 観葉植物も生花もいい具合においてある。 海昊は、萌が闥士の妹だったのか。と、納得した。 紊駕もそこにいる。 「すみません。」 「いや。あ……萌ちゃん。謝まらんて……」 頭を下げた萌に海昊が困ったように頭をかいた。 「兄……淋しいんだと思います。なんていうか……」 萌は、自分がそうだったように闥士もそうなんだろうと思っていた。 両親の死別。 氏灘はお金が目当てで母親と結婚したと言う思い。 「どこか……虚勢を張ってて……私もそうだったかもしれません。」 誰も心配してくれる人などいない。 誰かを憎まなきゃ生きて行けない。 お金だけはいつも、そばにあった。 母親は忙しく、いつも家にはいなかった。 愛情に飢えていたのかもしれない。 .お金があっても愛がない、家庭。 本当は、両親に甘えたかった。 ブルース バッド 「萌ちゃん。わざわざさんきゅうな。せやさけ、もう止められない思う。BLUESもBADもケジメつけなあかんのや。」 萌には判らない事情があるのかもしれない。 海昊は優しい笑みで言ったが、瞳の奥は厳しかった。 でも、きっと海昊が言っていることは正しい。 もう、止められない。 24日を待って、是か非か……答えがでる。 紊駕は、ずっと黙っていた。 蒼い、その瞳で。 「どうして?」 口を開いたのは、冥旻。 今にも泣きそうな表情。 「どうして傷つけ合わなきゃならないの?」 「冥旻。」 ぐし へんり 「虞刺や遍詈って人。闥士さんたちと話し合えんの?」 ――虞刺と遍詈か。あいつらは操りやすいしな。 以前に闥士が言っていた。 「お兄ちゃんが……紊駕さんが……皆が傷つくのやなの。……嫌や!嫌なんや!!」 取り乱す冥旻。 言葉に関西弁が混ざっている。 「冥旻……」 海昊は窮した様子で、そっと妹の頭を撫でた。 冥旻……。 冥旻だってこんなに苦しんでいるのに……。 萌は再び自己嫌悪に陥った。 「冥旻。男にはな、やらなあかんことがあんねんて。ケジメつけなあかんのや。大丈夫やから。な。」 子供をあやすように、海昊は何度も大丈夫だ。とささやく。 「お兄ちゃん。どうしてそんなこと……」 萌の呟きに――、 「萌ちゃんのお兄さんとは……昔から因縁ゆうんかいな。色々ないざこざおうてな。闥士には、ワイらがムシが好かんかったようや。」 「……そんなの。きっとお兄ちゃんのワガママです。……お兄ちゃん、いつもお金使って悪いことばっかして……人を傷つけて……ごめんなさい。」 深々と頭を下げた萌に、海昊は首を振った。 「萌ちゃん。そない兄貴のこと悪ぅゆうもんやないで。さっきゆうとったやろ。淋しいんやて。闥士かてわこうてるハズや。せやけど止まれない。誰かが止めてやらな、あいつ。止まれないんや。」 ――せやから、ワイらが止めたる。 海昊は強いまざなしを向けた。 「……意味のある抗争なんやね。……いつも、そうだよね。お兄ちゃんや紊駕さんたちがケンカしたりするのって。意味があるんだよね。そのお陰で、誰かが救われるんだよね。」 落ち着きを取り戻して、冥旻は涙を拭いた。 「冥旻。」 片足をあげ、腰を下ろした状態で、窓の外に目を向けていた紊駕が向き直った。 「氷雨にはゆうな。誰にもゆうんじゃねーぞ。」 「……紊駕さん。」 冥旻は呟いて、そして小さく溜息をつく。 「いつもそうですね。自分より、他人。」 紊駕は再び外を眺め見る。 「他人が傷つくなら、たとえ誤解されても辛くても、自分が犠牲になる。……優しすぎます。」 「んな、いい奴じゃねーよ。」 冥旻の顔を見ずに吐き捨てた。 長く赤い前髪をかきあげる。 ――傷つけたくないんだ。それが、余計傷つけるって知っていても、な。 紊駕さん……。 その夜から、萌は闥士と顔を合わすことはなかった。 母親も帰ってこない。 氏灘とも、挨拶程度の言葉を交わすだけの日々。 学校も冬休みに入り、何をするともなく過ぎる毎日。 不安でしょうがなかった。 24日。 その日は、もう明日に迫ってきていた――……。 >>次へ <物語のTOPへ> |