

1 1993年、夏。 「でっかい波。こねーかなぁー。」 黎明の海。 太陽の光華が、蒼海に彩りを添える。 波の虚ろいに身を任せながら、大きなため息。 ふかざ る も 吹風 流雲、鎌倉市立K中学校3年。 家は、藤沢市片瀬江ノ島にほど近い、鎌倉市腰越。 「頭3コ分くらいあってー、テイク・オフすっと、下まで5mぐれー。」 「ばぁか。こえーよ。」 もろ 甲高い笑い声を上げる、諸 クロス。 潮水に、尖った顎が時折触れる。 「いんだよ、その恐怖感がぁ。」 「日本じゃムリだよ。」 や し き 「夜司輝ぃー、元も子もないことゆーなよぉ。」 ほしな や し き 星等 夜司輝の言葉に、語尾を伸ばし伸ばし、流雲。 顔をボードにくっつける。 耳から潮水が入ってくる感覚。 「せめて、ハリケーンでもくればなぁ。」 ちゅうや すくむ 今日も晴天になりそうな大空を見上げ、柱屋 竦。 眩しそうに目を細めた。 「ハリケーンかぁ。来そうもないよねぇ。」 「隼弓もそいことゆーなよなぁ。」 えいま じゅんゆ 江今 隼弓に、潮水をひっかける。 透明な飛沫が青空を映し、輝いた。 隼弓のボードに波紋を作った。 5人、同じ学校の同級生。 「流雲。朝レンいーの?もう6時すぎてんじゃない?」 「いーの、いーの。引退だもん。」 色あせたボードの上に、5人とも腹ばいになって波に揺られている。 片瀬西浜海岸。 穏やかな、波。 「そっか。」 サーフィンを楽しむ他に、流雲と夜司輝はサッカー部に所属している。 中学3年の7月。 夏のインターハイに負けた流雲たちは、引退である。 サーフィン一筋にすれば、と何度かクロスに言われたが、流雲と夜司輝はずっと両立していた。 「今年の大会はでれんだろ?」 アマチュアサーフィン選手権大会が例年、ここ片瀬西浜で行われるのだ。 「早めにエントリーしとこうぜ。用紙もってっから、後で渡す。」 流雲は翻して、波をかいてパドリング。 テイク・オフ。 波に乗る。 軽く、アップ・スン・ダウン――波の上、上下ターン。 浜へ降りる。 パステルカラーのパワーコードを外して――、 「優勝者は決まったも同然だが、心して練習に励んでくれたまえ!」 敬礼の姿勢で、茶目っ気を見せる。 皆も浜から上がって――、 「んなこといってぇ、予選落ちすんなよ。」 タオルで頭をふきながらウェット・スーツのまま、サーフボードを抱えて浜を出る。 「あ、見くびってるなぁ。」 「でも、5人とも予選通過目指そーね。」 隼弓の声に、人差し指を横に振る流雲。 「ジュニア・クラス優勝の間違いだろ。やっぱ目標はでっかくもたなきゃねぇー。ま、達成は間違いないけど。」 自信満々。 「すっげー自信。受験勉強やんない奴は、いーわなぁ。」 「あ、そっか。流雲と夜司輝って推薦もらってんだっけ?」 「えーそうなんだ、初耳ぃ。」 ・ ・ ・ ・ 流雲の声に、すぐさまクロスの拳がとんでくる。 「いってぇー。マジで殴ったなモロ。」 渋い顔をしてから――、 「でも、いかないよ。僕、S高いくんだもん。」 流雲の言葉に3人は、驚いて、何で?と尋ねる。 S高――県立S高校、この通り、134号線を横須賀方面に行った、海岸沿いにある学校である。 「そこには愛する人がいるのさっ!」 「何ソレ、それこそ初耳。」 再び驚く。 そして――、 「どんな女ぁ??」 「女じゃないよ、お・と・こ。」 間髪いれずに答える。 3人、間を開けずに呆れ顔。 「あのなぁ。」 3人の腕が流雲にあたる。 そして、夜司輝に視線を向けた。 「まさか。夜司輝も推薦蹴んの?」 夜司輝は口元を緩めて、穏やかな表情を作った。 「尊敬してる人がいるんだ。」 空を仰ぐ。 真っ白な入道雲、青く澄み渡った空。 夜司輝の視線を引き継いで、 「俺、あの人と一緒にプレーしたい。」 流雲が目を細めて太陽を見る。 強く、優しい。 潮風が流雲の、潮焼けした茶色の髪を揺らした。 「サッカーやってる人なんだ。」 「でもよー、サッカー推薦もらったのに?S高って有名じゃないじゃん?」 クロスは、長く左右に垂れる濡れた黒髪をかきあげる。 雫が滴れた。 「名声はカンケイないよ。」 「そうそ、僕が入れば全国大会間違いなく優勝だから。」 満面の笑み。 入学もレギュラーに選ばれることも、そして全国大会への出場も。 いくつものハードルを通り越して、全国大会優勝、ときた。 竦は、相変わらずの流雲の自信振りに、 「あーそうかい。」 15cm以上低い、流雲の頭を拳骨で挟んで、拳を回転させた。 「こら、ちゅう。セットが乱れる。」 竦のことを苗字の頭をとって、ちゅう、と呼ぶ。 潮水で湿った髪を手櫛で整え、 「お。かーいーこ発見!」 切り替え早く、やんちゃな目をした。 西浜から上がって、弁天橋を右に見ながら、鎌倉方面へ進んだ5人の右手には、片瀬東海岸。 制服の少女。 ワンレンの肩までのボブヘアーを潮風に任せている。 波打ち際ギリギリの所に佇んでいた。 時折、髪をかきあげる。 「朝から運いーな。」 流雲は、語尾にハートマークをつけて、スキップをするように浜に下りた。 クロス、竦、そして隼弓は、声には出さずに、態度で呆れて歩みを先に進める。 丁度、歩行者信号が青に変わったので、渡る。 後ろは振り返らない。 夜司輝は、小さなため息をひとつついて、流雲を追い、視線を同じにした。 東浜も穏やか過ぎるほどの波。 江ノ島をはさんで、西浜と同じなので、当然か。 「……。」 夜司輝は、流雲の足跡を追って、そして、立ち止まった。 少女の、制服から伸びた細く白い腕が、不自然に目元に動く。 何度も、何度も。 うつむく視線。 「……流雲。」 夜司輝の声より先に流雲も気がついたようだ。 歩みを止めていた。 泣いている。 少女は、水平線と波打ち際を交互に目線を移動させる。 遠目だが、目線と共に細い顎が上下に揺れるのでわかる。 そして、目頭をぬぐう。 早朝の海辺。 佇む少女。 一枚の絵葉書になりそうな、そんなワンシーン。 流雲と夜司輝は、無言で元来た道を戻った――……。 >>次へ <物語のTOPへ> |