第一章 Comet Hunter 恋愛方程式

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  「なんか、新学期が始まるって言うのに、憂鬱だなぁ。」

 三人、もう散りかかっている桜並木を学校まで歩く。
 今朝は、すがすがしく穏やかな気持ちで、この道を通ったのに。
 遠い昔のようにさえ思う。
 桜並木を抜けると、大海原が現れた。
 七里ガ浜だ。
 右手には、江ノ島が見える。
 湘南海岸。
 夏になると、色とりどりのヨットやサーフボードが蒼い海を彩る。
 今は、ちらほらそれを予期させる程度だ。
 し な ほ
 紫南帆たちの通う、県立S高校は、家から20分ほど歩いたところにある。
 海岸線沿いにある学校だ。
 今日から三人は二学年に進学する。


 校門をくぐると、校庭の桜が、はらはらと風に踊っていた。
 その奥、ゲタ箱の付近で人だかりができている。
 講師たちがクラス替えのリストが書いてある、用紙を配っているのだ。
 
  「あ、紫南帆ー!」
                                    おうみ     せお
 人だかりの中から、こちらに大きく手を振っているのは、桜魅 瀬水。
 高校に入ってから親しくなった、紫南帆の友人の一人だ。
 しっかり、クラス替えの用紙を手に握っている。
 
  「おはよう。」

 瀬水のところまで歩いていく前に、肩までのストレート髪をゆらしてこっちに向かってきた。
 用紙を目の前でひらひらとかざす。

  「おんなじクラス!!やったね!」

  「あ、本当?」

 瀬水から用紙を受け取って確認。
 瀬水が近くに来たときに、柑橘系の、きつすぎない香りが漂った。

  「俺らは?」
 きさし
 葵矩が紫南帆と瀬水の後ろから覗いた。
           あすか
  「あ、おはよう。飛鳥くん。」

  「おはよう。」

  「?」

 葵矩の満面の笑みに、瀬水は顔を赤らめて下を向いた。
 その様子に紫南帆は、気のせいかな、と首を傾げた。
 いつもの瀬水らしくない態度だったので、少し不思議に思ったのだ。
 瀬水は、あっけらかんとした性格で、ときどき調子に乗りすぎるところがあるが、元気印という感じで、裏表のない子なのだ。
 高校に入ってすぐに、声をかけられ、意気投合した。
                               きさらぎ
  「残念。飛鳥くんは隣のクラス、2組だ。ちなみに如樹くんは1組。」
                       みたか
 葵矩ははありがとう、とお礼を言い、紊駕は軽く顎を下げた。
 三人、別々のクラスだ。
 一年生の時は三人とも同じクラスだったので、三人別々のクラスになるのは当然といえば当然な感じはしていた。


 紫南帆は二人と別れ、瀬水と三組に入る。

  「ねえね、何か面白いことなかった?」

 教室に入るなり、瀬水は紫南帆の座った机に頬杖をついて、興味津々の顔つきを見せた。

  「面白いことって?」

  「誰かに告白されたとか、彼氏ができたとか。」

 その類ですか……、はあ、と紫南帆はため息を軽くついて、首を横に振った。

  「なーんだ。つまんないの。」

 瀬水はあからさまにふくれっつらを見せて、ぼやいたと思ったら、

  「やっぱり紫南帆、あの2人のどっちかと良い感じなんでしょ。」

 断定的に言ってみせた。
 はあ、もう一つ大きなため息。

  「何回言わせるかなぁ。そんなんじゃないって、本当。2人とはただの幼馴染。」

 幼馴染、を強調する。
 何度同じことを聞かれたか。
 年と重ねるたび、何度となく尋ねられた。
 男女が仲が良い、イコール付き合っている。という方程式ができているらしい。
 そして、次の言葉は決まって、「本当に?」という疑いの目が……、

  「そっか、良かった。」

 あれ、紫南帆はすこし拍子抜けをした。
 瀬水は小声で呟いて、頬を緩めたのだ。

  「あ、何でもないよ。」

 わざわざ弁解するかのように顔の前で手を振る。

  「そういえばさ!明日1限目から数学なんだよね。やだなぁ。」

 話題を変えた瀬水の言葉に、紫南帆は――、

  「そうだ、瀬水。これ、見てよ。」


  「5X2-10VENUSX=-5VENUS2
             X=MERCURY
             ==HEART    」


 あの手紙を取り出した。
 いつ何が起こるかわからないので、持ってきていたのだ。

  「何、これ。暗号?」

 瀬水はムズカシイ顔して、

  「あたしが数学苦手なの知ってるでしょうが。」

 と言いながらも、手紙を手にとってまじまじと見る。

  「それがさ、今朝家のポストに入ってたんだよ。気味が悪くて。何かまた事件の予感が。」

  「紫南帆って本当、よく事件に巻き込まれるよね。」

  「はい……。」

 瀬水の言葉に、肩を落とす紫南帆。
 紫南帆は、推理小説や探偵物などの本を読むのが好きで、推理能力には長けている。
 だが、それを知っているかのように、何故だか、紫南帆の周りでは事件が起こる。
 そして、必ず巻き込まれるのだ。
 一年生のときもそんなことがあった。
 詳しくは、Constellation Love Event 参照。


  「ね、これって方程式だよね。解けばいんじゃないの?」

 瀬水の言葉に、

  「うん。解いては見たんだけど、このVENUS、ヴィーナスだと思うんだけど、これがちょっとジャマというか……。」

  「え?そのまま一文字として考えればいんじゃん?Xと同じように。」

 紫南帆の頭に閃きが生まれた。
 VENUSを一文字として……。

  「ちょっと、ごめん。」

 瀬水から手紙を取り戻して――、


  「5X2-10VENUSX=-5VENUS2
             X=MERCURY
             ==HEART    」


 まず、全ての項を左辺に移行し、
 5X2-10VENUSX+5VENUS2=0
 5(X2-2VENUSX+VENUS2)=0

 左辺を因数分解すると、
 5(X-VENUS)2=0

  「X=VENUS!」

  「だね。」
 
  「ありがとう!瀬水。」

 そして……、
 と、その続きに目を通そうとしたとき、鐘がなったので、しかたなく手紙をしまった。


 始業式が終わったあと、紫南帆は一目散に図書室に向かった。
 紫南帆が学校で一番好きな場所だ。

  「めずらしいね、瀬水もくるなんて。」

 一緒についてきてくれた瀬水に言う。
 二人とも一年生の時は図書委員だったのだが、今年度の役割はまだ決まってない。
 最も、紫南帆は継続して図書委員を務めるつもりでいる。
 瀬水はといえば、図書委員であったにもかかわらず、あまり顔をださなかった。
 図書委員は、全員必須である部活動の参加に含まれていたために、部活動をやらない、やりたくない生徒が集まるという傾向があるのだ。
 そう言った意味では、紫南帆も瀬水と一緒である。

 葵矩はというと、中学の頃からサッカー部一筋で、一年生ながらにレギュラー、センターフォワードを勝ち取って、目下全国制覇に向けて練習中だ。
 三度の飯よりサッカーが好きだ、と言っても良いほどのサッカー少年で、実力も伴っている。
 明るく、元気で太陽のような少年。
 周りをも明るく楽しくしてくれる雰囲気がある。

 そして紊駕はというと、当然の如く何にも参加していない。
 今でこそ、マトモになったが、中学時代はサボりの常習犯だった。
 暴走族やチーマーの知り合いもたくさんいる。
 人を射抜く、見透かすような瞳。
 大人びていて、スキがない。
 クールで冷たい態度をとることもあるが、瞳の奥はとても優しく、温かい。

 葵矩が太陽なら、紊駕は月。
 表だって輝くことはないが、気がつけば、いつも側にいる。
 優しく見守ってくれる。

 二人、性格は正反対だが、これでいて案外仲が良いのだ。
 そして、紫南帆にとってとても大切な存在である。


  「え、だって暇だから。何か面白いことないかな、って。」

 紫南帆が、瀬水が図書室にくるのをめずらしがって言った言葉に、そう返答した。
 小さくため息をついて、

  「そればっかね。面白いことって……。」

  「さっきの暗号みたいの、続き、みせてよ!」

 紫南帆の言葉を意に介せず、瞳を輝かせた。
 紫南帆は図書室の一角の机に腰掛けて、鞄からあの手紙を出す。


  「5X2-10VENUSX=-5VENUS2
             X=MERCURY
             ==HEART    」


  「X=VENUSってことは……。」

 呟いて――

  「XにNENUSを代入して、VENUS=MERCURY。」

 VENUS=MERCURY。
 それが何の意味をもたらすか。
 女神(金星)=水星
 ノートに書いてみる。
 何か事件のある度に几帳面な紫南帆は、細かいこともメモしているのだ。

  「この最後の、==HEARTってなんだろう。」

  「イコールイコール、ハートってことじゃん?」

 瀬水が答える。

  「イコールイコール、ハート?それって、イコールがハートってこと?」

 となると、=にHEARTを代入するということか。
 VENUS HEART MERCURY。

  「ヴィーナス ハート マーキュリー。」

  「別に逆でもいんだよね。マーキュリー ハート ヴィーナス。」

 一瞬、間があって、

  「マーキュリーはヴィーナスが好きってことでは……?ってことは、ラブレター???」

 瀬水が叫んだ。

  「え、え、何でそうなるの?」

  「だってそうじゃん、紫南帆宛でしょ。その手紙。ヴィーナスは紫南帆のことでしょ。」

 当然、と瀬水は背中をそらして、腕を組んだ。
 私の推理に間違いはない、と。

  「……。」

 紫南帆が左手を顎にあてて、考えていると、
     すなが
  「あ、空流じゃん。おーい。」

 展開早く、瀬水の興味は別のところに注がれたようだ。
 思わずため息をつく紫南帆。

  「やあ。」

 奥の机で本を読んでいた少年が顔を上げて、こっちに向かってきた。
 左手で、少し茶色がかった前髪をかきあげる。
 紫南帆は面識なかったが、瀬水の知り合いであろうと思い、軽く会釈をした。
   むなぎ   すなが
  「旨軌 空流くん。中学が一緒だったんだ。」

 瀬水が空流を紹介した。
   そうみ
  「蒼海です。」

 紫南帆も自己紹介。
 空流は、優しそうな瞳が印象的だった。
 少し照れたように、何度も髪をかきあげる。

  「そうそう。空流も本好きなんだよ。」

 瀬水は、空流の持っていた本を指差す。
 惑星―宇宙の彼方―。

  「蒼海さんも本好きなの?」

 空流の言葉に――、

  「うん。主に推理物が好きかな。神話とか惑星にも興味あるよ。」

  「へえ。そうなんだ。」

 推理小説は、読み進めながら犯人を推理したり、トリックを暴いたりするのが快感だ。
 それが自分の推理と合致していたらなおさら。
 新たな展開や予想しなかった者が犯人であったら、尚おもしろい。
 紫南帆の場合、最後まで読む前に犯人が分かってしまうのことが多いのだが。

 小説を読むと、没頭して一気に読みたくなってしまう。
 時間が経つのもすっかり忘れて、いつの間にか朝になっていたこともあった。
 先が知りたくて、たまらなくなるのだ。
 推理小説の場合、いい加減に読み進めていると、思わぬところで見落としがあったりするので、しっかり読み進めなくてはならい。
 尚且つ、先が知りたいという欲求に駆られる。

 脳の動きが目に見えたなら、普段はおっとりしている紫南帆からは、想像できない、驚くほどの速さで動いているだろう。

  「じゃ、じゃあ。」

 雑多な話をし終えて、空流は図書室を出て行った。
 軽く手を振る。


  「あ、紫南帆!」

 やっぱりここにいた、と葵矩は呟いて、空流と入れ違いに図書室に入ってきた。

  「あ、飛鳥ちゃん。」

  「今日部活ないから、一緒に帰ろうと思ってさ。」

 普段葵矩は、部活があるので、一緒に帰ることはないが、時間が合えば大抵一緒に帰る。

  「あ、そっか。」

 紫南帆の言葉に、ふーん、と疑いの目を向ける瀬水。
 またか、と困った顔を葵矩に向けた。

  「紊駕も待ってるよ。」

 そんな、紫南帆の顔をみて、葵矩はわざわざ瀬水に弁解するように、そう付け加えて、紫南帆を促した。

  「うん。じゃ、瀬水かえるね。ありがとう。」

  「いーえ。でも、おもしろいことになってきたね!」

 瀬水は心底楽しんでいるように笑ったが、紫南帆の不安は拭い去られるどころか、ますます増していた――……。


 MERCURY HEART VENUS。


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