第一章 Comet Hunter 恋愛方程式

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 し な ほ                       みたか
 紫南帆と葵矩、そして紊駕は自宅に向かっていた。
 
  「そうそう、あの暗号、解けたんだよ!」
      きさし
 隣を歩く葵矩に紫南帆は話しかける。
 校門をでると、右手に海が広がった。
 紊駕は、二人の少し前を、長い脚を運んでいる。
 歩道が狭いので、三人は並べない。

  「本当に?で、何だったの。」

 葵矩の質問に、

  「それがね、ヴィ……きゃあっ!!」

 答える前に、紫南帆はいきなり何かに腕をとられた。

  「紫南帆!!」

  「よう。かわいいコ連れてるじゃねーか。」

 左手の路地からやって来た男たちに、腕をとられたのだ。
 制服を着た、強持て風の三人組。
 紫南帆を捕まえている男が腕に力をこめる。

  「痛っ。」

  「何すんだよ。」

 葵矩が反射的に男たちに言うと、

  「やんのか。兄ちゃん。」

 紫南帆を捕まえている男以外の二人がこれ見よがしに指を鳴らした。
 乾いた音。
 体格の良い、一様に悪そうな風体が睨む。

  「う。何の用だよ。」

 些かひるんで、葵矩。

  「何の用だって?あんたに用はないよ。お姉さん、ちょっと俺たちと遊ぼうよ。」

 男はさらに手に力を入れ、紫南帆に顔を近づけた。
 瞬間。

  「もうちょっと見繕ったら?」

 前方から淡とした、クールな声。

  「あ?何だお前。」

 紊駕は、両手をブレザーのポケットに突っ込んで、物怖じしない態度で男たちを睨んだ。
 長く、赤く染まったストレートな前髪から覗く切れ長な目。
 豹が威嚇するかのように鋭い。

  「う……。やんのかよ!」

 虚勢を張って一人が紊駕の前にでた。
 その瞬間、紊駕は、除ろに左腕を引いた。

  「紊駕!」

 葵矩が叫ぶのに、

  「うわっ!!」

 男はしゃがみこんだ。
 が、紊駕の左腕は構えられたままだ。
 殴られると思った男は、反射的に逃げの体勢に入ったのだ。

  「……。」

  「アホか。行くぞ。」

 紊駕は構えた左手を紫南帆に向けて、優しく引き寄せた。
 男たちは、呆然としてその様子を客観視している。
 一瞬で勝敗は決まったも同然だった。


  「焦った。まじで殴っちゃうかと思ったよ。」

 葵矩は安堵のため息を吐いた。

  「やるかよ。」

 初めから全くその気はなかったようだ。
 紊駕は問題外、とばかりに言ってみせた。

  「ありがとうね、っていうか。さっきの、聞き捨てならないセリフ。」

 もうちょっと見繕ったら。
 紊駕の言葉に頬を膨らませて、紫南帆。

  「何か言ったっけ。」

 当人は飄々としている。

  「もう。いいけどさ。」

 そんな二人に微笑して、

  「でも、よかったよ。乱闘とかなったらどうしようかと思った。」

 葵矩はもう一度ため息を付いた。
 紫南帆も目でうなづく。
 安心しきった、そんな二人に、

  「K高の奴らだったな。」

 紊駕ははき捨てるように言った。
 何かを考えているかのように、遠くを見据えた――……。


  「そういえば、解けたっていってたよね、紫南帆。」

 帰宅して、キッチンで三人。
 サイフォンからブルーマウンテンの香ばしい匂いが漂っている。

  「あ、そうそう。」

  紫南帆はあの手紙とノートを二人の前に差し出した。
  母親たちは何処かへ出かけたらしい。
  周りは静かだった。
         せお
  紫南帆は、瀬水と一緒に出した答えを二人に話しをした。

   「MERCURY HEART VENUS、ね。」

  葵矩はブルーマウンテンを一口飲んで呟く。
  紫南帆はうなづいて――、

   「瀬水は、マーキュリーがヴィーナスのことが好きってことで、ヴィーナスは私のことだ、って。」

   「それって、ラブレター……。」

  葵矩の言葉に、

  「まぁ、それが答えだとしたら、特に問題ないんだけど。」

 紫南帆はあっさりと答えた。
 だが、葵矩は、

  「問題なくないよ!」

 思わず口走る。

  「え?」

  「いや、何でもない……。」

 その光景に、紊駕が笑いを押し込める。
 素直な奴である。
 そこが葵矩のよいところでもあるのだが。

  「でも。何か、胸騒ぎがするんだよね。」

 紫南帆はそんな状況に全く気が付かず、話を進める。
 推理力に長ける紫南帆なのだが、とくに自分に関する恋愛沙汰にはめっぽう疎い。
 結局。
 これ以外の解答が出せずに、紫南帆は眠りについた。

   そうみ
  「蒼海。」

 昼休み、教室の後ろからの声に紫南帆は振り返る。
 クラスの男子が、

  「お客さん。」

 誰かが来たことを伝えてくれたのだ。
 ありがとう、とお礼をいって廊下を覗く。

  「こんちゃ。」

 くるり、かぶっていた赤いキャップ帽をツバが後ろになるようにまわして、顔をみせた。
 稚気の残る顔立ちの少年。
        むなぎ    わくと
  「オイラ、旨軌 惑飛。1年。蒼海 紫南帆さんだよね。はじめまして!」

 惑飛、と自分を紹介して、元気良く挨拶をした少年に、紫南帆は思わず笑って、

  「はじめまして。」

 挨拶を交わした。
 
  「旨軌って……。」
               すなが
  「そう、オイラ、旨軌 空流の弟だよ。」

 満面の笑みで紫南帆に答えた。
 どことなく空流に似ている。
 優しい瞳。
 二人、廊下にでて――、

  「これ、空流兄から預かってきたんだ。」

 惑飛はそういって紙袋を差し出した。
 紫南帆は、受け取って中を見る。

  「空流兄照れ屋さんだからさ、オイラが代わりにってわけ。」

 惑飛はかわいくウィンクしてみせる。
 やんちゃな笑顔。

  「神話の本、スキなんでしょ。空流兄も大好きで、もしよかったら読んでみて、って。」

 惑星―宇宙の彼方―。
 丁寧に保存されていたと思わせる綺麗な表紙。
 空流に初めて会ったときに彼が読んでいた本だ。
 自分の物だったのか。
 前髪をかきあげる仕草が印象的だった。
 少しはにかんだように照れて、しきりにかきあげていた。
 そんな、空流を思い出して――、

  「ありがとう。読ませてもらうね。空流くんにもよろしく伝えてくれる?」

  「りょーかい!」

 敬礼の姿勢をとる。
 どこまでも茶目っ気があって、誰にでも愛されるかわいい弟的存在のようだ。

  「んじゃ!」

 軽くステップを踏んで、惑飛は自分の教室に戻っていった。
 紫南帆は惑飛の後ろ姿を見送った。


 惑星―宇宙の彼方―。
 太陽系惑星―水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星。
 カラー写真付きで、紹介されていた。
 幻想的な世界。
 こういった本を見ると、本当に自分たちは小さな世界で生きているのだ、と実感させられる。

 紫南帆はしばし、本に没頭した。
 うららかな日差しが、窓から差し込んでいる。
 本を読むには、図書室に限る。
 静かで穏やかな空間。
 S高校は、海岸沿いのなだらかな丘に、海岸線と平行に建てられた北棟と南棟とで成っている。
 北棟と南棟は渡り廊下でつながっていて、航空写真でみると、丁度H型をしているというわけだ。
 図書室は北棟にあるため、窓からは湘南海岸が見渡せる。

 春の光華に水面が輝いて見える。
 時折、海を見つめながら、空流が貸してくれた本に目をやった。
 太陽系惑星の紹介から始まって、さまざまな空の写真。
 星座。
 そして、それぞれの神話。
 神秘的な世界だ。

 気が付くと、時計は昼休みの終了時刻をさしていた。
 物足りなさを感じつつも、仕方なく教室に戻る。
 帰ってから読もう、と独り言をつぶやいて。


 放課後。
 既に部活動が始まっているため、葵矩の帰宅は遅いだろう。
 紊駕の姿も見当たらない。
 紫南帆は独り、昇降口に向かった。
 もう葉になってしまった桜の木々を仰いで、校門をでる。
 甲高い踏み切りの警告音の後に、のらりくらりと路面電車が横を通り過ぎていく。
 江ノ島電鉄だ。
 鎌倉方面へ向かって流れていった。

  「ねぇね。君、かわいーね。」

 突然の声に、振り返る。
 学生服の男二人組。
 前と後ろに挟まれた。

  「……。」

  「恐くて声もでないか。心配すんなよ。手荒なマネはしないからさ。」

 男の一人がにやついた笑みを見せる。
 並びの悪い、黄色い歯。

  「何ですか。」

 紫南帆は、理由を聞いてみた。
 恐いというより、何の用かが聞きたかった。
 なかなか肝が据わっている。
 二人を交互に見比べる。
 紫南帆より背が高いが、普通の体型だ。

  「やめろ。」

 どこからか分からなかったが、テナーヴォイスが聞こえた。

  「あ〜?」

 男たちはその主をさがす。
 首を左右に動かした。

  「……、空流くん。」

 旨軌 空流だ。
 拳を握って仁王立ちをしている。
 強かに睨んでいるが、優しい瞳はそのままだ。

  「大丈夫?蒼海さん。」

 毅然とした態度に、男たちの間から紫南帆はうなづいた。

  「なんだ、お前。」

  「離れろよ!」

 その言葉に二人は、一斉に空流の方を向いて――、

  「空流くん!」

 その体格からは信じられない力で、空流は男の振り払われた腕をつかむと、路面に押し倒した。

  「やべぇ。に、逃げるぞ!」

 倒された男はすぐに起き上がり、もう一人の男に言った。
 男たちは、素早くその場を去る。
 幸い周りには誰もいなかったので、騒ぎ立てる者はない。

  「大丈夫?」

  「あ、ありがとう。」

 空流は、相変わらずの爽やかな優しい笑顔を紫南帆に向けた。

  「いや、何てことないよ。全然。」

 無傷の空流に、

  「強いんだね。ありがとう、助かった。」

 もう一度、お礼を言った。
 見かけによらず、強いらしい。

  「そんなことないよ、正直、恐かったよ。」

 紫南帆は、素直に呟く空流に好感を覚え、優しく笑って――、

  「そういえば、本、ありがとう。まだ読んでないんだけど、読んだらすぐ返すね。」

  「え?本?あ、うん。ううん、いつでもいいよ。いつでも。」

 少し焦ったように空流は答えて、高揚感のせいか頬を紅くして言った。

  「じゃ、じゃあ、気をつけてね。」

 空流は、背を向けて、学校方面に向き直った。
 紫南帆はその背中を見つめた。
 姿が見えなくなってから、帰宅方面に体の向きを変えると――、

  「紊駕ちゃん!」

 いつの間にか、紊駕の姿。
 ネクタイをゆるく締めて、ワイシャツは開襟。
 ブレザーの前は開いている。
 きっちりとはしていないが、紊駕の風体では様になっている。
 制服の腰が高い。

  「趣味わるっ。」

 紫南帆は、紊駕が先ほどの様子を見ていたことを、頬を膨らませて言った。

  「よくK高に絡まれるな。」

 一笑に付す。

  「え。」

  「ダレ今の。」

 紊駕が空流の去った方向を尖った顎で指し示したので――、

  「旨軌 空流くん。同じ学校だよ。瀬水の中学校時代の知り合いなんだって。」

  「ふーん。」

 何かを考えてるようだ。
 蒼い瞳が、もういない空流を突き刺した。

  「帰っぞ。」

 紫南帆は、優しく頭を叩かれて、

  「うん。」

 うなづいて、紊駕とともに帰宅した。


 よくK高に絡まれるな。
 そういえば、この間の人たちもK高校の制服だった。
 K高校。
 紫南帆たちの通うS高の近くにある学校だ。
 紫南帆は自室で考えた。
 何かまた胸騒ぎがする。
 あの手紙も音沙汰がなく、主を特定できずに時間が過ぎていた。
 窓の外を何気にみると、冴やかな月とおぼろげに光る星たちがいた――……。


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※ 2006.8.24
国際天文学連合
(IAU)は、冥王星を惑星から除外することを採択した。
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