第一章 Comet Hunter 恋愛方程式

                             5

   し な ほ
  「紫南帆。また来てるよ。」
 せお
 瀬水の声に視線を同じくする。
 教室の後ろのドア。

  「紫南帆さん!」

 相変わらずの赤色のキャップ帽をかぶった少年。
 わくと
 惑飛だ。
 最近よく、紫南帆を訪ねてくる。

  「あ、惑飛くん、おはよ。」

 もうお昼であるが、紫南帆は今日惑飛と会うのは初めてだったので、自然と口から出てしまう。

  「ねぇね、お昼一緒してもいいですか?」

 人懐っこい笑みで紫南帆の手をとった。
 従順な犬のようだ。
 お弁当は、だいたいいつも、瀬水や他の友人たちと食べている。
 特に仲のいいグループがいるわけではないので、独りでとることもあるが、瀬水は一緒のことが多い。
 紫南帆は、惑飛に一緒に教室に入るか、と促したが、外へ出たいといったので、友人たちに断って二人で校外にでることにした。

  「どうしたの?」

 校門を出る惑飛に、後を追う紫南帆。
 潮風に潮が強く混じっているのを感じる。
 海はすぐそこだ。

  「理由なきゃだめ?」

 首を傾けて――、

  「一緒に海を見たくて。」

 にっこり、やんちゃな笑顔を見せた。
 二人防波堤に並んで、海岸線を眺めた。

  「海、きれいですよねー。」

 んー、と伸びをしてみせる惑飛に、

  「そうだね。」

 紫南帆は、何度も何度も眺めた七里ガ浜海岸に顔を向けた。
 海。
 晴れの日、曇りの日、雨の日。
 台風に嵐。
 海はいろいろな顔をもっている。
 さまざまな顔で、心に投げかける。
 穏やかさ、厳しさ、切なさ、悔しさ、
 そして、優しさ。
 波。
 きっちりリズムを刻んでいる。
 浜辺で遊ぶ幼子の声がこだまする。


 浜辺でランチをして、昼休みの時間が許す間、惑飛といろいろな話をした。
          あすか         きさらぎ
  「……あの、飛鳥先輩と如樹先輩とは?」

 会話の途切れ目に惑飛が質問をした。
 葵矩と紊駕との関係を尋ねたのだろう。

  「幼馴染だよ。なんで?」

  「いつも一緒にいるから、どっちかと付き合ってんのかと思ったんだ。」

 いつも一緒にいる、イコール付き合ってる、の方程式が成り立っているらしい。
 やっぱりそういうものなのか。
 紫南帆は、

  「本当に幼い頃から一緒だったから、私たちには普通なんだけど、な。」

 少し残念そうに呟いた。

  「ごめんなさい。」

 惑飛がしおらしく頭を下げた。

  「ううん。あやまることじゃないけど。」

 普通じゃない、のかな。
 最後の言葉は自分に呟いた。
 高校二年生。
 子供ではないが、大人でもない中途半端な年代。
 周りを見れば、異性と付き合っている人たちもたくさんいる。
 紫南帆は今まで誰とも交際したことがない。
 告白された経験はあるが、付き合うまではいたらなかった。


  「飛鳥くん。」

 惑飛と学校に戻り、自分の教室に行くために階段を上ると、丁度、瀬水が葵矩を呼び止めたところに出くわした。
 教室の前の廊下。
 きさし
 葵矩は振り返って瀬水を見る。

  「どしたの。」

  「あたし……。」

 瀬水は教科書を抱きしめたままうつむいた。
 覗き見する気はなかったのだが、思わず立ち止まってしまう。
 前は横切れない。
 数十秒の沈黙。

  「……。」

 瀬水は周りを気にして――、

  「ずっと、好き、でした。」

 途切れ途切れの言葉を呟いた。
 上目遣いで葵矩を見上げる。

  「……。」

 間があって、葵矩の顔が一瞬にして真っ赤に染まった。
 耳までも。
 硬直。
 そんな光景に、紫南帆は思わず身を隠した。
 背中を壁に預ける。
 告白。
 瀬水は、葵矩のことが好きだったのか。
 紫南帆は、なんとも表現できない気持ちに戸惑っていた。
 そういえば、思い当たる節がある。
 でも、いつから……。

 葵矩と瀬水が付き合ったら、私はどうしたらよいのだろう。
 やっぱり、普段と同じにはいられない。
 よね。
 紫南帆は、誰に訊くともなく自問自答した。
 今後、そういうことが起きるだろうことは分かってたけど、解ってなかった。
 ちらり、覗いてみると二人の姿はもうなかったので、小さくため息をついて教室に戻った。

  「あ、紫南帆、お帰り。遅かったね。」

 瀬水は、いつもとかわらない高いトーンで大きく手を振った。
 どう接していいか少し戸惑ったが、きわめて普通に近づいた。

  「ただいま。」

 柑橘系の爽やかな匂いが漂った。
 何も言わない。
 いいづらいのだろうか。
 言う必要はもちろんないが、相談されたこともなかった。
 少し、切ない気持ちになる。

 葵矩は、なんて返事をしたのだろう。
 昔から女の子にもてた葵矩だったが、紫南帆の知っているかぎりでは、今まで特別な女の子はいなかったはずだ。
 サッカー焼けした小麦色の肌。
 甘いマスク。
 ゆるく癖のあるやわらかい髪は、葵矩の優しさを表しているかのようだ。
 優しくたれ気味の大きな瞳。
 誰にでも優しく、気遣う性格。
 女の子の興味の対象になる。
 ただ、当人はどちらかというと苦手意識があった。


  「……。」

  「何考えてんだ。」

 放課後の図書室。
   みたか
  「紊駕ちゃん。」

 窓の外はもう、赤かった。
 オレンジ色がかった赤い玉が、海に落ちてゆく。
 凝縮された炎が流れ出して、溶け込むかのように。
 太陽。
 葵矩を彷彿させる。

  「大丈夫。ちょっと考え事。」

 考え事をしていることくらい分かっているが、紊駕はそれ以上何も言わずに、封筒を渡した。

  「これ、どこに?」

 真っ白な封筒。
 宛名も書いていない。
 もちろん、差出人も。

  「紫南帆の机の上。」

  「え!教室いってくれたの?」

 すっとんきょうな答えをした紫南帆に、ため息をついて、開けてみろ。と、紊駕。
 真っ白な封筒。
 見覚えのある……。


  「シナホ サマ
   5X2-10VENUSX=-5VENUS2
             X=MERCURY3
             ==HEART    」


  「!!!」

 紊駕が覗き込む。
 また、あの暗号らしき方程式だ。
 素早く鞄から一通目の手紙を取り出した。


  「シナホ サマ
   5X2-10VENUSX=-5VENUS2
             X=MERCURY
             ==HEART    」


 同じようにみえる、方程式。

  「MERCURYの後ろとHEARTの後ろに……。」

  「三乗と無限大か。」

 紊駕も覗き込んで、一通目と二通目の違いを指摘した。
 紫南帆は、ノートにその二通目の文章を書き加える。
 そして、これを解くと、


 MERCURY3 HEART VENUS。
 マーキュリー三乗 ハート無限大 ヴィーナス。


 紫南帆は紊駕を見る。
 クールな表情は相変わらずで、端整な顔立ちをしている。
 
  「とりあえず、差出人は絞り込まれたわけだ。」

 紫南帆はその言葉に反応して、続ける。

  「私の家を知ってる人で、尚且つ、私のクラスと席を知っている人間。」

  「ご名答。」

 紊駕はうなづく。
 普通の家と同様、紫南帆たちの家はポストが三つある。
 便宜上必要だからだ。

  「S高の人……?」

  「とも限らないけどな。」

 紊駕はさらに冷めた目つきで外を見た。

  「?」


 それにしても、誰だ。
 何故わざわざわ二通も?
 紫南帆は思いをめぐらせてみる。
 ダイニングテーブルに頬杖をついた。
 母親たちはリビングで寛いでいる。
 差出人が手紙をだした理由。
 ラブレター……。
 この二通目は、その意味から判断するなら、三乗イコールマーキュリーが三つ。無限大イコールハートに限りがない。

  「強烈なラブレター……。しかも3人のマーキュリーから。」


  「シナホ サマ
   5X2-10VENUSX=-5VENUS2
             X=MERCURY3
             ==HEART    」


 呟いてみる。
 だとしても、相手はいつ名乗ってくるのか。
 紫南帆の家を知っている者でクラスと席も知っている。
 S高の人間……?
 ともかぎらない、という紊駕の言葉に考える。

  「S高に知り合いがいる人……。私の家、クラス、席を知っている人を知り合いに持つ人。」
   おうみ
  「桜魅 瀬水。」

  「まさか……。何で。」

 自室から階段を下りてきた紊駕の淡とした言葉に、紫南帆。
 瀬水の顔がフラッシュバックする。
 葵矩に告白をした瀬水。
 紊駕が前髪をかきあげた。
 鋭い瞳が覗いた。

  「K高のアレ。ヤラセだ。」

  「アレ?」

 K高校。
 二度も絡まれた紫南帆。
 
  「もしかして……、調べてくれたの。」

 何か疑念を感じた紊駕は、あのあとK高の男たちを調べた様子だ。
   むなぎ
  「旨軌。」

 紊駕が手紙を手にとった。
   すなが
  「空流くん……まさか、彼?」

 優しい瞳。
 見た目には喧嘩などしそうにない、風体。
 本を貸してくれた。
 既に惑飛を伝って空流に返却してあるが、惑星や神話の本だった。
 惑星―宇宙の彼方―。
 水星・金星……。

  「水星、金星!」

 MERCURYとVENUS。
 ということは、一通目の手紙は瀬水がポストにいれた。
 可能だ。
 瀬水は紫南帆たちが一緒に住んでいることを知っている。
 もちろん家も知っている。
 そして、紫南帆が推理好きなことも知っている。

 二通目の手紙も瀬水が紫南帆の机の上に置いた。
 もちろん、可能だ。
 そして、依頼したのは……空流。

 K高の件は、空流がK高に依頼した。
 現れたのは必然だった。
 何ために?
 紫南帆に良いところをみせるため。
 つながる。
 つながってしまう。

  「でも何で、K高なんだろう。」

  「……。」

 紊駕は無言だ。

  「ただいまー。」

 父親たちが帰ってきた。
               しき                  いざし
 会社員の紫南帆の父、織と葵矩の父、矣矩だ。
        ひだか
 紊駕の父、淹駕は私立病院の院長である。
 家にいないことが多く、帰宅が深夜になることもしばしばだ。
 葵矩もそろそろ帰ってくるだろう。

  「おかえりなさい。もうそんな時間。夕飯、作らなきゃ。」

 紫南帆は急いで、夕食の支度に取り掛かった。
 準備はしておいたのですぐに用意できるが、母親たちは余裕でテレビを見ていた。
 たいてい紫南帆は毎日家事を手伝っている。
 母親たちは交代に食事をつくったり、掃除をしたり楽なものだ。
 まあ、掃除に関しては、家自体が広いので、四人で行うのが効率がいい。

  「明日、瀬水に聞いてみる。」

 自分に言うように、紊駕にも言って、夕食の支度をはじめた。


 次の日。

  「瀬水。」

 瀬水は振り返りはしたが、

  「……。」

 あからさまに紫南帆を無視した。
 シカト、された?
 何も言わずに瀬水は後ろを振り向いていってしまった。
 授業の合間も会話らしい会話はしなかった。
 手紙のことを訊くことも、できなかった。
 無視。
 なんでだろう。
 昨日は普通に話しをした。
 葵矩のことか……?
 でもあの後も普通だったはず。
 紫南帆は首を傾げる。
 そして――、
   きさらぎ
  「如樹くん。」

 瀬水は、昇降口で紊駕に声をかけた。
 紊駕は瀬水を直視する。
 クールな瞳。

  「何。」

 早く用件を言え、といわんばかりの冷めた口調。
 瀬水……。
 紫南帆は違和感を覚え、下駄箱の片隅で息を殺した。
 これはまさしく。

  「好き、です。」

 やっぱり、紫南帆は目をつむった。
 どういうことだ。
 この間、瀬水は……。

  「で?」

 紊駕は続ける。
 表情は変わらない。
 むしろ、冷淡だ。

 紊駕。
 やはり昔から女の子にもてた。
 長身で端整な容姿。
 長くストレートな前髪は赤い。
 そこから覗く瞳は切れ長の蒼。
 よく通った鼻筋に薄い唇。

 葵矩とは正反対だが、やはり、女の子の興味の対象になる。
 ただ、特定の彼女は紫南帆が知る限りでは、いない。
 告白されても軽くあしらう。
 冷たく突き放す。

  「え。だから……付き合って、欲しい、です。」

  「興味ない。」

 瀬水の言葉にかぶせるように言った。
 紊駕ちゃん、それは冷たい。思わず紫南帆は言葉が口から出てしまいそうだった。
 瀬水はうつむいた。
 瀬水……。

  「……。」

 だが、次の瞬間、紫南帆は自分の目を疑う。
 後ろを振り返らず、自分の教室にもどった紊駕に背を向けると、にやり、笑ったように見えた。
 その瞬間。
 瀬水がこの件にかかわっているだろうことが、紫南帆の中で確信に変わりつつあった――……。


  「シナホ サマ
   5X2-10VENUSX=-5VENUS2
             X=MERCURY3
             ==HEART    」


 MERCURY3 HEART VENUS。


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