7th LAP

   さつひ     はずみ
  「紮妃ー、保角ー。ちょっと来い。」

 店内からの声で――、
   しろがね さつひ  とさき   ほずみ
  「銀 紮妃に戸崎 保角です。」

 店内には白髪交じりの体格の良い男が目じりに皺を寄せ、2人を迎えた。
 紹介されて保角は、軽く頭を下げた。
 どうやら、今回の8耐レースのスポンサーらしい。

  「78年の第1回大会から今年で9年を迎える鈴鹿だが、プライベーターの成績は芳しくない。」

 男は、ソファーに座った体勢で、膝の上に両手を組んで渋い顔をした。
 事実、これまでプライベーターが優勝したのは、78年、80年、82年の3回のみだ。
                       ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・
 そしてその記録は96年になっても塗り替えられないという悲惨な停滞振りとなる。
 これからプライベーターにとって辛い年がやってくるのだ。

  「そんな意味でも是非君達には頑張ってもらいたい。それでだか――、」

 語尾を延ばし、もったいぶってから、マシンにロゴをいれることを条件にスポンサーフィーを支払う約束をしてくれた。
 保角たちは深々と頭を下げた。

 スポンサーには、パーツやタイヤ、オイルなどレース関連の部品、用品を現物サポートするテクニカルスポンサーと、宣伝の為マシンにカラーリングを施したり、社名や商品名などのロゴを入れることを条件にお金をチームに対して払う、一般的な意味でのそれの2種類ある。
 今話をしている男は後者である。
 バイクとは一見関係のないたばこやドリンク石油といった会社のロゴがマシンのフレームに彩を飾っているのを見たことがあると思う。
 これらが額の大小こそあれ、スポンサーの結果の現れなのだ。
 レースはこういったスポンサーなしでは到底成り立たない。

 8対に参戦するプライベーターの母体をみると、やはりバイク用パーツメーカーやチューニングメーカー、ショップ、バイクショップ、レーシングガレージなどの場合がほとんどだ。
 いずれも本業はバイク関連の仕事であり、その一環のはじめとしてレースに参加してる。
 これらは自社製品の開発やテストの場としても8対に参戦する意味があり、それが市販されるパーツにフィードバックされたり、好成績を収めれば自社製品の性能の高さやイメージを高めることができるというメリットもある。
 紮妃の父親の場合、自分の店の発展より、8対自体に少年心を燃やしているようであるが……。

 ともあれ、これから顔見せを始め、諸々の相談と称して食事会が行わるとのこと。
 保角の顔が青ざめた。
 現在6時45分。
 はいねとの約束は7時。
 しかし、ここで退席するわけにもいかない。
 はいねの約束をすっぽかしたらさらにやばい。

 まずい。
 まずい。

 保角の葛藤をよそに、皆が席を立ち始め、食事処に向かいはじめた。
 6時50分。
 刻々と時間が過ぎていく。

 やばい。
 やばい。

 ここからバイクとばして5分。
 どうやら中華街に食事をしにいくつもりらしいが――、

  「保角?」

 紮妃の声に――、

  「あ、ああ。行くよ。」

 ごめん、はいね。

 保角はかぶりをふって紮妃の後を小走りで追いかけた――……。
   れいり  ちゆり
  「零理と知閑だ。」

 店の前では、寒空の下、太ももを大胆に見せたミニスカートの女性が2人。
 紹介されて、営業スマイルを振りまいた。
 今回、キャンペンガールとしてレースに参加する女性たちだ。
 8対は、年に一度のスペシャルイベント。
 そのために、ごく少数は地元から公募したり関係者の知り合いなどから可愛い女性をキャンペンガールとして採用するところもある。
 大多数は雑誌やTVなどで活躍しているモデルだが。
 派手なコスチュームで登場する彼女らもまた暑さと戦うという意味では同士だ。
 
 うわぁ、大人の魅力。

 保角は思わず彼女らに見とれ、首を振った。
 
  「え〜この子も走るんですかぁ〜。」

  「かわいい〜。」

 が。
 化粧を施し、甘い香水の匂いについ誘われてしまう。
 すらっと伸びた足にはっきり見て取れる凹凸。
 保角の心臓は脈打っていた。

  「頑張ってくださいね〜。」

  「応援してますぅ〜。」

  「いやぁ……ありがとうございます……」

 まんざらでもない顔をする保角だったが、彼女たちの目的に気づいていないわけではなかった。
 先ほどから保角を通して、ちらちらと目線を送っている。
 そう、無言で先を進む紮妃だ。
 洗いざらしのジーパンのポケットに両手を突っ込んで、時折銀色の髪をかきあげる。
 その瞳は獣のように鋭く、誰も寄せ付けない雰囲気を漂わせている。
 しかし、吸い込まれてしまいそうな不思議な魅力を醸し出している。

 って、俺まで見とれてどーすんよ!

 保角は突如現実に襲われた。
 
 どーしよ、はいね。
 7時15分。
 完璧まずいよなぁ。

  「ネンケーだと〜ン百万円単位くらい。」

  「けっこういいお金になるんですよぉ〜。」

 ギャラはいくらかという紮妃の単刀直入な質問に、彼女たちは笑顔でそう答えた。
 中華街大通りの一角にある店。
 まるい大きなテーブルが、だだっ広いスペースに置かれ、赤ベースの装飾で不夜城の中華街を盛りたてている。
 向こうのテーブルでは、紮妃の父親とスポンサーが何やら話し込んでいた。
 こちらは若い者同士との配慮らしい。
 保角の気持ちなど露知らず、あちらもこちらも食後も終わりそうもない雰囲気だ。

  「へえ、慰め料も込み?」

 微妙に口元をはね上げてみせる紮妃。
          しろがね
  「……やだ。銀さんってば。」

 ……銀ちゃんっやっぱよくわかんないよぁ。

 些か現実逃避の保角は頬杖をついて、紮妃を観察している。
 彼女らの熱い視線に、鼻を伸ばすでもなく、それどころか無表情、冷淡までの動向。
 立ち入った話にも関わらず、既に彼女たちの心をがっちりつかんで放さない。
 卑猥な言葉さえ紮妃が口にすると、彼女たちには甘い口説き文句になるらしい。

  「この後何かご予定あるんですか。」

 ない。との即答に彼女たちはあからさまに喜んで見せた。

  「じゃあ、どこかいきませんか。」

  「ラブホ?」

 保角が目を丸くして支えにしていた手から顎をどけて、紮妃を仰ぎ見る。
 紮妃そんな保角をあざ笑うかのような視線を一瞬送ってきた。
 からかって面白がっているのだ。

  「やだぁ。冗談ばっかり〜。」

  「ねぇ。」

 紮妃は長い脚を組みかえて一笑に付した。
 そんな姿も様になる。

 ……もう、彼女ら連れてラブホでもどこでもいってくれ!
 ついでにあのじじぃたちも連れて行ってくれ!!

 向こうで話しながらまだ箸をおかないスポンサーと時計を交互に見る。
 そして溜息。
 この通りを真っすぐ南西へ行けば、待ち合わせ場所の西門はすぐだというのに。
 今はとてつもなく遠く、長く感じた。

 10時。
 その後、食事会は3時間にも及び、ようやく終了した。

 ……3時間。
 待ってるわけねーよ。
 明日、何て言って謝ろう。
 ほずみ
 保角は肩をおとす。
 用を足して店を出ようとして、一歩戻った。

 ……まじ、かよ。

 再びそっ、とドアの外を見やる。
 店の出入り口で絡む二つの影。
 長く茶色い後ろ髪をなでる大きな手は、艶めかしく耳元をに流れ、滑るように白い頬をなで、首元、鎖骨を辿って――、

 零理の身体が一瞬震えた。              
 相変わらず二人の唇は離れようとはせず、零理は紮妃の首元にしがみつくように細い腕を伸ばした。

 ……おいおい、まだ皆中にいるんだぜ。

 そんな映画のワンシーンのような光景に、保角はひとり、頬を赤らめた。

 ってか今日会ったばっかだし。
 しかも、今日振られたばっかじゃんか。
 紮妃に念を送るように唇を窄め、眉をしかめていると――、

 次の瞬間。
 保角の顔が真っ赤に染まった。

 紮妃がこちらを垣間見て、口元を跳ね上げたのだ。
 嘲笑。
 紮妃の腕は、零理の細い腰に回っていて、ミニスカートの後ろのふくらみに触れている。
 唇は首元を艶めかしく這っていた。
 そんな状況のまま、紮妃の鋭い瞳が保角をとらえたのだ。

 まるで、こっちが悪いような気になるほど、悪びれた様子はなく、むしろ見られていることを楽しんでいる。
 通行人も見て見ぬ振り。
    ぎん
 ……銀ちゃんってば、何考えてんだよ。
 公衆の面前で。

  「何してんだ、保角。」

 突然の声に肩がいかる。
 紮妃の父親たちが会計を済ませ、こちらに向かってきた。

  「い、いやー寒そーだなあ、と思って……」

 上ずった声を出しながら、ドアの外を隠すように両腕を大袈裟に振っているいると――、

  「早く〜寒いですよ〜!」

 外からあたかも普通の声がした。
 振り向くと、ミニスカートの膝をさすって腰をかがめる零理の姿と、その隣でいつものクールな表情の紮妃。

 一瞬、幻かとかぶりをふる保角。
 紮妃に視線を送ると、

  「何て顔してんだ。保角。」

 失笑。
 うしろめたさのかけらもない顔。
 保角が唇を尖らす。

  「……あ。あ――っ!!!!」

 突然の保角の大声に周囲の通行人も一瞬振り返る。
 
  「銀ちゃん、俺。ちょっと西門!!!」

 言い終わる前に保角の足は西門に向っていた。
 全力疾走。

 こんなことしてる場合じゃねー!
 10時半。
 3時間半か。
 待ってるわけ……待ってるわけ……、

 保角は淡い期待を描き、全力で走った――……。


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