Finale
Finale
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           6 / / 8 / 9 / あとがき

                     6


 5月の連休も明け、初夏がやってきた。
   みたか
  「紊駕っ!」
 きさし
 葵矩の声が、虚しく廊下に響いた。
 当の本人は、振り返る気などさらさらなく、2年の教室の前を無言で歩いている。
 そして、目的のクラスの前で止まり――、
   みずか
  「瑞哉。」

  「紊駕ってば、おい!!」

 ひたすら葵矩の言葉は無視して、人を呼んだ。
   きさらぎ
  「如樹さんっ。どうしたんですか?お久しぶりです。」

 瑞哉と呼ばれた、青年というよりはあどけない少年は、紊駕を見るなり嬉しそうな顔をし、丁寧にお辞儀をした。
 ちょっといいか。と、紊駕の言葉に大きく頷いて廊下にでてくる。

  「……。」

 葵矩はあからさまにムッとした顔をして、口をつぐんだ。
 紊駕には、葵矩の姿が見えていないような、そんな態度。
   りんき
  「麟杞、ヒマあるか?」

  「兄ちゃんですか?」

 葵矩は、紊駕と2年生のその青年が話しているのを、側で聞くともなく聞いて、終わったのを見計らって、

  「紊駕!」

 声をかけたが、やはり無視。
 前方を歩く紊駕。

  「……っ紊駕!!俺は、納得しないぞ!絶対!絶対に納得しないからな!!」

 たまらず、大声で叫んだ。
 紊駕の背中を見送る。

  「……葵矩くん。」

 振り返ると――、
   なしき
  「流蓍先生……」

 長く茶色のソバージュ、スレンダーな長身のあさざ。
 書類を胸に抱えて、驚いた顔つき。
 平素らしからぬ葵矩の表情を見て――、

  「教育実習は終わったんだけど、ちょっと用事。大学も単位とれちゃったしねー。」

 何事もなかったように明るく言い放って、

  「ちょっと付き合わない?」

 葵矩を屋上へと誘った。
 無言でついていく葵矩。

  「気持ち良いね。もう夏が来るんだね――。」

 初夏。
 海が輝いている。
 潮風がいくぶん暖かくなってきた。
 大きく伸びをした。
 葵矩もあさざの隣に歩み寄って、策にもたれた。

  「わからない。」

 顔を腕にうずめたまま呟いた。

  「俺、紊駕がわかりません。」

  「……。」

 葵矩が、真剣な目であさざを見た。
 あさざは、髪をかきあげた手を止める。

  「……そう。」

 葵矩が全てぶちまけると、あさざは一言呟いた。

  「紊駕が、ねぇ……」

 海に向き直って、呟いた。
        し な ほ
 ――俺は、紫南帆を愛してる。

  「……早く、こうするべきだったんです。」

 葵矩も海を見た。

  「早く、紊駕を苦痛から解放してあげるべきだったんです。俺は……俺はいつもあいつに甘えてた。あいつの優しさに……」

 空を見上げる。
 青い空に白い月が薄っすら浮いていた。
 今にも消えてしまいそうなくらい儚く。

  「……紊駕が素直になれなかったのは、俺がしっかりしてなかったから。俺がライバルとして役不足だったから……そう、早くこうするべきだってわかってたのに、できなかった。……俺、自分がかわらなきゃいけないんですよね。」

 あさざを見つめた。

  「……えらかったね。葵矩くん。」

 あさざは優しく肩を叩いた。

  「辛かったでしょう。紊駕に嫌いだって言ったとき。……そうよね。ムリなのよ。あいつを嫌いになんて……なれない。」

 あさざの表情は、先生ではなく一人の友人の表情。
   かいう
  「海昊くんもいってたわ。」
                    ひりゅう   かいう
 葵矩の脳裏に紊駕の友人の、飛龍 海昊の顔が浮かんだ。

  「あいつが、族を辞めたとき。紊駕は海昊くんと喧嘩別れしたの。紊駕が……それを選んだの。海昊くんいってた。しっかりしなきゃって。紊駕の手を借りなくてもやっていけるように、自分たちが変わらなきゃって。……あいつが初めて素直になったんだからって。」

 あさざは葵矩を見た。

  「……俺たちの為、に?」

 葵矩の言葉に、あさざが頷いた。

  「葵矩くんたちが、大切だったから。……紊駕には、大切なもの、守りたいものがたくさんあって、全て大事にしたくて……でも、できなくて。そしていつも他人を優先する。自分が悪者になる……」

 ばかね。と、あさざは呟いた。
                               まいかわ
  「でも……何で?何で紊駕は……紊駕はまだ舞河さんと付き合ってる。どうしてなんですか!」

 つめよるよな葵矩の言葉。
 あさざは眉根をひそめた。
               かすり
 当然、あの後、紊駕は飛白に別れを告げるだろうと思っていた。
 しかし――……。


  「先輩、じゃあ。」

 飛白は満面の笑みを浮かべて、小さな手を振った。
 紊駕も微笑して、飛白が家の中に消えるのを見届けて、大船駅へ向かった。
 湘南モノレールに乗り、一駅。
 富士見町駅。
 もうすっかり緑々した木々がうっそうと茂り、山を彩っていた。

  「如樹さん!」

 足早に大柄な男が向かってきた。
 紊駕の前まで来ると、一礼。

  「悪いな、忙しいのに。」

 紊駕の言葉に大げさに顔を横に振った。
      せのう   りんき         ブルース
 男――瀬喃 麟杞。は、BLUESの特攻隊長。
                                 みずか
 去年S高を卒業した男で、紊駕が学校で話しかけた瑞哉の兄でもある。

  「遠くまですみません。お久しぶりです。」

 丁寧にもう一礼。
 そして、2人近くの喫茶店に入った。

  「で、話って……?」

 目の前で、コーヒーカップを片手に足を組んだ紊駕を見る。
 
  「ああ。4年前の話を少し、聞かせてくれないか。」

  「……。」

 麟杞は数秒黙したのを見かねて――、

  「もう過ぎたことだ。俺が知りたいのは、ドラッグの出所。」

  「え?」

 麟杞の表情が変わった。
 4年前。
 中学生だった麟杞は、当時のBLUESの頭の下で悪さをしていた時代。
 恐喝、かつあげ、そしてドラッグの売買。
 しかし今は、紊駕や海昊のおかげで更生し、大学に通っている。

  「ドラッグだ。それと、缶コーヒー。」

 麟杞は眉を潜めた。

  「出所っていえるかどうかわからないですけど……確かあん時、中華街がどうとかって……」

  「中華街か。」
                     ぐし
  「確かな筋じゃないすけどね。虞刺たちもどこかで手にいれてたらしんすよ。でもドラッグっていったらやっぱコレっすかね。」

 麟杞は自分の左頬に、指で斜めに線を入れた。
 ヤクザ。
 
 虞刺――BLUES二代目総統で、去年の冬に少年院から戻ってきたが、不当だったために今もそこで罪を償っている。

  「BLUESの仲間にも当たってみます。」

  「いや。あんま大事にしなくていい。」

 紊駕の言葉に、相変わらずですね。と優しい笑みを浮かべ――、

  「でも、何か力になれることがあったらいつでもゆってください。」
          みずか
  「さんきゅう。瑞哉にも礼いっといてくれ。」

 紊駕も微笑して、席を立った。
 麟杞と別れ、駅に戻り、家に向かった。
       ひだか
  「紊駕。淹駕が例のものもって、横浜に来いって。」
                             みさぎ
 私服に着替え、ZXRの鍵を手にした紊駕に、美鷺。
 紊駕は頷いて、書斎に足を踏み入れ、そして時間を惜しむようにZXRに飛び乗った。

 アクセルグリップを握る。
 スムーズにZXRは答えてくれる。
 大通りにでて、横浜までフルスロットル。
 肌で感じる風が気持ちよくなってきた。
 やがて町並みが変わった。
 横浜――、

  「……。」

 あでやかで煌びやかな不夜城、横浜中華街。
 中華の匂いが何処からともなく漂い、装飾に手の込んだ店々。

 紊駕は、中華街の入り口にZXRを停め、周りを伺う。
 忙しなく働く人々。
 観光客、買い物客。
 その中にあきらかに異様な雰囲気を放つ、黒い影。

  「……。」

 黒のスーツ、サングラス。
 胸ポケットには、青のハンカチーフ。

 ――ヤクザは、どこでも縄張りにしてやるから、仕事を手伝えって。

 ――きっと組織が違うんだと思う。……そう。一方は青で、もう一方は黒のハンカチ?みたいの胸ポケにあった。

  「……。」

 黒づくめの2人が紊駕のほうに向かって歩いてくる。
 紊駕は、臆すことなく、むしろ挑発するように凝視した。
 赤と黄で飾った電柱に寄りかかったまま――、

  「何や。」
              ・  ・  ・
 凄みの利いた声が、案の定、紊駕を見た。
 大阪弁。
 紊駕は、目を反らすことなく、その体を起こした。
 その時。

  「……紊駕さん、でっか?」
   かしら
  「頭っ?」

 紊駕の名を呼んだ男を、2人の男たちがそういった。
   ひせ
  「斐勢さん。」

 紊駕が男の名を呼んだ。
      るすい   ひせ            ひりゅうぐみ けい るすい ぐみ
 男――流水 斐勢。は、飛龍組系流水組総統。
 かいう
 海昊の側近だ。
 海昊は、本家は大阪で、日本一大きなヤクザ組織、飛龍組の跡取りでもある人物だが、ワケあって、今は神奈川で生活している。

  「どうも、お久しゅう。」

 斐勢は、男たちを遠ざけ、紊駕に丁寧に挨拶をした。
 紊駕も頭を下げる。
                え さ
  「……チーマーたちを縄張りでつってヤクばら撒いてる奴らのケツ拭きですか。」
 
 紊駕の鋭い突っ込みに、斐勢が眉間に皺を寄せた。
 すらりと背の高く、気品漂うその風貌。
 サングラスをはずした表情は、まだ若く、しかし器量がよさそうだ。
 少し、黙してから、

  「……さすが、海昊さんが一目置くお人でありますな。」

 図星、と言って見せた。
        ハ マ
  「ヤクは、横浜で密輸され、そして隠してある。」

 紊駕は、左手の親指を地面に落とした。
 ここに。
 さすがに、斐勢も目も丸くして、次の瞬間その眉根をひそめ――、

  「まさか……あの……」

  「カイには、ゆってませんよ。」

 斐勢の次の言葉を予測して、紊駕は淡と言う。
 斐勢はおもむろに溜息をついて、礼をいった。

  「……お恥ずかしい話です。……大阪、荒れとりまして……」

 飛龍組は、極めてカタギには迷惑をかけない組。
 しかし、周りをまとめるのはそう容易ではなさそうだ。
 そして、斐勢は、海昊を心から心配し、気遣う男。

  「せやけど……海昊さんには……」

  「わかってます。俺のことも。」
 
 紊駕の言葉に斐勢も頷いて、頭を下げた。
 紊駕が関わっていることを海昊が知ったら、申し訳なく思うだろう。
 誰にでも優しく、温厚篤実な海昊。
 紊駕の大切な友人の一人だ。
 そして海昊も紊駕をとても大切に思っている。


 紊駕は、足早にZXRの元へ、向かった。
 これから私立横浜中央病院に行かなくてはならない。
      あさわ
  「……浅我もバカだよなぁ。」

  「……。」

 紊駕の前から2人の男。
 渋カジ風の容姿。
 かかとを引きずるような格好で、肩で風を切って歩いてくる。

  「本当。バックはヤクザだぜ。恐いもんなんてねーじゃねーか。」
            しみや
  「だな。でもよ、染谷さんの時代復活!ってカンジじゃん?」

  「浅我も終わりだな。かなり頭いったんじゃねーの?今頃天国か?」

 嘲笑。

  「いや、地獄だな、地獄。染谷さんが地獄の入り口まで連れてってくれたからなぁ。いーざま……ひっ!!」

 男たちの顔が引きつった。
 一人の男が宙に浮いた。

  「何処だ。」

 紊駕の瞳が男たちを突き刺す。
             きさらぎ
  「きっ、きっ、……如樹っ……」

  「染谷ってヤローは、何処だってきーてんだ。」

 低く、地を這うような声。
 紊駕の右手に力が入った。
 もう一人の男は、後ずさりして――、

  「っ……なっ、何怒ってん……すか。浅我なんてどーだって。ねぇ。」

  「そーですよ……敵でしょ……敵。」

 紊駕の左腕が引かれる。

  「まっ!わ、わかりました!!やめてっ……染谷さんは、染谷さんは、山下公園ですっ!!」

 紊駕に胸座をつかまれたまま両手を挙げて、男はあっさりと口を割った。
 紊駕は、その男を押し出して、手をはなす。

  「来い。」

 2人の腕をつかみ、山下公園へ向かった――、


 山下公園。
 山下埠頭が見え、有名な赤い靴をはいた女の子像。
 船の汽笛。

  「しっ、染谷さん。」

 男たちが染谷の名を呼んだ。

  「てめーら。どこほっつき歩いてん……ぐはっっ!!」

 振り返った男は、一瞬でコンクリートを舐めた。

  「なっ!!」
                  きさらぎ    みたか
  「しっ、染谷さんっ。きっ、如樹 紊駕っス!!」

 紊駕に連れられた男は、しりもちをついた体勢の染谷に駆け寄り、紊駕を見て言った。
 もう一人の男は呆然と、染谷と紊駕を交互に見た。

  「きっ、如樹 紊駕ぁぁ――!!??」

 すっとんきょうな声を上げた男を、紊駕は冷静に見下す。
 鋭く、人を射抜くような瞳。

  「や、やばいっす。……逃げましょう!!」

 次の瞬間、3人は転がるように逃げ出した。
 左拳を握りしめ、逃げた3人をそのままに、紊駕は背を向けた――……。


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