第二章 Mixed Doubled 恋愛騒動

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 1994年、夏。

  「あら、昨日の火事。新聞にのってるわ。」

 土曜日の朝。   あすか  きよの
 新聞に目を通した飛鳥 聖乃は誰に言うともなく呟いた。
 少しふっくらしているが、まだまだ30代でも通る容姿。

  「そういえば、サイレンがうるさかったですよね。」
 そう み    し な ほ
 蒼海 紫南帆は、キッチンの後片付けを終えて、リビングに顔を出した。
 バレッタで一つにまとめていた長くストーレートな黒髪を、解いた。
 全く癖が付いていない。

  「何処だったの?」
                                   きさらぎ    みさぎ
 コスタリカの豆をミルで引きながら、少し声を張るのは、如樹 美鷺。
 40代には見えない、若々しさを醸し出している。
 ジーパンの脚は細く、長い。

  「ここの通りのレストランだったみたい。こっちのほうからも消防車が行ったみたいだから、よほど大火災だったようよ。」

 そういって、窓の外を指差した。
 二十畳ほどもあるダイニングは、一枚ガラスでなっていて、もう、すっかり夏になった日差しがめいいっぱい差し込んでいた。
 遠くに海岸線が見える。
 海沿いを走っている134号線は、右に藤沢市へと繋がっている。
 ここ、鎌倉市との県境はすぐそこである。
 昨夜の火災は藤沢市でおこったらしいが、規模が大きかったために鎌倉市の消防も駆けつけたようだった。

  「本当だ。レストラン全焼。隣のホテルまで被害があったみたい。」
                          そう み    り な ほ
 聖乃の隣に座っていた紫南帆の母親、蒼海 璃南帆は、夏だって言うのに、と繭をひそめた。
 柔らかくカーブしている髪が肩でゆれた。
 やはり、40代には見えないかわいらしさがある。

  「かわいそうに、おちおちヤッていられないわね。」

 美鷺のあっさりとした言葉に、

  「朝っぱらからなんの話してんだよ。」
 きさらぎ   みたか
 如樹 紊駕は呆れて、自分の部屋へと続く階段から降りてきた。
 赤い髪は寝癖が少しついているが、ストレートだ。

  「あら、めずらしい起きたの。だって、そのホテルってラブホテルでしょ。」

 息子の言葉に大げさに驚いて見せて、相変わらずさっぱりと言い放った。

  「おはよう。紊駕ちゃん。」

 そんな、親子の会話に紫南帆は苦笑して、

  「今日はお休みだから起こさなかったんだけど、早起きだね。」

 出来上がったコスタリカをカップに注いだ。
 五人分。
                     あすか    きさし
 紫南帆と紊駕、そして今はいない飛鳥 葵矩は、一風変わった幼馴染。
 両親たちが学生の頃からの友人で、一緒に住んで、もうすぐ二年半が経つ。
 詳細はPlanet Love Event 第一章 CometHunter 恋愛方程式を参照。

  「どうぞ。」

 紫南帆は、紊駕の前にカップを置いた。
 コスタリカの酸味のきいた匂いがたちこめる。
 紊駕は軽く顎を下げた。

  「いい天気だし、散歩でも行ってきたら。」

 美鷺の言葉に、ソファーで丸くなっていたアルセーヌが反応した。
 大きな黒い体を素早く動かして、紫南帆の足元にやって来た。
 救助や介助を得意とする、ラブラドールレトリバーだ。
 紫南帆の愛犬である。

  「……ったりー。」

 紊駕は、赤く染まった長い前髪から覗かせたシャープな目で、アルセーヌを一瞥した。
 そんな紊駕に、アルセーヌは散歩用のリードを持ってきて、紊駕の前に差し出す。

  「紊駕ちゃんに行こうっていってるよ。」

 紫南帆がくすり、と笑った。
 大きな瞳を向ける。
 かしこい犬である。

  「……。」

 紊駕はしかたなく、リードをつけてやった。
 アルセーヌが、得意げな顔をする。

  「じゃ、いってくるね。」

 コスタリカを飲み干した後、紫南帆と紊駕は、アルセーヌをつれて外に出た。

  「低血圧男めっ、やっと出たか。」

 美鷺は、そんな息子に冗談ぽくいって見せた。

  「うちのみたいに高血圧なのも問題だけどね。」

 聖乃は、今はいない自分の息子、葵矩のことを言った。
 紊駕と葵矩、二人は正反対の性格をしている。

 葵矩。
 いつも元気いっぱいで、周りをも明るくしてくれる。
 早起きで、サッカー大好き少年。
 日に焼けた小麦色の肌に、甘めのフェイス。
 今日も部活動に勤しんでいる。

 紊駕。
 冷静沈着でときどき冷淡。
 朝は苦手。
 族やチームにも仲間がいる。
 人を射抜くような、鋭い瞳。
 葵矩が太陽なら、紊駕は月。

 ただ、二人とも優しい。
 葵矩はストレートに、紊駕は婉曲に。

 そして、そんな二人が大好きな、紫南帆。
 大きすぎない愛らしい二重の瞳。
 よく手入れの行き届いた長く真っ直ぐな髪。
 正義感が強く、読書が大好きで推理力に長ける。
 優しく柔らかな女性像。
 ヴィーナスを彷彿させる。

  「暑いねー!」

 白のノースリーブからでた腕を、太陽にかざす紫南帆。
 七月も半ば、暑さの盛りが近づいてきた。
 紊駕は、無言で長い脚を運んでいる。

  「怒ってんの?」

 紫南帆は紊駕を覗きこんだ。

  「いや。」

 前髪をかきあげる。
 光華がまぶしい。

  「たまにはね、こうやって太陽を浴びなきゃ。目が覚めるでしょ。」

 太陽の下で、日向ぼっこをする紊駕は想像できない。
 普段出かけるときはバイクが多い。
 愛車、KAWASAKI ZEPHYR1100、空冷の4気筒。
 スリムな車体に紊駕がまたがると、サマになる。
 やはり紊駕には、夜が似合う。

  「別に、怒ってねーよ。」

 嫌味なく、語尾を切る。
 青々と茂った桜並木を抜けると、真っ青な海。
 稲村ガ崎。
 カラフルなヨットやサーフボードが、海岸を彩っている。
 夏を余計に感じさせる。

  「きれー。」

 何万回と訪れた場所。
 海は見飽きない。
 水面が輝いている。
 二人は海岸に降りた。
 紫南帆はアルセーヌのリードをはずしてやる。
 待っていました、とばかりに、勢いよく水際に駆け出していった。

  「そういえばさ、明日っていってたよね。」

 紫南帆は、流れ着いて朽ちかけた大木に腰を下ろした。
 ジーンズだから、少しくらい汚れても大丈夫だ。

  「ああ。」

 紊駕は暗黙の了解。
 明日、紊駕の従兄弟がアメリカからやってくる。
        ひだか
 紊駕の父、淹駕の弟の子供だ。
 昔、淹駕は一家でアメリカに移住したのだが、自分独り、日本に戻ってきた。
 そして、自分の病院を建て、今は院長だ。
 詳細は湘南ラプソディーで紹介している。
 現在、両親を含め、弟もアメリカはニューヨークに住んでいる。
                                アース
 淹駕の弟の子供、つまり、紊駕の従兄弟にあたる、Earthが明日日本に来るというのだ。

  「小さい頃だったから、もう忘れちゃったな。」

 紫南帆は口を尖らせて呟いた。
 綺麗な金髪と蒼い瞳が印象的だった。
   マーズ
  「Marsもくるっていってたね。楽しみ。」

 MarsとはEarthの従兄妹にあたる女の子だ。
 やはり、小さい頃遊んだ記憶があるが、鮮明には思い出せない。

  「おじいちゃんおばあちゃんも来れたらよかったのにね。」

 祖父母にももう何年も会っていない。
 孝行するにも、そう容易くはない。

  「騒がしくなりそうだな。」

 少し、うんざりしたように、でも懐かしみをこめて紊駕は言った。

  「そだね。」

 思う存分アルセーヌを遊ばせたあと、二人は元来た道を戻った――……。


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