第二章 Mixed Doubled 恋愛騒動

                              9

   あざな
  「嘲奈ちゃん。」
                                      し な ほ
 HRが始まってしまったので、午前中の授業が終わってすぐ、紫南帆は嘲奈を呼び止めた。

  「嘲奈ちゃん。このポケベル、嘲奈ちゃんの彼氏のでしょ。」

  「……。」

 無言の嘲奈。
 ウソは、つかないで。
 紫南帆は祈った。
 マーズ
 Marsを助けなきゃ。
 日本の思い出がこんなのなんて、ひどすぎる。
         アース
  「そう……。Earthがあなたに話したのね。」

 嘲奈は今はもうない、絆創膏を見るように左肘に触れた。
 そして、ゆっくり紫南帆を見た。
 嘲奈のほうが背が高いので、少し見下ろされる感じだ。

  「そうよ。あの日、彼とホテルにいたの。」

 先々週の金曜日だ。
 嘲奈は周りを気にしながら、言葉を続けた。

  「そして火災にあって、私は階段から落ちた。そのときにEarthに助けられて……彼は周りの人を助けていたわ。そう、医者だから。」

  「…!」

 紫南帆は、今は何も言わず、嘲奈の話に耳を傾けた。

  「だけど、ポケベルを落としてしまって。まさか、Earthが拾ってたなんて。だから、彼にクラスメイトが拾っていたと話をしたの。私が受け取るわけにはいかなかった。だって、医療用だってすぐわかってしまうから。」

 自分のだというわけにはいかなかった。
 万が一、記憶を見られていたら、嘲奈の物ではないことが、すぐにわかってしまう。
 問い詰められたら、彼のことがばれるかもしれない。
 とっさに知らない、とウソをついた。
 だから、彼にいってポケベルに返してとメッセージを送らせた。
 Earthには、ホテルにいたことを内緒にしておいてほしいと頼んだらしい。

  「クラスメイトが拾った、って伝えたの?」

 紫南帆の言葉に、頷く嘲奈。

  「……。」

  「あ、でも。」

 と、話をして少し気分がよくなったのか、表情に赤みがさした。

  「妊娠の話は大丈夫。」

 想像だったから、と小声で耳打ちをした。
 どうやら、想像妊娠だったらしい。
 彼にも伝えないと、と笑顔をみせた。
 その様子に、紫南帆はまたも腑に落ちない点を見つけてしまう。
 嘲奈はMarsの誘拐の件は知らないらしい。
 隠しているとは思えない。
 それに……。

  「あともう一つ、質問なんだけど……。」

 そういって、あの暗号を差し出した。
 一瞬では何だか解らない数字の羅列に、嘲奈は首を傾げたが、

  「助けて 強請り 嘲奈 T.K  S.Y。」

 紫南帆が読んでみると、みるみる顔が青ざめていった。
            く が
  「今日のHR前。久賀くんと話をしてたよね。」

 紫南帆は、ちらり、嘲奈の顔色を確認する。

  「あたし……ある現場を見てしまって、だから……。」

 弱みを握られて、強請られた。
 そうか。
 だから……。
 紫南帆は今回の真相に近づきつつあった――……。
 

  「あんまり独りで考え込むなよ。」
 きさし
 葵矩が軽く、紫南帆の頭に触れた。
 夜のダイニング。
 いつものノートを取り出して、パズルを組み立てていた。
 何か事件ごとがおきると、ノートにまとめる癖がついている。

  「ありがとう。」

 葵矩からカップを受け取る。
 マンデリンのコクのある匂いが神経を和らげる。
 葵矩は、イスを引いて、背もたれを腹にまたいで、紫南帆を隣から見た。

  「大丈夫だよ。」

 にっこり、笑ってみせる。
 でも、Marsのことが心配で。と、うつむいた。

  「うん……。」

 Marsは何処にいるのだろう。
 恐がっているだろう。
 早く助けなきゃ。
 もうすぐで完成するのだ。
 今回の事件のパズルが、そう、絵が、完成する。

  「Oh, Excuse Me. 」

 Earthがダイニングに現れて、ジャマしたね。とユーターンしようとしたので――、

  「え。な、何でもないって。な、何?」

 葵矩があからさまに真っ赤になってEarthを呼び戻した。
 苦笑してEarthは、

  「実はさ、思い出したんだけど。」

 真顔に戻していった。
 土曜日にいった病院で、Earthは嘲奈の彼氏が結婚したという張り紙を見たという。
 もちろん、相手は嘲奈ではない。
 
  「日本人は特徴がないから、写真だとわからないんだよな。」

 でも、絶対あの顔だった。と、Earthは思い出すように天井を見上げる。
 ウェディングの写真。
 広報か何かだろうか。
 
  「それって、浮気……。」

 葵矩は呟いた。
 瞬間。
 唸るような鈍い音が近づいてきて、庭先で控えめになった。
 最後に一度空気を吐き出して、無音。
   みたか
  「紊駕ちゃん。」

 紫南帆は、玄関を開けた。
 丁度、紊駕がZEPHYRから降りたところだった。
 黒のTシャツに、ジーンズ姿。

  「居場所がわかった。」

 紊駕はフルフェイスを脱ぐ。
 赤く長い前髪が揺れた。
 その言葉に、Earthがいち早く出かける準備をした。
 紫南帆も、紊駕がMarsを探していてくれたことを悟る。

  「……。」

 三人は、電車に飛び乗り、紊駕は再びZEPHYRにまたがった。
 だいだい、パズルは組みあがっていた。
 Marsを助け出さなくては――……。


 土曜日に訪れた、私立病院に隣接するアパートの一室。
 
  「ここに……。」

 古びた2階建てのアパート。
 紊駕の後を、紫南帆は、音を立てずに慎重に、錆びれた階段を上った。
 辺りは暗く、Marsがいるだろう部屋には明かりがついていた。
 誰かがいるらしい。
 紊駕が迷わず呼び鈴を鳴らした。

  「はい。」

 低く、太い声。

  「俺だ。」

 紊駕がためらいなく言った。
 古びたドアがすぐにあいて、そして、反射的に中の男はドアを閉める。
 瞬間。
 紊駕が長い脚をドアの間に挟んだ。
 
  「誰だ!」

 自分で開けた癖にそのセリフはないだろう。
 紊駕は呆れて――、

  「むやみに開けないほうがいいぜ、誘拐犯さん。」

 ニヒルに笑った。
 俺だ、の声に待っていた人物だと勘違いし、疑いなく開けてしまう輩がいる。
 この人物も例外なく、紊駕の心理戦に敗れたワケだ。

  「Marsはどこだ!」

 Earthも家の中に進入した。
 中には二人の男、と。

  「Mars!!」

 紫南帆が声をかけた。
 両手足を縛られて、口にはテープが貼られているが、無事らしい。
 助けてくれと懇願する瞳。
 ほっ、と胸をなでおろす。

  「あの男は?」

 Earthが、両拳に怒りを抑えて低く呟いた。

  「じき、来る。」

 紊駕の言葉にも、男たちは落ち着いていた。
 誘拐が、ただの依頼だということを示していた。
 数分後、あの人物が現れた。

  「……。」

 ただ、嘲奈も一緒に。
 紫南帆は、紊駕が仕向けたことだと、理解し、毅然な態度で――、

  「これ、あなたのですよね。」

 ポケベルを見せた。
 男は無言、嘲奈はこの状況に困惑している。

  「先々週の金曜日。あなたと嘲奈ちゃんはホテルにいるときに、火災にあった。」

 紫南帆は、ゆっくり話し出した。

  「そして、逃げる途中で、嘲奈ちゃんは階段から落ちて――、」

 あなたは、逃げた。
 Earthが拳にさらに力をいれた。
 嘲奈が驚いて隣の彼氏を見る。

  「あなたは、嘲奈ちゃんにその事実を知られたくなかったんです。でも、Earthは知っている。だから、あのメッセージを送った。」

  「Give Back Enoshima Station. Jul.17th.PM7。」

 英語でのメッセージ。
 嘲奈は、彼氏が逃げたのではなく、救助をしていたと思っていた。
 だから、ポケベルをEarthが持っていることを知ったとき、フツウに彼氏に伝えた。
 あなたと、ホテルに一緒にいたことを知られたくなかったから、自分は受け取ることはできなかった、と。

  「わざわざ丁寧に、英語で。」

 紫南帆は男をみた。

  「嘲奈ちゃんは、ポケベルはクラスメイトがもっていた、と伝えたはずです。なんで、英語でメッセージを送ってきたんですか。」

 その言葉に、Earthが――、

  「あんたは、俺のことを覚えていたんだよな。彼女を助けている俺。」

 紫南帆は頷く。
 Earthの流暢な日本語に、男は目を丸くした。
 金色の髪。
 蒼い瞳。
 日本語では通じないかもしれない。
 でも、嘲奈に知られたら……。
 フツウに日本語で送ればよかったものを、焦りがでてしまい、わざわざ英語で打っていた。
 Earthのことを知っているとわざわざ知らせ、なおかつ逃げたことも事実だという証拠。

  「くっ……。」

 男が苦虫を噛み潰したような顔をした。
 嘲奈は信じられない様子で、しかし、彼氏から一歩放れた。

  「さらに。ポケベルは、別に大事ではなかったんですよね。契約を切ればいいことです。罰金なんて、なんてことはない。」

 以前、葵矩言っていた言葉。
 
  ――そんなに重要なものなのか?これの契約をきって、また病院から支給してもらえばいんじゃん?弁償金が高い、とか……?

 ポケベルが大事だったわけではない。
 
  「あなたは、Earthに口封じをするために呼び出した。そしてMarsを誘拐した。あのとき、私たちが病院を訪れたとき、あなたは居たんだわ。そしてEarthとMarsが一緒にいるところを見た。」

 あのとき、紫南帆と紊駕はEarthたちとは離れたところにいた。
 だから、江ノ島駅で五人で待っていたとき、迷わずMarsを誘拐した。
 男はぐうの音もでないようだった。
 ただ、黙していた。
 気の小さい男だ。
 反論すら、できない。
 しょげた痩せた背中。

  「そして、あなたは結婚していますね。」

  「院長の娘とな。」

 紫南帆の言葉に付け足して紊駕。
 言いづらかった。
 嘲奈の顔を真っ直ぐ見ることができなかった。
 しかし、紫南帆は続けた。

  「だから、浮気のことも知られたくなかった。」

  「まさか……。」

 ようやく男が口を開いた。

  「まさか、あんなところで火事に会うなんて。俺は……。しかも嘲奈に子供がいるなんて……。そんなこと知られたら……。」

 火事のとき逃げたことを知られたくない。
 そして、嘲奈とホテルにいたことも。
 裸同然の格好だ。
 救助になんか当たれるはずがない。
 男がやせぎすの体をぐったりさせ、自分を正当化したとき――、

  「Earth!!」

 Earthが男に飛び掛っていた。
 男の胸ぐらをつかんで、早口の英語での罵声をあびせる。
 医者の癖に、自分の保身のために救助をしなかったことへの怒り。

  「Earth。」

 紊駕がEarthの振り上げた拳を、静かに取った。
 そして、嘲奈に目配せをした。

  「……。」

 心底失望した様子の嘲奈の瞳が、男に突き刺さった。
 
  「子供はおろさないから。覚悟していおいてください。」

 冷たく、本当は想像妊娠だったことを隠して言い放った――……。


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