第三章 Ego-Ist 恋愛感情

                         9  葵矩の章

      し な ほ    みたか
 今度は紫南帆と紊駕が呼び出されてたけど、大丈夫かな。
 きさし
 葵矩は心配しながら、帰宅した。
   あすか
  「飛鳥ちゃん!」

 玄関のドアを開けるなり、紫南帆が待ってましたとばかりに、急かす。
 その様子に、また何かあったのか、と葵矩は、すぐに着替え、ダイニングにおりた。
 白のTシャツに、ジーンズのズボン。
 紊駕もダイニングのテーブルに着いる。

  「ごめんね、帰ってきて早々。これ、見てみて。」

 紫南帆は謝ると葵矩に淡い紫色の便箋を差し出した。


  君は天使で僕は悪魔 僕ら二人で一対をなす
  ライラックの花言葉を知っているかい

  名にし負はば逢坂山のさねかづら 人に知られで来る由もがな
  逢ひみての後の心にくらぶれば 昔は物を思はざりけり
  かくとだえやは伊吹きのさしも草も 知らじな燃ゆる思ひを
  今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふ由もがな

  きっと君は僕を軽蔑するだろう
  それでもいいさ 逢ひたい
  ずっとずっと 逢ひたい
  永遠に 逢ひたい



  「何だこれ、詩?」

 何か、見覚えがあるような……。
 葵矩は、思い出さそうとしたが、すぐには思い出せなかった。

  「でね。この文章。」

 紫南帆は小さな手を細い顎に持っていって――、

  「中央の4文は、百人一首の詩で、全て伝えられない切ない恋歌を詠ったものなの。」

 百人一首。
 古文……。

  「あ。」

 葵矩の脳裏に電子信号が走った。
 自室に駆け出す――、

  「これだ。」
     いおる
 今日、尉折から借りたCD、TH2の詩。
 葵矩が歌詞カードをケースから抜いて、紫南帆に手渡した。

  「そう、それ。飛鳥ちゃん、持ってたんだ。」

 紫南帆は既に了解済みのようで――、

  「さっき、紊駕ちゃんがコンビニで買ってきてくれたんだけど。」

 といって、雑誌を広げた。
 TH2特集、と書かれている表紙。
         タ  カ     エ イ    モ  ア
  「TH2はT A K A・E I・M O Aの三人で構成。」

 紫南帆が読み上げて、雑誌をこちらに向けた。
 そこにはTH2らしい三人の人物が写っていた。

  「……これ。」
     はおか    たかつ    ひらが              ひろた
 そう、葉丘 天架、永架、そして、模淡の三人だった。
 間違いない。
 面影が、はっきりある。
 名前も、天架、タカツのT A K A、永架の頭文字のE I、模淡のM O A。

  「それにね、さっき小学校の友達に連絡してみたの。」

 同窓会のハガキなど来ていないことが判明した。

  「でも。もしこの三人が関わっていたとして、東京にいるやつが、どうやって?」

  「舎弟がいたら?」

 紊駕が鋭い目を突きつける。
 舎弟……。
 紫南帆が苦い表情をして――、

  「これ、君に伝えたい、っていうTH2の新曲、ヴォーカルのE Iの作詞なんだって。」

 ってことは、E I、永架が伝えたいってことなのか。 
 紫南帆の言葉に、葵矩はもう一度手紙を見る。
 CDの歌詞カードと同じ文章。


  君は天使で僕は悪魔 僕ら二人で一対をなす
  ライラックの花言葉を知っているかい

  名にし負はば逢坂山のさねかづら 人に知られで来る由もがな
  逢ひみての後の心にくらぶれば 昔は物を思はざりけり
  かくとだえやは伊吹きのさしも草も 知らじな燃ゆる思ひを
  今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふ由もがな

  きっと君は僕を軽蔑するだろう
  それでもいいさ 逢ひたい
  ずっとずっと 逢ひたい
  永遠に 逢ひたい



 紫南帆はおもむろに、小学校時代の文集を開いた。
 思い思いに綴った個人の作文やら、メッセージやらが書かれている。
 懐かしむまもなく――、

  「名前の由来……永架くん、永遠に虹が架かる土星。天架くん、月が天に架かる、天王星。模淡ちゃん、淡い模様の木星。……土星と天王星は一対をなす。土星は、通称サターン、悪魔と呼ばれる……。」

 紫南帆は、読み上げて――、

  「……永架くんって、ホモ?」

 葵矩は思わずずっこけた。
 ……せめて、同性愛者。と、いってほしかった。

  「だって、ほら、きっと君は僕を軽蔑するだろう。とか、一対をなす。とか。この詩。それに、ライラックの花言葉は、友愛。なの。」

 めずらしく、紫南帆がしどろもどろになっている。
 自分で口にして恥ずかしかったのだろう。

  「だとしたら……だとしても、俺たちとどんな関係が?」

  「君っていうのが……誰を指すのか、って。」

 いいにくそうに呟いて、この手紙が入っていたと思われる同じ、淡い紫色の封筒を差し出した。
 自分宛の手紙。
 宛名は、葵矩先頭で、三人。

  「もしかして……。」

 お、俺?
 まさか。

  「ごめん。考えすぎ、だよね……。」

 紫南帆の上目遣いで言った言葉に、

  「さぁな。」

 紊駕が意味ありげな言葉を吐いた。
 何はともあれ、土曜日に三人に会えるってわけだ――……。


 月曜日から水曜日まで、毎日呼び出されていたというのに、木曜日と金曜日はきわめて平穏に過ぎた。
 あたかも、嵐の前の静けさのように。

  「いい天気。」

 紫南帆はカーフェリーの上で細い腕を掲げた。
 せっかくの良い旅行になるはずだったのに。
 青い空、海。
 そして、潮風。
 東京のそれは、いつも葵矩たちが見て感じている神奈川のそれと、同じはずだった。
 繋がっているはず。
 なのに、違う。

  「そろそろ来る頃かな、って思って。」

 船が着いた桟橋の元で――、

  「永架くん。」

 紫南帆が、複雑な表情をして口にした。
 まぎれもなく、雑誌の中の三人。
 肩につきそうな長い後ろ髪を、一本にしている、体つきのよい永架。
 短くさっぱり髪で長身の天架。
 ベリーショートでボーイッシュな模淡。
 久しぶりに再会したと言うのに、六人はぎこちなかった。
 葉丘の別荘に案内されて――、

  「ライラック……。」

 うっそうと木々が生い茂る中、別荘の門だと思われる、古びたレンガ調のとなり、大きなライラックの木が淡紫の小さな小花をたくさんつけていた。
 あの手紙と同じ色。

  「でも、ライラックは、今頃咲かない。」

 紫南帆の言葉に、永架がニヒルに笑って、

  「そう、これは、狂い花なんだ。」

 長い髪をかきあげて、葵矩を見た。

  「今、俺みたいだって、思っただろ、飛鳥。」

  「え……?」

 永架は本当のことだから、と付け加える。
 狂い花……?
 葵矩は油断していた。
 別荘というより、洋館の玄関に通された。
 その瞬間。

  「!!!」

 黒服の男に囲まれた。
 数え切れないほどの人、人、人。

  「永架!!」

 天架の声が響くが、葵矩からは姿が見えない。
 玄関ホールいっぱいの黒服。
 紫南帆は無事か。
 何がなんだかわからない状態。

  「……。」

 気がつくと、個室に押し込められた。
 そして――、

  「飛鳥。」

 今更、真意に気がついた。
 葵矩は壁に背中を預けて、永架を見る。
 部屋には、葵矩と永架、二人。
 そして、大男が葵矩の両腕を後ろで束ねた。
 力を入れても及ばない。

  「手荒なマネはしたくなかったんだけど。」

 永架は、もったいぶった言い方で、葵矩の目の前に立った。
 葵矩より少し、背が高い。
 レザーの上下が、がっちりと均整の取れた姿態を表している。
 永架が細く、長い指を伸ばした。

  「……っ。」

 葵矩の顎をつかむ。
 その細い指からは想像もつかない強い力。

  「や、めろ。」

 葵矩は、苦しそうに言った。
 狂い花……なんで、あの時気がつかなかったんだ。
 俺みたいだって思っただろ。

  「その苦痛にゆがむ顔が、すげぇそそる。」

 永架の顔が近づいてきた。
 瞳を細めて――、
 や、やめてくれ!!!
 その瞬間、稲妻のようなものすごい衝撃音が鳴り響いた。

  「そんなこったろうと思ったよ。」

  「紊駕!」

 ガラスが、部屋のあちらこちらに散らばっている。
 突然の物音で後ろの男もひるんだ。
 そのスキに葵矩は逃れた。
     きさらぎ
  「き、如樹っっ!!」

 永架の上ずる声。

  「てめぇ、ホレてんなら、卑怯な手使うんじゃねぇ!!」

 紊駕が啖呵切る。
 卑怯じゃなくても、いやだ。

  「お前に、お前に何がわかんだよ!!」

 永架が思いっきり取り乱して紊駕をにらみつけた。
 長い髪が揺れた。

  「別に、お前を否定しちゃいねーよ。」

 相変わらず、冷淡で低い抑揚のない声。
 葵矩は、情けないと思いながら、何も言えなかった。

  「卑怯な手使ったって。誰を犠牲にしたって、俺は、俺は。」

 そのとき、丁度――、

  「飛鳥ちゃん、紊駕ちゃん……。」

 紫南帆が現れた。

  「飛鳥が欲しかったんだよ!!!」

 ……もう、終わりだぁ。
 葵矩は頭を抱え込んだ――……。


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