U 海昊が、氷雨の家へ来てから三週間が過ぎた。 夏ももう終わりに近づいてきた、八月下旬。 肌を触れていく夜風は、まだなま暖かい。 「紊駕、何飲む?」 「ビール。」 「あほ。コンビニまでいかなあかんやろ。」 「じゃ、ウーロン。」 「あ、俺も。」 紊駕と氷雨の声に、近くの自動販売機に足を運んだ。 小銭を挿入して、ボタンを押す。 冷たいウーロン茶が落ちてくる。 「三週間やな……。」 独り言。 電灯に照らされた江ノ島。 若い数組のカップルが浜辺を歩いている。 車通りはいささか穏やか。 午後十一時、片瀬東海岸。 波の音の響きは、昔から知っていたかのように、耳に心地よい。 「Home Sickか。」 嘲笑。 手元のウーロン茶が一つ、抜き取られる。 「紊駕。……そんなんやない。」 唇を尖らした海昊を一瞥して、一口飲み干した。 「あれから、何も連絡ないんだろ。」 自動販売機に寄りかかった。 下から覗く、蒼い瞳。 人を見透かす。 「ああ……。」 首を縦に振る。 「ま、俺にわカンケーねぇけど。」 体を起こして、空き缶を投げ入れた。 ホールイン。 海昊は失笑。 関係ない、何度、紊駕から聞いた言葉か。 いつも、紊駕の気持ちは額面どおりではない。 本当は気遣ってくれているくせに、言葉に出さない。 クールで、冷静沈着。 人を見透かすように、射抜く蒼い瞳。 けれど、優しい。 他人を気遣う。 「んだよ、見てんなよ。」 「おおきに。」 左エクボがへこむ。 「……。」 何も言わず、しかし少し照れたように背中を向けた。 遅れをとらないように海昊は、紊駕に並んだ。 「お、さんきゅう。」 氷雨にウーロン茶を手渡した。 冷たい缶を受け取って――、 「そういや、海昊。ガッコどうするつもりだ。」 兄貴のような言い方。 「……できれば、こっちのガッコ行きたいんやけど……。」 「うーん。……K学来るか?私立なら大丈夫じゃね?問題は、親。」 氷雨が淡々と言う。 K学――氷雨が通う、私立K学園。 「……。」 夏休みはあと一週間と少し。 斐勢に、夏休みが終わるまでには帰るといった。 海昊は最初から帰るつもりは無かった。 しかし、現実問題。 何も考えてはいなかった。 浅はか。 「氷雨、そろそろ本腰いれようぜ。」 見かねて、紊駕が話題を変えた。 氷雨は、ああ、あの話ね。と、良く整った眉の間に皺を寄せる。 「何やの?」 「紊駕がさ、旗揚げしようって、さ。」 海昊の頭に浮かぶ、クエスチョンマーク。 「族だよ、族。」 どうやら、族をつくりたいらしい。 めずらしく、紊駕の端整な口は流暢だ。 「仲間集めて、皆で走るんだよ。族の名前はBAD。英語で悪いってイミだけど、かっこいいとか、すごい、っイミもある。」 氷雨はしのび笑いをして――、 「いつもの紊駕じゃないみたいだろ。こいつ、単車にかけてはハンパないからよ。チューンもカスタムも自分でやるしな。」 ZEPHYRを指差した。 海昊には、どこどうノーマルと違うのか一瞬ではわからない。 きっと、細かいところまで手をいれているのだろう。 「だけど、二人じゃな。」 氷雨の言葉に、 「三人だろ。」 海昊を見る。 当然。 そんな言葉に、海昊は一瞬の間をおいて――、 「旗げゆうたら何すればええん?」 「おい、海昊。紊駕はやるってゆったらやるぞ。」 氷雨が目を丸くした。 「ええやん。旗揚げしたろ。」 海昊と紊駕、目を合わせる。 その光に、少し呆れて、でも優しく笑んで、 「お前らって、似てるよ。……呑んだ。いいぜ、BAD旗揚げだ。」 トライアングルに、ハイテン。 男たちの絆の証が、湘南の海岸で鳴り響いた――……。 * * * * * * * * * * 片瀬西海岸、夜中の駐車場。 数台の単車の低音がコンクリートに響く。 地響き。 「もってきたかよ。」 単車が四人の男の前に停まった。 一人は中に海を背負い、小高い塀に腰掛けている。 その手前に三人。 その男たちが単車から降りてきた男たちを迎えた。 「……でも、虞刺さん。」 四人の前でひとりの男が腰を低くして手を出した。 手には、数枚の札束が握られていた。 皺だらけで汚れている。 「ぐわっ!」 一瞬で、男がひっくり返った。 虞刺の隣にいた巨漢が、男の鼻ツラを、まるでサッカーボールを蹴飛ばすように蹴ったのだ。 「麟杞、ナメてんのか!てめぇらも。三万だと?殺してでも金とってこいや!」 ラリッた口調。 あまりに余った肉が震える。 麟杞が、地面を舐めた。 「で、でも。ガッコじゃ、もう無理っすよ。この辺だって……マッポが動いてるって話だし……。」 声を震わせる男。 「自販でもぶっ壊して来い。」 「遍詈のゆうとおりだぜ。一人十万は稼いで来い。」 虞刺と遍詈はにやけた笑みを交わす。 周りは異様な空気。 生ツバを飲み込む音。 「これじゃあ一人分でもたりねーな。てめーら何人いんだ、コラ!!」 総勢云十人、肩を怒らせる。 「闥士さんがこの金で、皆で遊ぼうっていってんだぜ。」 黄色い歯が覗く。 虞刺は腰掛けている男を垣間見た。 下から覗く、野性的な目。 髪は肩までの黒髪、ストレート。 「どうせ、闥士さんが全部使っちゃうんだよな……。」 「何かいったか、殆。」 遍詈の声に、殆は無言で首を振る。 「そんなに熱くなるなって。」 闥士が腰を浮かした。 さほど、長身ではないが、均整の取れた体つき。 ゆっくり殆の前に進む。 「おい、この金やるよ。」 札をちらつかせた。 尖った顎をしゃくる。 「史利も欲しいか。」 札で顔を叩いた。 乾いた音。 「い、いえ。闥士さん、全部もらってください……。」 掠れた声。 震えている。 「あっそ。いらねーの。俺がやるってゆってんのに、ったく。」 黒髪をかきあげる。 野獣の瞳。 口元を跳ね上げた。 「オラ!ボサッとしてねーで、金稼いでこいや!!」 「女でもいいぜ。コラ!早く行け!!」 遍詈と虞刺の声に、一斉に単車のふかし音。 潮風とともに消えた。 「だらしねぇ奴らだぜ。……た、闥士さんどうします?」 虞刺は闥士にへりくだる。 「便所。」 闥士は虞刺を一瞥して背を向けた。 後を男が追う。 男――良く引き締まった巨体、津蓋。 闥士たちが視界から消えたのを見計らい――、 「おい、虞刺どうするよ。東京一の金持ちだかなんだか知らねーけど。このままBLUESの頭のポスト奪われてもいいのかよ。」 「わかってるよ!」 爪を噛む。 眼光は闥士のいなくなった道を睨んでいた。 「あんな、チビに。中坊だぜ、おい。わかってんのかよ!」 体を揺らすと、余った脂肪が一緒に揺れる。 「るせーよ!!」 黒のサングラス越しに睨みを利かす。 二人、苛立ちを顕わにして――、 「あいつといりゃ、金回りはいいけどよ。あんなガキに……クソッ!!」 「どーにかしねぇとなぁ。」 唇を噛んだ。 真夜中の湘南海岸。 波の音だけが木霊した。 その静寂を、閃光とともに爆音が破る。 「ちょっと!何すんのよ!放しなさいよ!!」 甲高い声。 「虞刺さん。」 得意げな笑みを浮かべる、と史利、そして麟杞。 「早えぇじゃんか。」 「どうスか。なかなかいー女でしょ。」 三人は、女たちを差し出す。 ソバージュの長い髪とボブヘアの女。 「放してよ!やめて!」 ソバージュのほうは、暴れ叫んで、殆の腕の中でもがいているが、史利の捕まえているボブヘアは大人しい。 小さな体を震わせている。 「って、この女、ナメてんのか!」 殆の腕を引っかく。 「随分と威勢のいい女だなぁ。」 「闥士さん。」 レザーパンツのポケットに両手を突っ込んで、胸を反らした。 ソバージュを上から下まで、眺め見て、唇を舐めた。 「へぇ、けっこう美人じゃん、あんた。」 女の細い顎をつかむ。 その瞬間、冷たい水滴が頬にかかる。 「何すんだ、この女ぁ!!」 女に殴りかかろうとした、津蓋を制して――、 「気に入った。俺に反抗する女は初めてだ。」 名前は。女の吐きかけられた唾を腕でぬぐって、舐める。 野性的な瞳が女を捉えた。 「あんたに教える筋合い無いわ!」 「……俺を怒らせんなよ。名前なんっつんだよ!!!」 地を這うような低く、ドスの利いた声。 ポーカーフェイスが崩れた。 刺すような瞳。 「……あ、あさざ。」 女の答えに満足して、よく通った鼻筋に皺を寄せた。 「あさざさんか。俺は闥士。よろしく。」 殆に捕まえられている、あさざの顎をもう一度つかんだ。 「おねがい。白紫だけは放して。」 懇願。 あさざが柳眉に皺を寄せた。 史利に捕まえられている女。 微動だにしない。 「……あさざ。」 かろうじて声を出す。 掠れた、涙声。 「いいぜ。」 闥士は端整な口元を跳ね上げて、虞刺を見た。 輪姦してやれ。 「きゃあ!!」 「ちょ!!白紫!!」 あさざの叫びと同時に、布地の裂ける音が響いた。 「いや――!!」 真夜中の海岸線、響く叫び声――、 「情けねぇことしてんじゃねーよ。」 黒い影。 虞刺の腕は捻り挙げられ、空を向いていた。 「いてぇ!!」 「大丈夫か。」 冷静で優しい声。 「……ひ、氷雨?」 「あさざ?」 「知っとるん?」 あさざ、氷雨、海昊がそれぞれ呟いた。 「とりあえず、話は後。」 紊駕がクールに言葉を放って、白紫を守るようにして、史利の頬に一発。 海昊は頷いて、殴りかけられた麟杞の大きな腕をよけて、蹴り。 腹に命中。 「誰だてめぇ!!」 虞刺が覆いかぶさってくるのを、紊駕はあっさり避けて、左ストレート。 「こ、このヤロウ!」 それを見ていた遍詈が一瞬、怯んで、海昊に殴りかかってきた。 左手で受け止める。 「何やワレ、やる気あんねんか。」 右手をつかみ引き寄せ、遍詈が前のめりになったところで、右ストレート。 一発で、地面に崩れ落ちた。 五人が地面を舐めるのに、五分かからない。 「氷雨、何にらめっこしてんだよ。」 あさざを挟んで、闥士と津蓋、そして氷雨。 津蓋が紊駕たちを見る。 「何モンだ。」 津蓋が手を挙げようとしたのを、闥士はとめた。 海昊が口を開く。 「ワレが頭か。見たところ、中坊やな。」 「BLUESの浅我 闥士。」 闥士の挑戦的な言葉に――、 「BLUES?ああ。カツアゲはお手の物で、近隣に迷惑掛けまくって、マッポに追われてる族って。」 あんたらのこと、か。 紊駕の嘲笑。 「ケンカ売ってんのか。」 「挙句の果てに暴行か?」 あさざの細い腕を引き寄せた。 闥士と紊駕、にらみ合う。 紊駕のほうが背が高い。 どちらが先に手をだすか――、 「紊駕、やめろ。」 氷雨の叱責。 紊駕と海昊の動向が止まった。 氷雨は眉根をひそめて、闥士を見た。 嘲笑う、野性的な瞳。 「浅我 闥士……奴にだけは手ぇ出すな、紊駕。」 「……?」 闥士の笑みが増す。 喉で声を押し殺した。 「頭いいな、あんたわ。」 氷雨を見る。 得意げな笑い――、 「俺はよぉ、将来天下の浅我グループを背負って立つ大切な一人息子サマなんだよ。俺に 反抗したら、バックが黙ってねぇゾ。」 胸を反らした。 しかし、紊駕はクールな表情を緩めた。上がる、口角。 「……一人じゃ何にもできない、坊ちゃんだって?」 「み、紊駕!」 「てめこら、俺様には歯向かったらどーなるかわかっ……」 闥士の言葉は最後まで続かなかった。 右頬に強かな痛み。 「カンケーねんだよ。金持ちだかなんだか知らねーけどよ。」 左拳を下げた。 海昊の顔に笑顔が戻った。 「せや、やったれ!」 「海昊!!」 氷雨の声虚しく、紊駕と海昊はノンストップ。 ――――――……。 「……何で、やっちまうんだよ。ったく、天邪鬼……。」 地面に横たわる、津蓋と闥士。 深いため息。 氷雨が顔を覆った。 その瞬間、轟音と地響き。 無数のハイビーム。 「やべ、仲間だ。紊駕、海昊、ずらかるぞ!!」 氷雨の言葉に、紊駕は不動。 丁度いいじゃん。 紊駕の左拳に力が入った。 「てめぇらぁ!!!よく覚えとけ!!BADの頭、滄 氷雨に特隊の飛龍 海昊だ!!」 「み、紊駕。」 そして、俺は、如樹 紊駕。 クールな嘲笑。 「……BAD、だと?そんな族、聞いたことねーぞ。」 無数の単車に周りを囲まれた。 海昊、氷雨、そして、あさざ、白紫は呆気。 一瞬の間があって――、 「ナメンなこら――!!!」 総勢云十名、一斉に紊駕たちをめがけて突進してきた。 ――――――……。 だが。勝負はいともあっさりとついた。 地面からの多数のうめき声。 「カイ、血ぃでてんぞ、ダッセ。」 「ワレかて。」 紊駕と海昊、顔を見合わせてイタズラな笑みをあわせた。 やんちゃな、表情。 「お前、けっこうやんのな。」 「紊駕かて、ケンカ慣れしとるやないけ。」 上から紊駕の右手を叩き、紊駕もそれに倣う。 そして、シェイクハンド。 男同士が、兄弟のイミで使う握手。 「紊駕、海昊。ひとまず行くぞ。」 氷雨の声に、その場を後にした。 「く、くそ。き、如樹 紊駕……覚えてろ。」 闥士の掠れた声は闇にかき消された。 白紫を駅に送って――、 「ったく、無茶苦茶ね。逃げればよかったのに!!」 「でかい声だすな。細雨がおきるだろ。」 口元に人差し指を持っていく。 氷雨の家。 あさざは手際よく、紊駕の傷の手当てをしている。 「ほら、海昊くん、だっけ?ここ座る。」 お姉さん口調のあさざ、海昊の手当てもする。 頭を下げて、あさざの前に座る。 「でも、ありがとう。」 しおらしく、あさざ。 シャープな瞳を細めた。 「気持ち悪りーの。」 ボソッと紊駕。 そんな紊駕に、うるさい、と少女のような表情で唇をすぼめる。 「あんま、無茶しないでね、氷雨。」 「俺じゃねーだろ、俺じゃ。……わかってる。でもよ、相手がマジやべーよ。」 今サラしゃーねーけど。吐き捨てる。 「浅我って、アレでしょ……?渋谷の。」 あさざが表情を曇らせた。 綺麗系の顔。 「東京の大手の会社をほとんど従わせてるっていう浅我グループのトップ。……ほら、なんだっけ、渋谷のチーム。」 「Crazy Kids。」 「そうそう、それ。何かモメたらしいじゃん。」 「全滅だってよ。しかも表沙汰にはなってない。金でモミ消したって話しだ……って。」 ビビらして、どーするよ。と氷雨は紊駕と海昊に目を向けた。 口を閉ざす二人。 「ま、しゃーねーだろ。」 「すんまへん。」 氷雨は、困った奴。と弟を宥める様子。 「まあ、謝るコトじゃねーけどよ。終わったことだし。」 「ねぇ、BADっていつ作ったのよ。」 あさざの言葉。 「今日。」 「あ、昨日やろ。ほら、紊駕。もう十二時まわっとる。」 紊駕の短い言葉に、海昊が補足。 あさざの眉が動く。 そういうことではない。 「まったく、紊駕らしいというか……。」 弟に呆れる姉の様子でいって、もう帰らなきゃ。と立ち上がった。 氷雨も立つ。 二人とも、すらりとした長身だ。 「送ってく。」 無造作に単車の鍵を握って、玄関を出た。 「……あさざさんって、氷雨さんの彼女やの。」 「見りゃわかんだろ。」 二人が消えた玄関を尖った顎で指す。 頷く海昊。 「中学のタメ。氷雨、親が離婚してこっち来る前は、茅ヶ崎にいたんだよ。あさざは今も茅ヶ崎。」 「ふーん。」 さりげなく紊駕は氷雨のタバコに手を伸ばした。 「怒りはるぞ、氷雨さん。」 「バレねーって。」 慣れた手つきで火をつける。 「初めてやないと見た。」 口元を緩めた。 紊駕もそれに倣う。 二人、横になった。 生暖かい風が、開け放した窓から入ってくる。 「そろそろ帰っわ。」 紊駕が腰を上げた。 十二時半。 海昊は紊駕を見送って、ため息をついた。 夏ももう終わる。 「ガッコ、どないしよう。」 誰に言うとも無く、呟く。 無言の携帯電話。 一瞥して、電源を切った――……。 >>次へ <物語のTOPへ> |