湘南ラプソディー

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 夏休みに入った頃、何やら黒い影がひたひたと動いていた。

 海昊かいうたちの知らない間に。
 ここ、東京の中心、渋谷で。

  「てめっ、何しに来た。」

 若者が集まる、センター街。
 たむろしていた若者が一斉に振りかぶった。
 
  「久しいな。頼みがあんだよ。」

 レザーのジャケットにパンツ。
 左右に肩まで垂れる黒髪。
 野性的な瞳。
 闥士たつしは、背を反らした。

  「頼みだと?てめーの頼みなんて、きけるとか!」

 頭に派手なバンダナを巻いた男は吐き捨てるように言った。
 男たち、一様に睨みを利かしているが、どこか、腰が引けているようにも見える。
 渋谷のチーム、Crazy Kidsクレイジーキッズ
 
  「まあ、待てって。」

 ニヒルに笑う。
 男たちの前で腰を下ろした。
 タバコを吹かす。
 煙が昇っていく。

  「きいてくれりゃ、スグにでもてめぇらの頭、ネンショーから出してやってもいいぜ。」

  「信じられっかよ。」

 次の言葉を予想していたかのように、闥士は後ろのポケットに手を突っ込んだ。
 紙の擦れる音と、インクの匂い。
 目の前に差し出された。
 札束。

  「百万。」

 男たちは生唾を飲み込んだ。
 目の前に放り投げられたソレを男は勢い良く掴んだ。

 ――何すればいい?

 闥士は端整な唇の端を跳ね上げた――……。


               * * * * * * * * * *  


  「カイ、ケータイ鳴ってんゾ。」

 紊駕みたかの声に、海昊は、おおきに。と、言って携帯電話を手に取った。

  「お兄ちゃん!」

 電話の向こうから甲高く舌足らずな少女の声。

  「冥旻みら。どないしたん。」

 妹の声に、些か驚いて、そして尋ねる。
 電話口の冥旻は――、

  「来てもうたん。」

 一瞬、イミがわからずに、海昊は冥旻の言葉を反芻した。

  「今、シンヨコハマにおんねん。」

  「は?」

 “シンヨコハマ”が”新横浜”に変換されるまでに、数秒を要した。
 新横浜、新幹線の駅がある、神奈川県の駅名だ。

  「こっからどうやって行けばええんか分からんのうて。」

 電話しちゃった。
 冥旻が、電話の向こうで舌を覗かせた姿が容易に想像できた。
 海昊は額に手のひらをあてがって――、

  「迎えに行くさけ、そこにおって。」

 冥旻が歓喜の声を上げた。

 ――おおきに。

  「へぇ、海昊の妹かぁ。」

  「すんまへん。」

 海昊が頭を下げるのに、氷雨ひさめは、ここはお前の家だろ。と、優しく笑んだ。
 突然、大阪から一人で来た妹。
 もちろん日帰りという訳にはいかないだろう。

  「へぇ、カイの妹ぁ。」

 氷雨の言葉を真似て言った紊駕に、海昊の、単車の鍵を握った手が止まった。

  「手ぇ、出すなよ。」

  「わっかんねーよ。俺、シュミいいから。」

 失笑。
 雑誌を片手に端整な顔だけ向ける紊駕。

  「ほなら大丈夫や。」

 海昊は玄関をでた。
 夏真っ盛り。
 湿度が高く蒸している。
 そんな晴天に、海昊は一つ、ため息をついた。


 新横浜駅まで、ROAD STARはスムーズに走った。
 
  「冥旻。」

 妹の姿を見つけ、声をかけたが、冥旻は気づかない。
 クラクションを鳴らす。
 冥旻がその音に反射的に振り返り――、

  「お兄ちゃん?」

 二重の瞳を、数回開閉してこちらにきた。
 一年振りな上、単車に乗っている兄は想像できなかったのだろう。
 海昊はヘルメットを手渡して、軽く笑んだが、その笑みは複雑だった。

  「……そんな顔、せんといて。」

 冥旻は海昊の思考を読み取ったように言う。
 大阪から家を出てきた。
 全て捨てる覚悟だった。
 連れて行って、といった冥旻を振り切った。
 必ず、迎えにいくと、約束した。
 
  「……何か、あったんか。」

 海昊の言葉に、笑顔で首を横に振った。
 大阪の状況は、斐勢ひせを通して耳にはしている。
 
  「大丈夫、ワガママゆわへんよ。信じとるさけ。」

 冥旻の言葉に、胸の奥が痛くなる。
 今は氷雨の家にお世話になってる身だ。
 早く自立して、冥旻を迎えにいかなければ。
 気持ちだけが焦る。
 自分の無力さに腹が立つ。
 罪悪感にも苛まれる。

  「おおきに。」

 冥旻を乗せて、もと来た道を戻った。

  「初めまして、飛龍ひりゅう 冥旻ゆいます。」

 氷雨の前で、お辞儀する。
 ポニーテールのカールしている毛先が軽やかに揺れた。

  「あおい 氷雨。こちらこそ、よろしく。」

 玄関先で自己紹介をしていると、

  「早く上がらしてやれば?」

 奥から紊駕。
 長い足を組んで、壁にもたれた。

  「おお、紊駕。そうだよな、ごめんな。汚いところだけど、どーぞ。」

 氷雨の促しに、一瞬の間をおいて、冥旻は、我に返ったように頭を下げた。
 冥旻の瞳には紊駕が映っていた。
 端整な顔立ちに見とれていたのだ。
 そんな、妹の動向をさっしてか、海昊は足早に家へ上がった。

  「冥旻ちゃん、ゆっくりしていっていいから。どっか行きたいところとかあったら遠慮なくいいな。」

 お兄さん口調の氷雨に、従順な笑顔ではい、と答えたが、目線は紊駕だ。
 そんな冥旻に、慣れた様子の氷雨。

  「明日、あさざも誘って五人でどっかいくか。な、紊駕。」

 背中を叩かれて、面倒くさそうな顔をする紊駕に――、

  「み、紊駕さんは、どこか行きたいトコ、あるんです、やろか?」

  「俺の行きたいトコいってどーすんだよ。冥旻が行きたいとこでいいよ。」

 失笑して、相好を崩し、軽く冥旻の頭を撫でた。

  「お、おおきに!うち、原宿に行ってみたいねん。」

 撫でられた頭を自分でも触れる。
 嬉さのあまり、大声になってしまった。
 顔がほころんでいる。

  「OK。決まりだ。あさざ、いるかな。」

 最後の言葉は独り言のように呟いて、あさざに連絡をとった――……。


  「うっわーぎょうさん人いてはるなぁ。」

 原宿、竹下通り。
 夏休みの真っ盛りのここは、若者たちで溢れかえっていた。
 所狭しと並ぶ店。
 細い道をさらに細めている。

  「紊駕さん、紊駕さん、これ見てください。かっわいー!!」

 冥旻ははしゃぎっぱなしで、紊駕のYシャツをつかんで、店という店を回った。

  「相当気に入られたみたいね。」

 パンツルックの長い足を運びながら、あさざは苦笑して腕を組む。
 氷雨がうなづく。

  「アホやの。紊駕が相手なてするわけないやろ。」

 海昊は少し、唇を尖らせて、ジーンズのポケットに両手を突っ込んだ。
 でも、妹のはしゃぐ姿を見るのは嬉しい。
 そんな海昊に、氷雨とあさざは、嫁に行く娘を持つ父のようだ。と、忍び笑いをした。

  「お茶でもしよっか。」

 あさざが口火をきって、近くの喫茶店に入った。
 赤レンガ調の壁にツタが絡まって、古風な店だ。

  「あさざ、決めた?」

 メニューから目を離したあさざに、氷雨が尋ねる。
 長年付き合っていると、意識しなくても相手の行動を察する。

  「紅茶とショートケーキ。」

  「太るゾ。」

  「うるさい。」

 そんなやりとりに、冥旻はうらやましそうに、お似合いやね。と、海昊に囁いた。
 テーブルに頬杖をついて、横目で紊駕を見た。
 紊駕は窓の外を眺め見ている。
 日に透ける髪、覗く蒼く鋭い瞳。
 長い足は組まれている。
 全てが整っていた。
 運ばれてきたモカコーヒーに口をつける。

  「紊駕さん、お砂糖もミルクもいれないんですか?」

 ソーサーの脇に手付かずの砂糖とミルク。
 ブラックなのか、と尋ねた冥旻に、

  「こいつ、ガキのくせに飲み物っていったら、ブラックコーヒーかビールだもんな。」

 氷雨が答えた。
 本人は意に返さない。

  「ガキ?紊駕が?」

 あさざが声高く笑った。
 紊駕がガキのはずがない。

  「……紊駕さんって何歳なんですか?」

  「何歳に見える?」

 軽く笑った。
 口の端が微妙に上がった。
 ヒトをからかうときの表情だ。

  「えっと……。」

 細い人差し指を小さな口元に運ぶ。
 上目遣いで紊駕を見る。
 同じ年には見えない。
 ましては年下のはずがない。
 
  「じゅうろく、十七歳……ですか?」

 首を傾げる。
 ポニーテルの毛先が揺れた。

  「じゃあ氷雨は?」

 反応を楽しむように、ニヒルに笑った。
 足を組みなおす。
 冥旻は今度は氷雨をまじまじと見て――、

  「同じくらい?ですやろか。」

 言い切った声に、軽くこけるリアクションの氷雨。
 あさざと紊駕が失笑した。

  「アホ。紊駕はワイと同じ年や。氷雨さんは、高三。」

 すんまへん、と氷雨に頭を下げる。
 数本垂れている前髪が揺れた。
 若く見られるのは、いいけどね。と笑う氷雨。

  「え。紊駕さん、お兄ちゃんと同じ年なん?」

 その言葉に、俺はどーでもいいワケね。と、氷雨は嫌味なく言った。
 
  「そーよね。中二には見えないわよねー。」

  「どーゆーイミ?」

 上げ調子の語尾が紊駕の左眉を上げた。
 尖った顎も上がる。

  「大人ってイミですやろ。」

 にっこり、満面な笑みの冥旻。
 両腕をテーブルについて頬を支える。
 
  「まあ、ね。」

 あさざは、純真無垢で天然な冥旻に、温かな笑みを送った。
 
 
 それから、五人は再び雑踏の中へ分け入った。
 煌びやかなアクセサリーやバック、装飾品売り場。
 人一人真っ直ぐ通れるか怪しい店内。
 右から左からいろんなものが突き出している。
 商品に見入っていると、確実にぶつかる。

  「カイ、冥旻は?」

 そんな、雑多な店内の外から、紊駕の低い声が響いた。

  「どっか、うろついとんのとちゃうか。」

 店内を見渡そうとするが、人だかりと商品とで全然見えない。
 次の瞬間、紊駕が俊敏に動いた。
 店内に入る。
 海昊も我に返ってその後を追った。
 店は、裏にも出口があった。
 裏の道にも通り抜けができるのだ。

  「如樹 紊駕ってのは、てめぇか。」

  「――そうだ。」

 低く押し込めた声。
 頭に派手なバンダナを巻いた男に鋭い瞳を突きつける。
 男の腕の中には――、

  「冥旻!」

 海昊が叫ぶ。

  「じゃあ、後ろのは飛龍 海昊と滄 氷雨かぁ。」

 にやついた下卑た笑い。

  「何だ、てめぇ。」

 氷雨とあさざも後を追ってきて、男を睨みつける。

  「渋谷のチーム、CrazyKidsだ。」

 顎を跳ね上げた。
 勝ち誇った顔に、紊駕は赤い前髪をかきあげて――、

  「イヤな予感はしてたよ。原宿っていたら渋谷と目と鼻の先だもんなぁ。」

 あくまでもポーカーフェイス。
 原宿はJR山手線に属し、隣駅は渋谷だ。

  「その余裕がいつまでつづくかなぁ。」

 語尾はゆっくりと伸ばしたが、その動向は早かった。
 男は右手で小型ナイフを取り出して、冥旻の細い首元に突きつけた。
 冥旻の瞳が見開いて、海昊の顔が怒りに歪んだ。
 
  「大人しくついてくりゃ、何もしねぇよ。……お、後ろのオンナ、マブいじゃねーか。」

 舌なめずりをして、あさざを頭からつま先まで眺め見る。
 
  「Crazy Kidsが俺たちに何のようだ。」

 氷雨が、さりげなくあさざを後ろにかくす。
 男は黙って顎をしゃくった。

 ――ついて来い。

 原宿駅から五分とかからなかった。
 代々木公園。
 戦後のワシントンハイツが、東京オリンピック選手村となり、そして公園として整備された。
 都内ではめずらしい、広々とした公園だ。
 
  「久しぶりだな、紊駕。」

 公園中央の広場。
 噴水を背に、ベンチに腰を下ろしている男。

  「闥士。」

 タバコを黒の革靴で、ゆっくりもみ消して、立ち上がった。
 野性的な豹の瞳が、紊駕を捉えた。
 嘲笑。

  「約束どおり、連れてきたぜ。」

 バンダナの男が、闥士を見た。
 油断したその隙をついて――、

  「冥旻!」

 男の右手が蹴り上げられ、コンクリートに金属音が響いた。
 冥旻の体が引っ張られ、チェック柄のフレアスカートがふわりと舞う。
 温かく、引き締まった筋肉の質感が冥旻の体を包んだ。

  「……紊駕さん。」

 冥旻の胸の鼓動には答えず、

  「何が望みだ。」

 闥士に蒼く鋭い瞳を突きつけた。
 闥士はあっさり、冥旻を手放したバンダナ男を侮蔑して――、

  「ムカつくな。その瞳がよ。」

 唾を吐く。
 そして闥士が片手を上げたのを合図に、どこからか大勢の男たちが周りを囲んだ。
 真昼間の、公園。
 一般の人もいる中の、異様な光景。

  「園内のパンピー追い出して、入り口固めろ。」

 ――逃がさねーぞ。

 闥士の口元が冷たい笑みを浮かべた。
 数分で準備が完了した。
 
  「バトルロイヤル。」

 Crazy Kidsの何十もの瞳が、紊駕たちを見た。
 顔色ひとつ変えない紊駕に、

  「ムカつくってゆってんだよ、その瞳が。」

 おもむろに、右手から掲げたモノ。

  「何っ?チャカだってぇ?」

 Crazy Kidsの誰かが叫んだ。
 動揺するのも当然だ。
 本物の拳銃を見ることなんて、普通ない。
 本物の拳銃。
 浅我グループの後ろ盾をもつ、闥士が偽るハズがない。
 重々承知だった。

  「あさざさん。来いよ。」

 右手に拳銃。
 左手を手招いた。
 氷雨があさざを自分の後ろに引く。

  「氷雨よぅ。お前らまだ続いてたんだな。あんとき、俺があさざさんヤろうとしたとき。助けに来たのは紊駕だったぜ?てっきり、紊駕の女だと思ったよ。」

 嫌味な笑い。
 あさざが氷雨につかまれた腕を優しく払った。
 大丈夫、と小さく呟いて、歩みを進める。
 この状況で逆らえるワケがない。

  「いい子だ。」

 あさざを自分の腕の中に迎えて、Crazy kidsに合図をした。
 その合図に、代々木公園が戦場と化するのに、時間はかからなかった。
 どす黒い花弁。
 肉と肉がぶつかり合う音。
 緑と水が共存する、このオアシスのようなここには似合わない。

  「きたないわ。」

 闥士は、津蓋にあさざを捕まえさせた状態で、この戦場を嬉しそうに眺めていた。
 高みの見物。

  「終わったらあんたをかわいがってやるから、待ってなよ。」

 あさざの尖った顎に触れた。
 あさざは、その一瞬の間隙を狙った。

  「てめっ!」

 あさざの長い足は闥士の胸座に炸裂し、津蓋の声虚しく、鉛の塊が宙を舞った。
 
  「なめんじゃないわよ!」

 二人から逃れた。
 だてにBADの頭の女をやっていたわけでは、ない。
 氷雨が男たちの腕を払いのけながら、あさざに近づく。

 そこへ、突然の閃光。
 
  「動くな!てめらやめろ!!」

 全員の動きが止まった。
 バンダナ男が銃を握って仁王立ちしている。
 さすがの闥士も、微動だにできなかった。
 勝算がありありと男の顔に表れた。
   
  「俺はよぉー、如樹 紊駕なんて、どーでもいんだよ。俺がりたいのは、」

 ――てめぇだ。

 にやけた誇らしげな笑みが、闥士を捉えた。
 バンダナ男のオンステージ。

  「てめ、んなことしたら、てめーらの頭がどーなっかわかっ……」

 最後まで言い終える前に、銃口に睨まれた。

  「頭なんて、どーだっていい。俺が頭だ。」

 闥士が薄い唇を噛んだ。
 裏切られた。

  「ハナから、てめーなんて信じてねんだよ。墓穴掘りやがって。」

 ばかが。
 嘲笑。
 体制が一気に逆転した。
 Crazy Kidsは紊駕たちに向けていた、眼光を闥士に向けだした。
 一瞬の間があって、一斉に闥士に襲い掛かる。
 不意をつかれた闥士に、一手が向かったとき――、

  「……紊駕。」

 その蒼の瞳が、Crazy Kidsに突き刺さった。
 闥士に殴りかけられた腕をつかみ、振り下ろす。

  「てめぇみてーな奴が一番ムカつく。」

 先ほどまで、冥旻を守りながら自分よりも数十倍の男たちを相手していたとは、思えないほどの俊敏な動き。
 闥士の前に立ちはだかり、バンダナ男を強かに睨んだ。

  「な……。じゃ、ジャマすんな!!殺すぞ。」

 冷たい銃口が向いた。

  「……殺してみろ。」

 紊駕は全く物怖じしていない。
 その精悍で鋭いまなざしが、バンダナ男を動揺させた。

  「ま、本気マジだぞ。」

 冷や汗が氷雨たちを襲うが、バンダナ男の額には脂汗が浮いた。
 紊駕はポーカーフェイス。

  「うてよ。ほら、うってみろ!!」

 冷静で低く地を這う声。
 真っ向から向かって――、

  「!!」

 銃口に左手を掛けた。
 間髪いれずに男の腹にケリを一発。

  「ハッタリかましてんじゃねぇぞ!」

  「て、てめぇ……。」

 バンダナ男は地面にはいつくばった状態で、指図した。

 ――れ。

 再び、闥士に数十の男が襲い掛かった。

  「ワレ、汚い手ぇ使いおって。それでも男かぁ!!」

 海昊も奮起した。
 そして、氷雨も。
 その光景は何だか妙なものだった。
 紊駕をはじめ、海昊と氷雨が、闥士を守っている。

 やがて、甲高いサイレンが公園に近づいてきた。
 この異様な事態に、誰かが警察を呼んだらしい。
 すぐそこまで来ている。
 蛍光の赤色が見え始めた。

  「紊駕、海昊。ケーサツはコトだ。逃げるぞ。」

 氷雨は、ほとんどのCrazy Kidsが横たわる地面を見回す。
 あさざは冥旻を守るようにして、避難していた体を公園の出口へ動かした。
 紊駕と海昊も倣う。

  「――紊駕。」

 闥士の声に、振り返る。
 薄い唇を強かにかみ締める。
 視線を下に移し、そして上目遣いで紊駕を見た。

 ――てめの顔なんか。二度と見たくねぇ。

 紊駕は一笑に付して、闥士に銃を滑らせた――……。


  「悪かったな、冥旻。」

 紊駕の大きな手のひらが、冥旻の頭に触れた。
 大阪に帰ることにした。
 別れの時、家の前で五人。

  「本当、ごめんな。巻き添えくわしちまって。」

 紊駕と氷雨の言葉に、冥旻は首を横に振った。
 そして、笑顔。
 芯の強い人ができる笑顔。
 海昊はROADSTARに息を吹き込んだ。
 二気筒特有の、低音のビートを刻む。
 冥旻は紊駕を見た。

  「紊駕さん。」

 うつむいた。
 色白の頬が桜色に染まる。

  「……あの、何かください。」

 顔を上げた。

  「何でもええです。紊駕さんの何か、くれまへんか。」

 紊駕が冥旻を見る。
 優しく微笑。

  「……ねぇよ。何も持ってない。……またな、冥旻。」

 後ろ手を振って、家の中へ消えた。
 氷雨を始め、あさざも海昊もその振る舞いのイミを無言で理解した。
 何か。
 冥旻に自分を思い出させる何かをあげていたら、一生忘れられなくなる。
 そんな無責任なことはできない。

  「あいつなりの優しい言葉なの。わかってあげてね。」

 あさざは妹を労わるように抱擁して、また遊びにおいで。と、優しく言った。
 背の低い冥旻の額は、あさざの肩にぶつかった。

  「はい。」

 海昊に手渡されたヘルメットを受け取る。
 家の中に消えた紊駕の姿を見るように、顔を上げて、そして、ROAD STARの後ろに乗った。
 海昊も紊駕を想って、そして氷雨たちに頭を下げると、クラッチを握った。

 そんな紊駕の行いがまた、皆の心から如樹 紊駕という人物を忘れさせてはくれない。
 美しく輝く月。
 時折雲にさえぎられながら、優しい顔を覗かせた――……。


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