湘南ラプソディー

                            Y


 あれから。
 闥士たつしBLUESブルースを辞め、Crazy Kidsクレイジーキッズの頭になったと、風のたよりで聞いた。
 それを良いことに、BLUESの虞刺ぐし遍詈へんりが、何やら暗い動きをしていた。
 争いのネタはつきない。
 前途多難。

 今年もあと一ヶ月とせまってきて、いよいよ冬本番を迎えようとしていた頃。

  「たきぎ。」

 あどけなさをのこした幼顔の青紫せいむは、金色に脱色された髪の薪の前に腰掛けた。
 湘南海岸に程近い、茅ヶ崎市立D中学校。
 昼休み。

  「きいてきいて。この間、紊駕みたかさんの噂。きいちゃったよ。」

 すこし大きめの口をUの字にする。
 愛嬌のあるかわいい顔だ。

  「またその話かよ。」

 鋭く切れ長の瞳をらに細めて薪はあからさまに不機嫌な顔をした。

  「だってさぁ。すごいよね。今年の夏なんかさ。Crazy Kidsと殺りあったんだってよ。」

  「あ、そ。負けたんじゃねーの。」

 鼻を鳴らした。
 
  「まさか。勝ったに決まってんじゃん。チーム相手にさ、滄 氷雨あおい ひさめさんと飛龍 海昊ひりゅう かいうさん、三人だぜ、三人。ほんと、すごいよ。」

 寒さも手伝って頬を紅潮させた。
 この辺りでは、BADバッドはもちろんのこと、紊駕たちは有名人と化していた。
 顔など見たことも無い者も。
 特に男たちは、こぞって紊駕たちの情報を知りたがり、うわさした。
 
 ――かっこいいよなぁ。

 一度でいいから会ってみたい。
 まるで、芸能人か何かのように、憧れの的だった。
 薪にしても、言葉ではあからさまに否定しているが、青紫があまりにも紊駕たちに夢中なので、悔しいだけなのだ。

  「おい、不良。」

 二人の前に少女が現れた。
 ショートカットの、栗色がかった髪。

  「何だよ、時雨しぐれかよ。」

 制服からでた手足は棒のように細い。
 少年のような瞳で、薪を見た。

  「不良、不良ってなぁ。お前のほーが不良だろ。」

 薪が手を伸ばして、時雨の栗色の髪をつかもうとした。
 さらりとして掴みにくい。

  「いてぇな!何すんだよ!」

 時雨が薪の手を払う。
 乾いた音がした。

  「いってぇ。手が折れたらどーすんだよ。これだから男女はぁ。」

 大げさに右手を労わった薪に時雨の眉が上がった。
 オトコオンナ。
 
  「何だと!」

 時雨の腕が振るわれるのを、薪は机の上に飛び乗って阻止した。
 得意げに舌を出して見せたが、時雨のほうが上手だった。
 ブレザーの下に着込んでいた、薪のパーカーのフードを掴んでいたのだ。

  「げっ。」

  「え。ちょっ、薪。」

 後ろに引っ張られて、瞬時に青紫につかまった。
 しかし、青紫もバランスを崩して、二人もろとも床に倒れこんだ。
 大きな物音。
 教室中が注目した。

  「痛ってー!!」

  「ご、ごめん。薪。」

 結果的に、薪が机から落っこちて、床に仰向け状態で頭を打った。
 その上に、バランスをくずした青紫の細い体が振ってきたのだ。

  「何で青紫、イスから落ちんだよ、イスから!」

  「だって、薪が思いっきり引っ張るから。ご、ごめんてば。」

 青紫は薪を引き起こす。
 そんな光景を時雨は、あっかんべー。と、舌をだして薪を見返した。

  「大丈夫?流蓍なしきくん。」

 いつのまにか、もう一人少女が近くにいて、薪を心配そうに覗き込んでいる。
 おさげの三つ網を肩まで伸ばした、マジメな面持ち。

  「時雨、てめー。」

 そんな自分を憂うめみには目もくれず、時雨に睨みを利かせて、自分の頭をさする。
 幸い大事には至ってないらしい。
 時雨は勝ち誇ったように笑うと、ピースを形つくって教室から出て行った。
 萌も後ろ髪ひかれる様子でその後を追う。

  「けっ。」

 立て膝をついて、イスに腰掛け、時雨が帰るのを見定めて――、

  「如樹きさらぎ 紊駕なんて。」

 ――俺が倒す。

 鼻の下をこすってみせた。
 尖った顎を突き出す。

  「マジでいってんの、薪。」

 青紫の大き目の瞳が、薪を見やった。
 眉間に皺がよる。

  「何だよ。どーゆーイミだよ。」

  「だって、紊駕さんだよ?きさらぎ みたか・・・・・・・さん。」

 名前にアクセントをつけてゆっくり言う。
 薪の右眉が上がった。
 机に手の平を叩きつけて――、

  「だから何だよ!俺が負けるとでも思ってんのかよ!!」

 反論を許さない表情。
 それに加えて自信も漲っている。

  「いや……そうじゃなくて。」

 青紫は、あまりにも紊駕を褒めたことに後悔した。
 薪の性格は百も承知だったから。

  「紊駕さんって、いい人なんだよ。姉貴が言ってた。」

 青紫は何とか薪を宥めようと、やんわり口にする。

  「ほら、薪のお姉さん、あさざさんだって、会ったことあるんだよ。」

 ふーん、と納得のいかない顔をして唇を尖らす。
 そんな薪に、青紫は困ったな。という表情を隠せずに、話題を変えた。

  「薪のお姉さんって、滄さんの彼女なんでしょ?すごいよね。BADバッドの頭の彼女なんて。」

 かっこいい。
 青紫の頭にあさざと想像の氷雨とのツーショットが描かれた。

  「あー、あのオトコか。」

 薪の頭には、あさざと、

 ――お姉さんの男。

 闥士のツーショットが描かれていた。
 長髪のハードアメカジの風体。
 薪から見れば、趣味が悪い。

  「え?会ったことあんの。いーな。」

  「けっ。青紫。もし、俺が如樹 紊駕倒したら、俺のコト認めてくれるか?」

  「……なんだよ、それ。」

 青紫は、訝し気な表情をする。

 ――認めてくれるか。

 薪の両親は、薪が生まれてまもなく他界した。
 かけおちの末の自殺だと聞かされていた。
 人間不信。
 薪の性格はそんな嫌いがある。
 そんな中でも、薪にとって青紫は特別な存在だった。

  「認めるって……俺は薪のことを信頼してるし、認めてるよ。」

 ゆるぎない満面の笑み。
 薪は心の中で、パーカーの胸を撫で下ろし、

  「うそつけっ。」

 いじけた風に甘えて見せた。
 青紫は、本当だよ。と付け加える。
 偽りのない笑顔。
 そんな笑顔に薪の心はいつも癒されていた。

  「流蓍なしき流蓍 薪ってのはいるか?」

 教室の窓側にいた薪が廊下に目やる。
 強持て風の二人組。

  「た、薪。」

 ゆっくり立ち上がって、廊下に向かう薪を青紫は追った。
 二人の目の前まで行って、下から見上げた。
 鋭い瞳。

  「てめぇ。ヒトの名前呼び捨てにしてんじゃねーぞ。」

 青紫がはらはらした表情を見せる。
 二人の男は、見下ろして――、

  「お前が流蓍か。」

  「何だよ、チビじゃねーか。」

 二人がほぼ同時に口にして、右側の黒髪をハードに上に立てた男の胸座がつかまれた。

  「んだと!!」

 教室がざわめいた。
 一瞬即発。

  「史利ふひと、やめろ。」

 長く、脱色された前髪をおでこの真ん中でわけた男が、冷静に止める。
 薪も腕をおろした。
 ゆっくり前髪をかきあげて、

  「手は早そうだな。俺は、あやぶ。で、こいつは史利。お前に話しがあってきた。」

 自己紹介をした。
 いかもにも不良の出で立ちの二人。
 青紫は心の中で、二人の名前を反芻した。
 殆、史利。
 ここ、D中の三年。
 そして、BLUESブルースの一員だ。
 学校でも有名だった。
 その二人が、わざわざ薪を名指ししてきた。

  「こっちのはどーするよ、殆。」

 史利は薪につかまれた胸元を正して、青紫をみた。
 背は高いが、細いな。と。

  「弱そーだ……」

 史利が言い終える前に、言葉を断たれた。
 ただ、今度は体が後ろに飛ばされた。

  「青紫を侮辱したら俺が許さねーからな!」

 一瞬、本人も何が起きたのか解らず、尻もちをついた状態で上を見上げた。
 薪が仁王立ちしている。
 右手の拳は握られていた。

  「薪……。」

 そんな様子を見て、殆は鼻をならした。

 ――気に入った。BLUESに入らねーか。

 薪は鋭い横目で殆を睨み、青紫は大きな瞳をさらに大きくした。
 数秒の間があって薪は腕を組んで、背を反らして、

  「如樹 紊駕に会えるか?」

 口を開いた。
 青紫が薪を見る。

  「……会ってどーすんだ?」

  「る!」

 青紫の瞳が、これ以上かというくらいに大きくなる。
 殆と史利は、一瞬黙って、そして、

  「こいつぁいいや。」

  「お前とわ気が合いそうだなぁ。」

 声高々に笑って見せた。
 腹を抱える。

  「会えんのか、会えねーのか、はっきりしろ!」

 笑われたのがシャクに障ったと言わんばかりに顎を上げた。
 瞳は鋭く二人を睨んだままだ。
 腕も組まれたまま。

  「会えるだろうよ。毎日でもな。」

 ――今夜、夜の十時に湘南海岸公園へ来い。

 殆と史利はそういい残して教室を後にした。
 薪は無言で翻し、青紫は困惑した様子で、薪を必死に止めた。

  「やめようよ。BLUESってゆったら、相当ヤバい族だよ。カツアゲとかケンカとか……」

  「うるせーな。俺一人で行くからついてくんなよ。」

  「薪!」

  「うるせー!」

 薪は無造作に腰を下ろした。
 青紫は仕方なく自分の席に着く。

  「なーんか、ヤバそーな話してんじゃん。」

 見上げる。
 時雨が教室に戻ってきた。

  「……お前、如樹 紊駕知ってっか?」

 時雨は首を横に振る。
 話しにならねー。と、悪態づいた。

  「族のさ、特攻のヒトなんだ。」

 青紫が浮かない顔をする。
 時雨は興味なさそうに、ふーん、と呟いたが、薪を見て心配そうな顔を垣間見せた。
 薪はまだ知らない。
    黒い大きな影が確実に近づいてきていた。
 二人は、もう逃げられないところに足を踏み入れてしまった――……。


               * * * * * * * * * *  

  「流蓍 薪?」

 湘南海岸公園。
 日は既に落ちて薄暗い。
 虞刺は低く呟いた。

  「はい。パンチは相当なもんですよ。」

  「ええ。なにしろ如樹を嫌ってる。」

 殆と史利の言葉に、にやりと笑うが、古びたオレンジ色の電灯越しでしか見えない。
 
  「もう一人は?」

  「青紫ってんですけどね。ちょとひ弱そうなんス。」
 
 その言葉にもう一度笑う。
 五センチ四方の透明なビニル袋を、太い指でもてあそんだ。
 中には小さなカプセル。
 覚醒剤ドラッグ

 ――こいつのカモにすっか。

 虞刺の眼が光ったように見え、それは殆たちを驚愕させた。
 遍詈は虞刺と目をあわせ、笑った。
 闥士がBLUESを辞めてから、虞刺と遍詈は悪どい考えを練っていた。
 ある筋から手に入れた覚醒剤。
 これを売りさばいて金を手に入れようとしているのだ。
 依存性をもつ覚醒剤。
 一度はまったら、そう簡単には止められない。

  「今日、ここへ来るように言いました。」

 殆の言葉に満足そうに頷いた。

 やがて、夜が更けた。
 十時。
 松林の奥から砂を蹴る音。

  「来たか。」

  「誰だてめー。」

 虞刺が呟いて、薪の前までゆっくりと足を運んだ。
 薪の頭は、虞刺のおなかあたりまでしかない。
 隣にいる遍詈に至っては、薪が横にもう一人必要だった。
 それでも薪は怯んだ様子も見せずに凄む。

  「えれぇ態度だなぁ。」

  「D中で有名らしいな。」

 虞刺の言葉に、悪い気はしなかった薪が鼻を鳴らして、背を反らした。
 隣の青紫は、毅然な顔を頑張って保とうと努力している。
 
  「俺たちの仲間になんねーか。」

 青紫が薪のトレーナーのすそを引っ張った。
 垂れ気味の、大きな優しい瞳が強張っている。
 薪はそんな青紫を見て――、

  「俺の下僕になるなら考えてやってもいいぜ。」

 尖った顎を跳ね上げた。

  「んだとコラ!下手にでりゃいい気になりやがって、ナメてんじゃねーぞ!!」

 殆が烈火のごとく、薪の胸座をつかみにかかり、一瞬で薪の体は宙に浮いた。
 薪を助けようとした青紫に、史利が殴りかかる。
 薪は足が浮いた状態から殆に蹴りを食らわせ、着地。史利から青紫を守った。

  「ざけんじゃねーぞ!!」

 疾走。
 その小さな体からは想像もできない力。
 スピードも何もかも。
 殆と史利が地面を舐めるのに、数分とかからなかった。

  「薪、もういいよ、やめろよ。薪!」

 薪は手を止める。
 肩で息をしている。
 そんな光景に虞刺と遍詈は呆気にとられ、我に返った。

  「なめんな、コラ!!」

 薪たちめがけて巨体が襲ってきた。
 青紫は薪のトレーナーをひっぱる。

  「逃げよ。薪。逃げるんだよ!!」

 無我夢中で走る。
    二人、国道134号線にでた。

  「うわっ!」

 後ろを気にしていたら、何かに体当たりした。
 見上げる。

  「どうもないか。」

 関西弁。
 青紫も視線を同じくする。

  「てめぇら、こらぁ!!」

  「ヤバっ。薪。逃げよ!!」

 後ろからの罵倒に我に返って、逃げようと薪をつかんだ。
 虞刺たちは、134号線にでて、そして――、
   
  「きっ、如樹 紊駕ぁ!!!」

 歩みを止めた巨体たち。
 目が見開いていた。
 目の前には、ポーカーフェイスの紊駕。
 長い前髪をかきあげた。

  「BLUESの虞刺に遍詈やないの。」

 落ち着いた関西弁が貫禄を表し、それは、虞刺たちをさらに動揺させた。

  「ひ、飛龍 海昊!!!」

 薪と青紫は、顔をつき合わせている四人を見回した。

  「……ちょ、ちょっとよう。俺ら、その二人に用があんだわ。」

  「何ビビってんの。」

 鼻で笑う紊駕に、そんなわけねーだろ。と、強気に言ってみせるが、額には脂汗。
 海昊は、薪と青紫を一瞥して――、

  「悪いのう、ワイらも用があんのや。ほな、いこか。」

 青紫の肩を叩いた。
 虞刺たちは、ひとまず、四人を見送って陰で舌打ちをした。
 しばらく歩いて――、

  「あ、ありがとうございました。」

 青紫は深々と頭を下げた。
 薪が青紫の袖を引っ張る。

  「あんなやつら、俺一人で殺れたんだよ。ジャマしやがって。」

  「薪、ちゃんとお礼いいなよ。」

 薪はあからさまに不機嫌な顔をして、背を向けて、浜辺に飛び降りた。

  「すみません。あいつ、ちょっと素直じゃないっていうか。」

 代わりに謝った青紫の頭を優しく叩いて、紊駕は微笑した。
 わかってる。と、意思表示。

  「あの。みっ紊駕さんですよね。BADの特隊の如樹 紊駕さん。俺、ずっと憧れてたんです!ずっとあいたくて……。」

 白い頬を紅潮させる青紫に、

  「有名人やないの。」

 海昊は紊駕を肘でつつく。
 紊駕は一笑に付した。

  「もちろん。飛龍さんも有名です!」

 続けていった言葉に海昊は照れ笑い。
 しかし、紊駕は真剣なまなざしで――、

  「何で虞刺たちに、マトにされてんだ。」

 青紫も声質を変えて、浜辺の薪を見つめ、今までの経緯を説明した。
 紊駕は無言で、星空を仰いだ――……。


  「け。如樹 紊駕なんて目じゃねーな。」

 薪と青紫は、紊駕たちと別れ、国道134号線沿いを歩き、家に向かった。
 ハーフコートのポケットに両手を突っ込んで、背をそらす。
 薪の言葉に何もいわず、青紫はただ、微笑した。

  「そだ、今日泊まってくんだろ。あさざさんも来るっていってたし。」
                                      
 薪とあさざは、しばしばあさざの友人でもある、青紫の姉、白紫しさきの家に泊まりに行く。

  「11時半か。コンビニいくってでてきたけど、大丈夫かな。」

 時計を見て、眉をひそめる。
 二人はコンビニに立ち寄ってから、青紫の家へ向かった。

  「どこのコンビニまでいってきの?え?」

 案の定、あさざと白紫からの拳骨が二人に振ってきた。

  「いてえな!」

 薪は、あさざの手を払いのけて、青紫とともに子供部屋に逃げ込んだ。
 四畳の子供部屋では、青紫の弟の黒紫くろむが眠たい目をこすりながらも二人を迎えた。

  「まだ、起きてたのかよ。」

  「うん。明日日曜日だしね。」

 青紫と良く似た目元に、皺を寄せて目を細める。
 青紫はそんな弟の耳元で、今日紊駕と海昊に会ったことを口にした。
 リビングにいる姉たちに聞こえないような小さな声で。

  「うっそー!いーな。」

  「たいしたことねーよ。俺のほうが強ぇ。」

 相変わらず意地っ張りな薪に苦笑。

  「すごく、いい人たちだったよ。」

 黒紫は終始うらやましがって、一緒に行くと言い出した。
 青紫は絶対に白紫に内緒だからな。と、釘をさす。
 あさざと白紫からは絶対に族には関わるな、ときつく言われていた。

 そして、次の日曜日、黒紫の友人の篠吾ささあも連れて、四人は江ノ島へ向かった。

  「本当に紊駕さんに会えるの?」

 広めのおでこで二つわけした長い前髪を揺らして、大きな目を輝かせる、篠吾。
 やはり、紊駕たちに憧れている一人だった。
 江ノ島東海岸。
 もちろん、待ち合わせはしていないが、四人はうろつきながら探した。
 そして――、

  「ん?ワレ、昨日の青紫ちゃう?」

 後ろからの関西弁に向き直る。

  「あ、海昊さん!」

 紊駕の姿もある。
 待ち人来たり。
 四人、いや、三人の目が輝いた。
 薪はひとり、唇を尖らしていた。
 青紫は篠吾を紹介して、自分が白紫の、薪があさざの弟だということを説明した。

  「そーだったん。」

  「じゃ、近づくなっていわれんだろ。」

 紊駕の的を得た言葉に、青紫は言葉をつぐんで、でも、僕は。と言いかける。
 そんな青紫に苦笑する。
 それから、色々な世間話、雑多な話をして、すっかり日が沈んでしまった。

  「また、来てもいいですか?」

  「ええよ。大概ここにおるさけ。」

 青紫の言葉に海昊が答え、紊駕が頷いた。
 四人はもと来た道をもどった――……。


 そんな四人の前に、突然数人の男たちがいく手を阻む。

  「な、なんだよ、てめーら!」

 周りを囲まれ、後ろ手を押さえられた。

  「てめ、やめろ!」

 皆、もがいて逃れようとするが、自分の倍以上もある男に捕まえられているので、逃れられない。
 青紫も黒紫も、篠吾も。
 薄暗い駐車場。

  「よう、また会ったな。」

 待ち受けていたのは、虞刺をはじめ、BLUESの奴ら。
 黒紫と篠吾は恐がって震えている。

  「何の用だよ。」

 四人を囲むように大勢のBAD BOYsが集まった。
 間もなく、足元さえ見えなくなる時刻。
 
  「この間はえらく世話になったなぁ。」

 地を這うような虞刺の低い声。
 
  「てめぇらを世話した覚えはねーな。」

 気の強い薪は負けずに声を張った。

  「なんだと、こらぁ!」

 振りかぶった男を虞刺は制して――、

  「今日は和解をしにきたんだよ。」

 間延びした口調がなんだか裏を感じさせる。
 薪が目を見張った。
 黙っている四人に、さらに虞刺は続ける。

  「よう、殆、史利。温かい飲み物でも買ってきてやれや。」

 あごで合図。
 間もなくして、殆たちが缶コーヒーを薪たちに手渡した。
 何故か、それほど温かくはなく、薪たちにわずかなぬくもりを与えただけだった。

  「飲めよ。おごりだぜ。」

 ゆっくり話しはしようぜ。と、にやついた笑みを絶やさない虞刺。
 四人は訝し気ながらも、缶であることに安心し、プルトップを抜いた。
 しばらくたって、最初の異変を感じたのは、黒紫だった。

  「う……に、兄ちゃん。体が……」

 隣で、弟の異変を感じて、すぐに自分も体の自由がきかなくなっていくことを体感する青紫。
 体が痺れる。
 全身が麻痺を起こしていくような感覚。

  「くっそ、てめこん中に何か……」

 薪が缶コーヒーを虞刺に力なく投げ捨てた。
 虞刺のいるところまでは到底届かない。

  「おいおい、どーやって缶コーヒーの中に何か仕込めるってんだよ。」

 確かに、四人は、自らプルトップを抜いたはず。
 でも、事実四人の体は、もはや自由が利かない。

  「てめーら、おさえてろ!」

 虞刺の合図に周りの男たちが薪たちを押さえ込んだ。
 間髪入れずに、薪の腹にパンチが一発。

  「ぐっ。」

 声にならない声を上げる。

  「俺にもやらしてくださいよ。」

 殆、史利も次々と薪に暴力を振るった。
 そして、他の男たちも皆、四人をサンドバックのように、殴る蹴るの暴行を加える。
 四人は体の麻痺と暴力に耐えるしかなかった。

  「その辺にしろや。」

 虞刺の言葉で、皆が手を止めた。

  「おい、くそ坊主。」

 薪の頬を数発叩く。
 薪は晴れ上がった顔で、にらみを利かせた。

  「そんなこえー顔すんな。ちょっとこい。」

 青紫から離れたところに薪をつれだして――、

  「お前の強さ、認めてねーわけじゃねんだぞ。お前は、強い。なあ、俺らと組んでBLUESをもっと強くしようぜ。」

 薪は鋭い目を突きつける。

  「じょーだんじゃねぇ。ゆっただろ。俺の下僕になるならってよ。」

 唾を吹きかけた。
 その唾を虞刺はぬぐって、眉間に皺を寄せる。

  「べら達者だなあ。あんま、ナメた口きいてんなよ。」

 トーンがさらに下がった。
 あの、三人がどうなってもいいのかよ。と顎で青紫を指し示す。

  「きたねーぞ。」

  「何とでも言え。どーなんだ、入るのか、入んねーのか。」

 薪は唇をかみ締めた。
 目を瞑って、小さく頷いた。

  「よーし。頭は悪かねーみたいだな。」

  「約束しろ。」

 青紫たちには、一切手をださないと。約束をしろ。と虞刺を下から見上げた。
 覚悟の瞳。
 自分の身の危険はいい。
 でも、青紫たちだけは。
 そんな薪に、虞刺はあっさりと頷いた。

  「あいつらと今後一切話すのも会うのもやめろ。連絡をとるな。それが条件だ。」

 もし破ったら。と語尾を伸ばして、自分の首を切るマネをした。
 承諾するしかない。
 虞刺は満足そうに笑った。


 一方、青紫は――、

  「薪に手だすなよ!」

  「あっちのほうは、わかんねーよ。」

 史利が力なく振り上げられた青紫の腕を取る。

  「なあ、話しがあんだよ。」

 殆がしゃがんで青紫と視線を同じくした。
 小声で話す。

  「俺たち、虞刺さんについて気しなくなっちまってよ。」

 しおらしくうなだれる、殆。
 青紫は目を丸くした。

  「わかるだろ。もうヤなわけよ。」

 史利が虞刺の方に顎を向けて、ささやく。
 麟杞までもが――、

  「だから、俺たち、如樹さんにつこうかな、って。」

 内緒だぞ。
 青紫はうなづいた。
 そして、見かねたように――、

  「かっこいいよな、如樹さん。強くなりてーと思わね?」

  「そしたら、虞刺なんかやっつけて自由になれんのに。」

  「な、これ見ろよ。」

 五センチ四方の半透明の薬袋のようなものをちらつかせた。
 中には小さなカプセル。
 青紫たちは初めて見るものだった。

 そう、覚醒剤。

  「何ですか?」

 先ほどの三人の態度に青紫は、少し心を許していた。
 その問いに、強くなる薬だ。と、殆が説明。
 強くなる。
 というより、痛みすら感じなくなる。
 史利は一粒取り出して、手渡す。

  「強くなりたいだろ。」

  「……。」

 黒紫と篠吾にも配った。
 躊躇している三人に極めつけの言葉。

  「如樹さんからもらったんだ。」

 その真っ赤な嘘に三人は迷わず、それを飲み込んだ。
 無臭だが、少し苦かった。
 こうして、四人は出口のない迷路に迷い込んだ。
 真っ暗な迷路――……。


               * * * * * * * * * *  


  「待て!!」

 ものすごい大声とその足音に、紊駕と海昊は振り向いた。
 国道134号線。
 海岸沿いを鎌倉方面に歩いていた二人。

  「どけこらぁ!」

 警官に追われるひとりの男が、こっちに向かってきた。

  「うげっ!」

 前を通り過ぎる瞬間、

  「悪い。足長くてよ。」

 紊駕が足を引っ掛けて、男を転ばせた。
 腹ばいになった男は、尋常ではない目つきで紊駕をにらんだ。

  「じゃま……すんなよぅ。……刺すぞ、てめぇ……。」

 小型ナイフをむける。
 赤く、血走った目。
 口からは白い液体が出ている。

  「すまんね、君たち。」

 追ってきた警官は男を使えると、紊駕たちに礼をした。

  「何事なん?」

  「コンビニのレジから現金を奪ったんだ。まったく、昼間から。」

 紊駕が男の腕からナイフを蹴り落として――、

  「……クスリですか。」

 ナイフを拾い、警官に渡した。
 警官はもう一度、礼を言って、おそらく。と頷いた。
 最近このあたりでの犯罪が多いことを告げ、一枚のビラを手渡した。
 ドラッグの形の写真や説明、危険を知らせる内容。
 この辺りでは、カプセル型や、缶コーヒーに注入されているものなど、従来の白い粉ではないものもあるということを警告していた。

  「ドラッグやて?なんでそないおそろしいもんが……。」

 無言の紊駕に、今度の集会で聞いてみたほうがいいな。と言葉を続ける。

  「みやつさん、引っ越すんだってな。」

  「え?ああ。何や北海道ゆうてたな。大学受けるさかい今のうちに準備するゆうてた。」

 突然の会話に、少し面食らって、そう答える。
 次の瞬間、紊駕は足早に踵を返した。

  「紊駕?」

 あわてて海昊も後を追う。
 茅ヶ崎方面にもどって――、

  「いくらさばけた?」

  「五、六万。一袋三万だって金渡すんだぜ。」

 江ノ島西海岸の入り口。
 小さな公園のベンチに腰下ろした二人。
 BLUESの殆と史利。
 紊駕と海昊は静かに身を潜めた。

  「でも、こんなのどっから手にいれたんだろうな。」

  「虞刺さんたち、尋常じゃねーよ。」

 紊駕たちに聞かれているともつゆしらず、話しを進めた。

  「そーいや、あのガキどもどうした?」

  「ああ、青紫とかゆうやつら?」

 海昊の顔色が変わる。
 思わず、紊駕を見た。
 
  「今日、あそこに来るようにゆってあるよ。もうすぐ切れるだろうしな。」

  「じゃ、三丁できあがりってわけか。」

 紊駕が立ち上がった。

  「何だてめ……!きっ如樹 紊駕ぁ――!!」

 一瞬にして二人の顔が蒼白。
 くわえていたタバコが落ちる。

  「あそこってどこだ。」

  「……な、なんのことだよ。知らねーな。な、史利。」

  「ああ、さっぱり。」

 無造作に胸座をつかんだ。

  「教えてもらおうやないけ。」

 海昊もそれに倣う。

  「ひっ、飛龍 海昊――!!」

 二人、唾を飲み込む。
 観念して吐いた。
 湘南海岸公園。

  「ホンマかいな。青紫たちがドラッグのカモに?」

 足早に向かう。

  「三丁ゆうとったやろ。あの四人のうち、三人。何で、一人は……。」

 紊駕は無言で真っ直ぐ前を見つめていた。
 厳しく、鋭い目つき。
 海昊は唇をかみ締める。

 湘南海岸公園。

  「青紫!!」

 青紫たちは、紊駕の顔をみると、逃げ出した。
 紊駕と海昊はそんな三人を捕まえて――、

  「何でこないなことになったんや?」

  「紊駕さん、海昊さん。俺……。」

 青紫の涙腺が一気にゆるんだ。
 今までのことを涙ながらに伝える青紫、黒紫、そして篠吾。

  「……薪はどうした?」

 静かに紊駕が口にした。
 言葉に怒りが含まれている。
 低く、押し込めた声。

 青紫は首を横に振った。
 あれから、ずっと薪とは会話らしい会話をしていない。
 学校もサボり、あからさまにムシをされていた。
 紊駕は何かを考えるような目をして――、

  「どんくらいやった?」

 青紫は、覚醒剤のことだと理解し、うつむいて、小声で二つ。と、答える。
 黒紫と篠吾も唇をへの字に曲げて、顔を伏せた。
 その後、最後にやったのは、いつかと聞かれ、そのままの体勢で、二、三日前。と呟く。

  「こい。」

  「え。」

  「三人とも、こい。」

 早い展開に、気後れして、立ち上がった紊駕に数秒遅れてから、それに倣った。
 海昊も意味が解らずに、どしたん。と、眉間に皺を寄せた。
 そんな四人にも、

  「一緒に来いっていってんだ。」

 颯爽と長い足を運ばせる、紊駕。
 海昊は青紫たちを促して、紊駕に従った。


 鎌倉市、稲村ガ崎。
 私立如樹病院。

  「きらさぎ……って紊駕んちって、病院やったん?」

 真っ白で、立派な建物を海昊はあんぐりと見上げた。
 紊駕は一瞥して、うちじゃねーけど、親父がいる。と、説明。
 迷わず足を踏み入れ――、

  「あら、紊駕くん。めずらしいじゃなーい。」

 看護師の女性がおもむろに甲高い声を上げた。
 尖った顎で挨拶を交わし、父親が何処にいるか尋ねた。

  「え?紊駕くん?久しぶりじゃない!ぜんぜん顔見せないから心配しちゃったわよ!」

  「院長先生の息子さんですか?うわ、かっこいい。」

  「えー、院長先生こんな大きな息子さんいるんですかぁ。」

 他の看護師も集まってきて、口々に黄色い声を上げている。
 受付の周りは騒然。
 紊駕は、いささかうざったい表情を垣間見せて――、

  「他の患者さんに迷惑ですよ。親父、いますか。」

 もう一度尋ねた。
 院長室だと聞くと、すぐに翻す。
 そんな紊駕を、クールでかっこいい。と、看護師たちは呟いていた。
 海昊たちも紊駕に倣って、病院内を進む。
 大きな窓が周りの緑を映しだし、心が落ち着く。
 高台に建っているために、海も見える。
 
 軽いのノックの後、失礼します。と、丁寧にいって院長室に足を踏み入れた。

  「めずらしい客だな。」

 さほど驚いた風ではなく、口にした。
 端整に整った顔立ち。
 シャープな顔つきに男の渋みが加わって、いい味を出している。
 如樹 淹駕ひだか
 ここ、如樹病院を一代で築き上げた院長、紊駕の父親である。

  「頼みがあります。」

  「警察沙汰か。」

 息子の言葉にかぶせるようにいった父親。
 紊駕は下げた頭を少し、上げて、イスに腰掛ける父親を見た。

  「……来なさい。」

 威厳のある態度で、立った。
 口数が少なく、クールなところも紊駕に遺伝したようだ。
 淹駕は、終始無言で驚いている様子の青紫たちを見て――、

  「わかっていると思うが、場合によっては警察に連絡するぞ。」

  「はい。よろしくお願いします。」

 紊駕頭を下げるのに、海昊も倣った。

  「カイ、行くぞ。」

 紊駕の目が鋭く、厳しくなった。
 海昊もその言葉を理解した。
 父親に、もう一人増えるかもしれない。と、いい残して――、

  「薪はどないしてるんや……。」

 海昊は独り言を呟くように口にした。
 向かうは、BLUESのヤサ、湘南海岸公園。

  「よう、金つくってきたかよ。」

  「もちろんです……だっだから……くすり……」

 公園に足を踏み入れる手前で、建物と建物の隙間。
 紊駕は素早く近寄った。
 男の隙をうかがって、その覚醒剤を奪う。

  「な、んだてめ!……きっ如樹ぃ―!!」

  「麟杞りんき!ワレぁ、何考えとんのや。」

  「飛龍っ……。」

 紊駕の言葉を海昊が代弁した様を麟杞は目を丸くして、二人を交互に見る。
 くすりをもらい損ねた男は、苦しそうに地べたに這いつくばっていた。

  「薪は何処だ。」

 その冷静な物言いと押し込めた怒りが、麟杞をさらに驚愕させた。
 冷ややかな蒼の瞳。
 射抜かれそうなほど、尖っている。

  「……ヤ、ヤサにいるよ。きっと。」

 観念して、吐いた。
 そんな麟杞に――、

  「てめぇもバカやってねぇで、更生しろ。」

  「お、俺だってなぁ……こんなことしたかねーんだよ!」

 海昊は、そんな背中を複雑な笑みを浮かべて叩いて、紊駕に続いた。
 こいつらも、何とかせな。
 紊駕も思っているだろうことを、海昊もかみ締めた。

  「薪!」

 その小さな体は、浜辺にあった。
 波にさらわれそうなほど、弱々しく――、

  「み、紊駕。」

 二人に気づくと、おもむろに逃げ出した。
 
  「薪!まちい。何でワレ学コも休んでんのや!」

  「てめーにゃカンケイねーだろ!さわんな、こら!」

 海昊が追いかけて、薪を捕まえる。
 もがくように体を捻って、逃れようとする薪に、

  「青紫たち、今病院におるで。」

 優しくささやいた。
 その言葉に薪が思い切り振りかぶって、海昊の胸座をつかみ上げる。

  「てめー!どーゆーことだよ!!」

  「やめろ。」

 紊駕それを静かに制止する。
 海昊がつかまれた胸座がゆるんだところで、溜息をついた。

  「……ワレも、ドラッグやっとんのか。」

 薪の切れ長の目、此れでもかというくらいに大きくなった。
 も、ってどういうことだ。と、呟いてから――、

  「あいつらぁ――!!裏切りやがって――!!」

 体いっぱいで憎しみを表現する。
 それでも足りなくて、薪は海に走り出した。
 波に怒りをぶつけるかのように体を振り回す。

  「薪!」

  「放せ!あいつらぁ、ゆるさねー!!あいつら、青紫だけは、青紫たちだけは手ぇださねえってゆったのに!!!裏切りやがって、畜生――!!」

 悲嘆な叫びと憎しみ、憎悪が海原に響き渡った。
 海昊に抑えられている、小さな体を力の限り振り回す。
 そんな薪の頬に軽い、衝撃があった。

  「取り乱すな、薪。」

 凛とした紊駕の姿。
 青紫にあわせてやる。と冷静にいって、薪の頭を優しく撫でる。

  「……。」


 再び、如樹病院にて淹駕に薪をまかせ、紊駕と海昊は一息ついた。
 二人とも無言。
 色々なことが、頭の中を駆け巡っていた。
 先に、腰を上げたのは海昊。
 紊駕に用を足しにいくことを短い言葉で告げた。

 静かで、少し物々しい雰囲気さえする。
 太陽はとっくに沈んでいた。
 一般病棟からは離れた特別病棟。
 人の気配もないように思える。
 窓の外は、葉のない木々たちが寒そうに枝を寄せ合っていた。
 空風で折れそうなほど細い小枝がゆらされ、痛々しい。

  「紊駕ちゃん。」

 紊駕の下へ戻ると、紊駕の前に二人。
 長く漆黒の髪の少女と、ジャージ姿の男。

  「……紫南帆しなほ。」

 紊駕がうつむいていた顔を上げる。

  「飛鳥あすかちゃんが、ちょっと怪我してね。」

   少女は、看護師たちから紊駕が来ていることを聞いた。と、加えた。
   
  「何してんだよ。こんなとこで。」

 男は爽やかな笑みを少し曇らせて、憂う表情。

  「サッカーで怪我したのか。だっせ。」

  「うるせ。」

 声をかけられなかった。
 海昊はその様子を見守った。
 何だか、そこには特別な空間があるように思えた。
 その三人の居る場所。
 見えない絆みたいな、温かいもの。
 お互いをとても大切に思っている、気持ちが伝わってくる。

 紊駕の一面をみた気がした。
 族仲間には見せない、一面。
 海昊は穏やかな表情をみせた。

 二人が去ってから、何食わぬ顔で紊駕の隣に腰下ろす。
 紊駕はもちろん、無言。
 しばらくして、ドアが開いた。

  「四人とも大丈夫だ。」

 淹駕の言葉に胸を撫で下ろして、頭を下げた。
 紊駕と海昊は、薪たちが眠っている部屋の隅で――、

  「なるほど、でも黒幕はわかってない、と。」

 海昊がほとんど今までのいきさつを話した。
 淹駕の目が、話せと訴えていたから。
 紊駕もところどころ口を挟んだ。

  「最近、痺れ薬の入った缶コーヒーも出回っていると聞いたな。」

 半ば独りごちるように、ゴツゴツした拳を尖った顎にあてる淹駕。
 無言の息子の肩を優しく叩く。

  「四人のところへいってあげなさい。もう目がさめるだろう。」

 紊駕と海昊は薪たちが眠るベッドの側に立った。
 やがて、青紫の目が開いた。

  「紊駕さん……。」

  「大丈夫か。」

 うなずく青紫。
 ありがとうございました。と、小さく呟いて、隣に薪がいることに笑みを浮かべた。
 黒紫も篠吾も目覚めたようだった。
 黒紫は青紫とおなじく、礼をいい、篠吾は、大きな目で周りをきょろきょろ見回してから、やはり頭を下げた。
 そんな三人を紊駕と海昊は複雑な笑みで答える。

  「……青紫。」

 薪も目が覚めたようだ。
 隣の青紫に、自分のことよりも先に安堵の溜息をついた。
 全ての話しをきいて、青紫は謝罪と礼を薪にいう。
 自分たちのために自らを犠牲にした薪。
 
  「青紫のせーじゃねーよ。」

 照れ隠しのためにそっぽを向く。
 青紫はそんな薪の気持ちをさっして、もういちど笑顔でありがとう。と、いった。

 一時的に。
 そう、この瞬間だけは和やかで、暖かな雰囲気が広がった。
 しかし、この後。
 もっと恐ろしいことが待ち構えていることなど、今の六人には知る由もなかった。
 薪の一番大切なものが、ガラスのように脆く、崩れ落ちるのを。
 まだ、知らない――……。


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