湘南ラプソディー

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  「な、何だよ、てめーら。」
                 ブルース
 午後十一時、片瀬西浜、BLUESのヤサ。
           あやぶ      ふひと
  「こんばんわ、殆先輩、史利先輩。」
 たきぎ
 薪は、怒りを自制して言葉にした。
 容易に受け入れられるハズがない。

  「まぁ、そう強張らんといて。話、つけにきてんやから。」
 かいう
 海昊の穏やかな物言いに、BLUESは、話しだと。と、些か怪訝な顔つきを見せた。
 敵意は薄れていた。
 どちらかというと疲れきった、憔悴感を感じる。

  「そや。……まだぎょうさんおったやろ。仲間、どないしたん。」

 海昊は辺りを見回して、尋ねる。
 BLUESは一様に口を閉ざす。
 
  「そか。」

 海昊がBLUESの前に立った。
 ぐし
 虞刺たちがいなくなって、混乱しているBLUES。
 わかっていた。
 自分たちの行いが、正しいことではないことに。

  「ワレぁ、何のために単車転がしとんのや!!抗争起こすため、人傷つけるためちゃうやろ!!単車が好っきやさかい、走るの好きやからちゃうんけ!!」

 海昊の啖呵。
 冬空に響いた。

 BLUESの皆が、顔をあげた。

  「……そうだよ。」

 ぽつりと殆が口火を切る。

  「本当は俺だってやりたくなかったんだよ。ヤク売って、マッポから逃げて……もう、たくさんだっ。……金、巻き上げられて、殴られて……なんで俺たちがこんな目にっていつも……」

 唇をかみ締めた。

  「俺だって。ただ、皆とつるんで楽しく走りたかっただけなのに……」
 ふひと
 史利も。

  「あいつらが帰ってきたら、と思うとゾッとするぜ。」

 皆、皆。

 BLUESの奴らも好きで虞刺たちに従っていたわけではない。
 恐かった。
 抜けられなかった。
 ただ、それだけ。
 皆も薪と同様だった。
 
 海昊は微笑んだ。

  「BLUESとBADは抗争起こすために走っとるんやない。敵同士やない。そやろ?」

 優しく、穏やかな威厳のある声。
 BLUESは救われたような表情を見せた。
          きさらぎ
  「俺、本当は如樹さんに憧れてんだ。」
 りんき
 麟杞の言葉に、皆が一様に頷いて――、

  「俺だって、あの人と一緒に走りたかった。抜け出せたら……こんな族、抜け出してたさ!」

  「俺だって!」

  「俺も!」

 兆しが見え始めた。
 夜空を見上げる。
 暗黒の空に星が輝き、月が優しく微笑んだ。
 
 ゆっくりと、時間の経過とともに。
 人の心も動いていく。

 そして、この後、薪を頭としての新しいBLUESが誕生する――……。
 
   ひりゅう    かいう
  「飛龍 海昊っ!あんなんでいーのかよ。更生って……おい!」

 先を歩く海昊に薪は小走りで追いかける。
 頷いて、歩みを進める海昊。

  「っ……飛龍 海昊!説明しろよ、おい。あんなんじゃ俺がいなくたって……」

  「薪。その、フルネームで呼ぶの、やめい。」

 止まって振り返る。
 温かで、優しい瞳。

  「なっ……んだよ、いきなり。」

  「海昊でええ。」
  
 片エクボをへこました――……。


               * * * * * * * * * *  


  「よう。葬式、出れなくて悪かったな。」

 小高い丘の上。
 小さく束ねた花束を片手に、薪は立てひざをついた。
   せいむ
  「青紫。……絶対お前のカタキとってやるからな。あいつらが、ネンショーから戻ってきたら……それまでお前の所に行けないけど、わかってくれるよな。」

 誰もいない、墓地。
 青紫の墓は、たくさんの花々で埋め尽くされていた。

  「飛龍 海昊っ……変な奴、だよな。おせっかいで……でもさ。」

 肺にいっぱい空気を吸い込んだ。
 青紫に向き直る。

  「もう一度、信じてもいいか。」

 空を仰いだ。

 青紫に正直な気持ちをいえなかったことを後悔している。
 
 いつも、意地を張ってばかりいた。
 言葉にしなければならないこと。
 言えなかった。
 
  「お前がいなくなってからじゃ、遅すぎだよな。青紫――……」

 もう、二度とこんな思いは、したくない。
 
 心のよりどころを求めていた。 
 それなのに、思いを素直に出せず、気がつけば、青紫だけでいい。
 予防線を張っていた。
 自分から溶け込もうとしたことなんて、一度もなかった。
 
 差し伸べてくれる、青紫の手に、いつも頼っていた。
 ずっと、当たり前のように思っていた。
 初めて気がつくなんて。
 青紫がいなくなって、初めて気がつくなんて……。

  「ありがとう。ずっと、お前に言いたかった言葉だ。こんな俺のこと、一番わかってくれて、いつも側にいてくれたろ。すげぇ、嬉しかったんだ……だからいつも甘えちまって、悪かったな。……ってやっぱり遅すぎだよな……」

 溜息。

  「そんなことないですよ。」

 振りかぶる。
 くろむ       ささあ
 黒紫と篠吾の姿。
 黒紫の笑顔、青紫にそっくりだった。
 薪はバツの悪い顔をして、目を背けた。

  「悪かった……俺のせいで……」

 顔を見れずに、そのまま謝罪した。
 黒紫は――、

  「何いってんですか。……兄貴、いってましたよ。」

 少し大人びた様子の黒紫。
 落ち着いた声で、振り返った薪の目をみた。
 薪の持ってきた花を拝借して、水を取り替えながら――、

  「初めて、薪さんと兄貴が会ったとき。一生のうちで一番信頼できる、親友だ、って。」

 涙がでそうになった。
 おもいきり、唇をかみしめてこらえる。

  「学コから帰ってきたら、薪さんの話しばっかり。隣に薪さんが引っ越してくるときなんて、そりゃ、すごい喜びようで……わかってます、兄貴。」

 薪さんと兄貴。言葉じゃなくて、なんか、絆みたいなものを感じました。
 薪さんの気持ち、兄貴は絶対解っています。

 優しく、力強い瞳。
 青紫と重なった。

 サンキュー。薪は驚くほど自然に感謝の気持ちを口にした。

 大切なのは、言葉じゃなくて。
 気持ち、心。
 
  「薪……悪い。聞くつもりなかったんやけど……あさざさんに多分ここやいわれて……」

  「……海昊。」

 変わろうとしていた。
 少しずつ、時がながれるように。
 ゆっくりでも、自分なりに。

  「俺、BLUES更生させてみせるから。」

 断言した。
 ふっきれたような、薪の強いまなざし。
 笑顔。

 海昊は微笑んで――、
        みたか
  「青紫な。紊駕にゆうとった。」

 ――紊駕さん、俺、尊敬してました。ずっと。

  「苦しいはずやのに、ものすご息荒くして、白くなりたいって。ずっと灰色だったからって。」

 ――白くなりたいな。

 青紫の顔、フラッシュバック。
 
  「自分の言いたいこと。きちんとゆうた。青紫は伝えたかったんや。ワレのことちゃんと解うとるて。声にださんでも、自分は薪のこと、きちんと理解しとるて。それから――……」

 ワレのこと解ってくれる奴、たくさんおるってこと。

 薪が海昊を見る。
 黒紫も篠吾も。

  「いつまでも、止まったままやだめやゆうこと。最後まで、あきらめたらあかん、ゆうこと。青紫は全てやってのけたんや。」

  「海昊。」

 しっかり口にした。

  「一人だってへーキだって思ってた。ダチなんていなくても、へーキだって思ってた。でも、違った。」
 
 断定的にいって、続ける。

  「一人で勝手にいじけてただけで。……恐かった、青紫を失うのが。本当は、恐かったんだ。」

 そんな薪に海昊は微笑んで、肩に触れた。

  「ワイは何処へもいかへん。黒紫も篠吾も、皆。仲間や。いつも側におる。」

 裏切られるのが恐かった。
 それなら最初から友達なんて作らない。
 形だけの親友なら、いないほうがいい。
 口だけの仲間なら、ほしくない。

 裏切られるなら、裏切ってやる。
 だけど、一人が恐かった。

 自分が変わらなければならない。
 一歩ずつ、ゆっくりでも。
 成長しなくては――……。

  「ワイ、紊駕に会うてこよ、思うんや。」

 半ば独りごちるように、海昊はいった。

  「あいつのこと、信じとるはずやったんに、どこかで疑うとった。」

 ――それは、仲間やないゆうことなんか。
 ――信用してへん、ゆうことなんか。

 紊駕の顔、フラッシュバック。

  「口でゆう必要あらへんのや。わざわざ弁解みたいに。……そーゆうの、紊駕が一番嫌いなん、知っとたんに。ワイが信じられへんかったんよ。」
 みやつ
 造が、紊駕を見ていろといった意味が、解った。

  「会えるかわからんけど……病院で聞いてもええし、せやけど――、ケジメ、つけ行くわ。」

 薪はそんな海昊に笑みを返した。
 二人、手と手を交わした。
 新しい道を切り開くために――……。


               * * * * * * * * * *  


 冬休みに入った頃。
   みら
  「冥旻。」

  「お兄ちゃん!」

 海昊は、再び妹を神奈川に迎え入れた。
 しかし、今度は観光をさせるためではなかった。
 冥旻の満面の笑み。
 大きな鞄。

 海昊は決心した。
 必ず迎えにいく、と約束した自分。

  「冥旻。正直ゆうて、まだ十分やない。ワレに不自由させるかもわからん。せやけど……」

 まだ、冥旻を養うだけの十分な準備がととのったわけではなかった。

  「一緒に暮らそう。ワレは、ワイが命かけてでも守ったるさかいに。」

  「おおきに。」

 頑張ろうと決めた。
 新しい、道。
 ひさめ
 氷雨の家も出て、二人で暮らすことにした。
 冥旻は年明けから、あさざたちの通う、私立K女子学園の中等部に編入することになった。
 氷雨やあさざ、皆に温かく見守られ、助けられ。
 二人の新生活が始まった――……。


  「お兄ちゃん、最近、紊駕さんと会わへんな。何か合うたん?」

 海昊は、まあな、と曖昧な返事をして――、

  「明日、S中に行くつもりなんや。終業式みたいやから。」

 海昊の学校は私立のために、公立よりも少し早い冬休みだ。
 冥旻は、自分も行く。とはしゃいだ。
 溜息をひとつ、ついて了承した。


 鎌倉市立S中学校の前。
 終業式を終えた生徒たちが、次々と校門からでてくる様を、二人は目を見張った。

  「あ。」

 冥旻が小さく、声を上げる。
 そして、次の瞬間、笑顔を曇らせた。
             し な ほ               きさし
 紊駕の隣の少女、紫南帆。そして葵矩。
 不思議な空気を、感じ取ったのだろう。

 海昊はそんな妹の肩を優しく叩いた。

  「きっと。幼馴染かなんかや。」

  「……」

 冥旻は、こちらに向かってくる紊駕を見つめた。
 校門の陰。
 久しぶりの紊駕は相変わらず、端整な顔立ちで冥旻を魅了した。
 着崩した制服姿も、さまになっている。
 ブレザー姿に、黒のロングコート。
 足の長さも目立つ。

 そんな紊駕の隣に寄り添うようにして歩く、少女も、美人だ。
 腰まで伸びる、漆黒のストレート髪。
 大きすぎない二重の瞳に、小さい顔。
 紊駕の笑顔が少女に向くたびに、胸が痛くなる。

  「紊駕さん。」

 思わず、飛び出した。
 海昊は妹の名前を呼ぶ。

 紊駕は、クールな表情を少し、崩して、先に行っていろ、と紫南帆と葵矩に目配せをする。
 葵矩は頷いて、紫南帆とともに、学校を後にした。

  「カイ。いるんだろ。」

 冥旻と久しぶりの挨拶を交わした後、紊駕は声を上げた。

  「……久しゅう。」

 海昊がその体を現すのに、紊駕は失笑して――、

  「二週間くらいだろ。」

  「せやって、毎日会うたやろ。せやさけ何年も会うてへんみたいや。」

 照れくさそうにはにかんだ。
 大げさ。と、紊駕は口にする。

 冥旻と二人で住みはじめた事を伝え、このあと、寄ってくれと頼んだ。
 冥旻をその場に残し、少し離れたところに二人。

  「紊駕。」

 海昊が立ち止まった。
 真剣なまなざし。
 唇をかみ締め、紊駕の前に仁王立ちする。

  「わかるやろ。弁解なて、しとうない。」

 紊駕はその言葉に、何もかも察した。
 左腕を引く。

  「俺のストレートは痛いぞ。構えとけ。」

 左ストレート。
 見事に海昊の右頬をヒットした。

 地面に横たわる、海昊に手を差し伸べた。
 その手をとる。

  「おおきに。――こっちは大丈夫や。BADもBLUESも。せやから――……」

  「……さんきゅう。」

 少しずつ。
 ゆっくりと時間は流れている。
 皆、自分の道へ向かう。


  「はい、紊駕さん。」

 海昊たちの新居で、冥旻は嬉しそうに、珈琲をさしだした。
 紊駕は礼をいう。
 鎌倉市内の緑豊かな町並みに建つアパート。
 さっぱりと綺麗に整頓された2DK。

  「紊駕さん。うち、関西弁やめる。」

 冥旻は芯の強い笑みをみせる。

  「今度、紊駕さんに会うたら、絶対、ものすごべっぴんな関東人になっとるさかい。」

 覚悟しとき。

 小さく舌をだして、はにかんだ。
 これから、うんと、勉強せな。と、付け加えて。

 前向きに。
 いつも、前向きな兄妹に紊駕は、優しい笑みをもらす。

  「またな。」

 ゆっくりと立った。
 今度会うときを楽しみにして――……。


               * * * * * * * * * *  


 夜の湘南海岸、片瀬江ノ島。
 美しく、輝く海。
 いつも、海が見守っていた。
 優しく、ときには力強く。

 皆、海を見て成長した。
 いろいろなことを感じた。

 そして、巣立つ。

 海は、何も語ることはないけれど、全ての行いを知っている。
 人間が生まれるずっと以前から。
 
  「波の音、ええな。」

  「ホントっすね。」

 不思議と落ち着く。
      つづみ  てつき
 海昊は坡と轍生とともに、海を眺めていた。
 今日、BADとBLUESの杯を交わす集会。
 ブラザーの意味での杯。

 皆、海が好きなのだ。
 単車が好きなのだ。

 抗争なんて、起こす必要がない。
 
  「おっす。」

  「よ!海昊。」

  「こんばんわ!」
     とひろ
 氷雨、斗尋。
 皆、集まってくる。
 この江ノ島に。

 笑顔、笑顔、笑顔。

  「カンパ――イ!!!」

 杯を交わした。
 これからのBADとBLUESに。
     しさき
 斗尋と白紫の新生活にもう一度。
 北海道の造に。
 氷雨とあさざの卒業、就職に。
   たきぎ
  「薪。」

 新しい仲間に。

 そして、紊駕に――、

  「カンパイ!!」

 少しずつ、ゆっくりと歩き出す。
 それぞれ違う一人の道。

 でもそれは、皆の道でもある。

 何処にいても、何をしていても、皆を結ぶ強い絆。
 心。

 旅立ちは別れではない。
 始まり。
       ここ
 皆、いつも心にいる。
 一人では、決してない。

 海はいつも見守っている。
 月はいつも側にいる。

 月の輝く夜に、海の見守るこの場所で。
 皆の新しい旅立ちに。

 乾杯――……。


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