W 「海昊さん。」 私立K学園中等部、一番端の教室に軽く息を弾ませて、坡は駆け入った。 一番後ろの窓側の席に腰を下ろしていた海昊は振り返る。 「どしたん?」 用ってほどのことでもないんスけど。と、真っ白いTシャツから伸びた腕で、赤い髪をかきあげた。 海昊の前のイスを引いて、後ろ向きに座る。 窓は開いているが、生暖かい風が肌に触れて、蒸し暑い。 「今日、集まりあるんスよね。」 「せやな。」 外を見た。 灰色の雲を敷き詰めた空。 彼方には黒雲も広がっている。 坡の思考を垣間見たように、海昊は眉間に皺を寄せた。 七月。 関東は、梅雨の真っ只中だ。 そして、海昊が神奈川に来て、丸一年が経とうとしていた。 「サイキン、滄さん変、スよね。」 何気に高等部のほうに目をやる。 「気づいとったか?……家でもそうなんや。」 「悩み、でもあるんスかね。」 どうなんやろ。と、ため息をつくようにいって、頬杖をつく。 衣替えだというのに、学ランを着たままだ。 「あ、いたいた、坡。」 真夏の雰囲気を醸し出す、黒のタンクトップに袖を通している轍生は、海昊に頭を下げ、 「行こうぜ。」 坡の背を叩いた。 「あ、海昊さんも一緒どーすか?」 「何?」 海昊の言葉に、嬉しそうに頬を緩める。 ――単車っスよ。 友達のツテで手に入れた、単車。 もちろん無免許、親には内緒。 三人、学校をフケて、バイク屋へと急いだ。 「自分で買うたんか、二人とも。」 「まさか。情けないけど、親っスよ。」 小遣いをためてようやく購入できた単車――KAWASAKI EX-4、ダークブルーが輝いていた。 轍生も自分の単車、SUZUKI DR800Sを愛しそうに撫でる。 「でも、海昊さんはすごいっスよね。自分で買っちゃうんすから。」 海昊の単車、HONDA VRX ROADSTAR。 黒光りするその風体を見る。 二人に向き直り、尊敬のまなざしを受けて、首を振った。 「すごいちゃうで。ワイかて仕送りにたよっとるさけ。」 家出をした自分を学校にも行かせてくれ、なおかつ毎月仕送りもしてくれる親。 海昊は心から感謝していた。 もちろん、それに頼り切ることはなく、バイトも続けているし、しっかりと貯金もしている。 そんな海昊の気持ちを察するかのように、坡と轍生は笑んだ。 「そーだ。海いきましょうよ!」 空は少し不安げだったが、初納車の気分にはかなわなかった。 そして三台は海へと続く道を走った。 「海昊さん。……本当に感謝しています。」 湘南海岸に単車を停めて、坡は背筋を伸ばし、頭を垂れた。 轍生もそれに倣う。 「……。」 いささか食らっている海昊を見て――、 「BADに入れてもらって、ありがとうございます。……俺、学コシメることしか考えてませんでした。」 二人、顔を上げた。 先輩や他の学校の頭をシメる度、皆が尊敬のまなざしを向けた。 仲間がどんどん増えていった。 でも。 「俺、すげーバカでした。海昊さんと如樹さんに言われて、目が覚めました。」 仲間なんかじゃなかった。 信頼関係も何もない、仲間。 そんなものは、いらない。 「この傷に誓って、もう、姑息なマネはしません。」 左頬に触れた。 「俺も……ありがとうございます。ずっと言いたかったんだよな、坡。」 轍生はもう一度、頭を下げた。 坡が頷く。 「……傷。残ってしもたんやな。」 目の下から口にかけての細い線。 限りなく白に近い薄ピンク色。 四月に、ナイフでやられた傷跡。 「残って良かったんですよ。」 坡は満面の笑みを見せた――……。 * * * * * * * * * * 「停めろ。」 紫のフェラーリが、低く短い声に従った。 国道134号線、湘南海岸公園。 闥士は助手席のドアを開けさせた。 白のYシャツにズボン。 渋谷区立S中学校の制服を着崩した格好。 金のブレスレッドにネックレス、時計。 高価なものオンパレード。 「あさざさん。」 ズボンのポケットに両手を突っ込んで、背を反らした。 波内際の少女。 長く茶色いソバージュがかった髪を風にまかせ、私立K女子学園のセーラー服をはためかせている。 「あさざさん。」 二回目の闥士の呼び声に振り向いた。 眉間に皺が寄った。 「……闥士。」 「何たそがれてんの?」 側に寄る。 あさざのほうが、背が高い。 「別に。」 闥士を一瞥して海に向き直った。 右手の細い指の間には、タバコが挟まっている。 おもむろにふかした。 苛立ちを抑えるかのように。 「なあ、遊ぼうぜ。」 闥士の薄い唇の端が上がった。 「ヒマじゃないの。」 あさざは冷たく言い放つと、長い髪を振って歩き出した。 後ろは振り返らない。 闥士は鼻を鳴らしてその後ろ姿を見送ると、フェラーリにもどり、尖った顎をしゃくった。 ――後を追え。 海岸に程近い、茅ヶ崎市のマンションにあさざは吸い込まれた。 闥士はフェラーリからおりた。 運転手も連れて行く。 「げっ、姉貴。」 エントランスで、あさざが立ち止まった。 「げ、じゃないわよ。薪、また学コさぼったわね!」 「ヒトのこといえんのかよ!」 あさざと鉢合わせをした少年は、小さな舌を覗かせ、体だけ前にすすむ。 「ってーな。」 「あさざさんの弟かぁ。へぇ。」 体当たりをしてきた薪の頭に触れた。 「んだよ、てめぇ。」 薪の鋭い目に、 「お姉さんの男。」 にやりと笑う。 あさざは後を追われていたことに驚いて、そして、 「……早く行きなさい。青紫待ってるんでしょ。」 唇をかんだ。 そんなあさざに、薪は一言言い残した。 ――趣味わりんじゃね。 「何よ。家まできてどーゆーつもり?」 薪の背中が見えなくなると、闥士を睨む。 中に入ろうとするあさざを制して――、 「そう怒るなよ。俺さぁ。あんたのコト気に入ってんだよ。」 「いい迷惑ね。」 「闥士さんに何て口のききかたすんだ、この女!」 運転手の男が声を荒げた。 黒のスーツにサングラス。 ガタイもかなり良い。 そんな男に少し怯むが、あさざの精悍な顔つきは変わらない。 闥士はそんなあさざを満足そうに眺めると、運転手の男に目で合図した。 ――連れ去れ。 「ちょっ!放してよ!」 あさざの細い体は、いとも簡単に宙を浮いた。 運転手の男は軽々あさざを担ぎ上げると、フェラーリまで歩く。 強姦である。 「放してってば!叫ぶわよ!!」 「叫んでみろよ。そん時はどーなるかわかってんだろうな。」 闥士の声色が変った。 小型ナイフが不気味な光を放って、あさざを睨みつけていた。 「良い子だ。大人しくしてろよ。」 ツーシーターのフェラーリは狭かったが、身動きがとれないので好都合だった。 「ホテルにでもシケこもうぜ。」 フェラーリはその声に従順だ。 「じょ、冗談じゃないわ!」 「冗談じゃねーよ、あさざさん。」 ――今日から俺のモンだ。 江ノ島に程近い、134号線沿いのホテル。 無造作にフェラーリを停め、あさざを中に押し入れた。 運転手の男は、手際よくホテルの一室に闥士とあさざを二人きりにする。 自分はドアの外に立った。 「や、やめてってば!!」 「静かにしてろ!」 その体からは想像つかない腕力で、闥士はあさざをベッドに押し倒した。 あさざの細い体に馬乗りになり、両腕を押さえつける。 「あさざさんよぉ。氷雨のオンナなんだってなぁ。」 端整な顔を近づける。 首の左右から長い黒髪が流れ落ちた。 ネックレスが浮く。 「俺のオンナになりゃ、不自由させないぜ。何でも好きなモン買ってやる。」 「お断りよ。」 闥士の右眉がつりあがった。 「まだンなコトゆってんのか?力にモノゆわせなきゃダメみたいだな。」 「やっ。」 闥士は鼻筋のよく通った顔をさらに近づけた。 唇が頬に触れる距離。 あさざは顔を背ける。 「俺はよぉ。あいつら許したわけじゃねんだからな。氷雨も紊駕も、海昊も。じっくり計画を練ってるわけよ。どう料理するかを、よ。」 「計画練らなきゃ勝てねーのか。」 冷静沈着な声。 闥士はそのままの体制で顔だけドアに向けた。 いきおいよく黒髪が弧を描く。 「紊駕!」 「す、すみません。闥士さん……。」 紊駕の足元には、這いつくばった運転手。 その隙をみて、あさざは闥士から逃れた。 「オンナ連れ込むなら、自分の家にしとけばぁ?」 小バカにする言葉、紊駕はすばやくあさざを自分の後ろに隠した。 「てめぇ、何で……。」 「紫のフェラーリでホテルなんてシャレてんじゃん。」 嘲笑。 闥士は薄い唇を噛んだ――……。 * * * * * * * * * * 「まだ、昼すぎやのに、暗くなってきはったの。」 片瀬江ノ島東海岸で、海昊は空を見上げた。 先ほどまでは灰色の雲が薄っすらと空を覆っていただけなのに、黒い重たそうな雲が近づいてきていた。 周りを暗くする。 「ですね。腹へりません?マックでもいきますか。」 坡の提案に三台はエンジンをかけた。 小田急江ノ島線江ノ島駅に近い、マクドナルド。 単車を屋根の下に移動し、ほどなくして空から大量の雨が降ってきた。 「セーフ。」 三人は窓際の席をキープした。 「今日、集会やっぱ中止っスかねぇ。」 坡はチーズバーガーにかぶりつき外を眺め見た。 突然の大雨に、鞄を雨よけに頭に載せて駅に走る者。 色とりどりの傘をさしてゆっくり歩みを進める用意周到な者。 全く気にせずに濡れて歩く者。 「雨あがらんとムリやな。」 足を組みなおして、ストレートティーを喉に流し込む海昊。 轍生は目の前のバーガーの山に夢中だ。 「ワレ、よう食うな。ワイのもいるか。」 轍生に自分のを差し出そうとした海昊を制した。 「だめですよ、海昊さん。これ以上くわせたら手に余る。」 「……何だソレ。まるで俺が……おい、坡。」 「それに、海昊さんそんなんだから……何?」 轍生が食べていたハンバーガーを片手に、坡のTシャツを引っ張り――、 ――如樹さん、じゃね。 「え?」 海昊と坡が同時に身を乗り出した。 「本当だ。女といますよ。いいっスね、もてる男はぁ。」 「……あさざさんや。」 「え。滄さんの彼女の?」 もう一度身を乗り出した。 大降りの雨もお構いなしに、傘も差さずに並んで歩く二人。 竜宮上を真似たオブジェの駅の前で、立ち止まった。 「――っ!!」 次の瞬間、三人は自分たちの目を疑った。 しかし。 あさざのその細い腕は、確かに紊駕の首にまきついている。 セーラー服のタイは紊駕のYシャツに張り付いている。 三人は、目の前のガラスが白くなるのを、必死で何回も手のひらで拭った。 やがて、二人の体の間に大雨が降り、あさざは竜宮上の門の中へ、紊駕はこちらへ向かってきた。 紊駕は何事もなかったように、来た道を戻ろうとしていた。 そして、 「……。」 あきらかにこちらを見た。 ガラスにかじりついていた三人は、自分たちに非でもあるかのように固まった。 思わず身を隠したくなる衝動にも駆られる。 そんな三人を嘲笑うかのように、紊駕は一瞥した。 「海昊さん!」 たまりかねたように、海昊が先人を切ってマクドナルドを出た。 坡たちも後を追った。 「紊駕!!」 雨音に負けないように、大声を張り上げた。 その声に紊駕は歩みを止めて――、 「何?」 短い返答。 海昊が言葉を選んでいることを悟り、坡が口を開いた。 ――マックでもどーすか? 紊駕は頷いて、四人、足を運んだ。 熱いコーヒーを片手に、紊駕は濡れた体を壁に寄せた。 長い足は組まれている。 「で?」 切れ長で鋭い目が、コーヒーカップから海昊たちに移動した。 「……。」 何も言わない三人に、飲み干したコーヒーカップを左手でつぶして、ゴミ箱に放り込んだ。 そのままドアの外へ出ようとした。 「紊駕。」 外は、雨脚が弱まって、ところどころ薄青の空が見えた。 「話、ねーなら帰る。」 「ちょい、待ちーて。」 海昊の言葉に振り返った。 ――氷雨の家でもいくか? 突き刺すような鋭い目。 端整な口元が跳ね上がった。 「着替えたらいってやる。」 紊駕は吐き捨ててマクドナルドを後にした。 一度も振り返らない。 「何、考えてんですかね、如樹さん。」 濡れたTシャツを、ようやく出てきた太陽にかざすようにはためかせ、坡は言った。 単車の前。 幸いシートはさほど濡れていない。 「観念してんじゃないスか。」 轍生の言葉に、視線を紊駕が去ったほうへ向けたまま――、 「そんな風に見えはった?」 「見えません。」 二人の言葉が重なった。 それに、滄さん家なんて。と唇を尖らせた。 「とりあえず、家帰るわ。」 「俺たちも行きますよ。」 三人は海昊の家――、氷雨の家であるが。に足早に向かった。 海昊の家で、マクドナルドでの空気が四人を包み込む。 「説明してください。」 今度は坡が口火を切った。 「何を?」 紊駕は相変わらずクールな表情で、三人を見返した。 座ることすら忘れた三人と、腕を組んで、壁によりかかる紊駕。 「とぼけてるつもりなんですか?」 「はっきりゆえば?」 物怖じしない態度。 一寸の動揺もスキもない。 「……じゃあ。単刀直入に言わせてもらいますよ、如樹さん。」 痺れをきらすかのように、坡が言って、息を短く吸って次の言葉を放つのとほぼ同時。 玄関が開かれる音と、 「坡、まっ……」 海昊の声が空を飛んだが、 「何で、あさざさんとキスしたんですか!」 遅かった。 「……氷雨さん。」 海昊がバツの悪い顔をして、玄関に呟いた。 坡と轍生も海昊と同じ顔を隠せなかったが、 「おかえり。」 紊駕だけは、平然な表情。 ゆっくり、氷雨は足を運んで、 「本当なのか?」 声を押し殺した。 「何が?」 「坡がゆったことだよ。」 「だから何?」 紊駕の胸座が持ち上がった。 「っざけんなよ!こら!!」 普段は見せない、ものすごい形相に海昊たち三人は息を呑んだ。 今にも振り上げられそうな右手。 しかし、紊駕の顔色が変わることはなかった。 「そんなに好きなら、四六時中見張ってれば?」 「んだと!!」 一瞬、氷雨の右腕が浮いた。 宙で拳が硬く握られる。 「何、考えてんだ?」 紊駕に劣らず鋭い目を向けた。 「お前、白紫とも……。斗尋、ムカついてたゾ。」 「へぇ。」 「っ……紊駕ぁ!!」 耳元で叫ぶ。 「どーゆーつもりだよ。ヒトのオンナに手ぇ出して!!」 うるさい。と言う代わりに、紊駕は左手で耳を覆った。 左目を細め、ゆがめる。 「甲斐性がねーからじゃねぇのか。」 「なん……だと。」 「甲斐性がねーってゆったんだよ。好きなオンナ一人、理解ってやれなくてよ。」 氷雨の、紊駕をつかんでいる左手がゆるんだ。 「どーゆーイミだよ。」 「さあな。」 自分で考えろよ。紊駕の目はそういっていた。 力なく、氷雨の腕がゆるむ。 紊駕は四人を一瞥して、出て行った。 数分の沈黙の後、帰ります。と、気を利かせた坡と轍生に海昊は、軽く笑んだ。 「海昊。」 「……はい。」 氷雨の言葉に、返答。 だがその後の言葉はなかった。 自分の中で反芻していた。 「……白紫さんて、あさざさんの友達で、斗尋さんの彼女の、ですやろ。」 どうしたんですか。問いかけてみた。 斗尋とは、BADの仲間だ。 腰を下ろして、立てた右足に腕をのせて額にくっつけた。 ――インターセプト。 横取り。 「……それで、サイキン斗尋さん、機嫌悪いんか。」 思い出すように左上に視線を動かした。 「サイキン、わかんねぇよ、紊駕。」 ため息。 手の平で顔を覆った。 「氷雨さんって、紊駕と長いん?」 そういえば聞いたことがなかった。 氷雨は茅ヶ崎から鎌倉に移ってきたといっていた。 紊駕は鎌倉の稲村ガ崎。 学校も違うはずだった。 「三年くらい、かな。つるんでっけど。」 つかみどころがない奴だよ。と、またため息をついた。 「サイキンはますますわかんねー。」 「……。」 髪をかき回して、遠くを見る。 「あいつと初めて会った時。四つも下には見えなかった。なんつーか、物怖じはしねーし……。」 氷雨の言葉にしきりに頷く。 人を見透かすような蒼い瞳。 射抜くような、鋭いまなざし。 「俺、甲斐性なし……か?」 「そんなことあらへん。みな、氷雨さんのコト信頼してはります。」 即座に否定した。 首を横に何度も振る。 「だけど。あさざのこと解ってやれてなかったかも。」 「え?」 高校三年。 二人は今後の進路について悩んでいた。 ささいなことでもぶつかって、喧嘩を繰り返していた。 「……。」 海昊はそんな氷雨を無言で見つめた――……。 * * * * * * * * * * 生暖かい潮風が、真夜中の海岸を吹き抜ける。 江ノ島弁天橋の袂。 低音のアイドリング音が響く中――、 「紊駕、まだかよ。」 「そんなに熱くなるなよ、斗尋。」 「これが、熱くならずにいられるかぁ?アノヤロ、ヒトのオンナに手出しやがって。」 斗尋は紊駕を睨むように空を睨んだ。 天然パーマの前髪が揺れた。 その一角を離れて、海昊たちは――、 「斗尋さん、ヤバイっスね。完璧キレてますよ。」 坡は向こうを見やった。 「滄さんは、大丈夫スかね。」 轍生は、斗尋たちから少し距離をおいたところで、一人海を眺めている氷雨を憂いだ。 海昊は斗尋と氷雨、両方を交互に見て、せやな。と呟いた。 「何だよ、シケたツラしてんな。」 上からの声。 「造さん。」 氷雨と同じ年の造は、少し大人びた顔つきで、隣に腰掛けて言った。 「仲間内でモメ事はよくないね。」 鼻に皺をよせた。 「如樹さんが斗尋さんの彼女に手出したらしいんスよ。」 坡の言葉に、造がため息をついて、歯切れよく言い放つ。 「斗尋も、すーぐ熱くなるからな。でも。」 紊駕の性格は百も承知だろ。 海昊の肩に手を置いた。 「……わからへんよ。」 その手を垣間見て、唇を少し尖らした。 坡たちも賛同する。 昼間の光景が目に焼きついて離れない。 「だったら。」 長いため息のあと、造は優しい笑みを漏らした。 ――もっと、紊駕を知るんだな。 造は無造作にKAWASAKI GPZのエンジンをかけた。 ワインレッドが月明かり照らされて、ブラックチェリーを連想させる。 134号線を鎌倉方面に走らせた。 ほどなくして、馴染みの空冷エンジン音が、前から向かってくる。 パッシング。 ――停まれ。 「造さん。」 KAWASAKI ZEPHYRは減速すると、安全にUターンをしてGPZの隣につけた。 紊駕は尖った顎を軽く下げた。 「話がある。」 造は紊駕を連れて、ファミリーレストランに入った。 さほど混雑はしていなかったが、静かでもない。 好都合だった。 二人、腰掛けて――、 「斗尋、相当キレてたぜ。」 「……でしょうね。」 紊駕が顔を上げる。 ため息をひとつついて、造は言葉を続けた。 「聞いたよ。あさざから。」 「……。」 「白紫のことも。」 テーブルに頬杖をついて、相変わらずクールなその顔を見る。 もうひとつため息。 「お前は、“言い訳”って言葉を覚えたほうがいいな。」 「なんですか、ソレ。」 紊駕が相好を崩した。 よく通った鼻筋に皺がよる。 「誤解されやすいタイプだからさ。今日の集会はバックレろ。な?」 諭すように言った造に、 「いきますよ。」 平然と答える。 三度目のため息。 造は外を見渡した。 ここからでは、BADの仲間たちは見えないが、江ノ島はぼんやりと浮かんで見える。 数分前よりもガスがかっている。 店内も冷房がはいっているが、湿度が高く、体がべたつく。 造がこの後の展開を頭に描いていると、空は造に微笑んだ。 バケツをひっくり返したような大雨が突如落ちてきたのだ。 「中止だな、こりゃ。」 四度目のため息は、先ほどとは違った。 安心した顔つき。 江ノ島から多数の単車が四方にちらばるのを眺め見た――……。 * * * * * * * * * * 「結局、如樹さん来なかったっスね。」 例の如く、坡と轍生は海昊のクラスにいる。 窓際の一番後ろの席に腰を下ろして、海昊は空を見た。 今日は、昨日の曖昧な天気とはうって変わって晴天。 真っ青な広い空に、大きな白い雲。 太陽はサンサンと輝いて、緑々した木々を照らしていた。 心地良い葉擦れの音。 「ワイ、あさざさんに会うてこよ、思うんや。」 「……何ででスか。」 教室に視線を戻す。 「造さんの言葉が気にのうて……、な。」 ――もっと、紊駕を知るんだな。 造の言葉が三人の頭に浮かんだ。 坡は、上目遣いで海昊を見る。 「でも、本人が全く否定しないんじゃ、そーなんでしょ。」 「だよな。あの態度。」 轍生が坡を見て、海昊に視線を移した。 海昊はそんな二人を交互に見て、そして――、 「ワイ、学コ、フける。」 「え?海昊さん?あさざさんだって学コ……」 最後まで言い終わる前に、海昊は教室から消えた。 海昊はモヤモヤした自分の気持ちを振り切るかのように、VRX ROADSTARを飛ばす。 湘南海岸。 聞きなれた波の音が、海昊の心を落ち着かせた。 これまで、呼吸をしていなかったかのように、深く息を吸って、そして吐いた。 深呼吸、もう一度。 「海昊くん?」 後ろからのアルトヴォイスに振り返る。 まぶしいほど白く輝く、セーラー服。 すらっとした背丈、長くソバージュがかった髪。 「あさざさん。」 「やっぱり、海昊くんだ。」 切れ長の瞳を細めて、隣に並んだ。 海昊は立ち上がり、頭を下げる。 一瞬呆けてしまった。 あさざに会いたくて、でも何処に行けばわからなくて……。 そんな、海昊にここ、江ノ島が二人を引き合わせてくれたかのようだ。 「なんだ。だったら、K女にきてよ。」 今日はエスケープしちゃったけどね。と、かわいく舌を覗かせた。 私立K女子学園の制服を突き出すような態度を、嫌味なくする。 モデルのような体つきだ。 海昊ははにかんで、あさざがしゃがんだのに倣う。 「で、何か話があったんでしょ。」 マジメな顔つき。 海昊が口を開く前に――、 「紊駕のコト、ね。」 風にもてあそばれないようにサイドの髪を耳に挟んだ。 海昊を見る。 「……斗尋さんも、氷雨さんもおこってはります。」 「氷雨も?」 意外な顔つきをしたあさざに頷いて、言葉を続ける。 「あさざさん。ワイ、見てもうたんや、昨日……」 あさざはゆっくり立ち上がった。 膝上の短い襞のスカートを手で軽く叩いて埃を払い、 「そう。」 短く答えた。 「紊駕。何か言ってた?」 海昊も立ち上がる。 「あさざさんのこと、四六時中見張ってろ、そう氷雨さんにゆうた。」 ――そんなに好きなら、四六時中見張ってれば? 冷めた、見透かすような蒼の瞳。 あさざはややって、呟いた。 「バカね。」 「え?」 海昊は聞き返す。 今度は海昊の目を見ていった。 「本当、紊駕ってバカなんだから。」 「……。」 あさざは昨日の一部始終をゆっくり海昊に話した。 高校三年。 進路を決めるに当たって、あさざは教師になることを決意した。 中学の時、担任の先生が好きだった。 お世辞にもマジメとは言えない自分を、差別しなかった先生。 知らないうちに心を寄せ合っていた。 氷雨は、あさざがまだその先生に好意を持っているのではないか、と勘ぐった。 喧嘩になった。 「それで……。」 あの言葉だったんや。と、海昊は声に出さずに思う。 ――あさざのこと解ってやれてなかったかも。 「好きだった。でも……今思えば、憧れってゆうか……。」 あさざは遠い記憶を思い返した。 その言葉の裏には、氷雨に対する愛情があった。 「でも、氷雨わかってくれないんだもん。それで、いろんなことイライラして、学コさぼってここにきたら、闥士につかまって……。」 無理やりホテルに連れ込まれたところを、紊駕に助けられた。 「あいつ、気にしてくれてたんだと思う。私のこと、白紫のこと。」 元気のない二人。 言葉に出して元気付けるのではなく、陰からそっと見守っていてくれた。 ピンチのときは必ず助けてくれた。 「斗尋は、ほかの女と寝たのよ。それで……紊駕。何もきかないで、側にいてくれたんだって。一晩中ずっと。」 「……。」 言い訳も何もいわなかったのは、あさざたちの為。 自分が誤解されても、他人を守る。 「キス……したのも、あたしから。」 心の奥の方を衝かれた。 辛いとき、助けが必要なときにできる、心の隙間。 そこに、優しく入ってくる紊駕。 「紊駕のこと、好きになりそうだった。」 でも。と、あさざは見上げた。 真っ青な空。 「キスしたときの顔、すごく、怒ってた。」 自分に本気になりかけた、あさざ。 紊駕は冷たく突き放した。 「あいつ、自分に本気にならないオンナしか相手しないわ。」 「……。」 「ばっかな奴、なんだから……。」 海昊は紊駕を想った。 紊駕を信じられなかった自分に腹が立った。 冷静沈着でヒトを射抜くような蒼の瞳。 天邪鬼で、でも。 優しい。 気づけば側にいて、優しく見守ってくれている。 いざというときは必ず助けてくれる。 それから、何度かBAD内で紊駕のうわさが飛び交った。 ついた異名が、“クールなプレイボーイ”。 自分に本気にならない相手しか、相手にしない。 「造さんは、知ってはったんやね。」 ビールを片手に造は優しく微笑んだ。 そんな、造に笑みを返して、 「せやけど、紊駕いたら、浮気する男もいなくなるな。」 失笑した。 キレイな丸い月が輝いていた。 まるで、紊駕が微笑んでいるかのように――……。 >>次へ <物語のTOPへ> |