湘南ラプソディー

                            V

 かいう
 海昊が神奈川県にきてから七ヵ月が過ぎた。
 学校はもちろんいっていない。
 電源を切られた携帯電話は、今も鞄の中で眠っている。
      ひさめ
 海昊は氷雨の力を借りて、何とか働いて、お金を稼いでいる。
   族
 BADの方も順調で、浜の近くに住む奴らや、氷雨の学校の奴ら、仲間は多勢だ。
 夜は仲間とツルんで、楽しく過ごしている。

  「カイ。」
     みたか
  「あ、紊駕。学コ終わったんか。」

 窓の外、紊駕の姿。
 時計を確認。
 午前十一時。
 そんなわけないな。と、しかめツラ。

  「フケてきた。なあ、走りいこうぜ。」

 紊駕の平然とした言葉に――、

  「アホゆうな。ワイは忙しいんや。夜は氷雨さんの紹介でバイトやらしてもろとるけど、昼は中坊やさかい、探すの大変なんや。」

 右手には受話器。
 左手には求人の雑誌。

  「仕事探してんのか。ムリムリ、中坊扱うとこなんてねぇよ。」

  「カンタンにゆうてくれるやないけ。……おいてもろてる身やさかい、タダゆうわけいかんやろ。夜だけじゃそう金にならへんし……」

 窓の外を振り返る。
 紊駕の姿はない。
 海昊は受話器を持ち直した。

 数十分後。
 今度は玄関から、紊駕の姿。

  「……。」

 目の前にメモ用紙を差し出された。
 
  「知り合いの電話番号。コンビニやってんだ。話、つけといた。」

 ぶっきら棒な言い方。

  「……さんきゅう、おおきに。」

 片エクボがへこんだ。
 早速電話して約束を取り付けた。
 これから、昼間も働けるようになった。

  「カイ、何で電源切ってんだよ。」

 鞄の中から顔を覗かせた携帯電話をみて、紊駕。
 鋭い視線を投げかけてくる。

  「……ええんよ。もう親父に甘えよ思うとらんさかい。」

 紊駕に向き直った。

  「紊駕見ててそう決めたんやで。家出してきたからには、ワイはもうあすこの人間やない。……ワイ、ものすご嬉しかったんや。BADの旗揚げのとき、当然のようにワイも仲間に入れてくれたやろ。せやから。ずっとここにいよう決めたんや。」

 紊駕は何も言わず、海昊の言葉を聴く。
 そして、携帯電話を手に取った。
 無造作に電源を入れた。

  「……。」

 少しの間があって、甲高い電子音が鳴り響いた。
 
  「でろよ。」

 紊駕の刺す様な鋭い瞳。
 海昊はため息をついて、携帯電話を手に取った。
 耳元に近づける。

  「……ワイや。」

  「海昊。久しぶりやのう。」

 いささか穏やかな、父親の声。
 威厳は損なっていないが。

  「全く、ワレは誰に似たんやろなぁ。」

 電話口で大きなため息。
 
  「学校、あきらめたんかいな。電源切りおって。」

 もう一度、ため息。
                          せら
  「ホンマに帰らんつもりなんやな。……汐旻がちゃんと学校いかせゆうから……。」

 汐旻――海昊の母親だ。       そうう
 間合いをとって、どこにおるんや。と、颯昊は息を吐き出した。

  「……。」

  「もう連れ戻そなんや思うとらん。せやけど学校だけわちゃんと卒業せぇ。海昊、ワイがゆうとること、わかるな。」

  「……はい。」

 電話を耳に、頭を下げる。
 そして、居場所を伝えた。
 神奈川県、鎌倉市。

  「学校は決めとるんか。」

 さほど驚いてはいない、颯昊は言葉を続ける。

  「私立K学園……ゆうトコ。」

  「K学園やな。」

 電話口で頷くのが目に見えた。

  「親父。ワイ……四月からもう一度、一年やるさかい……。」

 よろしゅうお願いします。敬礼。

  「わかった。……せやけど、式までには戻ってき。ワイの息子はワレだけやさかい、よう頭にたたきこんどけ。」
 ひりゅう
 飛龍家の跡取り。
 
  「おおきに。」

 静かに耳から電話を離した。
 複雑なため息を吐く。
 まだ、信じられない。
 父親が自分の行為を認めてくれるなんて。
 
  「ありがとう。」

 紊駕にお礼をいう。
 紊駕は無言で、しかし微笑した。
 うまくいきそうな気がした。
 何もかも、このまま。
 だが。
 この後、前途多難なコトが待ち構えていることを、まだ、知らない――……。


 学校が春休みに入る頃。
         バッド
 湘南暴走族BADは、数十人にも達していた。
 ブルース
 BLUESとは、ときどき顔を合わすが、冷戦が続いていた。

 私立K学園入学式。

  「似合うぜ、海昊、男前。」

 氷雨は海昊の背中を叩いた。
 黒の短ランにちょっと太めのズボン。
 私立K学園の学生服。
 
  「ホンマにもろて、ええんですか。」

  「ああ、かまわないよ。」

 今日から海昊は私立K学園に、編入――中学一年からやりなおすため、正確には入学となる。

  「二年からでも、別に良かったんじゃね。」

 鏡の前で制服のチェックをして、紊駕に向き直る。

  「ええんや。……ワレも学コあるやろ。間に合うんか。」

 海昊の心配もよそに、紊駕は単車の鍵を指で回し遊ぶ。
 どうやら、お決まりのサボリらしい。

 氷雨と一緒に私立K学園に行き――、

  「じゃ、俺はあっちだから。体育館はそっち、頑張れよ!」

  「どーも。ありがとうございました。」

 私立K学園は、敷地内で中等部と高等部に分かれている。
 海昊は体育館に足を向かわせた。
 途中。

  「おい、てめぇ。」

 うしろから、低い声。

  「てめぇだよ、てめぇ。」

 振り返る。
 細く肩まで伸びた長髪を一つに束ね、長く赤い前髪は数本前にたらしている。
 鋭い瞳。
 その後ろに、百八十に届くのではないかというほどの大男。
 脱髪。
 その二人を先頭に、数人の強持て調の男たちが、目の前に現れた。

  「体育館いくっつーことは、一年だろ。てめ、短ランにボンタンなんて、いい度胸してんじゃねーかよ。」

 自分より若干背の低い長髪の男に、おもむろに胸座をつかまれた。
                                   つづみ
  「年下のくせに、生意気だぞコラ。俺はここの頭、二年の坡だ。」

 海昊は、胸座を預けたまま、平然な顔で、

  「一年ゆうたかて、年下とわかぎらへんど。」

 胸座をつかんでいる坡の腕を握って、下に振り下ろした。

  「てめ、関西弁なんかしゃべりやがって!」

  「あ、ワレ、関西弁バカにしおったな。……っと入学式があるんで、ほな、センパイ。」

 左エクボをへこまして、頭を下げた。
 踵を返した。

  「覚えてろ。」

 坡は、海昊の後ろ姿に吐き捨てて、
   てつき
  「轍生、てめぇらいくぞ。」

 仲間を従え、海昊とは逆の方向に歩みを進めた.――……。


               * * * * * * * * * *  


  「坡さん、あいつ、何モンなんですかね。」

 体育館では入学式が既に始まっている。
 校舎の裏。
 数本の煙が立ち昇る。

  「年下とわ限らねぇってことは、二年か三年……ダブリってやつか?」

  「バカ、中学でダブる奴がそういるか?」

  「よほど頭悪いとか。」

  「暴力事件起こしたとか。」

 思いついたことを口にする。

  「関西弁だったよな、越してきたとか。」

 坡は無言で、先ほど握られた右手首を押さえる。
 跡がつきそうなほどの力。
 思わず、つかんでいた胸座を緩めてしまった。
 顔をしかめる。

  「関西弁っていやーさぁー。」

 間延びする声。
 周りの数人が顔を見合わせ――、
   ひりゅう    かいう
  「飛龍 海昊。」

  「誰だよ、そいつ。」

 坡が地面にタバコを押し付けた。
 眼光が光る。

  「BADの特隊だよ。BLUESとモメて奴らを倒したっつー。」

 轍生が続ける。
       きさらぎ   みたか
  「S中の如樹 紊駕とつるんでるつー、さ。」

  「でも、如樹は有名ですよね、極悪非道で。飛龍ってほうわ学コとかきかないッスよね……」

 もしかして。
 もう一度顔を近づける。

  「ま、マズいっすよ、さっきの奴が飛龍 海昊だとしたら……」

 おもむろに表情を強張らせた。
 別の奴が神妙な顔つきで、口を開く。
                                         
  「聞いた話によると、去年の夏にBLUESの奴らをあいつら三人で殺っちまったつー話。」
        あおい ひさめ
 BADの頭の滄 氷雨と……。
 不動、硬直。

  「しかも、BADなんつったら、BLUESと並ぶぐれーでけぇ族だぜ?」
                      ・ ・
  「いや、もう超えてんよ。BLUESマクったんだし。」

 ざわめく周りに、鈍い地響きが静寂を作った。
 坡の右拳が、校舎の壁にぶち当たった。
 砂と埃が、乾いた音をたてて落ちる。

  「てめぇら、何ビビってんだよ、あ?」

 強かに睨む。
 
  「あいつが飛龍 海昊だったら、好都合じゃねーかよ。……シメてやらぁ。」

 口元を跳ね上げた。
 時計を見る。
 十時四十五分。
 入学式はまだ続く。

  「帰り際にいきますかぁ。」

 坡は青空を仰いで、独り言のように言った。
 その言葉に、仲間の一人がタバコを口から離す。
 鼻と口から白い煙を吐き出した。

  「飛龍 海昊、殺んのわいいけどよぉ。もう一年だぜ。早いトコ、K学全体シメろよな。中三にはろくな不良いねんだから、そんなのシメたって自慢にもなんねーぞ。」

  「てめ、俺のことナメてんのか?」

 刺す様な眼をむける。
 男は手で制して――、

  「おっと。お前とやり合う気はねぇよ。けどよ、お前は俺らの頭なんだからよ。命張れんだろ。」

 タバコをもみ消した。
 坡を下から覗き込むようにして嘲笑。
 金色に脱色した真ん中で分けている前髪が、ゆれた。

  「ったりめーだ。高等部なんかワケねーぜ。」

 鼻を鳴らす。
 周りの仲間は、賞賛の瞳で坡を見た。

  「坡さん、絶対ついていきます!」

  「俺も。」

  「俺もっすよ!」

 そんな、偽りの和やかさが広まるこの空気を、陰からあざ笑った男――紊駕。
 背を壁にもたれた姿で、長い足を組んだ。
 着崩した鎌倉市立S中学の制服。
 赤い前髪をかき上げた――……。


               * * * * * * * * * *  


  「おい、ツラ貸せよ。」

 校舎から続々と学生が出てくる。
 入学式もクラスでのH.Rも終わった、昼下がり。

  「あ、今朝の。」

 海昊はゲタ箱から靴を取り、履き替えたところで、坡に呼び止められた。
 坡と轍生。
 その後ろには、一様に不敵な笑みを浮かべる仲間たち。
 行く手を阻むように立ちふさがる。

  「ツラ貸せってゆってんだよ。」

 有無を言わせない凄み。
 海昊は、密かにため息をついて歩みを共にした。

  「ヒト、待たせとんのやけど……。」
 
  「ナメてんのか!」

 校門をでて、住宅街。
 海昊の言葉に、あからさまに苛立ちを顕わにした坡。
 工事中を告げる、赤のカラーコーンが、坡のローファーに蹴られて空を飛んだ。
 そのカラーコーンの行く手。
 鈍い音をたてて何かにぶつかった。
          ベンツ
 何か――黒の車。
 間髪入れずに運転席から、男が降りてきた。

  「何さらしてんだ。こら。」

 肩で風を切る大柄な男。
 本業。

  「やべ。ヤー公だ!」

 誰かの合図に、男たちは逃げ出した。
 坡を置いて。
 そんな男たちを一瞥して、海昊。

  「すまん。許したってくれ。」

 車から出てきた大男に頭を下げる。

  「おまっ……。」

 坡が眼を疑ったような顔つきをして、海昊を見下ろした。
 隣で腰低くなっている様。
 そんな海昊を無視して、大男は、坡の胸座をつかんだ。
 坡の両足が宙に浮いた。

  「……っホンマすまん!!この通りや。」

 海昊の言葉は最後まで続かずに、無防備のところを張り倒された。
 坡はその場からほおりだされる。

  「こっちが悪いさかい、謝っとんやないか。」

 唇からの鉄味を舐めて、立ち上がった。
 面食らっていた坡が、我を取り戻し、男に向かっていった。

  「おらぁ!!」

 道端での乱闘。
 二対一。
 数分後。
 地鳴りのようなものすごい音が響きわたった。
 注視。

  「そんくらいにしとけよ。オッサン。」

 紊駕の側で、工事現場を告げる看板が、震えていた。
 ブレザーのポケットに両手を突っ込んで、胸を反らす。

  「何だ。てめぇ。」

 大男が紊駕に近づくにも、恐れを抱く様子は無い。
 冷めた、獲物を捕らえたような豹の瞳。
 
  「……。」

 狗。
 大男は、直感で悟る。一歩後退った。
 勝てない。と、悟ったのだろう。

  「お、覚えてろ!」

 苦し紛れの暴言を吐いて、車に乗りこんだ。
 急発車。

  「カイ。」

 紊駕が手を差し伸べた。
 ありがとう、海昊は呟いて、

  「大丈夫か、ワレ。」

 坡に手を差し出した。
 その様子に、紊駕はため息をつく。
   テメェ
  「自分のほうがボロボロのくせに、余裕かましてんな。」

 坡には、眼もくれない。

  「何で……助けたんだよ。」

 坡は、差し出された手をじっ。と、みつめた。
 海昊は返答に困って、右手の人差し指を右頬にもっていき、数回上下させた。

  「てめぇよぉ。」

 紊駕は坡を見下ろした。坡は、硬直した。

  「根性入れっトコ、間違ってんじゃねーのか?そのくされ頭で考えてみやがれ、てめぇの仲間が、てめぇを置いて逃げたワケをな。」

 低く、腹の底から出した声。
 単調で冷淡。
 心に響く。

  「ずっと見おったんか。」

  「帰っぞ。氷雨待たせてんだろ。」

 海昊の言葉を一蹴する。
 
  「……おおきに。せやな。氷雨さんおこってはるやろな。……ほな、また、な。」

 紊駕にお礼を言って、坡に片手を振った。
 学校に戻る途中で――、
         あめ
  「お前さぁ、甘ぇよ。」

 アイツが殺られるからって手ださねーなんて。
 終始防御姿勢だった海昊のことを、吐き捨てた。
 そんな紊駕に失笑。
 自分だって、心配して後をつけてきたくせに。
 
  「せやな。」

 海昊は、それ以上何も言わずに空を見上げた。
 青空に、白く冴やかな月が笑っていた――……。


  「てめぇ、ナメてんのか?」

 鎌倉駅に程近い、小町通りの一角。
 一人の男――轍生。
 が、壁に背を預けて、腰を下ろしている。
 強かに殴られた傷が、頬に数箇所。
 男たちに囲まれている。

  「す、すい……ま、せん……」

 ひび割れた、途切れ途切れの声。
 必死の喉から出した。

  「……。」

 その光景を垣間見、通り過ぎようとする、坡。

  「この間の仕返しのつもりなんか、ワレ。」

 海昊は、バツの悪そうにうつむいた坡にゆっくり近づく。
 轍生に顎をしゃくる。

  「仲間なんやろ。……ワレ、紊駕の言葉がようわかっとらんようやな。」

 ――そのくされ頭で考えてみやがれ、てめぇの仲間が、てめぇを置いて逃げたワケをな。

  「っるせーよ!」

  「坡!!」

 叱咤。
 条件反射で、坡の肩が怒る。
                            ダチ
  「ワレぁアホか?信頼カンケーも何も無い友達つこて、何が楽しいのや。学コシメるコトしか頭にないんか!!……よう考えてみぃ。」

 おもむろにトーンをあげ、そして優しく諭した。

  「……べ、別に。お前に言われたから行くんじゃねぇからな。」

 その言葉に微笑。
 坡は、俊敏に翻して轍生の側に駆け寄った。

  「轍生!!」

  「……つ、坡。た、助けにきてくれたのか、よ。」

 苦痛にゆがむ顔が、少し和らいだ。
 あたりまえだろ。坡は、男たちの群れをかき分け、腰を下ろして轍生を抱き起こす。
 坡が男たちに背を向けた、その一瞬。

  「オラァ!!」

  「坡!!」

 海昊は叫んだが、間に合わない。
 
  「っつ……。」

 左頬に激痛。
 銀色のナイフに、どす黒い赤の血液が光った。
 海昊は、男の右手をけり落とす。
 金属音が地面でして――、

  「大丈夫か?」

 無傷の海昊。
 逃げた男たち。
 数分、小町通りは騒然としたが、いつもの賑わいに戻った。
 差し出された、手。

  「……少しずつ。借りはかえしてくぜ。」

 海昊さん。
 坡は、頬から滴れた、血をぬぐって微笑んだ――……。


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