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「まだ、くすぶってんのか。」
みたか
「……紊駕。」
十一月。
全国への戦いも、あと三試合に迫っていた頃。
きさし
葵矩は白い紙を片手に、自室の机に向かっていた。
「ありがと。」
置かれた珈琲に礼を言う。
「何、迷ってんだ。」
・ ・
紊駕は、葵矩の手からそれを抜き取り、机に寄りかかった。
――M学園、サッカー専門学院。
厳しい目を突きつける。
「十一月二十五日の土曜が試験なんだ。けど、……決勝の日でもあるんだ。」
「だから?」
間髪入れずの返答に、
「だからっ……って。……紊駕。負けると思ってんのか?」
眉をひそめ、紊駕を見る。
もちろん、途中で負ければ、決勝など関係なくなってしまう。
「んなこたぁゆってねーだろ。」
「じゃぁ……。」
葵矩は口をすぼめて下を向いた。
もちろん、試合よりも入試を優先しなければならないことくらい、判っている。
しかし、明日から出願期間であるにも関わらず、それはまだ真っ白だった。
ダ チ
「自信過剰なんじゃねーの?それとも、仲間を信頼してねーか。」
「そっ、そんなことあるワケないだろっ!!」
葵矩の大声での反論を一笑に付して、
「だったら、早く書くんだな。」
葵矩の目の前に願書を滑らせた。
細い顎をしゃくって、背を向けた。
「……。」
「紊駕ちゃんらしいね。」
紊駕と入れ替えに紫南帆が入ってきた。
紊駕の言動に忍び笑い。
「紫南帆。」
「大丈夫。きっと勝ってくれる。安心して試験にいってこい、って皆言ってくれるよ。」
両拳を握って、にっこり笑った。
「……うん。」
口元を緩めて、願書を見た。
・ ・ ・ ・
「実をいうと、俺、試験より試合でたいんだよな。本音。」
なんつって。と、舌を出す。
紫南帆は失笑。
あすか
「飛鳥ちゃんってば。――頑張るんだぞ!」
「ああ。」
紫南帆は、窓を開けて、空を見た。
もう息が白くなる。
「早いね。……あと、半年ないんだね、卒業まで。」
「……ん。そうだね。」
紫南帆の華奢な背中を見つめる。
もう、一緒には通えなくなる。
しみじみ思った。
「紫南帆はさ、四大だっけ。」
「うん。」
窓を閉めて、こっちを向く。
漆黒の髪が揺れた。
「女子大生か。」
「そ。女子大生。受かればね。」
小さな舌を覗かせて、はにかむ。
「まだ、はっきりやりたいこと、情けないけど見つかってないんだ。だけど、心理学とか文学とか学んでみたいな、って。」
長い髪をいじる。
「そっか。いんじゃないのかな。紫南帆なりにゆっくり考えれば。」
葵矩の言葉にありがとう。と、礼をいった。
紫南帆は葵矩の机の上の願書に目をやって――、
「……群馬だっけ。」
M学園。
多彩な専門学校が集まる学園の一部、サッカー学院。
「うん。……実をいうと業界からの誘いもあったんだ。」
「ん。」
プロ契約。
何度か連絡をもらっていた。
「サッカーは、もちろんしたい。プロになりたい。でも……もっと自分自身、勉強しなきゃなって、思うんだ。それから悲しいけど、サッカーを一生続けていくわけにはいかない。その後のこととか……。」
ベッドに腰下ろした。
パンフレッドをめくる。
M学園。
二年間、ぎっしりサッカー詰め。
その上、在学中プロや卒業後プロになる可能性もある。
選手育成とともに指導者、トレーナーなどのサッカーにかかわる進路を、サッカーをしながら選択できるのだ。
高校卒業後、プロになるのも一つの選択肢だったが、もっと自分に自信をもちたかった。
自分に。
自分というものをしっかり持ちたい。と、葵矩は思っていた。
プレーするというだけでなく、サッカーそのもの、サッカーに関する分野をトータルに勉強して、もっと自分を向上させたい。
「丁度、推薦の話があってね。先生が薦めてくれたんだ。」
「うん。チャンスだよ。そうやって、人間としてももっともっと大きくなれるんだね。それを好きなサッカーをしながらできるなんて。すごく、いいと思う。」
「ありがとう。……紫南帆は、一般で?」
「うん。推薦も薦められたけど、適当なとこなくて。長い冬休みになっちゃうけど……飛鳥ちゃんは発表十二月でしょ。そしたらその後は思いっきりサッカーできるね。」
「受かればね。」
「受かればね。」
二人、顔を見合わせて笑った。
「紊駕は――……」
紊駕の部屋の方向に首を向け、語尾を伸ばした。
「うん、多分。」
その後の葵矩の言葉を理解して紫南帆は頷いた。
最近よく父の病院に顔を出している。
やはり、跡を継ぐのか。
「でも、紊駕のことだから、勝手に医者になっちゃうかもね。」
苦笑した。
父親が医者だからといって、七光りや妙なコネでは医者にならないだろうとのことだ。
そうか、各々決まっていくんだ。
自分の進路へ着々と歩いていかなくてはならないんだな。
葵矩は思った。
そして、その時期は、刻々と近づいてきている――……。
「七百五十円になります。」
部活の合間を見て、葵矩は郵便局に足を運んだ。
財布から千円札をだして、おつりをもらう。
昨日、必要書類を全て揃えて、封をした。
「もう、冬だ。」
自動ドアを出ると、冷たくなった風が肌を刺す。
裸になった木々が乾いた音を奏で、薄青の空に伸びていた。
あすか きさし
「飛鳥 葵矩さん?」
名前を呼ばれて振り返る。
葵矩より少し、背の高く、細い体。
黒の帽子をうしろかぶりにかぶっていて、長めの前髪。
目は細く、切れ長だが、少しあどけなさが残っている。
知らない顔だ。
「でしょ、S高の。」
「あ……はい。」
葵矩の返事に満足そうに笑った。
「S高、順調のようですね。全国まで、あと二つ。」
どことなく挑発的な目。
「全国でお会いできること、楽しみにしています。」
「……。」
目の前に手を出されて、つられて握手を交わす。
男の口元がゆるんだ。
てだか いおる
「それから、豊違 尉折さんによろしくお伝え下さい。」
「え。……あ、君。」
素早く男は踵を返した。
後姿の男の肩からかけられている鞄。
――私立T高校。
都内の学校で、全国高校サッカーの常連でもある。
前回の大会では、一回戦目に静岡とあたり苦渋を飲んだ。
何で、俺のこと……。と、葵矩は首を傾げる。
知っててもおかしくないか。と、少し照れてから、挑発的な目が気になるな。と、眉間に皺をよせた。
しかも、尉折を知って、た?
――豊違 尉折さんによろしくお伝え下さい。
もう一度、首をかしげて、もと来た道を戻った――……。
そして、その後、S高は準決勝も順調に勝利をおさめた。
「失礼します。」
葵矩は監督の元を訪れた。
決勝戦。
試験日と重なるために、出ることができない。と、監督に伝えた。
「わかった。他の奴らには自分から言っとけ。」
監督は、葵矩と目を合わせず静かにそういうと――、
「お前が欠けたくらいで負けるなら、そこまでということだ。」
その言葉に葵矩は軽く笑って、はい。と、返事をし、一礼。
言葉の裏に、こっちは大丈夫だからしっかりやってこい。という意味を含んでいることを悟ったからだ。
皆を信じてる。
葵矩のために、頑張ってくれること。
自分のために――……。
「え――!!ちょっと待ってください!」
「出れないってどーゆーことですかぁ?」
部員に報告すると、この反応。
騒然となった部室で、葵矩はためらった。
「うそでしょ。だって決勝ですよ。」
「飛鳥がいないんじゃ……」
一様に不安な表情をする皆。
困った、な。
期待されて嬉しい半面、どうしてよいのかわからない。
もちろん、あっさり受け入れてくれるとは思っていなかったが。
「飛鳥先輩抜きで決勝なんて、絶対ムリですよ〜。」
「そうだよ。」
「まじかよ。何でよりによって、決勝?」
尉折も情けない声をだす。
「あと一つなんだぜ、全国までさぁ。」
三年の皆も。
「……。」
葵矩が困惑していると――、
「お前ら、ええ加減にせぇよ。」
カフスが啖呵を切った。
「今まで勝ち進んできたのは、葵矩一人の力なんか?葵矩がいてへんかったら、一勝もできへんかったゆうんか?」
皆、カフスに注目した。
カフスは、そやないやろ。と、少しトーンを落として、言葉を続ける。
「サッカーは一人でやるんちゃう。十一人全員の力で一勝するんや。試合を重ねていけばいろんなアクシデントかてある。いつもベストメンバーでいけるとは限らへんのや。」
どんな十一人でも、イレブンを組んだら信頼関係が大事。
どんなメンバーでもやっていきける。
皆も真剣な顔つきで聞いた。
「皆かて葵矩の進路じゃましたいなて、思ってへんやろ。ワイらのできることは、決勝で勝って葵矩に戻ってこれる場所、つくることやないんか。安心して、葵矩試験受けてこれるよう、勝つことやないんか。全国制覇目指しとんのやろ!!!しっかりせぇや!!!」
皆の胸に響いた。
カフスの力強い言葉。
皆、自分の発言に反省して――、
「そっか。そうだよな。」
「大丈夫。うん、飛鳥。俺たちやってやるよ。」
「そーですよね。皆で頑張りましょう!飛鳥先輩の分まで!」
「先輩。安心して合格してきてくださいね!!」
葵矩は胸がいっぱいになる思いで、皆を見回した。
笑顔。
ありがとう。と、礼をいう。
「僕がいれば安心ですよね〜!でも、淋しいから早く帰ってきてくださいね!」
るも
流雲が抱きついてきた。
了承して、頭を撫でてやる。
「ありがとう、皆!皆で全国制覇目指そう!!!」
「お――!!」
葵矩はそういって、皆に練習を促した。
「カフス、さんきゅう。」
「何ゆうとうんのや、頑張るんやで。絶対合格せなあかんよ。」
カフスの力強い笑みに頷く。
尉折も、
「お前がいない間に人気者になってやる。」
いらずらな笑み。
葵矩も笑った。
「そだ、尉折。T高に知り合いいる?」
郵便局で会った男の子とをきこうとしたのだが、尉折はちょっと考える素振りをして――、
・ ・ ・ ・ ・ ・
「たーっくさんいる。俺のこと好きな女の子が。」
「あのねぇ。」
ったく、T高は男子校だろ。
と、溜息。
「じょーくだよ。知らね。何で?」
いきさつを話すと、口元を緩めて俺のファンだ。と、豪語した。
葵矩はあの男の表情から、なんとなく違和感を感じていた――……。
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