7
あすか
「がんばってね、飛鳥ちゃん。」
十一月二十五日。
あと、一週間ほどで師走を迎えようとする今日。
きさし
葵矩の入試日。
そして、予選、決勝が十四時から横浜の三ツ沢競技場で行われる。
「うん。十四時半ごろに横浜帰って来れると思うけど、そのまま三ツ沢いっちゃうから。」
葵矩はそういって、家を出た。
午前五時半過ぎ、東の空に金星が輝く。
明けの明星である。
電車を乗り継ぎ、東京へ出て、新幹線で一時間あまり。
群馬県、渋川市。
雄大な自然が息づいていた。
渋川市は、地理的に日本の中央にあることから、日本のヘソとも呼ばれている、緑豊かな都市である。
東に赤城山、西に榛名山、そして北には子持山に囲まれ、また吾妻川と利根川の合流点にも位置している。
古くからの三国街道の宿場・市場町として栄えている。
まさに、群馬県北部の数多い温泉地の玄関口として知られてきたのだ。
息を吸ってみる。
空気が綺麗だ。
緑と一体になるような、そんな気がする。
優しく葵矩を包む。
神奈川よりいくらか涼しい風に、コートの前をかきあわせ、学校に向かった。
午前七時四十五分。
ここから歩いて十五分ほど。
少し早めだが、余裕があってよいだろう。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
校門までの間の道で、学生寮のちらしを配っている人たちと何気に挨拶を交わした。
葵矩も必要書類と共に、学生寮の願書を出した。
合格した際には、寮で生活することになる。
「一階の奥だ。」
掲示板の案内と受験票を照らし合わせ、校内へ入った。
早いと思っていたが、教室にはもうちらほら人が、どことなく落ち着かない雰囲気を漂わせている。
受験番号と同じ席に腰下ろす。
周りを見渡して、よく清掃されている教室だと気づく。
壁も床も、机も綺麗だ。
そして、窓の外。
どこまでも続く平地があった。
そして、緑。
土のグラウンドと芝のグラウンド。
よく整備されていて、とても広い。
周りに高い建物はなく、青々とそしてところどころ白く化粧した山々がそびえている。
こんなとこでサッカーしたら気持ちいいだろうな。
机に肘をついたまま、思わず魅入ってしまう。
「ねぇ。」
肩を叩かれて振り返る。
あすか きさし
「まさかと思ったけど。もしかして、飛鳥 葵矩くん?」
「え?あ、はい。」
もちろん、知り合いではない。
「やっぱり?ひゃあ、すっごい感激。」
その青年はシャープな瞳を大きくした。
「ほら、ほら。やっぱりそーだよ。」
「え?本当?」
ささやくような、しかし葵矩には丸聞こえの言葉。
女と男のうしろからの声。
それは次第に近づいた。
「あの……え。本当に、飛鳥くん、ですか?」
どことなくぎこちなく、その青年は尋ねた。
ゆっくり、葵矩は頷いた。
次の瞬間、
「うっそー!信じられない。本物ーっ!!」
女の子は、教室中に響く黄色い声を上げた。
そして、周りを見回してごめんなさい。と、口元を押さえる。
「……。」
葵矩が言葉を失ったと同様、先に声をかけた青年も少しの間沈黙して、
「……やっぱすげーな、全国放送。」
驚嘆してから――、
くるわ たりき
「俺、郭 托力。前回の全国大会で、君のファンになった!」
明るく爽やかな笑顔。
薄くかかる茶色の前髪。
鼻筋は通っていくて、薄く、大きめの口。
目はシャープに一重。
なかなかの男前だ。
「実は、俺も大会にいたんだ。最も、ベンチにしか入れなかったけど。」
静岡、S高の。
「え……。」
「えっー、君あの、静岡の選手なんですか?」
もう一人の青年が声を上げた。
小柄な、スポーツがり。
色白な頬を、寒さのせいか、舞い上がっているせいか、少し赤い。
すごいじゃん、すごいじゃん、と女の子はその青年の隣で騒いでいる。
かたぬぐ せつた
「おっ、俺。地元、群馬のS高、袒 雪駄。前回の大会ですごく感動して、ずっと飛鳥くんに会いたかったんです。」
丁寧な口調で、息をはずませ、言った。
しあの み り な
「あたし、あたし。詩彼 美李那。」
はきはきしてボーイッシュな、好感を与える雰囲気の女の子。
長身のモデル体型。
長いストレートの髪は、高く一本に結わかれ、柳眉に切れ長の綺麗な瞳。
「テレビで見て、すごく、すごく感激したの!あなたのサッカーに対する情熱が伝わってきて、胸がじん、とした。まさか、こんなとこで会えるなんて!」
瞳がきらきら輝かせていった。
「……ありがとう。」
やっとのことで喋れることができた葵矩は、礼をいった。
何だか、信じられなかった。
自分のファンだといってくれる人がいるなんて。
数ヶ月前、カフスに言われたときと同じ。
そんな様子に――、
「何か、やっぱ想像した通りの人らしいや。」
托力と名乗った青年は、失笑して満面の笑みで付け加えた。
はくあ
穿和先輩たちがいってた、さ。
「あ……。」
葵矩の脳裏に浮かんだ。
はくあ きずつ
穿和 創。
陽に透けると無色になる髪。
優しい瞳、端整な顔。
前大会で対戦した静岡の主将。
サッカーが抜群に巧く、総合的な選手だった。
「先輩たちはもう卒業しちゃったけど、今年も俺らは狙ってるよ。」
――全国制覇。
托力は先ほどの顔を一変して、引き締めた。
真剣で、自信のある表情。
「……そうか。……もう、静岡は決定したんだね。」
県の代表が。と、葵矩も真剣な顔つきでいって、祝いの言葉を言う。
「……あれ。……あの、神奈川って、今日決勝じゃありませんか?」
雪駄はティナーボイスを上げた。
「うん。」
雪駄のうわついた声を制止するように、葵矩はあっさり答えた。
「え。だって、間に合わないんじゃない?……もしかして、出ないの?」
美李那の驚いた声にも、
「うん。」
もう一度、はっきり答えた。
「さすがだな。」
托力は、鼻で息を抜いて――、
「エースを抜いても勝てる自信があるんだな。チームを、信頼してるんだな。」
「俺たちも、全国制覇狙ってるから。」
托力の言葉に、葵矩は堂々とそう言った。
「……すごいや。」
ぽかん、と口を開いて雪駄。
「何いってんのよ。あんただって、全国舞台に立つんだから!」
美李那が雪駄の背を豪快に叩いた。
「みっ美李那!……えっと、一応群馬代表でうちの高校がでることになりました。」
何だか謙虚にいった。
「じゃ、うちが勝ったら全国で会えるんだね。」
にっこり、葵矩は微笑を返す。
「だな。」
「よっ、よろしくお願いします。」
ところで。と、托力はちゃっかり葵矩の前の席に腰下ろして――、
「飛鳥はすぐにでもプロになんのかと思った。」
時計は八時十五分を指していた。
まだ、集合時間までは間がある。
周りは緊張の雰囲気が広がっている中、ここだけが和やかな空気になっていた。
「あ、俺も。だからまさかこんなとこで会えるなんて。」
「うん。だって、飛鳥ならいっぱい誘いきたろ。」
そんなことないよ。と、少し照れてから、自分自身を磨きたかったんだ。と、続けた。
「かっこいい。」
美李那は言った。
「すごい、いい瞳してる、飛鳥くん。あたし、やっぱりあなたが好きだ。」
えっ//////……。
突然の告白にたじろう葵矩だったが、美李那は至って自然体で話した。
「あたし、そういう瞳をもってる人、大好きなの。大好きなものを一心に見つめて、直進していく、強いまなざし。ブラウン管を通してもそれが判った。あなたに会えて、よかった。」
「……。」
初めてだった、こんな風に言われたのは。
美李那は本当に感激したようで、相変わらず目を輝かせていた。
葵矩はまたもや言葉を失った。
なんて、素直な心をもった子なんだろう。
瞳がとても綺麗だ。
鏡があるみたいだ。
好きなものを、好きといいにくくなったこの時代。
彼女はとても貴重な存在のように思えた。
自分の気持ちに素直に、真っ直ぐ生きている。
「彼女、プロダンサー目指してるんだ。」
雪駄は微笑した。
「うん。練習は厳しいけど、絶対プロになってみせるわ。」
美李那は力強く拳を握る。
M学園は、サッカー学院の他に、動植物学院や、ファッション、福祉文化などの学院がある。
日本全国に学院は散っていて、ここ群馬の学園では、サッカーとダンス学院であった。
「すごいね。お互い、頑張ろう。」
葵矩は彼女を本気で尊敬して、言葉を投げた。
「うん。」
美李那は満面の笑みで答えた――……。
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