9
わかつ
「和葛。」
きさし
宿舎に戻り、事情をごく簡潔に説明してから葵矩は和葛を誘い出した。
「あそこまで、ムキにならなくてもよかったんじゃないか?」
「……すみません。」
根は冷静で、判断力にも優れている和葛だが、私情が絡むと急に暴走することがある。
特に恋愛に関しては。
葵矩は半年前を思い返す。
「……情けないです。俺、ついかっ、となっちゃって。」
高い背を低く、腰を屈めた。
「情けなくなんかないさ。誰でも大切な人が危険な目にあったら、我を忘れてしまう。」
「……。」
和葛が顔を上げた。
「俺……ケジメが欲しかったんです。」
ゆっくり、心のうちを葵矩に告白しだした。
まいかわ きさらぎ
「ずっと、舞河のことが好きで、でも、言えずにいました。如樹先輩と舞河が付き合ってたときも、自分のことしか考えられなくて。先輩にひどいことたくさんいって……そんな自分すごく情けなくて……」
葵矩は何も言わずにただ、微笑した。
「この試合に勝ったら、舞河に告白しよう、とか。そうゆーの何回も繰り返してて……でも結局言えなくて。だから、明日、あいつらに勝てたら俺――……」
語尾を伸ばして、
「でも。」
短く言い切る。
「これは俺の気持ちの問題ですから。舞河や、まして先輩たちに迷惑かけるようなことは、しません。」
ゆっくり葵矩は首を横に振った。
「色んなことするのに、ケジメってすごく重要なんだよなぁ。」
まるで独り言をいうように、呟く。
「人、って皆どっかで区切りつけたがって、新しいこと始めるんだよな。そういうケジメ、つけると次にやることに威力が沸くっていうか。不思議だよね。」
「はい……。」
「自分なりに精一杯、頑張ろう。そうしたら後悔もしない。情けないなんて、絶対思わないよ。」
和葛は瞳を潤ませた。
「……如樹先輩には、絶対敵わないって思ってた。男らしいし、言い訳なんて決してしない。弱音も吐かない。……でも、敵う必要なんてないんですよね。俺は、俺らしくいけばいんですよね。」
葵矩は深く頷いて――、
「あいつは、俺にとっても永遠の、最強のライバルなんだよ。」
空を振り仰ぐと、半月が柔らかく笑っていた。
「さて、寝るか。」
葵矩は半月に笑顔を返して、立ち上がった。
「はい。……本当。すみませんでした。おやすみなさい。」
頭を下げた和葛の肩を軽く叩いて、
「おやすみ。」
部屋へと足を運ばせた。
うまくいくといいな。
自分のことのように葵矩は、和葛の成功を祈って微笑みながら部屋に戻った。
「……ったく。」
その途中。
葵矩は大きな溜息をつく。
前方の襖の隙間。
るも
顔を突っ込まんとするように、張り付いている流雲の姿。
ここって、確か……監督の部屋。
全く何やってんだか。
「こら、流雲。」
「しぃ。」
小声の叱責に流雲は人差し指を口元に、こっちを向いた。
別段驚いた様子も悪意もみられない顔。
「なにやってんだよ。」
・ ・ ・ ・
「何ってちょっと覗きですよ。」
・ ・ ・ ・
覗きにちょっともないだろ……全く。
あっさり言う流雲に呆れながらも――、
「部屋に戻れ、って。」
「待ってください。なかなかの展開なんですよ。」
何が、なかなかなんだか。
「ほら、監督と先生の奥さん。」
「え?」
反射的に、その隙間から顔を滑らせる。
机をはさんで監督の背中と女性の姿が見えた。
今は亡き、顧問の先生の奥さんだ。
・ ・ ・
「ね。なかなかでしょ。あの雰囲気は昔にあった感じですよ。監督もやっぱ男ですね。」
「あのなぁ……。」
勝手な想像にまたもや呆れるが、
「ってお前、こんなことしていいと思ってるのか。」
我に返って咎める。
話はあまり聞こえないが、プライバシーの侵害の何モノでもない。
・ ・ ・ ・
「いや。前からわけありだとは思ってたんですよ。監督冷たいし、クールで通してましたけど。ぜぇーったい結ばれない恋をしていると思ってたんですよぉ。だってあんな無愛想なひとが一つ返事で僕たちの監督OKしてくれるわけない。そーか。そーですよねぇ。」
全然聞いてないし。
流雲は、独りで言って独りで頷いている。
「……。」
戻るぞ、俺は。
あきれ果て、踵を返そうとすると――、
奥の物音に思わず葵矩たちは身を隠した。
女性が淡いグレーのコートをつかんで立ち上がったのだ。
どうやら帰るらしい。
監督は微動だにせず、女性はゆっくりと葵矩たちとは反対の出口から出た。
相変わらず、気品のある面持ち。
葵矩たちもよくお世話になったので、彼女の気立ての良さは知っている。
女性が部屋を後にした後――、
「何か用か。」
溜息交じりの、冷めた低い声が聞こえた。
「あ。ばれてましたぁ?」
悪びれた様子も見せず、流雲は顔を出して、ずかずかとあがりこんだ。
「かんとくも隅におけませんねぇ。やっぱり僕が思った通りシャイな人なんですねぇ。悲しいけど純愛。いーですねぇかんとく!」
監督の目の前に正座して、言いたい放題言いまくる。
葵矩は心配そうに、監督の顔色をうかがったが――、
「……良くはない。」
「……。」
一瞬耳を疑ったが、確かに監督が呟いた。
先ほどまでさわいでいた流雲も一瞬動きを止めて――、
「不毛じゃないんですよ。」
少しトーンを落として、流雲。
にっこり微笑んだ。
――見守るのも、愛です。
監督は、静かに手を伸ばした。
その先には写真。
「……。」
監督と、先生と奥さん。
緑が涼しげな、若かりし頃。
どういう事情があったのかはわからない。
辛く悲しいエピソードなのか、淡く儚い物語なのか。
監督の瞳は、いつもと異なっていた。
葵矩たちには見せたこともない、表情。
少しずつ、監督の心が開くのを感じていた。
「あいつは、本当にサッカーが好きだった。柄にも似合わずに、な。」
口元をゆるませたが、どこか儚げ。
先生。
小太りで優しいフェイスの中年男のイメージ。
葵矩たちをいつも見守っていてくれた。
サッカーのことこそは口出しせずに、自由にさせてくれたが、肝心なときはいつも見守ってくれていた。
心の支えになってくれていた人。
「必ず……必ず、全国制覇しろ。お前たちならできる。」
「……。」
「……。」
意外な言葉だった。
はっきりと、あの監督が口に出した。
「はい。」
「はい。」
一瞬遅れて、葵矩たちは返事をした。
――必ず全国制覇しろ。お前たちならできる。
葵矩は、微笑んだ。
「一緒に、全国制覇しましょう。」
流雲も笑った。
見ててください、監督。
先生、そして先生の奥さん。
必ず、全国を制覇してみせます。
俺たちの力で。
皆の力で。
葵矩は堅く誓った――……。
一月七日、準決勝、国立競技場。
朝から天候が一変した。
風がざわめき、大粒の雨が吹き付ける。
しかし、競技場内は相変わらずの満員で、熱気が立ち込めていた。
「がんばれよ!!」
「応援してるからな!!」
学校の皆も駆けつけてくれ、卒業した先輩たちも。
そして、
あすか
「飛鳥ちゃん、ファイトだぞ!」
「葵矩くん、ビデオとってるからね〜!」
「頑張れ!」
し な ほ
紫南帆も受験勉強中にもかかわらず、時間を割いて来てくれた。
みたか
両親たちも、もちろん紊駕も。
葵矩は皆に礼をいう。
そして――、
「飛鳥くん!」
しあの かたぬぐ
「あ、詩彼さん。袒。ありがとう。」
「がんばってね!応援してる!」
み り な
長く細いストレートな髪をしゃん、と一本に結った美李那は元気良く言った。
せつた
雪駄も笑顔。
葵矩は、手紙のお礼にもう一度、美李那にありがとう。と、口にした。
美李那は、手紙を読んでくれたことに嬉しいと、素直にいって、さわやかな笑みを漏らす。
「葵矩ちゃぁ〜ん。」
うしろからのその声に、嫌な予感。と、葵矩は眉をひそめ――、
「誰ですかぁ、この美人は!!」
「誰なんですか!この僕を差しおいてせんぱい!!」
「誰やぁ、ワイに断りもなく〜!きさし!!」
いおる
尉折、流雲、カフスの声が一斉に耳に響いた。
「うわっ!」
三人に押しつぶされそうになる。
「お前!紫南帆ちゃんって人がいながら、うわきしたか!」
「そーですよ。僕って人がいながら!」
「せや、ワイがおるゆうに!!」
またもや責め立てられる。
「ちょっと、ちょっと、待った!!」
人に埋もれて、美李那の姿が見えないことを確認して、少し小声で――、
しあの み り な
「彼女は、入試の時に会った、袒と同じ高校のコ。詩彼 美李那さん。それ以上でも以下でもない!」
断言する葵矩に、
「ほんとかなぁ〜。」
「信じられません。」
「信じられへんわなぁ。」
疑いの目を向ける三人。
ったく、お前らはぁ〜。
睨む葵矩。
「尉折さん。」
うしろからの声に尉折が振り返った。
らく
「……楽。」
尉折は目を細めて、来てくれたことに礼をいうと、楽も笑顔でがんばってください。と、一礼をした。
「負けたらしょーちしねーぞ!!」
れっか
鹿児島県代表K高校の烈火も。
皆、皆葵矩たちを応援しに、わざわざ声をかけてくれる。
「飛鳥。頑張れよ!」
とうみ
「あ、凍未さん。」
去年闘った、北海道代表U高校のOBたちも、自分の母校の試合の前に駆けつけてくれた。
くりま
「栗馬。」
「おう、負けんなよ。」
う き や
葵矩たちの次に試合を控えている、北海道U高校の羽喜夜も。
う き あ みなき みやつ
羽喜夜の兄である、羽喜朝に、その友人である、皆城 造も。
「飛鳥。」
次々と名前を呼ばれ、その人物をさがすことすら難しくなってきた。
たがら
「……貲さん。」
こうき
箜騎までも激励に来てくれて、そして、紊駕と造を見て――、
「……紊駕……造?」
驚いた顔をする。
造は紊駕の友人でもあるのは、葵矩も知っていた。
しかし、箜騎までもか。
「紊駕……もしかして、俺、貲さんと以前に会ったことあるのかな?」
紊駕に尋ねた。
既視感。
ずっと頭の中でもやもやしていた感情。
「ずっと昔。俺、彼のプレーを感じたことあるって……思ったんだ。」
「……。」
紊駕は無言のまま、微笑して、そして、
「じきに解る。」
「え……」
意味深な言葉を吐いた。
葵矩も箜騎さえも、首をかしげた――……。
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