
2 みたか 「紊駕!」 きさし 葵矩は、帰宅してすぐ、自分の部屋ではなく、北東の角にある紊駕の部屋に足を運んだ。 勢い良くドアを開く。 「ノックぐらいしたら?」 突然の物音に、紊駕は相変わらず、ポーカーフェイスで冷淡に吐いた。 机に向かって雑誌を片手に鋭い瞳を突きつける。 「何でだよ!」 紊駕の言葉には答えず、憤怒の形相を隠さない葵矩。 開けっ放しのドアの前で仁王立ちしている。 よほど急いだのか、頬は紅潮し、肩で息をしていた。 「何?」 まいかわ 「何で舞河ってコと付き合うんだよ!」 めずらしく言い切った。 そんな葵矩にも全く動じず紊駕は、 「何でって?」 質問を繰り返す。 「……本当なのか?」 声のトーンを落とす葵矩に、自分で聞いておいて何いっての。という顔をして読んでいた雑誌に再び目を移した。 葵矩は、否定して欲しかった。という言葉を内に秘め――、 「どうしてだよ。手紙、もらっても見ないで捨てちゃうし。告白されても冷たく断って……今までだって、興味なんて示さなかったじゃないか!!」 一気に吐き出した。 両手に力を込める。 「冷たすぎるってゆったの。お前だろ。」 イスに腰をかけ、長い足を組んだまま、雑誌から目を離さずに口にした。 「……言ったよ。言ったけど!!」 語尾にアクセントをつける。 そして、 「あのコのコト、好きなのか?」 少し、穏やかに尋ねてみた。 無言。 「何で?好きでもないのに、付き合うんだよ!お前、昔ゆったよな!好きじゃないならはっきり断れって!俺に、そう言ったよな?」 今にも掴みかかりそうな勢いの葵矩にも、紊駕は冷静に、 「好きな奴がいるなら。ってゆったハズだけど?」 葵矩の目を見た。 「……じゃあ。」 葵矩は唇をかみ締めた。 冷静沈着な紊駕を見る。 「じゃあ紊駕はいないのかよ。好きなコ、いないのかよ!!」 「いない。」 紊駕の即答。 「ウソつけ!いるだろ?本当は、いるんだよ!!何でそうやってウソつくんだよ!!」 大きく深呼吸した。 「断言する。断言できる!紊駕はあのコと付き合えない!!紊駕は、あのコのこと好きにはなれないよ!!!」 紊駕が、机の上に雑誌を置いた。 ゆっくり、その赤い髪をかきあげて、立ち上がった。 「いつから、ヒトの心がわかるようになったんだ?」 「わかるよ!紊駕の心。俺にはわかる!!」 葵矩も負けずに、自分より10cm高い紊駕を精一杯睨み上げた。 その時――、 「……紫南帆。」 物音に気がついた葵矩が、後ろを振り向く。 開け放っていたドア。 紫南帆の姿。 ひだか 「あ。……えっと。紊駕ちゃん。淹駕さん、帰ってきてね。用があるっ……て。」 空気を察して、バツの悪そうな顔をした。 葵矩も紊駕をにらみつけた格好のまま、仁王立ちで口をつぐんでいた。 「言えよ。」 紊駕だけが、相変わらずのクールな表情で――、 「わかんだろ。俺の心。言ってみろ。」 「……紊駕っ。」 葵矩が、紊駕と紫南帆を交互に見た。 紊駕は冷ややかな瞳。 かすり 「言ってみ?何で俺が、飛白と付き合えないか。何で俺が、飛白のこと好きになれないか。言ってみろ。」 怒る風ではなく、しかし意地悪気に単調に口にした。 「っ……。」 さらに唇をかみ締める葵矩。 紫南帆は、身じろぎすらできずにいた。 数秒。 紊駕が、溜息をついた。 「憶測すんな。」 葵矩をすり抜け、紫南帆に、父親は書斎かと尋ね、頷きを確認して礼をいってから階段を下りて行った。 「どうぞ。」 北西の角部屋。 完全防音の淹駕、紊駕の父の書斎。 ノックをしてから重たいドアを開いた。 8畳ほどもある書斎は、医学書や書類がヤマのようにあり、かつ整頓されていた。 「かけなさい。」 淹駕は息子を座れと促した。 紊駕は頷いて、腰を下ろす。 「何をいいたいかは、解っているな。」 紊駕の頷きは確認せずに――、 「もちろん強制はしない。」 淹駕は足を組む。 紊駕と良く似た切れ長の目で息子を見た。 「興味があったら、一度病院に来なさい。話はそれだけだ。」 机に向かった。 「わかりました。」 紊駕は立ち上がり一礼して部屋を出た。 淹駕――私立如樹病院の院長である。 息子の進路について、短い言葉で気持ちを伝えた。 部屋を出ると、機械的な電子音が鳴った。 「ごめーん、誰かでてぇ!」 キッチンで美鷺が声を張った。 きさらぎ 如樹家の電話の音。 「はいはい。」 り な ほ 璃南帆がリビングから立ち上がったのを、 「いいですよ。」 紊駕が制した。 「あら、めずらし。」 キッチンからその様子を覗いて美鷺。 紊駕が受話器を上げる。 「はい。」 電話口でそういったきり、紊駕は寡黙。 壁にもたれかかり、受話器をただ、持っていた。 「いいよ。じゃあ。」 最後にそういって、静かに電話をおいた。 それから、しばらくして――、 「気をつけてね。」 玄関で見送った紫南帆に顎で意思表示をし、ZXRにまたがった。 エンジンをかける。 スムーズな走りで、ZXRは134号線を鎌倉方面へ抜ける。 ロ ー ド The Highwayと書かれたシンプルな看板。 紊駕は安全にZXRを停め、鍵を抜いた。 クラッシックなドアを開ける。 瞬間。 「……飽きないヒトですね。すずなさん。」 些かきついシャネルの19番の香水とともに、唇が振ってきた。 「おしい。」 体ごと紊駕に飛び込んできた女性は、舌打ち。 すかさず、腕を紊駕の首に回して、唇を求めた。 紊駕は些か呆れて、その腕を軽く取る。 「つまんなーい。」 すずな。と呼ばれた女性は茶色のシャギーの入った髪を手で梳いた。 「毎回同じ手口じゃね。おはよ、紊駕。」 カウンターの奥で、作業をしながら、忍び笑いをするもう一人の女性。 「おはようございます、なずなさん。」 紊駕は挨拶を交わして、さらに奥の部屋に着替えに行った。 鎌倉、小町通にある、ここ、The Highway、バー。 紊駕のバイト先のひとつ。 開店時間は、夕方5時から朝の2時まで。 紊駕は、週に3日ほど、夜の時間をここで過ごしている。 シンプルで、クラッシックな雰囲気の店。 カウンターと数脚のテーブル席。 決して広くはないが、落ち着ける空間作り。 客層は様々だが、女性が多い。 女性ひとりでも寛げるように配慮されていた。 「ねぇー、紊駕。今度うちこない?」 黒のベストに黒のズボンに着替えた紊駕に、すずなは甘い声を出す。 真っ赤なルージュが艶かしく動いた。 「今度。」 軽く受け流して、早速仕事に入った。 「もう。つれないなぁ。ま、クールなとこが好きなんだけど。」 すずなは唇を尖らせて、ぼやいた。 「すずな、3番テーブル。」 「はーい。」 なずなの言葉に、返事を返す。 りつか なずな――俚束、ここのオーナ。 り ゆ すずな――莉由、従業員。 店では、2人とも源氏名を使っていた。 「お決まりですか。」 「紊駕。」 テーブル席に一人、腰をおろしていた女性が紊駕を指差した。 紊駕は軽く笑って――、 「今度な。」 だいたいの客は、常連で、紊駕も知った顔ばかりだ。 「ずっるい。いっつもそうなんだから。」 「高いよ。」 反応を楽しむように、紊駕は端整な口元を跳ね上げた。 女性は、にこり笑う。 「いーわよ。その代わり、新しく始めたガス・スタのバイト先。皆に教えちゃうよ。」 知ってるんだから。と得意げに笑って、尖った顎を上に向けてテーブルについた片肘で支えた。 「いーですよ。繁盛しますしね。」 紊駕の答えに、女性は頬を膨らませた。 観念したように注文をした。 紊駕は、失笑して受ける。 そんなこんなで――、 「もういいわよ、紊駕。」 閉店作業。 俚束は紊駕の手から濡れたグラスをとった。 紊駕とられたグラスを取り返して、無言で拭く。 「いつもありがとう。優しいのね。」 2人だけの店。 俚束の食器を洗う音と、紊駕がそれを片付ける音が響く。 「でも、明日も学校でしょ。」 AM2時すぎ。 何も言わない紊駕に、 「ふっりょう。」 俚束はお礼を込めて笑っていった。 俚束がやっとの思いで開店させたこの店。 学生の頃からの夢。 経営は容易くないが、身を削って頑張っている俚束。 「世話になってますから。」 紊駕は一言そういって、テキパキと仕事をこなした。 そして――、 「おやすみなさい。」 まだ真っ暗な外。 少し遠慮がちに、ZXRのエンジンをかけて、帰宅した――……。 >>次へ <物語のTOPへ> |