
3 みたか 「紊駕ちゃん。朝だよ。」 いつものように、紫南帆は、紊駕の部屋のカーテンを開けた。 午前7時50分。 前の日に夜のバイトがある時は、紫南帆が紊駕を起こすのはこの時間だ。 きさし 当然の如く、葵矩はもういない。 「ん。」 ベッドの中での朝の紊駕は、普段より数段かわいげがある。 枕を握り締めるうつぶせの格好。 そんな紊駕を見て、紫南帆は、毎回失笑したくなるのだ。 「おきたぁ?」 「はい。」 リビングでは、相変わらず母親たちが寛いでいた。 紊駕の為のモカ珈琲を入れて、紫南帆は、ダイニングテーブルについた。 学校に行く準備は万端だ。 ほどなくして、紊駕が降りてくる。 着崩した制服姿。 制服の足が長い。 「はい、珈琲。」 まだ眠たそうな顔。 顎で礼をいって、一口飲んだ。 8時5分が過ぎて、2人は学校へ向かった。 「大丈夫?」 眠くないか。の紫南帆の問いに頷く。 「そーだよね。睡眠5時間もないもんね。」 「心配ねーよ。」 見かねて紊駕。 「授業中寝てるし?」 イタズラな笑みをした紫南帆に、失笑して、頷いた。 「うそ。ごめん。」 でも、体気をつけてね。と憂いだ。 もう既に散ってしまった桜並木。 ここを抜けると、夏を待ちわびているかのような湘南海岸。 潮風が2人を包み込んだ。 少し右に折れ、江ノ島電鉄の踏切りを越えると、左手にS高校の正門が見える。 S高校は江ノ島電鉄に囲まれるようにして建っている。 今、紫南帆たちがいるほうが正門だが、駅が反対側にあるので、そちらから登校する人のほうが多く、まわりには生徒はいなかった。 見上げるような高い階段を右に見て、それを上れば昇降口だ。 校舎は教室連のある北棟と、図書室や音楽室など特別教室のある南棟にわかれている。 北棟と南棟は2つの渡り廊下で繋がっているが、斜面に立てられているために、北棟の1階と南棟の3階が平行だ。 2人、昇降口で――、 「紫南帆紫南帆紫南帆紫南帆っっ!!」 ・ ・ ・ ・ ほしなほ、と聞こえるくらい紫南帆の名前を連呼して、その人物は駆け寄ってきた。 「瀬……」 せお 瀬水。と紫南帆が呟くよりも早く、瀬水は紫南帆の腕をとって校舎へ引っ張り込んだ。 「おはよう。……どうしたの?」 紫南帆のゆっくりした喋りに、瀬水は大げさに周りを見渡して、紊駕から十分なキョリをとったのを確認して――、 まいかわ かすり 「如樹くん、1年の舞河 飛白ってコと付き合ってんだよ!!」 周りを見回したのが、意味のないほどの大声。 「……。」 黙している紫南帆に、 「驚かないの?」 肩で息をして、瀬水。 「……驚いた。」 いたって普通に言葉にした紫南帆に――、 「はぁ――、驚きすぎて放心してんの?ねぇ!何で、ほけっとしてられんのよ!!」 「ほけっ……て。どーせいつもボッとしてますよ。」 いーだ。と、紫南帆はかわいく小さな口を広げた。 そして、まじめな顔を作る。 「……紊駕ちゃんがOKしたんでしょ。私がとやかくいうこと、ない。」 静かに口にした。 「……それでいいんだ?それでいーの、紫南帆!」 教室に向かいながら、瀬水は紫南帆を追いかけて続ける。 「言ったじゃん紫南帆。好きかもしれないって!言ったじゃんよ!!それでいいの?如樹くんも如樹くんよっ信じられない!何で付き合っちゃうのよ。」 一気に捲し立てる。 「……じゃあ。」 紫南帆が瀬水に向き直った。 真剣な表情。 あすか 「じゃあ、私が飛鳥ちゃんのこと好きっていったら、紊駕ちゃんの悪口いわない?」 「……紫南帆。」 瀬水は口をつぐんだ。 紫南帆の眉間に皺がよる。 「ごめん。でも。あんまり紊駕ちゃんの悪口、いわないで。」 瀬水もごめん。と小さく呟いて席に座る紫南帆に倣った。 痛いほど、紫南帆の気持ちが伝わってきた――……。 1組の教室。 朝レンを終えた葵矩が、例の如く机に突っ伏している紊駕を無言で見て、席についた。 紊駕と飛白のことは、1日もしないうちに校内に広まった。 ショック。と、騒ぐ者。 いーなー。と、うらやましがる者。 様々だったが、紊駕に対する悪口も少なくはなかった。 「何考えてんの?」 昼休みの屋上。 あさざは紊駕の姿を見つけて、鋭い瞳を突きつけた。 「……あんた。何考えてんのよ。」 屋上のドアに寄りかかり、腕を組んで紊駕を見据えた。 紊駕は、策にもたれて海を見つめている。 時折吹く潮風が、紊駕の赤い髪をなびかせる。 「どうして心にウソつくの?少しは素直になったらどう?」 無言の紊駕に、あさざはおかまいなしに言葉をぶつける。 紊駕があさざを見た。 「何よ。何か言ってみなさいよ。言えるもんなら言ってみなさいよ!」 啖呵を切った。 先生としてではもちろんなく、友人として。 「いつだってそう。自分より他人。他人を傷つけるなら自分を傷つける。優しいの。優しすぎるのよ。でも、心には、いつも誰かがいた。一番大切な誰かが。忘れようにも忘れられない誰かがね。あんた、わかってるハズよ。――わかってないのは!」 一気にそこまでいって、呼吸を整えた。 「傷つけまいと思っている人が、あんたの優しさで傷ついてるの。あんたは、それをわかってない。わかってないのよ!!」 紊駕を直視。 「自分だけ悪振らないで。」 最後に静かに口にして、職員室へ続く階段を下りて行った。 紊駕の染髪が潮風に再び弄ばれる。 「……。」 髪をかきあげて、海を見た。 「如樹先輩!!」 突然の焦燥感漂う言葉に、屋上の入り口に再び顔を向けた。 とゆう 都邑だ。 「守ってあげてくださいね。守ってあげてくださいよ!飛白、強い子じゃないんですから!!」 「何処だ?」 ――昇降口。 都邑の言葉より早く、紊駕はその長い足を階段へ向かわせた。 「いい気にならないでよね。」 「そうよ。ダレもあんたなんて認めてないのよ。」 その細い体は、ゲタ箱に叩きつけられた。 「ちょっとかわいいからって図にのんじゃないわよ。」 女生徒の集団。 よってたかって飛白に汚い言葉を投げかける。 飛白は小さな体をゲタ箱にあずけ、うつむく。 そして――、 「……先輩。」 女生徒が沈黙し、飛白が顔を上げた。 精悍な顔立ちの紊駕の姿。 無言で女生徒たちの輪に押し入り、飛白の腕を引いた。 「待ってください。」 女生徒の一人が声を上げる。 「あたし。手紙、渡したんですよ。どうして、来てくれなかったんですか?」 紊駕がその女子を見た。 「読んでないから。」 冷淡に口にして、 「俺は、飛白と付き合ってる。文句あんなら俺んとこにこい。」 鋭く蒼の瞳を女生徒に突きつけた。 そのまま振り返らずに、飛白を優しく歩かせる。 「……ありがとうございました。」 か細く、小さなその声に――、 やなみ 「礼なら屋並にいえ。」 顎をしゃくった先には、都邑の姿。 飛白が都邑の名前を呟く。 「ありがとうございます。如樹先輩。飛白、部活はいいから。」 そういって、手をふって一人、部室に向かった。 飛白は紊駕の顔を見る。 「家、大船だな。」 「え……」 言うが早いか、紊駕は、すぐ戻る。と言い残して学校を出た。 そして、ZXRで戻ってきた。 「……。」 飛白がその様子を見て、 「だ、大丈夫です。一人で帰れます。」 顔の前で小さな手を振るが、紊駕は有無を言わせずに飛白にメットをかぶらせた。 「ちゃんとつかまってろ。」 「……はい。」 KAWASAKI ZXRは安定した走りで、134号線を走りぬけた。 いつもより、さらに安全運転。 海岸線を走り、滑川の手前で左に折れ、若宮大路を直進する。 減速もスムーズに行う。 鶴岡八幡宮を左折。 横浜鎌倉線。 右方向に私立K学園が見える。 紊駕の知り合いが何人か在籍している学校だ。 さらに進むと、私立K女子学園が左手に見えた。 「ここ……母校です。」 飛白が小さく呟く。 紊駕は、道を知っているかのように、小袋谷を右折して鎌倉街道に出た。 「そこ、左にお願いします。」 小さな声だが、紊駕には聞こえている。 安全に左折した。 「ここ……父の会社なんです。」 「……。」 大手電機会社の一つ。 大きな工場がそびえていた。 「あ、ありがとうございました。あ、あの、日曜日……」 「11時に迎えに行く。」 「は、はい。さようなら、気をつけてください。」 飛白は、頷いて、紊駕が見えなくなるまで小さな手を振っていた――……。 >>次へ <物語のTOPへ> |