♪1小節♪
――俺たちは、無限旋律なのだろうか。
いや、発展し続ける、という点でも、違う。
ヒトは、終止符を打たなければ、前へは進めない。――
1996年、冬
プラスチックが割れ折れるような、乾いた音。
かすかな指先の痺れを促す。
「乾燥してるな。」
つづし
矜は、年季の入った紫色のピックをおいて、変形した爪を見つめ、呟いた。
抱えていた、アコースティックギターを厳重にチェックする。
大丈夫そうだ。
しかし、念のため加湿器のスイッチを入れた。
倉庫の中の湿度計をチェック。
42%。
気がついてよかった。
矜は、安堵のため息をついて、倉庫内を見回す。
様々なギターが顔を揃えている。
高校を卒業して、職を転々としながら夢を追い続けた。
ようやく叶った夢。
鎌倉駅に程近い、小町通りのライブ・ハウス。
経営は厳しいが、何とか運営できている。
「ちゅじゅ、ちゅじゅ。」
上の方から、一生懸命に矜の名を呼ぶ声。
矜は微笑んで、階段を上がり、ギターの代わりに抱き上げた。
りつき
「どーした、立樹。」
自然と瞳が優しくなる。
柔らかな頬が押し付けられた。
ミルクの匂い。
矜は、立樹を片手で支え階段を下りた。
「大きくなったな。」
「でしょ。もう2歳になるのよ。」
上の階から顔を覗かせた女性は、肩まで伸びる茶髪をかきあげた。
「そうか。」
両手を立樹の脇の下に入れて、上に持ち上げる。
奇声を上げる立樹。
「なーんか、顔つきが男っぽくなってきたなぁ。」
おでこをくっつけた。
「だいぶね。言葉も発するようになったし、ねー。」
階段を下り、息子の頭を撫でて笑む女性。
ロ ー ド りつか
矜の店の上階、The Highway、バーのオーナー、俚束。
2歳児の母には見えない、風貌。
170にとどきそうな長身に、グラマラスな体つき。
しっかりメイクは、妖艶さを表す。
矜とは馴染みで、今では共同経営者だ。
「そうやってると、親子ってゆってもわかんないわね。」
俚束は茶化すように言って、腕を組む。
そして、二重の瞳を細めて――、
「また別れたんだって?」
矜の動きが一瞬止まり、
「振られたの。」
語尾を強調して、念を押すように言う。
俚束の溜息。
「相変わらず、続かないね。」
嫌味には聞こえなかった。
杞憂する顔。
矜は瞳を反らす。
今年、28歳になる。
今までそれなりに付き合った女性はいた。
ただ、何年も続いた女性はいない。
「しょうがないだろ。振られるんだから。」
立樹を俚束に渡した。
立樹は、相変わらず言葉にならない声を上げている。
「気づいてるでしょ、自分でも。」
クラッシックなカウンターに並ぶ、丸イスに腰掛けた。
膝の上に立樹をのせて、あやしながら、矜の返答を待っているようだ。
矜は手のひらを額にあてがった。
長く伸びる前髪をかきあげる。
こうき
「箜騎、元気か。」
俚束は、はぐらかさないの。と、口開いてからうなづいた。
「もうすぐ選抜との試合があるから、忙しいみたいだけど。」
箜騎は、俚束の夫で、サッカー界の有名人でもある人物だ。
ゾク ロ ー ド
そして3人、横浜一大きな族、THE ROADの仲間。
青春を共にした友人だ。
「そっか。頑張ってんだな。……昔が懐かしいな。」
天井を仰いだ。
今はもう、存在しないTHE ROAD。
矜たちの永遠の、決して色褪せることのない場所、ルーツ。
皆、それぞれ成長し、違う道を歩んでいるが、今でも心の中に、ずっと在る。
ゆづみ
「……夕摘も元気にしてるかしら。」
あたかも自然に、俚束は口にした。
その瞬間。
矜の脳裏に、走馬灯のように記憶が蘇った。
柔らかな長い髪をかきあげる優美さ。
芯の強さと脆さを併せ持つ、笑顔。
側にいてほしいと、願った。
守りたいと、想った。
叶わない、夢。
「……子供でも生まれて、幸せに暮らしてんじゃないか。」
矜は、そうあってほしいと願う反面、心の動揺を隠せずにいた――……。
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