1小節2小節3小節4小節5小節6小節7小節
 ♪ 8小節9小節10小節11小節12小節あとがき

                ♪9小節♪



          りつか
妻   「ごめんね、俚束。」

                         ゆづみ
鎌  鎌倉市内のマンション。俚束の家の玄関前で、夕摘は頭を下げた。

                 つづし
   俚束は、夕摘と矜を交互に見て、複雑な表情をしたが、口元を和らげて頷いた。

芯  矜が俚束に連絡をとってくれたのだ。

矜  一言、頼む。と言い残し、矜は足早に背を向けた

   矜のその背中。夕摘は胸が締め付けられる思いがした。
俚  俚束に促され、中へ入る。

    「……ホームシックにかかるの早いわね。」
   ボストンバックを見て茶化すように笑った。
   夕摘は、ごめん。と呟いた。
で  綺麗に掃除がなされている玄関に、コンビニで買った傘を立てかけた。
   「……正直いって。あたしは、嬉しいよ。」

                 こうき                    りつき
   その夜、俚束と箜騎。そして二人の息子の立樹と食卓を囲んだ。

や   「いつも突然……ごめんね。」

   甘えてごめん。と旧友に感謝を示したが、俚束は首を振った。

    「あんたと矜のことよ。」

   歯に衣着せぬ言い方に、どきっとさせられた。

そ  箜騎は不安気な表情を隠さなかった。

   俚束は、夕摘が来たときに玄関に置いた傘に視線をやる。
   昨日の夜から早朝まで降っていた雨。

   簡易傘。
   夕摘の薬指にあるハズの指輪。

   推測は容易だったハズだ。
    「いくらだって、やり直しはきくと思うよ。」
     俚束の大きな瞳が諭す。

   でもね。と、歯切れよく言い放って――、

    「これは、あたしが夕摘と矜の親友だから、言う。」
矜  前置き。
    「もし、夕摘に覚悟がないのなら、矜に期待させんのは、やめて。

   真面目な面持ちの俚束。夕摘は、はっ、とした。

   箜騎が、おいっ、と制すが構わず続ける俚束。
反   「夕摘は元サヤでいいけど、矜はまた、ずっとあんたを忘れらない。
   ――もう、いいから。
そ  ――大丈夫、ゆづは大丈夫だ。
   夕摘の頬を涙が伝った。
   箜騎が心配そうな顔をして見つめる。

    「今まで矜が付き合ったコ、皆夕摘の面影もってた。」
「   「俚束、やめろ。」

   箜騎が今度は声で制す。

や   「やっと、やっと吹っ切れたと思ったのに!」

    「俚束!やめろってゆってるだろ!
   箜騎が叱咤した。その声の大きさに立樹が泣き出す。
隣   「……ごめん。ごめんなさい。」
   俚束はため息をついて、そして息子を抱き上げた。
    「夕摘さんが悪いわけじゃないだろ。責めるなよ。」
   すみません。と、箜騎が頭を下げた。
   夕摘は、首を振った。

   わかっていた。

「  自分がどれくらいズルイか。

夕  矜に甘えた。俚束に甘えた。実家に、弟に……。
    「……帰るね。」
   俚束は泣き止んだ立樹を抱いたまま、顔色は変えなかった。
      つづみ
    「坡に連絡しといた。実家でゆっくり考えなさい。」

   親友だからこそ、言ってくれる厳しくて優しい言葉。

   ありがとう。と、心から礼を言った。
   程なくして、水冷エンジン特有の音がマンションの前で静止した。

    「来たみたいね。
   また、弟に迷惑をかけた。ダメな姉だ。
    「……ね、夕摘。甘えるななんて、ゆってないよ。」
   そんな夕摘の気持ちを理解して、俚束は優しく言った。

     「夕摘はむしろ、甘えていい相手にしっかり甘えなさい。」

首  甘えていい相手……。

首   「ゆづ姉。」

首  坡は俚束と箜騎に頭を下げた。夕摘の腕を取る。

首  夕摘は、ごめん。と呟いて俚束の家を後にした

   

矜  実家に帰ると、いつもの雰囲気で両親は夕摘を迎え入れた。

矜  母は、台所に向かったまま、夫から電話があった旨を伝えた。

矜   「夫婦ゲンカもいいけど。連絡してから来なさいよ。」

矜  ご飯なくても知らないわよ。と、笑った。

矜  夫婦ゲンカ……。夕摘は眉間に皺を寄せた。

矜   「世間体気にして、連絡してきたのかよっ。」

矜  2階の部屋で、坡はゴミ箱を蹴飛ばした。舌打ち。

2  あんとき、帰すんじゃなかった。と、坡は独り言のように言った。

坡  夫の浮気現場を見たときは、見て見ぬ振りをして日常に戻った。

   知らぬ存ぜぬを通した。夫も何も言わない。

    「ゆづ姉、別れろよ。」

   坡は鋭い一重の目を突きつけた。

   弟の真剣な顔。夕摘は目を逸らせなかった。

窓  窓をたたく音が聞こえて、坡が窓を開けにいった

矜                   てつき
   隣の家からベランダ伝いでやってきた轍生。いつものことだった。


矜   「おすそわけ。」

矜  夕摘のことは何も言わずに、ケーキの箱を差し出す。やんちゃな瞳。

矜  3人で小さなテーブルを囲んだ。

矜   「帰さねぇから。」

矜  ケーキを平らげて、その続きかのように坡は言った。大人びた顔。

矜  彼女に言うセリフなら喜ばれるだろうに。

矜   「……ダンナさんとはちゃんと話、したの?夕摘姉ちゃん。」

矜  風体に似合わず、優しい声で轍生。夕摘の顔を心配そうに覗き込む。

矜   「話すことなんてねぇよ。別れんだから。」

矜  夕摘の代わりに答えた坡は、ふてくされたようにそっぽを向いた。

矜   「……大人には事情ってもんがあんだろ。」

矜  轍生は少し呆れて、坡の肩をたたいた。それを振り払う坡。

矜  俺たちにわらかないことがたくさんあるんだよ。な。と宥める。

矜  

矜  いつからこんなに大人になったんだろう。

矜  轍生も坡も。

矜  自分がこんなんじゃ、いけない。止まったままじゃだめだ。

矜  改めて自分を振り返った。

矜  この6年、夫の忙しさにガマンして、波風立てぬようにしてきた自分。

矜  甘えないよう努力した。でも、ちゃんと向き合っていなかった。

矜      つづし
       「矜さんとは、どーすんだよ。

矜  二人に礼を言った後、坡が真剣な顔で夕摘を見た。轍生は視線を逸らした。

矜  夕摘は押し黙る。

矜  気がつけば、いつも傍にいてくれた。元気付けてくれた。

矜  心の空いたスキマ。優しく触れた。

矜   「矜さん。ずっとゆづ姉のこと想ってんだろ。

矜   「坡。」

矜  轍生が口を挟んだが、坡は続けた。

矜   「前に帰ってきたときだって。この間だって。矜さんの気持ち……
矜  突然隣のの体が浮いた。胸ぐらをつかみあげて、にらみを利かす轍生。
矜   「それ以上ゆったら、殴んゾ。弟だってゆっていーことと悪いことがあんだろが。」

矜  轍生のこんな顔、見たことがなかった。ガタイに似合わず温和な性格。
矜  幼少から優しかった、あの轍生が、夕摘のために怒っていた。
   坡が我に返り、悪い。と謝った。轍生が手を緩めた。

矜   「夕摘姉ちゃん、ゆっくり考えなよ。時間はたくさん、あるよ。」
矜  優しい眼差し。坡も目でうなづいた。
矜  ありがとう。夕摘はもう一度、心から礼をいった――……。





<<前へ     次へ>>                 <物語のTOPへ>