
♪12小節♪
「ゆづ?」
ゆづみ つづし
鎌 夕摘の優しい声が電波に乗って矜の耳に入った。
目をつむれば、夕摘の顔。容易に思い出すことができた。
柔らかい長い髪をかき上げる仕草。
芯の強い瞳。でも、どこか脆く、儚い。
俚 ――ありがとう。
矜は夕摘の言葉に黙って耳をかたむけた。
や 時折うなづいて、優しい言葉をかけた。
不思議と、心は穏やかだった。
「おめでとう。」
矜 自然と言葉もでた。
りつか つづみ てつき
終始聞き耳を立てていた、俚束や坡、轍生は顔を見合わせた。
そ 矜は静かに受話器を置いた。
「……どーゆーこと?」
坡の鋭い目が突きつけられた。
矜は優しく口元を緩めた。
「旦那さんと、やり直すって。」
コーヒーを一口飲んだ。やはり、ほろ苦い。
隣で3人が目を見張った。
「……ふざけんなよ。どーゆーことっすか!」
ここにはいない姉に怒りをぶつけ、矜につめよる坡。
矜は小さなため息をついて、コーヒーカップの波紋を見つめて言った。
「……子供が、できたんだって。」
矜 3人の驚く顔が見事に協和音となる。
夕 「ちょって待って!矜さんっ……」
反 坡が頭をフル回転させて時をさかのぼった。
坡のいいたいことはわかった。しかし、矜は首を振った。
俚束は深いため息をついた。
反 「こんな時に……律儀なバカなんだから。」
俚束の顔。よく整った眉がへの字になっていた。
夕 矜は苦笑する。しかし、刹那さは隠せなかった。
そ 「でも!でも可能性はっ――……」
坡の言葉に、俚束は細く長い人差し指を坡の唇に押し当てた。
轍生は無言で口を結んでいた。
もし、もしも。
夕摘がすべてを捨てて、自分のところへ来たのなら。
静 受け入れる覚悟はあった。
……本当に?自問自答する。
「 期待していなかったわけではない。しかし。
や 「ゆづ姉、何考えてんだよ!世間体気にしてんじゃねーよ。」
坡は吐き捨てた。舌打ち。
瞳 世間体。
「……結婚するっていうのは、そういうことじゃないか。」
自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
夫婦になる。と言うことの意味。
当人同士の問題だけではなく、周りをも巻き込む。
幸せになる。と周りの祝福を受け、スタート地点に立つ。
両家族、親戚、友人。皆に誓う。
「幸せになる努力を怠ったまま、逃げるのは、無責任だろ。」
矜は諭すように言った。
努力をして、どうしても仕方のないことなら、無理をする必要はない。
人生はいくらでもやり直しはきく。だが。
ただ、逃げ出すこと。逃げ出させることはできなかった――……。
夕
完全防音のここで、クラッシックギターがアルペジオを奏でる。
綺麗に整った爪が淀みなくうごく。
左側だけ不自然に削れた右指の爪。
矜は椅子にすわった姿勢で、浸っていた。
視界に入った紫色の三角形のピック。
古ぼけて、色あせている。
昔、夕摘にもらったものだった。
クラッシックギターには、必要、ない。
矜は自分の左指をみた。短く切られた爪。左右のアンバランス。
ギタリストだとすぐに判る。
曲はつづいた。ハミングをして目をつむる。
ギ 「Elegyですか。」
上からの、低く穏やかな声に、演奏を続けながら、ああ。とうなづいた。
ギ 声の主は階段をゆっくり下りてきた。
長くストレートな赤い髪。蒼く澄んだ、切れ長の目。
ギ 男は壁に寄りかかったまま、長い脚を組んだ。
矜 「聞きました。」
矜 矜は思わず手を止めた。
男の端正な口元が優しく緩んだ。
矜はため息をついた。俚束に違いなかった。
矜 「間違ってないですよ。」
その男の言葉は、矜の胸のつかえを容易にとってくれる。
矜は小さくうなづた。ありがとう、と口にする。
矜 「かっこいーっすよ、矜さん。」
相変わらず端的に、すべてを見透かす瞳で人を励ます、この男。
矜 「お前に言われると、正直にうれしいよ。」
矜 男の口角が優しく上がった。
矜 矜はギターに向き直る。
矜 奏でる曲は、Elegy、哀歌。でも。
矜 終止符は打った。
ギ ――俺たちは、無限旋律にはなりえない。
ヒトは終止符を打たなければ、前へは進めないのだから――
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