
♪3小節♪
「……つづ。」
つづみ
神奈川の実家にいるはずの弟、坡が玄関に仁王立ちしていた。
切れ長で、一重の目がつりあがっている。
急いだのだろう、肩で息をしているが、それを隠すように、
「え。ちょっ……つづ?」
ゆづみ
夕摘の腕を思い切り引っ張り、家の外へ出す。
「行こう。」
坡が淡と声を出す。
いつの間に、こんなに力がついたのだろう。
いつの間に、こんなに背が伸びたのだろう。
有無を言わせない弟の背中を見ながら、夕摘は難波駅までつれられた。
「今なら最終に間に合うから。」
独り言をつぶやくように言って、勝手に乗車券を2枚、手に入れる。
「うそ。……つづ。つづってば!」
夕摘の驚いた声に、振り返って、
「家に帰んだよ。」
坡は睨みつけた。
夕摘を新幹線に乗せて、安心したのか、ゆっくりと口を開いた。
かいう
「海昊さんから連絡もらった。」
それで、文字通り飛んできたわけだ。
隣の学ラン姿の弟をまじまじと見る。
短ランの下に青のTシャツ。
太めのズボン。
長い前髪は赤く、おまけに頬にはケンカの名残。
しかし、中学生の時とは明らかに異なる体型。
顔つきも引き締まっていた。
「何か、大人になったね。」
夕摘の呑気な言い方に、整った眉をしかめて、
「社会人になんだぜ。ゆづ姉。いつまでも子供扱いすんなよ。」
照れを隠すためか、そっぽを向いた。
思わず噴き出してしまう。
「そうだよね。こうやって2人、並んだら、恋人同士に見えるカモね。」
坡の腕をとって自分のと絡める。
大阪が、だんだんと遠のいていく。
「何ゆってんだか。」
一笑に付した坡だったが、絡められた腕はそのままだ。
いつから、こんなに大人になったんだろう。
いつから、こんなに他人の気持ちを気遣うようになったんだろう。
姉の、しかも大阪にいる、私のために。こんな破天荒なこと。
夕摘は目頭を熱くした。
と同時に自分が大阪に来ていた期間を恨めしく思った。
弟が男として、人間として一番成長する期間。
何だか、昔いつも自分の背中を追いかけてついてまわる坡の姿が、あとかたもなく
なってしまったようで、少し寂しくも感じた。
新幹線が新横浜に着いた。
懐かしさがこみ上げてくる。
てつき
「 「轍生、さんきゅう。」
この寒空の下、坡の幼馴染みで、家が隣の轍生が駅で待っていた。
夕摘にとっても弟的存在。
「てつ……ありがとう。」
「夕摘姉ちゃん、おかえり。」
茶色にした短髪。
相変わらず大きく、さらに伸びた身長は優に180は超えている。
「乗って。」
ぶっきらぼうな坡の声とヘルメットが飛んできた。
坡の愛車、KAWASAKI EX-4。
綺麗なブルー。
深夜、11時半過ぎ。
大阪をでてきてしまった。
「あら、夕摘おかえり。」
久しぶりに実家の敷居をまたぐと、相変わらずの肝っ玉母さんが顔を出した。
こんな深夜に、何も連絡せずに帰ってきた娘。
奥でさっきまで寝ていただろう父も、お帰り、と一言。
思わず涙ぐみそうになる。
必死にこらえて、ただいま。っと小さな声を出した。
「……いつから?」
今はもう坡の部屋になってしまったかつての自分の部屋。
ベッドの隣の床に布団を敷いた。
「……まさか。前に突然帰ってきたときも?」
坡の目が一段と厳しくなる。
「わからない。」
夕摘は首を振った。
何となく。
何となく、そんな予感がしたことはあった。
でも、問い詰めなかった。
「何で?」
「だって、わからないし。」
煮え切らない姉の態度に、坡はさら表情を厳しくさせる。
「何ガマンしてんだよ。ダンナが浮気してるっつーのに。何で黙ってんだよ。」
信じられない、っと坡は吐き捨てた。
目の前に本人がいたら、間違いなく殴っている。
そんな形相。
しかし、何も言わない夕摘に、坡はそれ以上言葉を続けることはなかった――……。
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