第四章 Bad Boys 恋愛事情

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 かいう    たきぎ     し な ほ
 海昊と薪は、紫南帆の家へ向かっていた。
     みたか
 最も、紊駕の家でもあるが。
 今はまだ、裸の体を風にまかせる桜の木々。
 曇り空の下、青い空を待ちわびているようだ。

  「……ワイら、間違っとったかな。」

 海昊の独り言にもとれる呟きに、

  「今サラ、んなことゆうな。」

 茶色の皮ジャンのポケットに手を突っ込む、薪。
 背を反らす。
 紊駕に劣らず、鋭い瞳。

  「わかっとる。結果は同じやゆうこと。」

  「なあ、本当に紊駕は……。」

 薪の言葉に、うなずく。
 眉間の深い皺が端整な顔を歪ませた。
 脚は重たく玄関に近づいた。
 甲高いチャイムの後――、

  「はーい。」

 紫南帆の姿。
 一瞬にして表情が変わった。
 不安。

  「話が……あるんや。」

 紫南帆は、海昊たちを家に招きいれた。
 日曜日の昼下がり。
 幸い両親たちは、いない。
 ソファーに二人を促して、マンデリンを淹れた。
 こういう日は、コクのあるコーヒーが飲みたい。
   なしき   たきぎ
  「流蓍 薪や。」

 海昊は、薪を紹介した。
 紫南帆は無理やり微笑を浮かべてみせる。
 薪は海昊の言葉に、無言で軽く頭を下げ――、

  「紫南帆さんっつったっけ。紊駕にホレてんワケ?」

  「薪!……すまん、気にせんといて。」

 薪を見て、そして、海昊の言葉に首を振り、コーヒーでいいですか。と、二人の頷きを確認した。
 右手で軽く、サイドの黒髪を耳にかけた。

  「本当のことですから。」

 二人の向かいに静かに座る。
 タータンチェックのスカートから覗く、膝に小さな手を揃えた。

  「大切なんです。……それが、好きってことかもしれません。」

 顔を上げた。
 毅然とした態度を装っているが、不安の文字が見え隠れする表情。
 海昊は口元を緩めた。
 優しく、憂う笑み。

  「……そか。」

 意を決意したように――、

  「紊駕、今、ワイん家におる。……ワイが、S高に行った日な。こうゆうたんや。……紊駕の大切なモノに100万賭けた奴がおる。」

  「大切なモノ?」

 海昊は紫南帆を直視した。
 薪も視線を合わせる。
 紫南帆の二重の瞳が大きくなった。

  「紫南帆ちゃんのこととちゃうのけ。……そう、ゆうた。その後のことは、知っとうやろ。」

 今までに見たこともない、厳めしい顔つき。
 硬く握られた左拳。
 今にも振り上げられそうだった。
 強かに睨みつける瞳。

  「……。」

  「ワイらは……紊駕を引き込むために一芝居うったんや。100万のことはでまかせ。C学の奴らをS高に向かわせたのも、ワイら。」

 すまん、と頭を下げる。
     み ら
  「妹、冥旻にも手伝わせた。」

 オールバックの髪を撫で付けた。
 ため息。

  「頭の良い紊駕なら、すぐ気づいたはずや。考える時間を与えてやる……そんなん言い訳にしかならへんけど。あいつが無視するならそれはそれで、ハラ決めとった。」

  「あいつがムシできるわけねーけどな。」

 薪が口を開く。

  「……、せやな。」

 海昊が顔を上げた。
 端整な顔が厳しくなった。
 紫南帆は、本題に入ったことを悟った。
               バッド   ブルーズ
  「3年前の12月12日。BADとBLUESのでかい抗争があったんや。今は、薪がBLUESの頭なんやけど。」

 海昊は、いつもよりゆっくり話す。
         ぐし       へんり
  「3年前は、虞刺と遍詈ゆうごっつえげつない奴らがしきっとってな、そいつらはジャンキーやったん。」
 
 紫南帆はだまって聞いていた。

  「麻薬中毒、ゆうやつや。BLUESの殆どがカモられて、紊駕はものすご怒りはった。あいつは一人でBLUESのヤサに乗り込んだんや。相手はイカれとる、ジャンキーやで。痛みかて感じへんやつらや。」

 誰も巻き添えにしたくない。
 傷つくのは自分だけでいい。
 紊駕の蒼い瞳が頭に浮かんだ。
 紫南帆は瞳を閉じる。

  「今でも覚えてる。……俺もヤクやらされてた一人だったしな。」

 目を逸らす薪。
 
  「紊駕のおかげで、こいつら救われたも同然やった。皆、紊駕に恩にきおってたハズや。せやけど。」

 悲嘆なため息。
            せいむ
 「その中の一人、青紫ゆうやつが、紊駕のことを慕ってるゆうこと虞刺たちにバレてもうたんや。」

 薪が唇をかみ締めた。
 握り締めた拳が震えている。

  「虞刺は、紊駕を目の堅きにしおった。そして、抗争が起こった。」

 紫南帆と目をあわす。
 族と族との抗争。
 縄張り争いではなく、個人的恨み。
 しかも、相手は麻薬におぼれた尋常ではない奴ら。

  「紊駕は、自分の問題だから、手出しはするなゆうた。」

 サシで勝負。

  「あのジャンキーがそんなこと聞くはずはなかった。あいつは、青紫を、ラリッてる青紫を単車に乗せたんや。」

 言うこと聞かないとエンジンをふかすぞ。
 ハッタリではない。

  「紊駕はあいつらの前で跪いた……。頭を、下げたんや。」

  「……。」

  「せやけど、ワイら、虞刺が鉄パイプを振り上げた瞬間、たまらのうなって……紊駕は叫んだんや。やめい、ゆうたんや。せやけど……。」

  言葉が続かない。

  「青紫が乗せられてる単車に手ぇかけてる遍詈を後ろから……」

 薪が頭を両手で抱えた。
 紫南帆は状況を見たかのように、息を呑んだ。

  「マブダチだった。俺の、一番の親友だったんだ、青紫わっ――!!」

 静寂に沈んだリビング。
 紫南帆の大きすぎない瞳が、涙でぼやけてきた。

  「……その虞刺が少年院から戻ってきはったんや。」

 虞刺が戻ってくる。
 紫南帆にもその意味が痛いほど解った。

  「青紫は、死ぬ間際に紊駕に言ったんだ。ずっと尊敬してました。俺、白くなりたいです。ずっと灰色だったから……。」

 ――これで、白くなれますよね。ありがとうございました。

  「紊駕の、喋るな、って言葉シカトして、あいつは最後まで……笑みを浮かべて逝っちまった。」

 薪はあどけなさの残る顔をゆがませた。
 親友を亡くした、薪。
 三年経った今でも、実感なんてできない。
 したくない。
 小さな背中に背負った傷は、とても大きかった。

  「青紫は走ってる紊駕に憧れてたんだ。もし、紊駕が自分せいだと思ってBADを辞めたんなら、青紫はうかばれない。紊駕は、BLUESを更生させろ、お前ならできる。一言だけゆって、俺たちの前から消えた。」

 中学二年の冬。
 紫南帆たちが一緒に住むことが決定して、着工していたときだ。
 その頃から、紊駕の夜遊びが止まった。
 学校もまじめに行くようになった。

  「……。」

 紫南帆の小さな拳が震えた。
 一番側にいたはずなのに。
 何も知らなかった。
 涙が、水面張力を超えそうだ。

  「大切なんや、紫南帆ちゃんが。……せやけど、ああゆうやつやから。」

 限界だった。

  「ごめんなさい。」

 自分に対しての怒り。
 紊駕の優しさ。
 紊駕の強さ。
 紫南帆の涙は限界を超えた。
 つきはなすのも、冷たくするのも、紊駕の紫南帆に対する愛情。
 決して弱音など吐かない。

 人前で泣くのは、幼い頃以来だ。
 紫南帆は、人前で泣き喚いたり、取り乱したりすることなどなかった。
     きさし
 紊駕と葵矩には、心を許していたが、それでも必要以上に甘えるなんてことはなかった。
 幼い頃、飼っていた犬を交通事故で亡くして、紫南帆が大泣きをしたことがあった。
 葵矩は、一日中紫南帆の側に寄り添って、慰めた。
 紊駕は、何も言わず、数日後に小さなラブラドールレトリバーを目の前に差し出した。
 無理言って譲ってもらった血統証付きの犬。
 それがアルセーヌだ。
 紫南帆がそのことに気づいたのは、またその数日後のことだった――……。

  「私には、……どうすることもできないんですね。」

  「……信じてやることや。紫南帆ちゃんにはそれができる。誰よりも紊駕を……信じてやって。あいつには、それが一番や。」

 取り留めが無い、想い。
 誰に聞いてもらうとも無く、気持ちを押し殺して。
 潮風にさらされた月は、何も語らない――……。


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