3 みたか 「紊駕、まだ部屋?」 きさし し な ほ 帰宅して、ダイニングで葵矩は紫南帆に尋ねた。 十畳ほどもあるダイニングキッチン。 三家族が同居しているので、とても広々として、尚且つプライベートを守れる造りになっている。 玄関から入ってすぐに、ダイニングキッチン。 左手には二十畳ほどもある、リビング。 大きな一枚窓の外は、ウッドデッキが伸びている。 その先には、広々とした庭。 ダイニングもリビングも、パキラやドラセナなどの観葉植物や季節の鉢植えの花々が、ほどよく置かれている。 リビングは吹き抜けになっていて、その隣に二階へ上がる階段があり、夫婦の寝室がある。 その下は、和室の客間。 ひだか 一番北の角部屋は、紊駕の父親で、私立病院の院長である淹駕の書斎だ。 完全防音である。 「うん……食事もいらないって。」 紫南帆は、中二階の紊駕の部屋に目を向ける。 玄関から右手には、中二階に伸びる階段があり、紫南帆たち三人の部屋がある。 「そっか……。」 葵矩も紫南帆の視線を追う。 かいう あの、海昊という男。 一体何を言ったのだろう。 「俺、ちょっと紊駕の部屋にいってくるよ。」 葵矩が、中二階へ向かった。 紫南帆の憂う顔が心に響く。 「紊駕。」 北東の部屋をノックする。 相変わらず返答がなかったが、ゆっくりドアを開けた。 シンプルにモノトーンでまとまっている、紊駕の部屋。 「紫南帆、心配してたぞ。」 葵矩は、ベランダに立っていた紊駕の背中に言った。 部屋の電気はつけてない。 月明かりだけが、紊駕を照らしている。 「夕食、食べにおりてこいよ。」 「……。」 沈黙を守っている、広い背中。 黒のYシャツにズボン。 冬空の下では、寒いだろうに。 時折、風が紊駕の赤く長い前髪を揺らす。 紊駕の心の中。 何かが動いているのか。 そんな紊駕に、葵矩は小さくため息をついてドアを静かに閉めた――……。 なしき あさわ 「教育実習生の、流蓍先生だ。英語U担当の浅我先生が諸事情により、休暇をとっているために、私の指導の下、英語Uを受け持つ。皆、よろしくな。」 二年一組の教室で、担任が紹介した。 教壇の前に立つ女性――、 「流蓍 あさざです。短い期間ではありますが、よろしくお願いします。」 拍手が起こった。 スレンダーな長身。 長く茶色に染められたソバージュの髪。 細面に切れ長の瞳は、聡明さを表している。 そんな、担任の言葉など上の空の紊駕。 窓辺の特等席で、空を見ていた。 霞みかがった冬の空。 きさらぎ みたか 「こら、如樹。如樹 紊駕。」 担任の声に――、 「何ですか?」 即答して、涼しい顔をする。 が、 「あさざ……?」 教壇に立つ女性に目をむけた――……。 「しっかし、まいったよ。あんたが、教育実習でここにくんなんて。」 昼休みの屋上。 紊駕とあさざ。 「先生と呼びなさい。先生と。」 どうやら知り合いらしい。 あさざは、イタズラな笑みをこぼした。 紊駕は呆れた表情をするが、懐かしむように目を細めた。 ひさめ 「氷雨とは切れてねんだろ。」 「さあ、ね。」 屋上から海岸を見渡して――、 「それより、紊駕は更生したわねー、こんなアタマ良いガッコ入っちゃって。でも、先生の話はちゃんとききなさい。」 細く長い指を突きつけた。 派手すぎない赤のマニキュアが綺麗に塗られている、形の良い爪。 「あさざにいわれたかねーよ。」 紊駕は一笑に付した。 長い前髪をかきあげる。 S高は高台の海を望める場所に建っている。 眼下には、夏の賑わいを懐かしむような海岸。 人は数えるほどしかいない。 右手に江ノ島が霞んで見える。 湘南海岸。 中学時代、紊駕は族に入っていた。 湘南暴走族、BAD。 バイク好きの仲間が集まって、お気に入りのバイクを走らせた。 一晩中語り明かした。 喧嘩もした。 「何か、随分昔。って感じよね。」 あさざは、海岸線をみた。 左右に伸びる、134号線。 ヘッド あおい ひさめ あさざは、BADの頭、滄 氷雨の彼女だ。 氷雨は、紊駕にとって兄貴的存在だが、族を辞めてからは会っていない。 あさざの言葉に、 「戻るわ、せいぜい頑張れよ。」 はぐらかすように、踵を返した。 屋上から下る、階段に脚をかけた。 「紊駕。」 あさざの声に、反射的に振り向いた瞬間。 上から肩を触られ、あさざのソバージュが、紊駕の頬を掠めた。 唇に柔らかい余韻。 「クールなところは変わらないのね。顔色一つ変えないなんて。それとも放心してるの?」 瞳がイタズラな少女のように、幼くなった。 「何処だと思ってんだよ。」 「ガッコ。」 あさざは平然と答える。 「そういう、クールなトコロが好きよ。じゃ、授業でね。」 切れ長の瞳を細めて、紊駕を通り過ぎた。 軽やかにスキップをするように。 「……バカが。」 紊駕は、何事もなかったかのように、教室に脚を運んだ。 戻る途中で――、 「如樹 紊駕ぁー!!でてこいやー!!」 突然の大声に、学校中がざわめいた。 教室からでてくる者、窓から身を乗り出す者。 声の主をさがしている。 「み、紊駕。」 葵矩が二組からでてきた。 紫南帆も。 紊駕はうんざりした顔を見せて、舌打ちをした。 昇降口へと向かう。 「紊駕ちゃん!」 紫南帆の憂いの声は、シカトした。 校門の前で――、 「てめぇら。ガッコには手ぇ出すな。」 総勢数十名の青の学ラン。 改造車に、鉄パイプ。 「へ、聞いたかよ。あの如樹 紊駕がねぇ。」 「ガッコには手出すなってか。お勉強ができなくなっちゃうもんなぁ。紊駕くん?」 バカにするように、一斉に嘲笑した。 そんな集団にも、静かに、 「場所を変えろ。」 顎をしゃくって、学校の外を指し示した。 「……いいだろう、場所変えだ。」 先頭の男がいうと、改造車にとびのり、轟音とともに校内を後にした。 そんな様子を窓から紫南帆と葵矩は――、 「大丈夫かな……。」 「なんなんだよ、一体。」 しかし、無情にも時間は過ぎた。 葵矩は部活へ、紫南帆は帰路へ向かった。 「よぉ。如樹。大丈夫なのか?」 てだか いおる 葵矩と同じクラスの豊違 尉折は、心配そうに顔を覗き込んだ。 放課後のグラウンド。 「うーん。よくわかんないけど、何かあったみたいなんだよな。あれから、結局もどってきてないみたいだったし。」 葵矩は、準備体操をしながら、空を仰いだ。 あれから、紊駕は学校にはもどってきていないようだった。 「そうなの。心配だね。」 いぶき じゅみ ストレートな肩までの黒髪に、きりっとした目元が印象的な、檜 樹緑。 サッカー部のマネージャーだ。 葵矩は、心配してくれてありがとう。と、笑顔を見せた。 太陽のような、優しい笑顔。 尉折と樹緑は、あのあとも、変わらず接してくれる葵矩に、本当に感謝していた。 あのあと――、 Planet Love Event 第三章 Ego-Ist 恋愛感情を参考にしてくださいませ。 (葵矩いわく、あまりお勧めはしたくない、とのことですが笑) 「ところで、檜とはうまくいってんの?」 葵矩は尉折に囁いた。 尉折は、 「まぁね。」 口元を緩めた――……。 「紫南帆ちゃん!」 帰り際、長い髪の毛を一つに三つ編みにした少女は、息せき切って紫南帆に追いついた。 さ ゆ か 「白湯花ちゃん。」 よこみぞ さ ゆ か 同じクラスの、横溝 白湯花だ。 よかった、追いついて。と、白い息を吐いた。 「先生に頼まれて、ね。」 走ってきたせいか、頬が紅い。 「如樹くんのこと。」 紫南帆の顔色が変わった。 「力になりたいって……もちろん、私も何だけど。迷惑かけちゃったし。」 きすい たき 先生とは、紫南帆の担任の、来吹 瀑のことで、この二人は内密に付き合っていた。 詳細は、Planet Love Event 第二章 Mixed Doubled 恋愛騒動を。 でも、先生は被害者なのに、と紫南帆は柳眉の間に皺をよせて――、 「迷惑って。私たちこそ、九月にたくさん迷惑かけちゃったのに。」 その言葉に、白湯花は、 「え?九月?」 大きな瞳を数回開閉した。 どうやら、あの噂事件の件は白湯花には、伝わっていないらしい。 何度もいうが、九月の事件の内容は、Planet Love Event 第三章 Ego-Ist 恋愛感情を。 「ううん。こっちの話。本当ありがとうね。先生にも伝えてね。」 いけない、墓穴を掘るところだった。と、紫南帆は小さな舌をそ、っと覗かせた。 そして、再び帰宅しようと、歩きだした――……。 「お帰り、紫南帆。」 「ただいま。」 広々とした玄関を静かにあがり、母親の言葉にうつむいたまま答える。 「どうしたの、紫南帆ちゃん、元気ないじゃない。」 みさぎ リビングから紊駕の母親、美鷺が心配そうに言う。 なんでもないですよ。と、愛想笑いをした、そのとき。 甲高い電子音が聞こえた。 「はい、はい。」 り な ほ 紫南帆の母、璃南帆が、急ぎ足で向かう。 そう み 蒼海家の電話が鳴ったのだ。 三家族同居のこの家だが、一世帯としての機能は整っている。 「紫南帆。電話よ。」 紫南帆は自室に向かう階段で、脚を止め引き返した。 「はい、もしもし。」 「紫南帆っ!!?」 おうみ せお 電話の向こうで、焦った感丸出しのクラスメイト、桜魅 瀬水の声。 落ち着いてきいてね。と、前置きをして――、 「如樹くんにお金賭けられてるって本当?」 鈍器で殴られたかのような衝撃が、紫南帆を襲った。 電話口で固まった。 「しなほ、紫南帆?紫南帆ってば、大丈夫?きこえてる?」 何も返答のない電話に、瀬水がさらに慌てる。 「あ、う、うん……。」 我に返る。 きお 瀬水によると、瀬水の双生児の姉、輝水の学校、県立K高校で、噂されているらしい。 むなぎ ねひろ 輝水の彼氏の旨軌 宇宙が耳にしたというのだ。 すなが 宇宙はまた、S高校の旨軌 空流の双生児の兄でもある。 空流たちのストーリーは、Planet Love Event 第一章 Comet Hunter 恋愛方程式を参照。 「でも、本当のことかわからないよ!噂だからね!気を確かに!紫南帆!!」 諭すように、落ち着いて、と瀬水。 「ありがとう。それで、い、いくら?」 恐る恐る聞いてみる。 驚かないでよ。と、の前置きがあって――、 「100万円。」 「紫南帆?」 璃南帆が、不審な娘に怪訝な顔を向けた。 受話器をもったまま、硬直して、そして――、 「ありがとう、瀬水。」 「紫南帆、紫南帆?ちょっ……」 瀬水の声は無情にも遮断された。 紫南帆は、受話器を置くと、疾風の如く玄関を飛び出た。 100万円、そんな大金が……。 紊駕の安否が気にかかる。 昼休みのあれ以来、家にも帰ってきていない。 あすか 「飛鳥ちゃん。」 玄関をでてすぐに、葵矩の顔。 紫南帆は思わず、葵矩の胸に飛び込んだ。 「紫南帆……?」 葵矩は驚いたが、赤面する余裕はなかった。 紫南帆の様子が、いつもと異なっていたからだ。 「紊駕ちゃんが、紊駕ちゃんがっ。」 紊駕の名前を連呼していた。 紫南帆がこれほど取り乱すなんて、希である。 正義感が強く、読書が大好きで推理力に長ける女の子。 なおかつ天然なところもあり、守ってあげたくなる、ヴィーナスみたいな女の子。 葵矩が、ずっと見てきた女の子だ。 「……マジかよ。」 葵矩は、紊駕に100万もの大金が賭けられていることを知って、呆然とした。 そして、 「俺、考えてたんだけど、あの海昊って奴。どっかで見たことあると思ったら、私立K学園の生徒だと思う。」 以前にK学園へサッカーの試合にいったときに。と、言った。 黒の学ラン。 関西弁。 それを聞いて、紫南帆は駆け出した。 「ちょっ、紫南帆、待てって。」 葵矩は紫南帆の細い腕をとった。 「あそこは、危ない奴多いから!!」 「でも、じっとしてられない!紊駕ちゃんがっ!!」 紫南帆の長い髪が振り乱れた。 そんなに取り乱す紫南帆に――、 「……そんなに心配?」 葵矩は、真剣なまなざしを紫南帆に突きつけた。 腕を握ったまま。 言葉には少し意地の悪さが含まれている。 「……あたりまえ、……じゃない。飛鳥ちゃんは心配じゃないの?」 紫南帆はそんな葵矩の動向に、言葉を詰まらせたが、早口で言った。 もちろん、心配じゃないわけがない。 ただ、こんな時ながらも、葵矩は紊駕に嫉妬してしまった。 紫南帆の焦燥感に駆られた、顔。 「心配……だよ。ごめん。K学に、行こう。」 そんな自分に我に返った葵矩は、力強くそういって、私立K学園へ向かった――……。 >>次へ <物語のTOPへ> |