第四章 Bad Boys 恋愛事情

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 冷たい潮風が吹き抜ける屋上。
 長い前髪をなびかせ、海を見つめた。
 海は何も告げることなく、同じ速さで、何度も何度も砂浜をけずる。
                          みたか
 意識はしていないが、何度もため息をつく紊駕。
 薄っすら灰色の雲を張り詰めた空。
 ぼんやり浮かぶ太陽。
 見えない月……。

  「本当にいた。」

 ハスキーな声に振り返る。
 きさし                            てだか   いおる
 葵矩と同じサッカー部の豊違 尉折だ。
                       あすか
  「エスケープするなら、屋上だって。飛鳥にきいたから、さ。」

 今は四時限目。
 一組二組合同の体育授業。
 尉折は体操着姿で屋上に現れた。

  「授業、いいのかよ。」

  「ああ。……話があったから、さ。」

 隣に並んだ。
 紊駕の意外そうな表情に、微笑して――、

  「飛鳥の奴。最近、ぼっとすることが多くて。プレーにもキレがないっていうか……。」

 節目勝ちの目。
 ――順調だな。紊駕は自分の言葉を頭で繰り返した。
 太陽に背を向けた。
   し な ほ
  「紫南帆ちゃんも浮かない顔、してたし……余計なお世話だろうけど。」

 何かあったのか。顔を上げる。
 紊駕が黙っていると、

  「飛鳥、朝レンのとき、変なこといってたぜ。最初から気に入らなかったけど、あいつのせいだって。ききかえしたら、お前も会ったことあるだろう、って。名前なんつってたかな……えっと、かい……」
   かいう
  「海昊。」

 紊駕の言葉に、人差し指を立てて、そう、関西弁の。と続ける。

  「俺はもう一人のほうが気に入らなかったけどな。妙に高飛車で。」

 独り言をいうように尉折。

  「いつ、カイ、海昊に会ったんだ?」

  「9月頃かな。K学に練習試合にいった時だ。校門で俺ら絡まれてさ。海昊ってやつが止めてくれたんだけど、もう一人の奴が、てめぇはうっせんだよ、ってすげーこえー目で睨んでさ。」

  「てめぇはうっせんだよ、て本当にゆったのか?」

 紊駕のつっこみに、視線を上にもっていく。

  「多分……そんなようなコトだったと思うぜ。」

 紊駕は、首を傾げ――、

  「そいつ、背低かったか。」

  「え?ああ。俺たちよりは低かったと思う。金髪に脱色してた。」

 背が低くて、金色の脱髪。
 何かが繋がった。

  「面倒かけて悪いな、ありがとう。」

 紊駕は尉折に礼をいって、屋上をおりた。
 迷わず、三年の教室に向かう。
   せのう
  「瀬喃センパイって何組ですか?」

 めずらしく謙虚に尋ねる。
 強持て風の男たちは一斉に紊駕をみた。
   りんき
  「麟杞さんに何のようだ?何かこいつ態度でけぇな。」

 睨み付けられる。

  「ばっ、やめろ。お前。」

 その光景を見た麟杞があわててやってきて、男たちから紊駕を遠ざけて――、

  「す、すいません。」

  「別に。謝ることねーよ。それより。」

 紊駕の瞳の色が変わった。
 低い声。

  「何を考えてやがる?」

  「……い、言えません。」

 麟杞は、大きな体を萎縮させた。
 バツの悪い表情。
           ブルース     バッド
  「……いつからBLUESとBADは同盟結んだんだろうな。」

  「……。」

 目を逸らす麟杞。

  「まあ、いいか。顔たててやるよ。じゃあ、土曜日な。」

 また一つ、繋がった。
 ただ、不穏な風が吹く予兆。

  「紊駕。」

 なじみのある声に腕をとられた。
 あさざだ。
 長いソバージュをかきあげ――、

  「私の授業、さぼったわね。わざと?」

  「たまたま。」

  「何かあったんでしょ。あのことで。」

 紊駕は、顔を覗き込むあさざを交わして、背を向けて歩き出そうとする。
 ひさめ
 氷雨も心配してたわよ。あさざの言葉に歩みが止まった。

  「……BADと関係あるのね?」

 紊駕があさざをとらえた。
 心配。
 BADの頭が事情を知らない。
 何のため?
 不穏な風が強くなった。

  「悪い。」

  「あ、紊駕。」

 あさざの言葉虚しく、紊駕は校門を出た。
 今朝。
 葵矩は六時半に家をでた。
 紊駕は八時過ぎ、眠るともなく部屋にいた。
 紫南帆は、紊駕のための朝食をおきざりにしたまま、八時に家をでた。
 紫南帆が学校へ向かったあと、紊駕は部屋から出た。
 母親の言葉は無視した。


 自宅について、家に上がることなく、ZEPHYRにまたがった。
 鎌倉へ向かう。
 134号線、混んではいない。
 鎌倉駅へ左折する。
 駅前の小町通り。
 紊駕は何かに目を奪われた。
 ZEPHYRが減速する。
 低く、手入れの行き届いたアイドリング音。
 紊駕の視線の先には、一人の少女。
 肩までの黒髪おさげの少女が、年配の男の人に腕を掴まれ、言い合いをしている様子。

  「センセ。K女のコつかまえて何してんすか。」
     きらさぎ
  「き、如樹?」

 少女をつかまえていた男。
              あさわ   しなだ
 S高の英語U担当の浅我 氏灘。
 今は諸事情により休暇中ときいた。
 氏灘は、まずいところを見られた。と、いうような表情を見せる。
 その瞬間、少女は氏灘の腕から逃れた。

  「おい!」

 氏灘は、少女を追いかけようとして、そして、紊駕を垣間見、踏みとどまった。

  「何か、悪いことでもしたんですか、あのコ。」
 み ら
 冥旻と同様、私立K女子学園の制服だった。

  「あれは、私の娘だ。」

 氏灘の震えたゴツゴツした拳が答えた。
 そして、紊駕に背を向けた。
 広い背中が、哀愁漂っている。
 紊駕は少女の向かったほうへバイクを走らせた。

 数軒先のアクセサリー店。
 少女はその店先にいた。
 紊駕はバイクを停めて、少女に近づいた。

  「好奇心だけならやめときな。」

 紊駕は少女の細い腕をつかんだ。

  「……。」

 少女の握りしめた小さな手のひらから、ピアスがこぼれた。

  「さっきの……捕まえに来たの!」

 円らな瞳を無理やり細めて、紊駕を睨んで見せた。
 自分より二十p以上高い紊駕を見上げる。

  「そんなマネしねーよ。」

 紊駕は、少女の腕を放した。
 垣間見えた左手首、何本ものためらい傷。

  「……スレてるようには見えねーけどな。」

 少女の顔色が変わった。
 手首を押さえる。
 小さな唇が震えた。

  「人ってさ、本当に好きな人と一緒になるのが幸せなんじゃないの……。」

 少女は自分に問いかけるように呟いた。
 二人、店を出て、路地裏に入った。
 通りの雑音は聞こえない。
 少女は壁に寄りかかってうつむいた。

  「他人のことなんて、どうでもいいじゃん。どうして……どうして……」

 言葉が繋がらない。
 瞳が潤んできた。
 紊駕は、自分に言われているように聞こえた。

  「……傷つけたくないんだ。」

 紊駕の染髪が揺れた。
 左腕を壁にたたきつけたまま、額をつけた。

  「それが、余計傷つけるって知っていても、な。」

  「……。」

 紊駕は、少女に向き直った。
 優しく少女の頭に触れる。
 いたわるように。
 少女の涙は、重力に耐えられずに、頬を伝った――……。


 真夜中の海。
 片瀬江ノ島海岸東浜。
 数十台の単車。

  「逃げたかと思ったぜ、紊駕。」

 一人の男が目の前に立った。
 高くはない身長に金色の脱髪。
 鋭い目つき。
   たきぎ
  「薪。」
                なしき   たきぎ
 BLUESの三代目総長、流蓍 薪を始め、特攻隊長の麟杞。
 あやぶ ふひと
 殆に史利。
 くろむ
 黒紫。               きりわ   ささあ
 小柄で、族には向きそうにない桐和 篠吾。

  「紊駕。」

 そして――、

  「カイ。」

 BADの特攻隊長、海昊。
 つづみ てつき               ささめ
 坡に轍生、そして、細雨。
 湘南暴走族BLUESとBADが勢ぞろい。
 物々しい雰囲気。

  「ずいぶんと手の込んだ自己紹介なんだな。」

 口元を跳ね上げた。
 BAD BOYsの顔を眺め見る。

  「そや。紊駕をここへ呼び出すためや。」

  「それから、紊駕がこれからのことに参加するか否かの予行だよ。」

 海昊と薪の意味深な言葉。

  「紊駕。ワイらやて、迷って迷った末のことやったん。……堪忍やで。」

 海昊の声が号令になった。
 総勢四十人近くのBAD BOYsが一斉に敬礼をした――、

  「戻ってきてください!!」

  「……。」

 紊駕が空を仰いだ。
 灰色の、くぐもった空。
 不穏な風がますます強くなった。
      ぐし
  「……虞刺たちが帰ってくる。……ネンショーから、戻ってくるんや。」

 波の音が頭に響いた。
 大きく唸る波。

 ――紊駕さん。俺、ずっと尊敬してました。

 蘇る、記憶。

 ――俺、白くなりたいです。……ずっと灰色だったから……。

 目を強く閉じても流れ込んでくる、記憶。
 フラッシュバック。

  「あれから、3年や。……わかっとる。紊駕がBADやめて、いろんな事情あること。せやけど、ケジメつけなあかんやろ。このままやと、一生BADもBLUESも、紊駕も後悔しはる。」

 一気に息を吐いて、吸った。

  「……青紫は、紊駕のせいで死んだんやない!紊駕が苦しむことやないんや!!」

 落雷が落ちたかのような、ものすごい音が浜辺に響いた。
 紊駕の隣で、道路工事を告げる看板が陥没してすべり落ちた。

  「俺に、BADに戻れってゆうんだな。」

  「……よう考えて決めぇ。BADに戻るゆうことはどうゆうことがよくわかっとるんさかい、な。」

  「必要ない。」

 海昊の細心の言葉をさえぎった。
 夜の潮風が紊駕の染髪を撫でる。

  「ケジメ、つけねぇとな。」

  「紊駕……。」

  「如樹さん。」

 雲の間から、垣間見えそうだったまるい月が、黒雲に光をさえぎられて、消えた――……。


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