4 二人は、江ノ島電鉄に揺られて、鎌倉駅まで来た。 ここから、歩いて十五分程で私立K学園に着く。 風景が、閑静な町並みに変わった。 有数のお寺。 そして――、 「ここだ。」 きさし し な ほ 葵矩が、紫南帆の小さな手を握った。 普段はこんなことをすることはないが、今はそんな余裕は持ち合わせていなかった。 「そこの二人、俺らに何か用ぉ?」 かいう タイミングよく現れたのは、海昊と同じ学ランを着た、三人の男。 「あの、海昊さんって方、知りませんか?」 時には、男より女のほうが度胸がある。 紫南帆は、一歩踏み出した。 「ああ?」 長髪を後ろで一つに結わいている男が、鋭い目つきを突きつけた。 左頬には、刺し傷らしきものがピンク色に残っている。 短ランに太めのズボン。 後ろには、ガタイの良い大男。 茶色に脱色された短髪。 「海昊さんのツレですか。すいません、今なっ……ぐへっ。」 男、というにはまだあどけない、バンダナを巻いた一番背の低い少年が、途中まで言って喉を詰まらせた。 どうやら、海昊のことを知っているらしい。 言葉の途中で、長髪の男に肘で鳩尾を一突きされた。 紫南帆は、少年が言おうとしたことを勘ぐりながら――、 「知ってるんですね。どこにいるんですか?教えてください!」 「紫南帆。」 長い髪が垂れた。 頭を下げた紫南帆に、葵矩が呟く。 「……海昊さんは今でててねぇ。」 長髪の男は、語尾長めにいって、 「男連れで、海昊さんに何の用?」 睨みを利かした。 きさらぎ みたか 「あの、み、如樹 紊駕のことで……」 一瞬、三人が反応したのを見逃さなかった。 何か、知ってるんですか。と、紫南帆は続けた。 「如樹 紊駕ねぇ。」 わざとらしく顎に手を添えて――、 「アイツとどういう関係か知らねーけど、」 関わらないほうがいいぜ。と、格好よく啖呵を切って後ろを振り向いた。 瞬間。 「ぶっ。」 男は何かに体当たりした。 「いてぇな。てめっ……あ、海昊さん。す、すいません。」 しどろもどろした男は、背筋を真っ直ぐ伸ばして、そして綺麗に礼をした。 つづみ 「何や、坡。どないした……紫南帆ちゃん。」 海昊のクールで男前の表情が、一変した。 制服姿の紫南帆と葵矩を見る。 この間、会ったばかりの二人。 「海昊さん。……」 坡と呼ばれた、頬に傷跡のある男が、海昊に耳打ちをした。 たきぎ ささめ 「如樹さんのことで話があるって、来たんスよ。薪さんと一緒じゃなくてよかったです。細雨が口割る寸前で……。」 紫南帆たちに聞こえないように耳元で話すが、小声とは言いがたい。 細雨と呼ばれた、小柄な少年に視線を向ける。 海昊は、わかった、と態度で合図して――、 「安心せぇや、もう帰ったんちゃうか。」 「え?」 紫南帆と葵矩は拍子抜けした顔をする。 「今日、昼にいざこざあったやろ。ま、その件でいろいろおうたんやけど、もう大丈夫やから。」 「本当ですか?」 紫南帆の言葉に、海昊は左エクボをへこました。 その笑顔に安堵のため息をつくが――、 「電話ボックスってありますか。」 紊駕が帰ってきているか確認したいらしい。 携帯電話を持っていない紫南帆は、公衆電話から確認せざるを得ない。 葵矩も頷いた。 つこ 「これ、使てええよ。」 海昊は、自分のと思われる携帯電話を手渡した。 学生にはまだそれほど浸透していない。 「……ありがとうございます。」 紊駕の家の電話番号は登録されているらしく、渡された携帯電話は発信の電子音が鳴っていた。 紫南帆は使い慣れない、携帯を耳に当て――、 「はい、もしもし。」 みさぎ 美鷺の声だ。 「あ、美鷺さん。紫南帆です。」 電話口の美鷺は――、 「どうしたの、突然でていっちゃって、心配してたのよ。」 「すいません。大丈夫です。あの、紊駕ちゃん帰ってます?」 紫南帆が尋ねると、美鷺は何かを感じたのか、トーンを落として、 「ああ、あのバカ?心配しないで。引きこもってるから。」 さっぱりといって見せた。 紫南帆は胸をなでおろした。 葵矩に紊駕が無事だと目で合図して――、 「ジャン、ケン、ポン!!」 てつき 振り返ると坡と細雨、大柄な轍生がジャンケンをしていた。 「紫南帆ちゃん送っていくんやと。」 海昊は些か呆れたように呟いた。 「ぞろぞろツルんでもしゃーないさかい、一人にせぇ、ゆうたらこれや。」 端整な顔を崩して、 「余計な気遣わせてしもたからな、駅まで送らしてや。」 紳士的に言った。 葵矩はすこしむくれ気味だ。 「ありがとうございます。」 紫南帆の頬に赤みが戻ってきた。 三人を見やって、笑みをこぼす。 「よし、俺の勝ち!」 坡がチョキの手を高だかと挙げた姿に――、 「ズルですよ。坡さん、今遅かったです。」 「うるせぇ細雨、何か文句あんのか?」 「絶対坡、今のずる。」 轍生が低い声で言う。 海昊がため息をついて――、 「ええ加減にせぇや。ほな行くで。」 「……三人じゃダメっすか?」 結局――、 れづき つづみ 「俺、澪月 坡っていいます!」 あおい ささめ 「滄 細雨です!」 うどう てつき 「得道 轍生っス。」 海昊以外の三人が、紫南帆に挨拶をした。 海昊は額に手を添えて、呆れた顔をする。 ナリに似合わず親しみやすい。 紫南帆は、少しはにかんで、自分の名前を言って、よろしく。と、微笑んだ。 紫南帆の隣で、機嫌の悪そうな葵矩。 わざとそっぽを向く。 唇は、尖っている。 「あの、この間、紊駕ちゃんと何をお話していたんですか。」 和やかな雰囲気の中、紫南帆はスキを見て、海昊に尋ねた。 放課後、わざわざS高校まで足を運んだ、海昊。 そして、紊駕の形相。 力が入る左拳。 紫南帆の言葉に、一瞬で、海昊の口元が引き締まった。 真剣な瞳。 「悪いけど。いくら紫南帆ちゃんかて、教えられんわ。」 淡といって、すまんな。と、優しく謝った。 左エクボがへこむ。 「いえ。わかりました……。」 紫南帆はうつむく。 町並みが騒がしくなってきた。 駅が近い。 「……紫南帆さんって、如樹さんの彼女なんですか?」 「ちげぇよ!」 細雨の質問にいち早く答えたのは、葵矩だ。 わざとそっぽを向いていた顔を、振りかぶって細雨をみた。 あすか 「飛鳥ちゃん……。」 葵矩は、頬を赤らめる。 そんな葵矩に、 「紫南帆ちゃん口説くんわ、一筋縄ではいかんようやなぁ。」 海昊が、後ろに撫で付けている髪を右手で流す。 紫南帆は、頬を少しピンクにそめて、小さな手を顎に添えて、払いをした。 江ノ島電鉄鎌倉駅の改札前。 学ランのこわもて風が四人、紫南帆たちを見送る。 「ありがとうございました。」 紫南帆がお礼を言って、改札を通ろうとした時――、 「やめてください!」 甲高い、声がした。 声の主、セーラー服姿にコートを着た女の子。 数人の男に囲まれている。 その光景を見た坡たち三人は、素早く男たちの前に立ちふさがった。 「こら、その汚い手離せ。」 坡が啖呵を切る。 鋭い目が突き刺さった。 葵矩たちを校門前で睨んだときよりも強かだ。 黒のボンタンに両手をつっこんで胸をそらした。 「あー?誰にメンチきってんだ?」 男たちが、いっせいに坡を睨んだ。 真ん中の女の子は、うつむいていた顔を上げる。 ストレートな黒髪、小さい顔。 「……海昊さん。」 細雨が後ろを振り返って、海昊の名前を呼ぶのとほぼ同時――、 みら 「み、冥旻さんですか?」 坡と轍生が目を丸くした。 海昊の表情も変わった。 女の子のほうも、驚いたような安心したような顔になる。 「てめ、冥旻さんに手ぇ出すとは、度胸あるじゃねーか。」 「誰にメンチきってんだ、だって?あのヒトを誰だか知ってていってんだろうね。」 坡と細雨がいって、海昊に視線を合わせた。 ひりゅう かいう 「……ひ、飛龍 海昊!!!」 男たちが一瞬にて顔面蒼白。 間髪いれずに、一目散に逃げ出した。 「ヒトをバケモンみたいに、ショックやわ。」 海昊は、お茶目に言って、 「よくゲットされるやつやなホンマ。」 冥旻が落とした鞄を拾って、埃を払い、渡した。 坡たちは、大丈夫ですか。と、細心の注意をはらって、フォローしている。 「ごめんなさい。」 冥旻がか細い声を出す。 長い黒髪に背格好が紫南帆と良く似ている。 冥旻は、紫南帆たちを見ると、頭を下げた。 つられて紫南帆も頭を下げる。 「ほな、帰ろか。」 海昊は冥旻の肩を優しく支えて――、 「ありがとうございました。」 「紫南帆さん!また!!」 坡が手を振る。 そして、五人は雑踏に消えていった。 「知り合いだったみたいだね。」 紫南帆は電車の中で、さっきの女の子のことをいった。 葵矩は顎に手を添えて、 「彼女かな……それにしても。あの海昊ってやつ、相当知られてるんだな。男たち見ただけでビビってたし。」 紫南帆は、そうだね。と、頷く。 稲村ガ崎駅に降り立って――、 肌を刺す潮風に、紫南帆は小さなくしゃみをした。 急いで家をでてきた為に、制服姿だった。 葵矩は着ていたコートを、無言で紫南帆の肩にかけてやると、 「飛鳥ちゃんが風ひいちゃうってば、もうすぐ試合……」 なのに、と続けようとしてもう一度くしゃみをした。 「大丈夫。そんなに体、弱くないよ。」 葵矩は呟いて、照れ隠しのように話題を変えた。 「紊駕ってさぁ、時々何考えてんだかわからない。」 紫南帆は、ありがとう。と、言って、海昊と話をしていたときの紊駕を思い出す。 強かに怒っていた。 今にも拳が振り上げられそうだった。 「この間の話だって、何もいってくれないし。」 冬の冷たい風にあおられながら、裸の桜の木々が枝をゆらす。 乾いた音が響きあう。 春になれば、ここは薄桃色の空となる。 「そう、だね……。」 「心配かけないように、っていうのはわかるんだけど、さ……。」 紫南帆と葵矩は、今は灰色の空を見上げた。 丸い月が、ぼんやりと浮かんでいた。 輪郭がはっきり見えない。 紊駕は、よく言えば大人で、悪く言えば冷めている。 幼い頃からそう。 人を見透かすような蒼い瞳。 絶対に弱音を吐かない、端整な口。 でも。 誰よりも繊細なのかもしれない。 自分の心を見透かされたくない故、意地っ張りで。 心配をかけたくない故、突き放す。 自分より他人を優先させる。 さりげなく、婉曲に優しい。 そんなこと、当の昔から知っている二人だが、自分のことを滅法話したがらない紊駕に、遣る瀬無い気持ちが立ち込めてきていた――……。 >>次へ <物語のTOPへ> |