6 「……おはよ。」 しぐれ みたか 時雨は紊駕の腕の中で顔を上げた。 恥ずかしそうに、頬を赤らめる。 「オッス。」 紊駕は、起き上がろうとした時雨に、抱擁していた腕をゆるめた。 コーヒーカップが二つ。 昨日の余韻として残っていた。 窓から差し込む光はまだ弱い。 「やばっ、セーフクぐちゃぐちゃだし。」 時雨が照れ隠しに言った言葉に、紊駕が失笑した。 「つーか。」 そんな紊駕に――、 「あんな状態でヤらないなんて男としてどーなの?」 立ち上がって、短いスカートを強調させる。 背中を反らしたせいで、短いセーラー服からおなかがのぞいた。 紊駕の失笑。 時雨は頬を膨らまし、笑った。 そして、まじめに――、 「ずっと、起きてたでしょ。真っ直ぐな瞳して……。」 「起きてたのか。」 時雨が眠ってからずっと、紊駕は寝ずに考えていた。 一番良い方法を。 悪循環にまわり始めた歯車。 戻すことはできないだろう。 ならば……。 「朝食、パンしかないけど、いい?」 「あ、ああ。さんきゅう。」 ならば……。 その後の言葉をまだ肯定できずにいた。 「ね、信じることって難しいけど、大切だよね。」 時雨はキッチンで、紊駕に背を向けながら言葉を続けた。 「でも、あたし。兄貴のこと信じてるよ。」 紊駕を見る。 「紊駕も何かワケありなんでしょ。そんな、カオ、してた。」 「……。」 何も聞かずに、時雨は朝食の用意をした。 朝日が痛いくらいに差し込んだ。 「ガッコ、K女だろ。送ってく。」 紊駕はバイクの鍵を取った。 「今日はフけるからいい。」 首を振った時雨に、行け、と目でしかる。 時雨はあきらめたように、 「わかりました。ホント、兄貴みたい。」 学校の支度を済ませた。 朝の潮風はさすがに冷たかった。 「ねぇ、どんな事情があってもさ、守りたいモンは、守るよな。」 時雨は紊駕の背中で言った。 「たとえ、どんな事情が伴っても……。」 愛し方って、一つじゃないよね。 時雨は、紊駕の腰にまわした腕に力を入れた。 「ああ。」 紊駕は左手で、時雨の手を優しく叩く。 通勤ラッシュの134号線。 とはいえ、オフシーズンなため、普段はそれほど混雑しないはずの道にやけに車が多い。 「?何かあったのか?」 「みたいだな。ちゃんとつかまってろよ。」 紊駕は車と車の間を抜けた。 バイクの特権とも言うべく、すり抜け。 そして――、 たつし 「……何やってんだ、朝から。闥士。」 突然のブレーキに、時雨は顔を覗かせる。 鎌倉へ向かう134号線と江ノ島へ行く橋とのY字路の中央。 「紊駕か。久しぶりだな。」 紫のフェラーリの脇にいる混雑の根元に話しかける。 「よぉ。朝帰りかよ。呑気なもんだぜ。」 つがい 「津蓋か。お前らはマメだね。おびえてんじゃねーの、そいつ。」 津蓋と呼ばれたガタイの良い男。 冬だというのに、良く引き締まっている筋肉をむき出しにした黒のタンクトップ。 その隣に気の弱そうな、男。 フェラーリの隣にある車の運転手らしい。 「この兄ちゃんがよぉ、闥士さんのフェラーリ傷もんにしちまってさぁ。」 語尾を伸ばしながら、横でおびえる男を見る。 「俺は、別に見逃してやってもいんだけど、津蓋が熱くてよ。」 闥士は、鼻に皺を寄せた。 左右に垂れる、肩まで伸びる黒髪。 額にはバンダナ。 皮ジャンに皮ズボンの風体はハード・アメカジ。 イブ・サンローランをくわえ、ニヒルに笑った顔は、男前だ。 「なら、見逃してやんな。後ろにも迷惑だぜ。」 紊駕は後ろの渋滞を指差して――、 「またな。」 「おい、紊駕まっ……。」 津蓋が引きとめようとしたが、闥士は口元を緩めて、 「楽しみは後に取っておくもんだぜ、津蓋。紊駕ぁ!!」 四六時中背中に注意するこったなぁ。と、声を張り上げた。 ZEPHYRのテールランプを見て、にやり、と笑った。 「紊駕って……あれってどーみても凡人じゃないよね。」 時雨が、後ろに微かに見えるフェラーリを振り返った。 クレイジー・キッズ 「ああ、闥士たちか。渋谷のCrazy Kidsつーチームのやつら。」 あっさり言う紊駕に――、 「ち、チーマー??み、紊駕って何モノなワケ?」 「別に。ただのヒト、だぜ。」 時雨の言葉に苦笑する。 「……。」 唖然とする時雨を、学校まで送り届けた。 私立K女子学園。 校門の前で――、 「サンキュウ!」 時雨はバイクから飛び降りると、メットを脱いで紊駕に手渡した。 「また、会えたらいいね。」 頬に余韻を残して。 紊駕は、微笑してメットを両手にとった。 「……紊駕、さん?」 み ら 「しっ……冥旻、か。」 し な ほ 一瞬、紫南帆に見えたか、紊駕はどもって、声の主をみた。 冥旻ははにかんだように笑った。 黒く長い髪が紫南帆に似ている。 「……髪型変えたんだな。似合ってる。……元気、だったか?」 紊駕は優しいトーンで挨拶を交わした。 「はい。」 冥旻は元気良く答えて、 「学校、いかないんですか?」 紫南帆よりも甲高い、少し舌足らずな声で、二重の目を一層大きく開いた。 こんな時間に、制服も着ていない紊駕を不思議に思ったのだろう。 「行くよ、ちゃんと。カイ、ガッコ行ったか?」 「……はい。ちゃんと。」 「そうか。じゃあ、な。」 なんとなくぎこちない会話を交わして、紊駕はバイクを走らせた。 八時二十分。 紫南帆はもう学校に行っただろう。 紊駕は、家に向かった。 134号線を右に戻る。 稲村ガ崎で右折して――、 「紫南帆……。」 庭先で、制服を着た紫南帆の姿。 ZEPHYRの音を聞きつけて、玄関を出てきたのだ。 しかも、学校に行かずに、待っていた。 「おはよう。……制服、着てきなよ。」 紫南帆の憂いだ顔つきは、少し怒っているようにも見えた。 毅然とした態度。 そして、学校へ行こうと促した。 紊駕は、観念したように、前髪をかきあげて、 「ああ。」 部屋に上がった。 しばらくして――、 「40分。完全に遅刻だな。」 紊駕は呟いて、紫南帆をバイクに乗せる。 無言のまま、学校へ出発させた。 「何も、聞かないんだな。」 信号待ち、紊駕が口を開いた。 「紊駕ちゃんが話したくないことを、聞いても教えてくれないでしょ。」 「……。」 「信じてるから、紊駕ちゃんのこと。」 紊駕の腕に力が入った。 「……信じねーほうがいいゼ。」 オンナと一緒だったよ。はき捨てて、スロットルを捻った。 突き刺すように、紫南帆の気持ちを裏切るように――……。 きさらぎ みたか 「2年1組、如樹 紊駕、遅刻。このオンナはカンケーねーからな!」 校門の風紀委員の前で、学校では見せない形相で啖呵を切った。 「あ、っちょっと。」 「何か文句あんのか?」 鋭い目を突きつけた。 「紊駕ちゃん。」 紫南帆の言葉に、早く教室へ行けと促す。 風紀委員は、ありません。と、うなだれた。 幸い、まだHRは始まっていなかった。 紫南帆も、遅刻にならずに済んだだろう。 教室にはいった紊駕を、待っていたと思われる、あさざが、神妙な顔つきで――、 「ちょっと、あんた。何したのよ。渋谷も、こっちも。金が動いてるわよ。」 「別に。何もやっちゃいねーよ。」 あくまでポーカーフェイスの紊駕に、あさざは呆れて、 「あんたって、いっつもそう。肝心なこと言わないんだから!」 甘く見ないほうがいいわよ。付け加えて、もうじきチャイムが鳴る教室を後にした。 紊駕は、余計なお世話だっつーの。と、あさざの背中に呟いた。 何かが裏で起こっているらしい。 何かが――……。 「……。」 紊駕は、全く授業など受ける気なく、窓の外を眺めていた。 何かを決心するように。 真っ直ぐな瞳。 「おい、如樹ってやつはいるか。」 昼休み、教室の後ろから、低く凄みの利いた声。 紊駕は立ち上がって――、 「如樹ってのは、お前か。」 「……。」 相変わらず飄々として、無言のまま、ブレザーのポケットに両手を突っ込んだ。 そんな、紊駕に眉根をひそめて、 「先輩に向かって態度でけーな。お前、俺の弟にガンくれたってなぁ。」 凄みを利かした男の隣には、 「ああ、風紀委員さんか。」 さきほどの校門で遅刻者をチェックしていた小柄で気弱そうな男が、肩を萎縮させていた。 男は、その兄らしい。 「で、ワビいれろってか。」 りんき みずか 「物分かりがいいな。俺は、3年の麟杞ってもんだ、弟の瑞哉にきっちりワビ入れてもらおうか。」 そんな男に紊駕は苦笑して――、 「麟杞か、久しぶりだな。俺だよ、如樹 紊駕。」 紊駕は前髪をあげて、リーゼント風を装った。 その風体に、 「き、如樹さん??」 麟杞は大げさすぎるほどに目をまるくして、叫んだ。 ブルース 「どっかで見た顔だと思ったら、BLUESの麟杞じゃねーの。」 同じガッコだったなんて知らなかったぜ。と、口元を緩めた。 麟杞は、今だ呆然とした顔つきで、 「マジ、驚いた。」 呟いてから、弟の瑞哉に向かって――、 「瑞哉!なんで、てめぇ下の名前いわねんだ!!」 「だ、だって、兄貴が……僕が苗字だけ言ったらすっとんで……ごめんなさい。」 そして、紊駕に向き直った。 「如樹さん、すみませんでした。」 瑞哉の頭を掴んで、一緒に頭を下げた。 「いや。随分と弟思いなんだな。そりゃ悪いことしたな、ごめんな。」 紊駕は瑞哉の顔を覗き込んで謝った。 とんでもないっす。と、もう一度頭を下げた麟杞に、微笑して、紊駕は、背を向ける。 その後ろ姿を見て、瑞哉が――、 「兄貴。如樹先輩って……?」 「ああ、BADの特隊やってたヒトだよ。3年前あることがあって、それからはカタギになったんだけど……。」 「強いの?」 「強いなんてモンじゃねーよ。あのヒトのお陰でBLUESがあるみてーなモンだし。そういえば……。」 麟杞は、紊駕が去った道を見つめた――……。 >>次へ <物語のTOPへ> |