第四章 Bad Boys 恋愛事情

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   みたか
  「紊駕ちゃん。」
 し な ほ
 紫南帆は、玄関先で呟いた。
 そこには、紊駕の姿。
 黒のYシャツにズボン。
 壁によりかかって――、

  「悪かったな。」

 ぶっきら棒に、紫南帆の目を見ずに口にした。
 頬に、微かな傷。

  「紊駕ちゃん、傷。」

 紫南帆が手をのばした。
 瞬間。

  「さわんな!」

 紊駕の叱責に、伸ばした手を空中で止める。

  「……悪い。」

 我に返って、紊駕は謝るが、背中を向けて自室へ翻した。

  「……。」
 きさし
 葵矩は、あっけにとられて、そして紫南帆に向き直って――、

  「気にするなよ、な。きっと、虫の居所が悪かったんだよ。」

 もちろん。
 いくら虫の居所が悪くても、紊駕が紫南帆にあんな態度をとったことがないことくらい、知っていた。

  「私……何か悪いことした、かな。」

 その言葉に、

  「紫南帆が悪いわけじゃないよ!」

 葵矩は紫南帆を宥めて、紊駕の部屋に足を向けた。
 強かに怒った表情。

  「紊駕!」

 ノックもせずに、紊駕の部屋に入る。

  「どうゆうつもりだよ。俺たち心配してK学までいってたんだぞ!紊駕に100万賭けられてるってきいて……おい、何とか言えよ!」

 葵矩は早口で捲し立てて、紊駕の胸座をつかんだ。

  「誰がんなコトいったよ。」

 胸座をつかまれた体勢で、紊駕は冷淡な声を出す。

  「な……ウソなのか?」

 葵矩は唖然として腕をゆるめ――、

  「心配してソンしたよ!だったら、何であんな態度とんだよ。本当に心配して……もっと何か言い方あるだろ!!あんな……」

 「うぜぇ。」

 吐き捨てた。
 紊駕の蒼の瞳が葵矩を貫いた。

  「ガキじゃねんだからよ。心配されるようなコトしてねぇよ。」

  「……っざけんなよ、紊駕!」

 衝動を止められなかった。
 葵矩の腕は、振り下ろされた。

  「……み、紊駕。」

 みごと、それは命中した。
 紊駕は一歩も動こうとせず、葵矩にわざと殴られたのだ。
 葵矩は、思わずあげてしまった腕と、紊駕の左頬を交互にみた。

  「何でよけな……」

 かったんだよ。と、続けようとして――、

  「んなパンチじゃ、蚊も殺せねーぞ。」

 紊駕は一笑に付して、葵矩を見る。
 冷たい瞳。
 次の瞬間、革ジャンとメット、バイクの鍵を無造作に握った。

  「どこいくんだよ!」

 葵矩の声むなしく、紊駕はドアの外に消えた。
 葵矩は、後を追いかける。

  「紊駕ちゃん!」

 紫南帆の言葉は無視した。
 無駄なくバイクまで向かい、エンジンをふかす。
 紫南帆が飼っている、ラブラドールレトリバーのアルセーヌが吠えるのも気にせず、家を後にした。
 サイドミラーに、紫南帆と葵矩の憂いだ顔。
 わざと見ないようにした。
 ZEPHYRは、スロットルからの信号を着実にエンジンに伝えた。
 キャブレターにガソリンが送られる。
 低い唸りをあげるマフラー。

 行く当てなど、ない。
 わかっている。
 ただ、紊駕もまた、衝動を止められなかった。
 去り際の、紫南帆と葵矩の表情。
 わざど振り切るように、スロットルを捻った。
 国道134号線を鎌倉方面に走って――、

  「おいっ。」

 鎌倉駅付近のトンネル。
 一人の少女が、セーラー服姿のまましゃがんでいる。
 私立K女子学園の制服。
 金色に近い、ショートヘア。
 紊駕はその姿をみて、バイクから降りると、少女の腕を取った。

  「何すんだよぉ。」

  「んなトコで、ヤッてんな。」

  「んだよ、てめぇ、マッポかよ。」

 少女はあどけなさの残る瞳を細めて、乱雑な言葉を吐いた。
 間延びした語尾は、気だるさを表している。

  「ダチはどうした?一人でやってたワケじゃねーだろ。」

 少女を引き起こして、紊駕は素早くモノを取り上げた。
 少女が掴んでいたモノ。
 シンナー。

  「……帰ったよ。皆、度胸ねんだもん。……ネンショーならゴメンだからな。」

 少女は虚ろな目で、精一杯の睨みを利かせた。
 紊駕はため息をついて――、

  「家どこだ。」

  「見逃してくれんのか?」

 円らな瞳を見開いた。

  「どこだって聞いてんだ。」

  「……茅ヶ崎。」

 紊駕はメットをほおって、ZEPHYRにまたがった。
 後ろに乗れ、と合図する。

  「へぇ、カッコいーじゃん。超いじってあんね。」

 少女は興味津々にZEPHYRをみて、オイルクーラーやマフラー、サスなど、改造してある部分を指し示しては、すごーいと奇声を上げた。
 女の子にしては、バイクのことを良く知っている。

  「キョーミあんのか。」

  「結構ね。」

 少女はスカートもお構いなしに、バイクにまたがった。

  「……道、教えろよな。」

 エンジンをふかす。

  「はーい。」

 少女は走り出したバイクの後ろに座りながら、上機嫌で手を挙げて見せた。
 きちんとニーグリップをしている様子を見ると、バイクの後ろに乗るのは初めてではないらしい。
 運転もしやすい。
 初めてだとしても、紊駕にとっては別に問題ないが。

  「そこ左〜。」

 少女の道案内に――、

  「アホか、茅ヶ崎は右だ。」

 134号線を右折する。

  「えーつまんなーい。遊んでいこうよぉ。」

 少女の言葉を一笑に付して、自分の家へ曲がる道を通り過ぎた。
 夜の江ノ島がだんだん近づいてきた。
 点々とした電灯で、ぼんやり海に浮かんでいる。
 突然、前から唸り声。
 発生源はまだない。

  「きゃあ、ゾッキーじゃん。見たいみたい。」

 ようようとそれは現れた。
 少女は、前方からのバイクの群れに、相変わらずお気楽な声を出した。
   たきぎ
  「薪か。」

 ZEPHYRが停止した。
 先頭をきっていたSUZUKI GSXが驚いたようにブレーキをかけた。
 後方の集団もそれに倣う。

  「み、紊駕?」

 メットはかぶっていない。
 金色の脱髪。
 鋭く、切れ長な瞳だが、表情は少し幼い。

  「久しぶりだな、ちゃんと頭はってんじゃねーの。」

  「っ……てめぇにはカンケーねーよ。紊駕こそ、セーフクの女連れて何処いくんだよ。」

 睨みを利かした薪に、

  「てめぇにはカンケーねーよ。じゃあな。」

 紊駕は、薪の言葉を真似て言い、片手を振った。

  「紊駕!」

 薪の声は潮風にかき消された。

  「ねぇ、薪って人と知り合いなの?」

  「まあな。」

 少女が顔を覗きこむようにして、紊駕の耳元で尋ね、ふーん、と呟き、そこ右。と、いった。

  「ここ。」

 マンションを指し示した。
 十数階ある、洒落た建物だった。
 紊駕は減速する。

  「寄ってく?親いないし、誰もいないよ。」

 夜風に当たって、すっかり正気をとりもどした少女は微笑した。
 幼顔。

  「誰もいねーのに、知らねー奴いれんな。」

  「何かたいこと言ってんの、ミタカ。」

 少女は、先ほどの薪との会話で知った紊駕の名前を口にした。
 イタズラに笑ってみせる。
 人懐っこい笑みだ。
        しぐれ
  「あたしは時雨。時の雨ってかいて時雨。」

  「もうラリってねんだろ。だったらへーキだな。」

 紊駕は時雨からメットを取り、かぶろうとする。

  「3階なの、足ふらついてのぼれなーい。エレベーターこわーい。」

 だだっこのように紊駕にしがみついた。
 紊駕はクールな表情をいささかしかめて――、

  「わーったよ。しょーがねーな。」

  「やった。」

 しかたなくバイクを止めて、マンションに入った。
 ふらついてはいない、時雨を支えて。

  「紊駕ってかなり、かっこいいね。」

 時雨は近づいた紊駕の耳元でささやいた。
 紊駕は至って平然と、

  「ガキが何いってんだ。」

 あしらう。
 時雨は唇を尖らせて、

  「ガキじゃありませんよー。もう高1だもん。」

 303の部屋のドアを開ける。
 電気の消えた部屋。

  「ほら、もういいだろ。じゃあな。」

 踵を返そうとした紊駕を、部屋の中に引き込んで――、

  「離婚してね……母親と二人なの。で。あの人は水商売やってて。ほとんど帰ってこない。ま、男がいっぱいいるからしょうがないけど。」

 寂しげな表情を垣間見せて、無理やり笑ってみせる。
 そんな時雨に、

  「コーヒーくらいは、お礼にもらってやるよ。」

 紊駕は優しく頭を叩いて、部屋に上がった。
 時雨は満面の笑みをして頷いてキッチンに向かった。
 モノトーンで無機質。
 生活感のない部屋。
 紊駕たちの家とは、似ても似つかない。
 一瞬、紫南帆たちの顔がよぎった。

  「コーヒー。砂糖?ミルク?」

 時雨の声に、頭の中からそれを追いやる。

  「ブラック。」

 紊駕の返答に、そんな感じ。と、独りごちて、コーヒーを運んできた。
 まじまじと紊駕の顔をみる。

  「何?」

 はにかむように微笑んで――、

  「初めてなんだ、実は。男のヒト、部屋に入れたの。」

 時雨は紊駕の隣に腰おろす。
 驚いたでしょ、こんなナリしてるもんね。と、独り言を言うようにいって、ミルクたっぷりのコーヒーをすすった。

  「なんか。紊駕って他人じゃない気がして。」

  「……。」

 時雨は金色に染まった長めの前髪をかきあげた。
 とても静かな空間。

  「その、蒼い瞳。」

 じっ、と紊駕の赤くストーレートな前髪から覗く目を見つめる。

  「兄貴と似てるんだ。」

  「兄貴いんのか。」

 紊駕の言葉に、無造作にコーヒーに口をつけて――、、

  「うん。でも今は何処にいるか知んない。……兄貴。何も失うものはないって顔して、でも本当は守りたいものがたくさんあって、守りたくて……不器用なんだよね。」

 似ているよ、紊駕と。

  「……。」

 紊駕のいつもはクールな表情が、変わった。
 自分の心を見透かされた。

  「お前も……。」

 時雨を見る。
 体育座りをして、体を小さく丸めている。
 やりきれない気持ちを抱え込むように。

  「お前も兄貴と似てるゼ。」

 時雨が顔を上げる。
 紊駕の優しい顔。
 間髪いれずに、紊駕の胸に飛び込んだ。
 自分の気持ちを理解してくれた。
 そして、また紊駕もそんな時雨を抱きしめた。
 言葉を交わすことなく。
 二人は密着しあった――……。


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