Qの憂鬱


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稲村ケ崎は、飛龍組ひりゅうぐみ本部のある由比ヶ浜と龍月の自宅のある七里ヶ浜の間に位置する岬だ。
国道134号線を渡って、鎌倉海浜公園に入ると、数人の中華系の男たちの姿が確認できた。暗がりに紛れる者、堂々とベンチに腰下すもの。

龍月たつきは、臆することなく岬の先端へと階段を上る。
空を見上げると、満天の星。思わず息をのむ。天の川も見えた。

7月7日。今日は、七夕だ。
数m先、海岸を臨むベンチに、カップルが座っている。
茶髪にサマージャケットの男と、ポニーテール黒髪の女の後ろ姿。
龍月は、そのカップルの周囲を窺う。慎重に。気取られぬよう、木の陰に隠れる。

―――見つけた。

心中で呟いた。
“アリス”は、“ローベルトコッホ碑”に身を隠し、カップルを凝視している。
“コッホ”は、ドイツ人細菌学者。北里柴三郎の師で、北里氏が鎌倉を案内、のちに霊山山にたてられた記念碑。それが移転されたものだ。
“アリス”の身の丈以上あるので、容易に隠れられる。

 「……。」

“アリス”の横顔は、怒りや憎しみに満ちているわけではなかった。
むしろ、哀愁。暗鬱。切なさ、心苦しさまで伝わってきた。
とはいえ、共感、同情などしている場合ではない。
龍月は、“決行”の指示をして、一歩。踏み出した。

 「……!!」

その時だ。
龍月の視界に入ったのは、何と、海空みあだった。こちらに向かってくる。
何で……。と、海空の視線を追いかける。
ベンチに座るカップル。

龍月は、高速で理解した。
ベンチに座るカップルは、後方から歩み寄ってくる男二人に危害を加えられる寸前だった。“アリス”は笑った。勝ち誇ったように。
海空が驚いた様子を隠さず小走りになった。

―――お嬢の護衛も任せたよ。

JOKERジョーカーの言葉の真意。甘く考えすぎていたか。龍月は、眉根をひそめた。

目の前のカップル―――扇帝みかどくん。と、扇帝くんの友人の女性、Abbeyアビー
秦皇羽シンファンユー冥旻みらちゃんのフリをして、囮になってもらった。
正確にはJOKERの人選。

今、この稲村ケ崎にいるのは、全ての者が味方だ。
犯人―――“アリス”を捕まえるための一芝居だった。

“アリス”は、本名、秦愛琳シンアイリン。英名、Aliceアリス。秦一族、秦皇羽の弟、秦国平シングォンビーの妻。
つまり、秦皇羽の義妹だ。
元モデルで芸能界ではかつてもてはやされた美女。
しかし、政界―――秦国平の妻となってからは、表舞台からは遠ざかり、自分を殺して献身的に尽くしてきた。曰く、拷問のような生活。

元々は、秦皇羽との婚約話があったようだ。
JOKER曰く、秦皇羽に恋している。それが、冥旻ちゃんを狙う動機だ。
秦国平の実母、姑が他界したことを契機に、今回の様々な事件を起こした。

そして、今日、この場所、この時間。秦愛琳を止めるため、龍月が描いた絵図―――中華街、中華系から秦愛琳に秦皇羽と冥旻が毎年必ず七夕に、ここでデートすること。を、吹聴させた。

さらに、秦愛琳の腹心たちには、七夕は中国での日付―――8月22日。をミスリードさせた。当然既に全員洗い済みで、捕らえ済み。
当の本人―――秦皇羽には、別の場所で本物のデートを楽しんでもらっている。

ここで、龍月は、秦愛琳と対話するつもりだった。
冥旻ちゃんを捕らえて秦愛琳に差し出す。それが、今まさにAbbeyを襲うフリをする男の役割。
しかし、海空というイレギュラー。海空は、扇帝くんを追ってきたのだ。

おそらく七夕。
海空は、冥旻ちゃんの会話に感化されたか、扇帝くんをデートに誘ったのだ。
多分扇帝くんは、仕事。と、いったのだろう。しかし、Abbeyと一緒にいるところを目撃。
海空の心中、察する。

中華街でも扇帝くんとAbbeyが一緒にいるところに出くわしたらしいから、想定にいれるべきだったのだ。既に遅いが。

龍月は、迅速に思考を巡らせながら、扇帝に一言。海空が居ることを伝え、自身は秦愛琳確保に集中力を注ぐ。

インカムの向こうで扇帝が息をのむのが聞こえた。心中で謝罪する。
JOKERは、今回囮役を扇帝くんに頼んだ。
あの時点では、海空の動向は正確には予測しえなかっただろうが、可能性を考慮したのか。

お嬢―――海空。の護衛。とは、つまり、扇帝くんに対する海空の気持ちの暴走を起因とした、動向に対するもの。
今、目の前の事象。だったのだ。
ただ、今回は、扇帝くんに任せた。少し酷か。苦笑。

 「……!!」

龍月の顔つきが瞬時に変わった。
左方から、星のように煌めく光。月星の反射。

―――待て、待て。約束が違う。

龍月は、心で叫びながら、わざとその射線に入った。見えない主を睨む。
まさか、JOKERは、秦愛琳を殺す気なのか?

 「……聞いてませんよ、Cシー。」

ClubクラブAceエースYuriユーリィにインカムで伝えるも、無反応。否、無視。
くそっ。本気かよ。
龍月は、海空に気づかれないように闇に紛れて猛ダッシュ。

 「すみません!」

駆け寄り様に、秦愛琳を抱きかかえた。
思っていたよりも小さく、軽い。当然秦愛琳は、驚いてもがいた。
とりあえず今は。と、龍月は、扇帝からまずは遠ざける。
射線の通らない位置まで、ダッシュ。一気に階段をかけおりる。

とはいえ、容易ではないことはわかっている。
射殺がJOKERの指示なら。スーパースナイパーのYuriなら。確実に殺される。

何するの!腕の中で暴れる秦愛琳に、英語で、狙われている。と、伝えると、察したのか大人しくなってくれた。
何処まで逃げればいいか。否、何処に逃げれば。

 「下ろして……貴方、誰。」

周囲を見渡して、石碑に身を潜めた。
1910年に起こったボート遭難の碑だ。後ろは、柵と岸壁。前方のみ、全集中力を注ぐ。
龍月は、ゆっくりと秦愛琳をおろす。冥旻と同じくらいの年齢。元モデルだけあってか、月夜に映る顔は、若々しく美しい。

勝気そうなつり目の端に少しの年齢を伝えるシワこそあれ、美にこだわってきた様子を伺わせる。
160強あると思われる長身にしては、細く、軽かった。

龍月は、周囲を気にしつつ、秦愛琳に向く。
質問は、無視して英語で言う。

 「……貴方は、失敗した。潔く罪を認めてください。今後、冥旻を狙わないと、約束してください。」

 「……。」

秦愛琳は、まじまじと龍月を見つめた。溜息。
はめられた。のよね。と、先程居た方面を遠目で見て、何故助けるの。と、言った。
龍月は、返答に少し戸惑いをみせ、自分は対話しにきた。と、伝える。

少しの沈黙。
秦愛琳は、膝を抱えるようにしてその場に座った。
ずっと、好きだった。と、突然秦愛琳は、胸の内を吐露し始めた。
叶わない、秦皇羽への恋。せめて近づきたいが故の行動。恋敵への嫉妬。もやもやとした憂鬱の日々。

 「だから、二人の姿を間近でみたら、何か、自分の真意がわかるかも。って。」

 「それで……」

どうでしたか。と、問おうとして、先の二人は、本物ではない。それも悟っているだろう。龍月には継ぐ言葉が見つからなかった。

それに、秦愛琳は冷静だった。
逆上して冥旻ちゃんをどうこうする気はなかったのかもしれなかった。
確かに、今回の事件の首謀者は、秦愛琳だ。冥旻ちゃんを捕まえるよう指示したのかもしれない。しかし、文化祭での爆弾は、実行犯が用意したものだったように、危害を加える気はなかったのかもしれない。

 「……世の中は、不条理で道理から外れていることが多々ありますよね。」

生きていくために“合わせてきた”。“不思議の国のアリス”の、アリスのように。この人もきっと。中国王宮、閉鎖的空間に身を置いて、一体どんな日々だったのか。わからないが、相当な上下関係―――姑との軋轢。に苦しんでいたようだ。
隣の芝生は青く見える。というが、冥旻ちゃんのことがうらやましかったのかもしれない。

 「若輩者が言うのは何ですが、たまには、自分の信条を曲げずに、心を尊重するのも必要かと……。」

とはいえ、冥旻を危険に晒すのは、容認できないが。と、加える。
秦愛琳は、驚いた表情を隠さず、龍月を見て口元を緩めた。誰の味方なのかしら。と、口にした英語の語尾は、優しかった。

もしかしたら、冥旻ちゃんと直接対話させるのも一つの手だったか。いや、JOKERが許すはずない。か。

龍月は、空を睨む。意を決してインカムに言った。

―――自首。させます。手出し無用でお願いします。

インカムは、やはり無言だった。
龍月は、石碑の陰から身を出す。秦愛琳を守るように射線をふさぐ。
どこだ。公衆トイレの屋根か?木の上か?

無言のインカムが、龍月の意を拒絶しているのは、解った。
肌寒い感覚。緊張。両拳を握る。

―――悪芽は、早めに摘み取るのが鉄則だよ。

思わず肩をいからせた。
初めて聞く、Yuriの恫喝。低く、冷徹な声。

 「違う。更生の機会を。猶予を与えるべきです。彼女は……」

情状酌量の余地がある。声が上擦って、はっきり言えなかった。
目の前で人が死ぬかもしれないという、現実。自分もろとも撃たれるかもしれないという、恐怖。

インカムの向こうの人間―――Yuri。は、実戦で、戦争で、人を撃ってきた、スナイパーなのだ。と、改めて実感する。電波でさえ、伝わってくる畏怖。喉の奥が鳴った。

でも、だけど。引けない。
龍月は、両手を広げて、秦愛琳を守る姿勢を示した。
人を守るために人を殺すのは、正義か。違う。少なくとも、俺が目指すものとは、異なる。そんなことをするために“A”に入ったわけじゃ、ない。

インカムから、溜息。

―――上官は、僕だよ。

ぞっ、とする声音。言葉の真意。ジャマするなら、殺す。
ひりひりと、ひしひしと伝わる、緊迫。わかっている。Missionにおける上下関係は、絶対だ。責任も当然、上官が全て追う。Yuriの全判断に委ねられている。

SDSは、正義だと、信じている。でも、いやだからこそ、納得できない。
圧倒的な能力の差。わかっている。でも、信条を曲げるのは、違う。
殺人。は、いかなる場合でも受け入れられない。海昊かいうさんも望まないはずじゃないのか!!龍月は、心中で叫んだ。

焦りを隠さず、周囲を見回す。
数秒の沈黙。そして、数m手前に風を切る矢のような音。雷鳴と見紛う、光。

―――威嚇射撃!!

身体が勝手に反応していた。無意識。
龍月は、秦愛琳を柵の向こうへ押し上げて、横たわらせる。Yuriの居る方向は、判った。ここなら、射線は通らない。

 「……貴方も撃たれる。」

一瞬、冥旻ちゃんと見間違えた。穏やかで、おおらかな笑顔の中の芯の強い意志。
その表情に死相を観た。
秦愛琳の向かう先。絶壁。秦愛琳は、自死するつもりだ。

 「だめです!!」

岸壁からわざと落ちようとする秦愛琳に声を張った。
その時。

 「有望で貴重な精鋭をたぶらかさないでほしいなぁ。Alice。」

Yuriよりも声質は高いのに、重たい空気感を一瞬で造る。その、オーラ。
Alice―――秦愛琳も固まった。表情が凍り付いている。凝視する先。
数m前方。暗がりで顔は見えないが、JOKERだ。

次の瞬間、しまった。と、龍月は我に返るが、コンマ数秒、身体が遅れた。
しゅんっ。と、目の前に何かが横切ったと思ったのは、刹那。

―――良い反応だね。

感情の乗らない、インカムからのYuriの声。
龍月は、柵を飛び越えて、秦愛琳を抱き止めた。

 「Mission Complete.Ace.」

空から降ってくるかのような、JOKERのセリフ。
脳裏に響く冷たい声と、抱いている温かい秦愛琳の身体。
龍月は、唇を強く噛みしめて、JOKERを睨みつけた。



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