♥Qの憂鬱
♥
2
「幸せやわぁ!」
まず、その姿。
雪のようにこんもりと盛られた、見た目からふわっふわの氷に真っ赤なシロップ。
苺もふんだんに飾られている。
トップに乗せられたまるっと一つの大きな苺は、まるで女王様のように、生クリームのイスに座っている。
もう、甘酸っぱさと美味しさが想像できる。見事なフォルムだ。
てっぺんの苺と生クリームを頬張る。
もちろん、期待を裏切らなかった。
「んっ〜!美味しい!」
「本当?嬉しい。
海空ちゃんが食べてる姿、こっちが幸せになるわぁ。」
かわいい。と、カウンター越しに穏やかな優しい笑みの
梢依さん。
梢依さんは、ここ“Umi―海”のパティシエだ。
“Umi-海”は、鎌倉市極楽寺駅前にある、古民家風オーガニックレストラン。
今日は、開店前に試作品スイーツの“イチゴのふわふわかき氷”を頂きに来たのだ。
「海空って好きなモン先に食べるよねぇ。うん、美味しい。これ、天然氷ですか。ソースも自家製ですよね。」
隣でにちかが癖っ気のボブを左手で抑えながら、苺のソースをすくって口に運んだ。
インディアンエクボをへこませて笑う。
「好きなモン先に食べる人って自分に自信があるんだって。」
「別に、ないけどな。」
にちかに返答する。
自家製ソース。苺がごろごろとたくさん入っとう。贅沢やわぁ。氷もふわふわや。
かき氷に魅入っていたら、みぃちゃんは、本当素直。と、かわいらしい笑いが聞こえた。
逆側の隣。
一番端のカウンター席でブラックのコーヒーを飲むしぃちゃん。
同じ私立S学園高等部、一つ下の高1だ。
甘いものが苦手な大人な幼馴染。
「苺の品種はロイヤルクイーンですか。そしたら……商品名をもっとインパクトあるのにしたら売れるかも。」
評論家さながらに。にちかは苺をスプーンでつついた。
中まで真っ赤な深紅のストロベリー。ロイヤルクイーン。
“深紅の女王”と呼ばれるらしい。
にちかは情報通だ。
マスコミ関係の仕事をする両親の影響か、高2ながらにマーケティングに興味と才能があり、このレストランの売上に貢献している。
「さすがにちかちゃん。命名、おねがい。」
嫌といわせない笑顔の梢依さん。27歳。
年の功か。
にちかもまんざらではなく、真剣に考えている。
都内住みのにちかがわざわざ神奈川に来て、この試作品試食会に参加するのは、決して
見返りの為だけではない。と思う。多分。
命名にいくらくれますか。と、直球交渉するにちかに、しぃちゃんが良く整った眉根をひそめて、こちらに視線を送ってきた。
軽く笑い返す。
おっと、あかんわ!
早よ食べんと、せっかくのふわふわ氷が水になってまう。
「海空ちゃん、ケーキも試作たくさんあるから、食べてってね。」
梢依さんは良く理解している。
丁度食べ終わるころに移動ワゴン一杯のカットケーキが運ばれてきた。
ショートケーキからパイ、タルト。ロールケーキもある。
きらきらと宝石のように輝くスイーツたち。
うーん、至福の時やわぁ。
全てを平らげるまでは暫し幸せに浸る。
ほんま、甘いものて何でこんなにおいしいんやろ。
いくらでも入るわ。しかも、タダなんてお徳の何ものでもないわ。
「さすがに、食べすぎでしょ。……いつもの事だけど。」
にちかが溜息。
気に入ったのあったらホールで出すねぇ。と、梢依さん。
ほんま?と、思わず大きな声がでてしまった。
「せやったら、このイチゴのパイと、ショートケーキ。ああ、フルーツタルトも捨てがたいわぁ。」
「じゃ、全部でいいかなぁ。大丈夫。お代はいいよ。」
経費で落ちるから。と、梢依さんにいわれ、大きく頷いてしまった。
すぐに一欠片が欠けたホールが三つやってきた。
「さすがに梢依さん、経費って……
夕摘さんに怒られちゃいますよ。」
しぃちゃんは呆れて口にした。
そりゃそやわ。支払はちゃんとせんとな。と、改めて反省する。
ここは、梢依さんのお母さんのお店。とはいえ。だ。
いいの、いいの。と、梢依さん。
とりあえずケーキを頂こうっと。
「……にしても。こっちが胸やけしてくるわ。しかも、どこに入るの。そのムカつくほど細い体の。」
にちかがにらんできた。
自分を細い。と、思ったことはない。食べたいものは食べたいのだ。
それにたくさん食べた日は、一応他の食事は控えるようにしている。
運動もする。それが日常だった。
にちかにいわせるとうらやましい。らしいが。
しぃちゃんは、体調管理がちゃんとできている。と、褒めてくれる。
そういうしぃちゃんは、甘いものを食べないからか、スレンダーだ。
細すぎる。とも思う。甘いもの、食べたらええのに。
それにしても、苺はやっぱり美味しい。
ショートケーキの苺を食すのを見てか、にちかは窓の外を指して言った。
「そういえば今日、ストロベリー・ムーンなんだって。」
ストロベリー・ムーンは、6月の満月の俗称だ。
アメリカ西側のオジブワ族が6月に採集できる苺を月の呼び名とした。
他の国では、ハニームーン、ミードムーンなど、別の名称で呼ばれるらしい。
「へぇすてき。赤く見えるの?」
「いえ、赤みや黄色みかかって見えることはあるみたいですが、苺のようだからと名付けられたわけではないんです。」
そういう誤情報が広まったことがあり、誤解してる人もいるかもしれないですが。と、にちか。
「月が赤く見える原理は、夕日のそれと同じですよ。」
しぃちゃん―――
紫月ちゃん。がいうと説得力あるわね。と、梢依さん。
確かに。
しぃちゃんは、パパがお医者さんだからか、理数系に強い。何か女医さん。ってカンジ。しっくりくるなぁ。
美人やし、かっこかわええカンジや。
「恋を叶えてくれる月。らしいですよ。好きな人と一緒に見ると結ばれるって俗信。」
「あら。やっぱり素敵ねぇ。」
ロマンチック。と、うっとりする梢依さんの声を聞きつけて厨房から“ギンさん”が顔を出した。
「何々。じゃあ、月を一緒に見に行……」
「かないよ、ギン。私、16時で上がりだし、ギンは、朝まで仕事でしょ。」
と、梢依さんは、ばっさり。いつもの事だが。
“ギンさん”こと、ここの板前さんは、ワイルドな見た目に反してナイーブな一面がある。
梢依さんとのやり取りは、漫才みたいでおもしろい。
“Umi-海”は、入口から左手に厨房。カウンター席。
右手にテーブル席と小上がりのお座敷が広がる長方形のお店だ。
入口右手、手前には雛壇がありカラオケ設備がある。
昼の部が11時から16時。夜の部は、18時から。何と朝まで。
お客さんがいるかぎり開いている。らしい。
そんな夜の部を梢依さんのお母さん、夕摘さんが切り盛りする故、10時前の今時分は店には居ない。
忙しいときは、上階のプライベートスペースで仮眠をすることもあるのだとか。
「そろそろ開店準備始めるねぇ。あ、でもゆっくりしていって。」
ゆったりと梢依さんが言う。
あと一口で完食するタイミングだった。
お代本当にいらない。と、払います。とを数回繰り返して、結局
タダで頂いた。
ラッキーや。
店を出た後、にちかにランチに誘われたが、“控える食事”だ。と、断る。
今日は、夕食も軽く済ます。
“Umi-海”で食べればよかった。と、ぼやくにちかと駅で別れた。
しぃちゃんと目顔して、由比ヶ浜まで二駅を歩くことにした。
開花したばかりの紫陽花たちが、海までの道を誘ってくれていた。
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