Qの憂鬱


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200畳程もある畳張りの道場から元気な声が響いてくる。
龍月たつきは、その入口手前の隅で、スマホ片手にしゃがんでいた。
気合の声。呼吸の音。道着の風を切る音。そのどれもが馴染みがある。

子供から大人まで、数十人の門下生の正面に立つのは、飛龍 冥旻ひりゅう みら
40代には全く見えない、かわいらしい容姿と黒帯にギャップを観るが、オーラは元よりその実力を知る龍月には、至極当然の光景だった。

師匠として箔が足りないかしら。と、気にしていたこともあったようだが、生意気を言わせてもらうと、全くそんなことはない。と、龍月は思っている。
小さな顔に大きな二重の瞳。小さな鼻口。黒髪を一本で結っている立ち姿は、凛としていた。

この道場は、鎌倉市由比ヶ浜にある。
日本一大きなヤクザ組織、飛龍組本部の敷地内だ。
そして、冥旻は三代目飛龍 海昊ひりゅう かいうの実妹。
とはいえ、龍月の両親と海昊、冥旻は、旧知の仲。という関係で、幼い頃から龍月もここで稽古を付けてもらっている。

空手、柔道、剣道。その他、武道を習うには適任の師匠が多くいる。
組員の皆は気さくで男気のある者ばかりだ。

 「……。」

メールの着信。海空みあが、“Umi―海”を出た報告。
こちらに向かっているようだ。
大好物のスイーツを食べて、昼抜きで稽古に参加。かな。
思わず口元が緩んだ。
ならば、極楽寺から二駅歩くつもりだろう。

 「お嬢の帰宅は、数十分後。っと。」

独りごちて、先程熟考していた答えの出なかった問いを再び考える。
HeartのQueen――海昊の娘、海空の“護衛”。の意味。

当然立場上常に守られるべき対象ではあるが、龍月には、あの時のJOKERジョーカーの表情が気になっていた。
無論、理由を訊いても応えてはくれないだろう。チェシャ猫のように笑うだけだ。
JOKERは、いつも龍月を試そうとする節がある。
今回のMissionの目的は、冥旻ちゃんの護衛だ。その件に海空も係る。ということか。

鋭い視線を感じた。
しかし、それは敵意、殺気ではなく、いつもの挑戦。
龍月は軽く溜息を吐きながら、その視線に応じる。

このキョリでも舌打ちされたのが容易にわかって笑えた。
門下生の一人―――といっても、海空同様、龍月の幼馴染。の、流蓍 維薪なしき いしんだ。組手の最中だというのに、余裕でこちらを睨みつけてくる。
四つも下の中1にしては、170cmもある体格に、赤髪。

昔から龍月に勝ちたい。と、挑んでくる。スキあらばいつでも。だ。
まだまだ負ける気はしないが、先はわからないな。精進、精進。

その隣でやはり余裕で相手を往なしているのは、飛龍 天羽ひりゅう てんう
こちらも中1だが、173cmと大きい。さらに銀髪。茶と青のオッドアイをもつ美少年だ。
相変わらず汗一つかかないクールな戦いぶりと風格は群を抜く。
天羽が本気になったらそら恐ろしい。怖い、怖い。

そんな天羽の隣では、満面の優しい笑みで年下の子にアドバイスをしながら組手をする飛龍 空月ひりゅう あつき。海昊の息子で、海空の弟。やはり、中1。
150cmと少しの低身長だが、柔軟性と俊敏さは目を見張る。実力計り知れない、底なし。

このトリオは、龍月の自慢の幼馴染だ。
学校も部活も同じ―――否、龍月がそう仕向けた。後輩にもあたる。

 「龍月、来てたん。」

龍月の予想通り、数十分経って海空が姿を現した。

 「兄貴。稽古しヤらないなら、ジャマ。」

相変わらず辛口男前の口調。妹の紫月しづきも一緒だ。
三つも年下なのだが、かわいらしく“お兄ちゃん”と呼んでくれたのは、いつまでだったか。

鋭く切れ長の目と尖ったアゴとで退路を示す。
維薪同様、龍月に負けじとここで稽古に励んでいるのだ。

丁度、午前の稽古が終わった。
もう一つの出入口から門下生たちがはけていく。
じゃ、帰ろっかな。と、立ち上がって20p弱下から睨みあげられた。

 「龍月も一緒に、どや。」

紫月の視線を往なして、海空に片手を振る。
その瞬間。
後ろからの戯れの風。床を踏む音に合わせて身体を左に捻る。左腕で下段払い。

 「うしろからは、反則。」

右脚を払われ、バランスを崩すも、立膝を着く格好。そして、大きく舌打ち。
先の紫月と同じ視線の維薪だ。

 「そんなに2人とも俺と闘いヤリたいの。モテるのは、辛いね。」

そんな、龍月の茶化しに、維薪と紫月は、同時に舌打ち。
海空は、ホンマやなぁ。と、笑った。
海空は、竹を割ったような性格で、明るく素直なイイ子だ。
父、海昊の影響で、神奈川住みにもかかわらず、大阪弁だ。

 「たっちゃん、すごいね!何でわかるの。」

空手けいこを終えた空月が、やはり、満面の笑みで龍月を褒める。
空月は、実直、素直。全面ににじみ出る、善人だ。

 「……風。視線。……それから、僕ら周りの、反応。」

もちろん、龍月くんの超人的反射神経あってだけど。と、抑揚のない声で天羽は言う。空月は、大きな二重の目を輝かせて、天ちゃんもすごい。と言う。
維薪に、惜しかったね。と言って睨まれた。

維薪は、いつでも向上心MAX。何に対しても常にトップを目指し、大抵は成し遂げる。口や態度は悪いが、根は優しい男だ。

空月と、天羽。家柄や容姿で嫌でも目立つ2人の先頭に立って、牽制する役割を自ら担ってくれる。
黒かった髪を中学入学と同時に真っ赤に染めたのも、銀髪の天羽の為だ。
何も言わないが、そういう男なのだ。
この5人の幼馴染。龍月にとってかけがえのない、大事な仲間だ。

 「ちょっとあっちにいって、戻ってくるよ。」

待ってて。と、口角をあげる龍月に、待たねぇし。と、維薪。
口では、そういうが、門下生たちが帰った後、この5人は、ここで自主練をする。
いつもの流れだ。

道場に冥旻の姿が見えなくなって数分。頃合い・・・だ。
龍月は、維薪や紫月の気持ちに後ろ髪を引かれながらも道場を後にした。

敷地の北側の門扉をくぐり、数メートル歩く。
空色の屋根。真っ白な壁に虹が描かれている二階建ての建物。
飛龍組の管理下にある児童養護施設―――あおぞら園。だ。

龍月は、慣れた様子で守衛に挨拶。顔パスだ。
冥旻は、午後からここで保育士として仕事だった。

龍月の両親も設立当時から関わっている関係で、龍月も馴染みの場所。
子供らの殆どが顔見知りだ。
早速子供らに囲まれた。可能な限り皆に応じて食堂に向かう。

建物は、回遊性のある空間にデザインされていて、食堂からも中庭が見渡せる。
昼食時間には少し早い。とりわけ年少の子らが庭で思いっきり遊んでいた。

中庭を挟んで奥の建物。こちらに向かってくる黒我 斗威くろが とういの姿を発見。
先月の“中華街事件”の被害者だった。
空月を始めトリオ。海空の助けもあり、無事ここに保護できた。
今では、部活の後輩―――当然これも仕向けた。だ。

そういえば、JOKERは中華街で有名店のストロベリードリンクを飲んでいた。
……後始末。いや、余波。かな。
龍月はアゴに手を添えた。

“中華街事件”のターゲットは、斗威の父親、黒我 斗治くろが とうじだった。
中華街の一角で地下格闘技場を運営、違法賭博を行っていた。
息子の斗威は、そこで闘わされていた。殴られ屋として、イカサマ賭博のコマとして。それは、間接的虐待だ。

JOKERから斗治の制裁を知り、その息子が、自分と同じ学校の2つ下の後輩と知った時、龍月は、斗威を救いたいと提言した。

“Aのお茶会”は、今や世界中にネットワークを持ち、膨大な情報、人材、資金を有する世界規模の団体、SDS―――Sky Dragon Societyスカイ ドラゴン ソサイエティ。和名、空龍会くりゅうかい。の諜報機関のひとつだ。
SDSは、世界のベクトルを平和へと導く理想論とも言うべく理念を掲げ、人知れず尽力している。そのトップは、王龍海ワンロンハイ―――海昊の別名。だ。

 「よ。もう、慣れた?」

長髪の脱髪。鋭い一重の目は、以前よりずっと穏やかになっている。
斗威は、龍月をみとめて、一瞬その脚を止めたが、逃げるのはシャク・・・だと思ったのか、わざと龍月の正面に座った。

 「毎朝、キャンキャン仔犬・・がうるせぇ。」

頬杖をついた姿勢で、斗威は龍月を睨んだ。
仔犬―――空月の事だ。毎朝斗威と一緒に登校していることは知っていた。
そのお陰で、始めは渋っていた部活にも来るようになった。

斗威は、次の瞬間、ふっ、と息を吐いた。笑ったのだ。
変な奴だな。と。
空月の優しく誠実な“おせっかい”は、ちゃんと斗威に響いている。
龍月も口元を緩めた。その表情を見て唇を少し尖らせた斗威は、中庭に視線を移し、こちらを向いた。何か言いたげな顔。どうした。と、龍月は目顔で促す。

 「……何か、カンケ―あるかとか知らねぇけど。親父が捕まる数日前。金になるって話を持ちかけてきた奴が、“ミンミン”って女の名前を言ってた。中華系の奴だ。その女を捕まえろとか、何とか。」

ミンミン―――Mingmin。中国語の発音だ。おそらく、いや十中八九、冥旻ちゃんの事だ。
斗治は、地下格闘家の何人かを用心棒として囲っていた。
そいつらを使い様々な犯罪にも手を染めていたのだ。
龍月は、JOKERの表情を思い出す。

やはり、余波。か。
そして、犯人―――“アリス”が割れた。
格闘家の奴らも漏れなく捕まえたため、“アリス”の依頼は、宙に浮いた状態という訳だ。つまり、異なる手で次を決行してくる。

 「……海昊さんが、何か思い出したらお前に言えって。だからって相談とかそんなのはしねぇからな!」

ぜってぇ。と、語尾を強める斗威に、いつでも待ってる。と、返す。
いらねぇし。と、維薪の様な言い草。素直じゃないかわいい・・・・後輩だ。

 「ありがとう。海昊さん、すごく助かると思う。伝える。」

あの日。ここに斗威を保護する時に、海昊さんは直々に斗威と対話した。
きちんとした説明と、承諾。自分が何者かであるかという事も含め。だ。
その誠意は、斗威にとって“信頼できる大人”として映ったことだろう。

世間的には反社会―――“悪”のヤクザ。
しかし、龍月は、信じる物は自分で観て、触れて、自分で決める。と決めている。そして、責任も自分で取る。と。
海昊の組織、SDSは、自身の“正義”だ。と、龍月は信じている。

 「あら、自主練待ってるのかと思った。早々に伸しちゃった?」

かわいらしい声が聞こえた。冥旻だ。
Tシャツにパンツ姿。保育士のエプロンを身に着けている。
先の凛とした道着姿とうってかわって優しく穏やかな風体だ。
子供たちも笑顔で群がってきた。

 「いえいえ。この後戻ります。冥旻ちゃん今日は夜まで?」

龍月と斗威に笑顔で挨拶。龍月の言葉に頷いた。
幼いころから知っているので、年は母親程離れているが、ずっと“ちゃん付け”で呼んでいる。本人もそのほうがいいと言ってくれる。

冥旻ちゃんは、天真爛漫。少女のようなチャーミングな女性だ。
それでいて、芯の強い人。決して“女王様”のような傲慢、ワガママなどではない。ましてや誰彼構わず断罪になどしない。
“アリス”は、誤解している。または、盲目になっているだけだ。きっと。

 「そうそう、来週、K学文化祭よね。懐かしいなぁ。」

龍月たちが通う私立K学園は、海昊の母校でもある。
その時代、冥旻も足を運んだことがあるらしい。
兄、海昊と義姉、飛沫しぶきの再会の場でもあった。と、昔話をしてくれた。

 「冥旻ちゃんは?」

夫である、秦皇羽シンファンユーとのなれそめを訊いた。
“アリスの件”につながる何らかのヒントを得られるかもしれない。
“アリス”の正体は判っている。冥旻ちゃんを狙う動機も。
あとは、仕掛けてくる時、場所、状況。

情報収集と取捨選択、分析、調整。そして、判断。龍月の得意とする能力だった。
絶対に冥旻ちゃんを守る。強く決意した時、ランチを知らせるチャイムが鳴った。
目視はできないが、ストロベリー・ムーンが最大を迎えようとしていた。



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