Qの憂鬱


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バラの香り。そうや、さっき部屋で付けてきたんや。
いい匂い。4歳の誕生日を思い出す。
初めてバラの花束をプレゼントされた。
真っ赤なバラだった。龍月たつきは、プロポーズみたい。と、言った。
本当は嬉しかったけど、皆の前だったからすごく恥ずかしかったのを覚えている。

ふふ。何や、笑えるな。
まだ、終わらんかな。
薄目を開けてみるとソファに横たわった時と変わらない、扇帝みかどの背中が少し見えた。
起きとるのがバレたら気ぃ遣わせてしまうから寝とこ。

扇帝―――石嶺 扇帝こくみね みかどは、パパの部下だ。
40代には見えない、イケメン。
ストレートの明るい茶髪に、両目の泣き黒子が妖艶でヴィジュアル系にも見えるが、剣術が得意。
その上、4大卒のインテリだ。学生のころからパパの右腕的存在。

いつの間にか掛けてくれたのか、ブランケット。
口元まで引き上げると、扇帝の匂いがした。
ブルガリの……何やったか。
扇帝は、オシャレだ。服や靴。時計、香水に至るまでこだわりを感じる。
大人の男性。

あのバラの花束も、他の男ならキザすぎるが、扇帝なら許せる。
去年の誕生日にもらったこのバラの香水―――ブルガリローズエッセンシャル。
オスマンローズとプレリュードローズの二つのバラの香りが少し大人になったような気分にさせてくれる。

理解しわかっとうかな。特別な時にしか使わん香水やで。
早う終わらんかな。“満月ストロベリー・ムーン”見えなくなってしまわんとええな。

―――好きな人と一緒に見ると結ばれる。

にちかが言っていた。
扇帝は、うち―――飛龍組ひりゅうぐみ本部に来ることは多いが、毎日ではない。
飛龍組関東支部トップを任されているし、横浜にある自身の組、石嶺組を仕切る多忙者だ。
だから、今夜居るのは願ってもないチャンスだった。
用件は言わず、仕事が終わるまで待ってると勝手に入った。

ここは、飛龍組本部事務所の一つで、ほぼ扇帝の専用部屋だ。
飛龍組の敷地内には、母屋を始め、寝食を共にする組員の為の建物も、道場もある。
生まれたときから大勢の大人たちに囲まれて育った。
飛龍組総統の娘―――お嬢。と、誰もが呼ぶ。

 「……んっ。」

いつの間にか夢うつつの中。頭を撫でられていることに気づいた。
何や、気持ち、ええな。少し、こそばゆいけど。
えっ……。
ちょい、待ちぃ。目、開けられんわ。どないしよ。鼓動、早なるわ。
額に柔らかく、少し冷たい感触。
……キス。された?
思わず目を開ける。

 「お、お嬢。起きた?」

 「……。」

次の瞬間、身体を素早く起こして、その人物に右拳を振るった。
その人物―――王虎昊ワンフーハオ。は、寸でで避けて笑った。
起き抜けにいいパンチだ。さすが。と、茶化す。

アーモンド形の鳶色の瞳。猫口。いつも真意の観えない笑い方―――チェシャ猫のようだ。遠い親戚。年は、30代前半だが、年齢、国籍さえ不詳に見える。
今年の春、久しぶり。と、姿を現した王虎昊。
それまでは、滅多に来ることはなかったが、幼いころは、逆にしょっちゅう居た気がする。龍月も交えてよくトランプやチェスなどをした覚えがある。

キス、したやろ。と、詰問すると、した。と、しれっと返答。
何で。と、問うと、かわいかったから。と、笑う。丁度扇帝が戻ってきた。

 「扇帝。王虎昊に犯されたわ。シメたって。」

 「……お嬢、いい方。」

王虎昊を睨みつける。ほんま、昔っから掴みどころのない、飄々とした男だ。
おい。と、普段より低く、凄みを利かせた扇帝の風体に、両手を上げて、少し戯れただけ。と、おどける王虎昊。

 「しょうがないじゃん。お嬢、かわいんだから。また、しばらくさ、会えなくなるから。別れの挨拶。じゃあ、ね。」

扇帝のこれ以上の怒りを買うのを恐れてか、そそくさと退散していった。
扇帝がすみません。と、謝り、サイドテーブルにコーヒーを置いた。
扇帝が席をはずしたのを非難しようとして、コーヒーに礼をいう。

さすがに八つ当たりや。
おでこに手をあてて、扇帝やったら許したのに。と、唇をとがらせて、コーヒーを一口。
美味しい。砂糖たっぷりのミルクコーヒー。きっと挽いてくれた豆。

 「奴には、厳しく言っておきます。……その……大丈夫、でしたか。」

扇帝の表情に少し意地悪をしたくもなったが、大丈夫。と、返答。
普段やったら油断なんてせんわ。との言葉は甘いコーヒーと共に飲み干す。
ああ、せや、今何時や。

 「扇帝。障子、開けてええ?」

承諾を得て、障子を左右に開く。そのまま左右に廊下があり、正面には縁台がある。中庭から空が見上げられるのだ。
この部屋に来るときは、少し曇っていたが、月はでていた。
一緒に“満月ストロベリー・ムーン”をみたい。

縁側に出て空を見上げる。溜息。空は、厚い雲に覆われていた。
午後10時。明日は学校だ。扇帝も自宅に帰るだろうから晴れるまで待たせるわけにはいかない。
適当な理由をつけて退散しよ。

 「今日も相変わらずな、維薪いしんが龍月に奇襲かけてんけどな……」

たわいもない話をしながら、障子を閉める。
ソファに腰下すと、扇帝は向かいに座り、あいづち。ブラックコーヒーを飲んだ。
忙しさなど微塵も感じさせない、優しい笑み。
昔からそうだ。いつも傍にいてくれて、話を聞いてくれて、守ってくれた。

 「維薪の猪突猛進、唯我独尊ぶりはすごいよな。」

 「ほんまや、マネできん。龍月もすごいで、ウチ、全然敵わんもん。」

友人のように話してくれるのは嬉しい。立場があるから、基本皆の前では敬語のことが多いが、稽古をつけてくれる時などは普通に話してくれる。
師匠であり、家族のようで……なんやろ。そんな関係や。

 「お嬢は剣術より体術向きかな。柔術とか取り入れて、もっと技を練ると無敵だね。」

確かに、空手、柔道、剣道。そのどれも既に有段ではあるが、剣術は苦手だ。だから、もっと稽古してもらいたいが、教えることはないよ。と、いわれてしまう。

 「……せや、斗威とういな。ちゃんと学校もいっとるし、仲良うできてるようや。」

お嬢たちのお陰です。と、扇帝はいったが、そうなることは必然だった様だ。
先月のGW。ママと弟の空月あつき、三人で中華街に食事に行った。
帰り際、空月が突然走り出した。誰かを見つけて追いかけて行ったようだった。
先に帰っててと言われたが、直感。何か危険な匂いがした。

それは正しかった。空月が向かった先、ビルに入ろうとして止められた。
龍月だった。龍月とは、両親が旧知の仲で、幼いころから一緒に稽古もしてきた。
同じ年だが、高いレベルの文武両道を地で行くハイスペックな幼馴染だ。

昔、いとこの天羽てんうが家柄関係で危険な目に合った時、幼馴染の中で一番年上の2人で守ろう。と、約束をした。
多分、それからだ。
龍月は、飛龍組―――否、パパが造った今や世界規模の団体、SDS。に関わっている。

空月が追いかけた斗威の事情を知った。
龍月に頼まれて、幼馴染の維薪、天羽を呼び、扇帝を呼び寄せた。
その時、王虎昊も来た。大乱闘はあったが、一件落着。

パパ―――飛龍 海昊ひりゅう かいう。は、日本一大きなヤクザ組織、飛龍組のトップで、SDSの首魁。世間的には悪とされるヤクザだが、パパは、社会貢献をしている。社会の自警団的役割をしている。何も恥ずべきことはない。

組員がもし法を犯したらしっかり改めさせる。ひどい制裁などではなくちゃんと対話する。カタギになりたい者には喜んで破門とし、支援もする。
ヤクザ家系に生まれたことは選べない。でも、未来は自身が選択すべきだ。とのパパの教え。

空月も理解したようだ。
あれから―――空月にSDSの事などを話した後、明らかに変化を観た。
生まれたときから小さくてかわいくて、大好きな弟。
中1になっても身体はまだまだ小さいが、確実に男になっていく。

でも、守る。空月も天羽も。自分の大事なものは、自分で守る。
組を継ぐとか継がんとか今はわからん。せやけど、自分の為にも日々精進や。

 「……斗威の件な、知っとたんやろ。初めから。」

もう、守られるだけの子供やない。
何もしらない、何もできない“お嬢様”やない。
龍月の観ている世界―――扇帝たち大人のそれを知りたいし、観たい。
扇帝は一瞬驚いた表情をしたが、先の曇天のように顔を曇らせて、良く整った眉根にシワを寄せた。



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