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   つづし
  「矜――っ、何処いくのぉ――?」
             ゼルビス                                         ゆづみ
 矜の単車、HONDA XELVISの後ろで大声を張り上げる夕摘。
 矜は無言でXELVISのグリップを握る。
 山下橋を通り、横羽線と平行に走り、本牧通りを右に折れた。

 ――私立横浜中央病院。

  「ここは……」

 夕摘は、バイクから降りて、その白くそびえ立つ建物を見上げた。
 矜は、ひたすら無言で病院の入り口に足を向かわせる。
 夕摘も倣った。
 真っ白な壁に天井。
 矜は迷わずに進み、病室の一角の前で、足を止め――、
      たつる
  「……立くん。」

 夕摘は、訳もわからぬまま矜の後ろを追って、そしてベッドに横たわっている立の姿を目の当たりにして、思わず口を開いた。
 立も突然のことに驚きを隠さなかった。

  「立。」

 矜だけが、凛として立の前に立った。
                          りつか
  「お前は、後悔したくないといった。……俚束と別れて、今、後悔はしていないのか?」

  「……矜、何。いきなり……」

 ベッドから起き上がって、突然の質問にとまどう立。
 矜は真面目な面持ちのまま続ける。
 個室なので、他に患者はいなく、白で統一されたこの病室は、とても広く感じる。

  「こうするべきだったのかどうかわからない。でも!このままじゃきっとお前は後悔する。絶対する!――俚束とやり直せよ。」

 立の動きが止まった。
 薄い唇が真一文字に結ばれて、微かに震えだした。

  「……悲しませると知っていて……幸せにできないと知っていて……それでも。」

 立の体がおもむろに震えた。

  「それでもやり直せっていうのかっ!!」

 眉間に皺を寄せた、瞳。
 矜に向ける。
 唇をかみ締めた、切ない表情。
 夕摘は、無言のまま見つめていた。

  「できれば幸せにしたい。一緒に幸せになりたい。俚束とずっと一緒にいたい。生きたい。……死にたくないんだよっ……」

 初めて立が弱音を吐いた。
 涙を流し、力なく肩を落とし、拳を震わせた。

  「……。」

 こんな立を見るのは初めてだ。
 年齢以上に大人で、皆からも慕われる立。
 誰からも尊敬され、頼られている。
 矜は立の肩を抱いた。
 立は矜に寄りかかり、うわごとのように繰り返した。

 ――生きたい。死にたくない。

  「……俚束だって。」

 夕摘は、潤んだ瞳で涙をこらえて――、

  「俚束だって幸せになりたい。立くんと一緒に幸せになりたいんだよ!?」

  「……できない。俺には、できないんだっ……」

 思い切り顔を横に振る立。

  「そうかな。そう思ってるのは、立くんだけよ!」

 夕摘は、さらに続けた。

  「女にとって幸せってね。好きな人と一緒にいることなの。時間なんて関係ないのよ。今なの。今、一緒にいたいの。……女ってね、そんなに弱くない。俚束はね、そんなに弱くない!好きな人とだったら、どんなことでも乗り越えられる。立くんのこと、支えてあげれる。……立くんは、俚束じゃだめなの?」

 あきらめないで。2人で幸せをつかんでよ。

  「……。」

 夕摘は、我慢していた涙が零れ落ちるのも気にせずに、立に訴えた――……。


 ……諦めないで。

 俺は。
 俺は、生きることを諦めていた。
 もう生きられないと……。

 立は、必死で自分のことを考えていてくれる夕摘と矜を想いながら、考えた。

 サッカーを諦めたときと、同じように。
 俺は、何一つ、変っていない。

 ――諦めるな。後悔はするな。
 しなだ                             きさらぎ
 氏灘にいっておきながら、如樹先生の言葉の本当の意味……。
 生きる、強さ。

 俺は、わかっていなかった。

 立は、自分の想い、病気のことを全て俚束に打ち明けた。

 ――俺でもいいか?

 俚束は泣きながら、立じゃなきゃいやだ。と、抱きついた。

 ……諦めないで、一生懸命生きよう。
 そして、いつも前向きに、笑っていよう。

 立は、強く決心した。

 残された俺の人生。
 大切な俚束のため、仲間のため。
 家族のため。
 そして、何より俺自身のため。

 いつも、愛されることを求めていた、俺。
 これからは、愛することを。

 立は、愛しい俚束を抱きしめた。
 外は、もう春の匂いでいっぱいだった――……。


  「かんぱーい!」

 夜の港。
 缶と缶のぶつかる音が響き渡る。
 夜風はまだ肌寒いが、人いきれと単車の排気が熱気を醸し出す。
 相変わらずの単車の数。
 様々なエンジン音を奏でる。

  「おめでとー夕摘!」

  「おめでとー!」

 夕摘は、晴れて希望していた短大に合格した。
 他にも、就職・卒業祝いや、希望通りにいかなかった者などのなぐさめなど、色々な理由をつけて盛大な集会が行われている。
   ほずみ
  「保角ぃ〜いい加減元気だせよ。」

 その中でも、しゅんと肩を落としているのは、いつも笑顔の保角。
     こうき
 周りで箜騎たちが励ましている。
 保角の周りの空気はどんよりしていた。
 とひろ
 斗尋も眉根をひそめて、その背を叩く。

  「そうそう。女なんていっぱいいるんだからさぁ。」

 見かねて、夕摘は保角に近寄って――、

  「どうしたの。」

  「夕摘さん。いえね。女に振られたんスよ。」
 ながき
 修が小声で耳打ち。
 夕摘は、軽く溜息をついた。

  「なーんだ。そんな事。」

 長く、やわらかい髪をかきあげて、ビールの缶を片手に保角の前にしゃがみこんだ。
 下から保角を覗て――、

  「そんな女、こっちから振ってやんなさい。保角のいい所、全然見てないコなんか、惜しくない惜しくない!」

  「夕摘さぁ〜ん。」

 保角は夕摘に抱きついた。
 夕摘は、子供をあやすように、よしよし。と、ムースで尖った頭を撫でてやる。

  「乾杯しよ、乾杯!飲み物とってきてあげるから。」

 ね。と、保角の肩を支えて、立ち上がった。

  「あー、夕摘さん。温かくて柔らかかったぁ。い〜よね。大人の女性って感じで。」

 先ほどまでしょげていた表情を一変させて、夕摘の背中を見つめる保角。
 箜騎たちは、現金な奴。と、呆れる。

  「おねーさん。ってかんじ。懐きたい!」

  「……さっきまでのはどーしたんだよ。ったく。」

  「本当。心配してソンした。」

 口々に皆。

  「でも、夕摘さんは、矜さんのでしょ。」

  「え?付き合ってんの?」

 斗尋の声に、修が驚いた表情をする。
 向こうでは丁度、夕摘は、矜から飲み物を受け取っていた。

  「わかんねーけど。でも、矜さんは、確実っしょ。」

  「いーぜぇ。臨むところ!」

 冗談か本気か両拳に力を入れる保角に、箜騎は、マジかよ。と、呟いた。
 そんな箜騎に、
                             かみじょう
  「あっれぇ?箜騎ちゃんは諦めちゃったの?龍条さんたちがより戻ったら、きゅーに借りてきた猫みたいに大人しくなっちゃってぇ。」

 本当なら逆じゃないの。と、保角は、箜騎の胸を肘でつついた。
 箜騎は、向こうの立と俚束を垣間見てから、保角を横目で睨み、

  「……いんだよ。俺は、あの2人が好きなの。」

 語尾を強めて、咳払いをする。

  「やせ我慢しちゃってぇ、このこのっ!」

  「うるせ。」

 保角は、箜騎の薄茶の短髪をかき混ぜ、体を抱きかかえるようにしてじゃれた。
         みやつ
 そんな2人に造は、優しく微笑する。

  「はいはい、おまたせ〜!飲もう飲もう!」

  「夕摘さん、ありがとうございまーす!」

 再び缶と缶の触れ合う音。
 泡のはじける音。
 皆の笑い声。

 立はその中央で、優しく穏やかな笑みを浮かべていた。
 大切な仲間たちに囲まれて。
 夜明けまで騒いだ。
 楽しい日々。
 このまま永遠に続くのではないかと、淡い期待が胸をかすめる。

 ……いや、できうる限り、続けてみせる。

 立は、片手につかまれているホットティーの缶に力を込めた。
 その瞳は、芯の強さと前向きさが表れていた。

 そして、春夏秋冬。
 季節は巡り、また、春はやってきた――……。


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