5


  「で、族辞めるつもりなのか?」

 横浜市立M高校。
 M中学校の向かいの校舎の1年1組。
   りつか
  「俚束の奴、淋しがってたぞ。」
                    とくさ    つづし
 3年の教室から足を運ばせた、木賊 矜は、おもむろに溜息をつく。
 そして、俺らはどうなるんだ。と、付け加えた。

  「……。」
            たつる
 無言で空を眺める立。
 尖った顎に右手を添えて、端整に整った顔を真っ直ぐ窓に向かわせている。

  「……お前の問題、か。」

 悪い。と、謝り、長い前髪をかきあげる。
 立は視線を落として、矜に向き直り、口を開こうとした瞬間。
   かみじょう
  「龍条さん。」

 おはようございます。と、丁寧に頭を下げた5人。
 中学の校舎から、箜騎たち。
 昼休みももう終わる時刻だが、全く気にしていない。

  「おっす。」

 矜も、高校の校舎に勝手に入ってきた5人を、日常茶飯事とばかりに受け入れた。
 立も軽く尖った顎で挨拶した。
 微笑。

 屋上に7人、抜け出して――、

  「……このままじゃいけないって思った。」

 策にもたれかかり、横浜の港を見渡した。
 中華街も見える。

  「逃げんの、やめようと思った。」

 蒼の空に向かって、ゆっくりと立は話す。
 皆は、無言で立の背中を見ている。
 真っ青な空。
 何処までも果てしなく続く。
 自分がちっぽけな存在に思えてくる。
      ひさめ
  「……氷雨を見て、そう思えたんだ。」
      あおい
  「……滄ですか。」

 そこで、昼休みが終わりを告げるチャイムがなったが、皆意に介さない。
 箜騎は、立と並ぶ。

 見渡せる、港。
 今年の4月、土地区画整理事業の区域拡大、関連道路等の都市計画が決定した。
 見渡す限り工場の巣窟だった横浜港。
 一際大きな造船所が、3年前に移転完了し、着々とみなとみらい21計画が進んでいる。

 みなとみらい21計画。
 あと、3年も経てば、横浜の名物となる、ベイブリッジが開通する。
 東京方面と横浜港結ぶ、吊橋。
 港湾物流の一端を担い、重要な輸送路になる。
 と同時に、たくさんのビルが横浜のシンボルとして立ち並んでいく。
 横浜は、伝統を残しつつ、未来へと続く大都市になるのだ。
                        しぶき
  「俺は、ずっと親に甘えていた。妹、飛沫にも……ムシがいいの承知で、大阪の親戚に電話したんだ。」

 戻って来い。って。
 立は、皆を見た。
 真剣なまなざし。

  「……飛沫は、否定したよ。」

  「え?」

 思わず、箜騎は声に出した。
 保角たちは、立の妹の存在を始めて知ったが、黙って聞いていた。

  「こっちは、とても楽しいよって。から元気じゃないんだ……俺のせいで親とも引き離されて遠いトコいかされたのに、あいつ……飛沫は、一言も俺を悪くいわなかった。」

  「……。」

 初めて見る、立のこんな表情。
 眉根に皺がより、唇をかみ締めている。
 瞳には、うっすら涙。

  「お兄ちゃんは、元気?って……涙が出そうになった。」

 いつも毅然としていて、精悍な顔つきの立。
 年齢より大人に見られ、皆に頼りにされ、慕われている立。
 そんな立が、初めて皆の前で弱音とも思われる言葉を吐いた。

  「俺は、何て情けないんだろうって。思わずにいられなかった。小3の妹がこんなにも前向きなのに……俺は……」

 策に腕を乗せ、顔を伏せた立の震える肩を、矜が優しく触れた。

  「氷雨は……大切なモンを一生懸命守ってた。自分の命に代えてでも守り抜いてやる。そんなあいつの蒼い瞳。……痛かった。」

 ――痛かった。

 立は、目頭をぬぐって――、

  「でも、勘違いしないでくれ。お前らのこと、大好きだ。お前らといることに後悔なんてしない。俺自身……今までのこと後悔して、そして、やりなおせたらって、思ってる。」

 皆の口元が和らいだ。
    ロ ー ド
  「THE ROADは辞めない。」

 はっきり口にする立に、皆は笑顔で頷いた――……。


  「きもち〜!」

 潮風が肌を触れる、片瀬東海岸。
 飛沫は伸びをして、体いっぱい太陽を浴びた。

  「お兄ちゃんもおいでよ〜!!」

 波打ち際に駆け出して、振り返って立を呼ぶ。
 小さな手を、背伸びして大きく振る。
 裸足の小さな足。
 波が触れるたびに足をあげて、奇声をあげる。
 笑顔。

  「こけるなよ。」

 立は、ゆっくりと飛沫の下へ歩み寄った。
 優しく垂れる目尻を一層細める。

 真夏の湘南海岸は、大賑わい。
 たくさんのパラソル、ヨット。
 そして人、人、人。
 浜辺を駆け回ってはしゃぐ飛沫を見失うまいと、立は少し早足になる。
 真っ白なノースリーブのワンピース。
 長く漆黒の髪が輝いている。

  「大阪はねー、湾だからこういうふうには遊べないけどー、すっごい綺麗だよ!」

 立の側にかけてきて、笑顔を見せた。

  「……ごめんな、飛沫。」

 立の突然の言葉に――、

  「何で謝るの、お兄ちゃん?」

 首をかしげる飛沫を抱きしめた。
 せめてもの罪滅ぼしに、飛沫を神奈川へ呼んだ。
 飛沫が行きたいと言った全ての場所に連れて行った。

 こんな俺でも、お前は、お兄ちゃんと呼んでくれるのか。
 自分のことを決して責めたりしない飛沫。
 優しく強い笑顔。

 お前は……この、海のようだよ。

  「……くすぐったいよ。お兄ちゃん。」

  「あ、ごめん。」

 抱擁していた腕を緩める。
 どうしたの。と、首をかしげている飛沫。

  「……何か食べるか?」

  「うん!」

 近くのファーストフード店に足を運んだ。
 飛沫は終始笑顔で、学校での出来事、大阪での生活を話す。

  「――っでね。転入してきたカフスくんって男の子。ブラジルで生まれたんだって。日本語もすごい上手でね。たのしーコなんだよ!」

 立は、相槌を打ちながら、飛沫の話を聞いている。
 飛沫は、立に良く似た優しい瞳を細める。
 本当に楽しそうに。
 でも、楽しいことばかりではなかったはずだ。
 立は、コーヒーを一気に飲み干した。

  「ただいまぁー!!」

 その夜。
 久しぶりに家族4人で食事をとった。
 幸せな時間。
 願わくば、この幸せがずっと続いて欲しいと、立は、強く願った――……。


  「走れ走れ――!!」

 家の近くのグラウンド。
 青々と茂る草の上に腰をおろした。
                     あおぎり
  「シュートだ!よーし、いいぞ、梧!」

 丁度、小柄な少年がワンラップをしてシュートを放った。
 綺麗に弧を描いて、ゴールネットに刺さる。

  「……立さん。」

 振り返ると、ユニフォーム姿の箜騎。
 よう。と、挨拶を交わした。
 もう二度と訪れないだろうと思った、この場所。
 クラブチームの練習場。
 3年前までは、立もここで、大好きなサッカーを楽しんでいた。

 夏のフィールド。
 何もかもが、輝いていたあの日。
 全てが光を放っていたあの日。
 永遠に破られぬ夢だと。
 いつか、近い将来叶う夢だと。
 信じていた、あの日。

  「……憎みきれなかった。本当は、嫌いになんかなれるハズなかったんだ。」

  「……。」

 箜騎は無言で立の隣に腰下ろした。
 小学生チームが練習しているのを、恋しそうな目で眺める立。

  「よーし!その調子だ!!」

 監督の声が木霊する。

  「……あの10番、きっと大物になるよ。」

 エースナンバーをつけた少年を目で追う。
 先ほどシュートをしていた少年だ。
          あおぎり  かむろ
  「……小5の梧 神祖。たまに俺たちのチームにもまざりますよ。もうとっくに小学生のレベルは超えてるって感じです。」

 ――あの頃の立さんみたいに。

 その言葉は飲み込んだ。
 あまりにも悲しすぎて。

  「次!中学スタメン入れ〜!」

 立は箜騎の背を押した。
 箜騎が頭を下げて、土手を降りていく。

 ……サッカーがしたい。
 気持ちはあの頃と何ひとつ変わらない。

 センタリングがあがるあの瞬間。
 シュートするあの瞬間。
 ゴールがきまったあの瞬間。
 信頼する仲間とのアイコンタクト。

 全てが鮮明に思い出せる。
 大好きな、サッカー。

 今からでは、もう、遅いのか。
 遅すぎるのか――、

  「……。」

 立は、立ち上がった。
 グラウンドを走りまわる箜騎を見つめて、そして背を向けた――……。


  「ただいま。」

 玄関をくぐる。
 奥から母親がでてきて、笑顔で迎える。
 靴を脱いで、顔上げた瞬間。

  「うっ。」

  「立ちゃん?」

 胸が苦しい。
 立は、突然のしめつけられるような胸の痛みに、

  「立ちゃん!」

 Tシャツの上から胸を強く押さえ、背を丸めた。
 咳をする。
 あとから、あとからでる咳。
 肺が痛い。
 息が、できない。

  「立ちゃん!!待って、今……今救急車呼ぶから!!」

  「……かぁ……ごほっ、ごっ……」

 咳が邪魔で言葉がでない。
 玄関に倒れこむ。
 息が短く、早い。
 苦しい。
 苦しい――……、
 遠くからサイレンの音が鳴り響いたが、立の意識は遠のいていった――……。


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