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  「ほら、こっち向く!」

  「痛っ!」

 寂れた倉庫。
          ロ ー ド
 山下埠頭、THE ROADのヤサ。
 りつか                               ひさめ     とひろ
 俚束が慣れない手つきで氷雨と斗尋の手当てをしている。

  「いって!!俚束さん、もうちょっと優しく。」

  「何ゆってんの!」
 たつる
 立はそんな様子を見て、苦笑。
 俚束は、顔をしかめ、

  「全く。こんなの拾ってきて。」

  「てっ。」

 氷雨の頭を叩いた。
 真っ赤な長い髪をジャマそうにかきあげて、絆創膏を氷雨の頬に貼り付ける。

  「でも、かっわいーじゃない。」

 いつの間にか、数人の女がやってきて、氷雨を囲んだ。
 胡坐をかいたまま、俚束を見上げ、素直に手当てを受ける氷雨。

  「氷雨、乗んな。送ってやる。」

 手当てが終わったのを見計らって、立はCB 400 FOURの鍵を手に取り、外へ向かった。
 氷雨は顎で礼をいって、立ち上がり、立の背中を追う。
          あおい
  「……本当、滄、立さんに気に入られたんだな。」
 たがら こうき
 貲 箜騎が、少し唇を尖らせてぼそっと呟く。 とさき   ほずみ
 あの単車には誰も乗らせなかったもんな。と、戸崎 保角は付け加え、二人、その背中を見届けた――……。


  「家、どこだ。」

  「茅ヶ崎。」

 短い答えに、CB 400 FOURは、正確に従った。
 国道1号を抜けた。

  「いつでも来い。」

  「……ありがと。」

 立は、氷雨の家の前でCB 400 FOURを安全に停めた。
 小さなアパート。
 氷雨が背を向けるのに、ヘルメットをかぶろうとした瞬間。
 ガラスが割れるようなものすごい音が響いて、氷雨が家へ駆け出した。
 立も慌てて氷雨を追う。

  「やめろ!!てめぇ!!」

 勢い良くドアを開け、氷雨は靴を脱ぎ捨て、叫んだ。
 開けっ放しのドア。

  「氷雨ぇ……」

  「兄ちゃ……」

 玄関からすぐの部屋の奥。
 憔悴しきった母親らしき女性と、その女性にしがみつく、小さな女の子と、男の子。
 そして、

  「おー、氷雨、帰ってきたのかぁ。」

 強かに酔っ払った男。
   しぐれ      ささめ
  「時雨!細雨連れてばぁちゃん家いってろ!!」

 氷雨は大声を張り上げて、男が握っていた割れた瓶を取り上げようとする。
 アルコールの臭いが部屋から漂ってきていた。

  「親父!いーかげんにしろ!!」

 男は、氷雨に取り上げられそうになった瓶を投げ捨てる。
 ガラスが割れる音。
 氷雨は母親を守るように――、

  「口ごたえすんなこらぁ!!」

 手加減なしの蹴り。
 氷雨は蹴られ、殴られ続けている。
 部屋の中、食器や家具が壊れて散乱していた。

  「……。」

 立は、そんな様子に、ただ、玄関に立ち尽くしていた。
 しばらくして、父親は氷雨を最後に蹴り飛ばし、唾を吐きかけた。
 立を一瞥して、玄関をでていった。

  「あがれば?」

 奥の部屋から、殴られて血が流れている唇を左手でぬぐって、氷雨は立を見上げた。
 鋭く、蒼い瞳。
 優しく母親を支えて、奥の部屋に連れて行き、戻ってきて無言で散乱した食器類を拾う。
 立も砕けた皿の破片を拾った。
 静かなキッチンで、食器類が奏でる音だけが響いた――……。


 ……似ていると思った。
 氷雨は、俺に似ていると思った。

 立は、CB 400 FOURに身を任せながら思う。
 国道134号線を東へ飛ばす。

 ……でも、違う。
 あいつは、必死で守ってた。
 母親と妹、そして弟を……。
 俺は――……

 ――やめてやるよ!サッカーなんか!!

 ――立!!

 ――お兄ちゃん!!
    しぶき
 ――飛沫は、大阪の親戚に預けよう。

 母親は、憔悴し、ノイローゼになった。
 妹は、遠く大阪の親戚に預けられた。
 
 俺は、母親も妹も守れなかった。
 ……守ろうとしなかった。

 右手に力が入った。
 スピードを上げる。
 自分を振り切るように――……。


  「……ねぇ、あのコ。氷雨、立に似てる。」

 鎌倉市、雪ノ下。
 鶴岡八幡宮のすぐそばのアパートの一角で、俚束はコップに麦茶をそそぎながら、呟いた。

  「……似てない。」

 目の前に置かれたコップを無造作に円を描くように振って、

  「俺は、あいつみたいに強くない。」

 独り言のように呟いた。
 俚束は、立の座っている椅子の後ろに立ち、ノースリーブから伸びた細い腕を立の首に巻きつけた。
 背後から抱きしめる。

  「どうして、いつもそうやって遠い目をするの?何を考えてるの?……私、立が、遠く感じる……」

 瞳を閉じて、俚束は立に頬を寄せた。

  「……。」

 立は、真っ直ぐ前を見ている。
 グラスがテーブルに戻る音。

  「お前、卒業したらどーすんの?」

 俚束の腕がゆるんだ。

  「まだわかんない。」

  「もう、決める時期だろ。」

 学コ、ちゃんと行けよ。と諭して、また目を窓の外にやった。

 俚束は、高校3年。
 ここからすぐちかくの、私立K女学院高校に通っている。
 といっても、THE ROADで時間を過ごすことが多く、出席はあまりしていない。

  「お前、店もちたいってゆってただろ。」

  「どーでもいいよ、そんなの。」

 立の隣の椅子に腰下ろして、麦茶を一気に喉に流し込んだ。
 喉が冷える。

  「……俺、家に帰ろうと思う。」

  「どうして?」

 立の言葉に、俚束が間髪入れずに尋ねた。
 赤い髪が弧を描く。

 立の家は、横浜にある。
 学校は、横浜市立M高校。
 もう、何年も家には帰っていない。

 大病院の院長の父親。
 金には不自由しない。

  「私は、かまわないわよ。迷惑なんかじゃないし、独り暮らしより立がいてくれたほうが……」

  「そーゆんじゃないんだ。」

 俚束の言葉を遮った。
 そのまま無言。

 ――立ちゃん、学校行きたくなかったらいかなくてもいいのよ。欲しいものがあったら、何でもいってね。何でも買ってあげるから。だから……ね。

 母親は、いつも俺の顔色をうかがっていた。
 俺の暴言におどおどして、肩を怒らせて、気を遣う。
 そんな、母親にムカついて。

 ――父さんは俺がサッカー選手になるのが、嫌なだけなんだろ!俺に医者になってもらいたいだけなんだろ!!

 勝手にクラブチームに退部届けを出した父親にムカついて。
                         かみじょう
 ――なんで、サッカーやめちゃったの?龍条くんならプロになれたのに。

 ――やっぱ、金持ちの道楽ってやつかぁ。

 学コの奴らにムカついて。
 俺は、部屋のサッカー雑誌、ポスター、破き捨てた。
 独りで、悔し涙を流して、声に出さずに泣いた。

 サッカーがしたい。
 サッカーがしたい。
 サッカーがしたい。

 サッカーをしている奴、ムカついた。
 喧嘩をふっかけたくなった。

 サッカーなんて嫌いだ。
 自分に言い聞かせた。

 親に八つ当たり、周囲に八つ当たり。
 いつのまにか、THE ROADを背負ってた。
 横浜一でかい族。
 不良のレッテルを貼られていた。

 何度も警察に捕まった。

 ――龍条さんの息子さん?もうこんなことしちゃだめよ。お父さんの名前汚すようなこと……。

 警察に捕まっても、俺だけ返された。
 父親は、迎えにはこない。
 母親がいつも迎えに来て、そして、俺は母親の手からいつも逃れた。

 そうじゃない。
 そんなことをしたいんじゃない。

 違う。
 違う。
 いつももがいてた。

 守りたいもの、傷つけた。
 大切なもの、遠ざけた。

 もう、どうなってもいい。
 もう、どうでもいい。
 何もかも。

 ――立、もっていきなさい。

 家をでるとき、頭の上から振ってきた札束。
 父親を睨んで、その金を踏みつけた。

 ……俺は、淋しかったんだ。
 いつも、誰かを求めていた。
 俺のことを本当にわかってくれる人間を。

 同情なんて、信頼なんていらねぇ。
 そういいながら、本当は求めていた。

 俺の気持ちなんて、誰にもわかるはずがない。
 そういいながら、本当は、訴えていた。
 誰か、わかってくれ。

 心は、もがいてもがいて、もがきまくってた。

  「……。」

 あいつは、必死で守ってた。
 母親と妹、そして弟。
 毎日、親父の暴力に耐えて、それでも、

  「タツル――!!」

 あいつは、笑ってた。

 ……氷雨。

 お前の蒼のその瞳が痛ぇよ。
 俺を貫く、その瞳。

 痛ぇよ――……。


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