3


  「な、いーだろ。頼む!」

  「どーしよっかなぁ。」

 山下埠頭。
 今日も単車が埋めつくす。

  「お前んち、バイク屋だろ?出世払い!」
 ひさめ       とひろ
 氷雨が斗尋の前で拝むように手を合わせて頭を下げている。

  「お前、出世できんのかぁ?」

 乾いた笑いをして、斗尋は、冗談ぽく氷雨を蹴るマネをする。
 周りは失笑した。

  「いーじゃん斗尋。売ってやんなよ。」
                      みやつ
 ってゆっても、その気なんだろ。と、造は優しい笑みをもらした。
 造を見て、斗尋は、口元を緩め――、
        あおい
  「じゃあ、滄。条件な。」

  「何でもいい。何でもする!!」

 人差し指を掲げる斗尋に、顔を上げて氷雨。
 瞳が輝いている。
 まるで、えさを与えられんとする犬。

  「いー女、紹介しろ。」

 周囲が笑いに包まれた。

  「でたよ、たらしがぁ。」

  「ほんと、ほんと。」

 口々にいう周り。

  「女ぁ〜?……俺じゃダメ?」

 氷雨の斜め上目線に、さらに皆は爆笑した。
 じゃ、お前が今日から俺の女ね。と、斗尋がのったので、さらに大ウケ。

  「よ、似合いのカップルじゃん。」

  「いーねぇ。やけるぜぇー!」

 造は、少し呆れて、苦笑した。

 ここにたむろしている連中。
 年齢、性別、職業、関係なく。
 いろいろな境遇こそあれ、ここでは仲間だった。
 雑多な話しをして、好きな単車に乗る。
 ここは、皆のオアシス的場所だった――……。


  「なんだよ、いやにもりあがってんじゃん。」

 立は、外の盛り上がりの環に顔を出す。
 周りは腹を抱えて笑ったのか、涙目の奴もいた。
             かみじょう
  「きーて下さいよ、龍条さん。斗尋の奴、女、できたんすよ!」

  「そーそ、ちょーうらやましい。」

 皆がもう一度思い出したかのように大笑いした出した。
 立は皆を見回して、

  「何だよ。」

  「え、誰よ?」
 りつか
 俚束も環の中に入って、尋ねる。
 何だ何だ、と他の奴らも寄ってきた。
 初めからそこにいた皆の笑いがマックスになり――、

  「じゃーん。紹介しましょう!俺の、愛するハニ〜!!」

 斗尋がハートマークを語尾につけるような言い方で、手を大きく広げた。
 そして、

  「照れちゃダメじゃない。滄ちゃあん!」

 氷雨を引き寄せ、抱きしめた。

  「うわぁーお前らそうゆー関係だったわけ?」

  「まじでぇ〜!」

 立はそのバカ騒ぎに、失笑した。
 こんなささいなことでも笑える。
 心が和む、この空間。

  「……氷雨、単車、乗りてぇのか。」

 造が立に経緯を話すと、立は氷雨に問いかけた。
 真っ直ぐ、蒼の瞳を向ける氷雨。
 軽く頷いた。

 氷雨は、俺が大病院の院長の息子だと知っても態度すら変えなかった。
 俺に気を遣うことをしなかった。

  「……今から、江ノ島まで送ってやる。で、俺はお前をおいてここまで戻ってくる。」

 立は、氷雨の前で、親指を西と東に振った。
                               こいつ
  「お前は、江ノ島からここまでこい。そしたら、CB 400 FOURをお前にやる。」

 CB 400 FOURを指し示す。
 周りがどよめいた。
 もちろん、歩いてくるんだぞ。と、付け加えた立に、さらに周りが目を大きくした。
 立は、頷いて――、

  「自分の足でここまでこい。」

 氷雨は、立の目をじっと見つめた。

  「……約束だかんな。」

 立は、笑った。

  「よし。やったる。……CB 400 FOUR、絶対くれよ。」

  「ちょっ……江ノ島からだぞ!ここまで何キロあるとおもってんだよ!!」

  「いやでも、歩くだけでCB 400 FOURもらえんだぞ!」

  「がんばれ、滄ぃ〜!」

 周りの言葉に、氷雨は立を促した。
 早く連れて行け。と。

  「OK。……夜明けまで待ってやる。」

 氷雨は頷いて、CB 400 FOURの後ろに飛び乗った。
 立は氷雨を背に、風を切った――……。


 深夜2時。
 待っているといった仲間。
 興味本位、心配。
 皆、帰らせ、立は、ソファーに腰下ろしていた。

  「立……」

  「俚束。帰ってろ、ってゆったろ。」

  「何で、急に単車、あげることにしたの?」

 立の言葉には答えず、俚束。

  「……。」

  「やめるつもりなの?単車、もう乗らないつもりなの?」

 矢継ぎ早に投げかけれられる質問。
 一つも答えることなく、窓の外の港に目を向けた。
 深夜だというのに、船が行き来する。
 夜景が綺麗だ。

   「……。」

 俚束は、そんな立から目を反らして、外へでていった。
 立はためいきをついた。
 倉庫の中。
 テーブルとソファーと必要以上のものはないが、必要もない。
 腕の時計を見る。
 2時半。

 立は、待った。
 そして、港にほんのり赤みが差し始めた頃――、

  「……氷雨。」

 遠めで見える、氷雨の姿。
 肩で息をしている様子がここからでもわかる。
 立の前まできて、CB 400 FOURにもたれ、倒れこんだ。

  「氷雨。」

 顔だけを上げて、

  「約束……守ったぜぇ。……俺のもんだ。……」

 氷雨は目を閉じた。

  「……。」

 寝息を立てている。
 立は、溜息をついて、何て奴。と、呟いて氷雨を抱きかかえた。
 ソファーに寝かせてやる。
 安らかな氷雨の寝顔。
 幼い。
 赤い髪を撫でてやる。

  「……ありがとな。氷雨。」

 立の心は驚くほど穏やかだった。

  「俺も、お前を見習わなきゃな。」

 軽く咳がでた。
 喉を押さえる。
 もうひとつ。

  「やべ。風邪ひいたかな。」

 独り言を呟いて、氷雨を見て、上着をかぶせてやる。
 夏とはいえ、明け方の倉庫で寝たら、寒い。
 氷雨の横たわる隣に腰を下ろして、両拳を尖った顎につける。
 少し、寒気がしたが、気にならない。

 立の瞳。
 何かがふっきれたかのように、真っ直ぐ外を見据えていた。

  「……ん。」

  「起きたか。」

 目を覚ました氷雨に、温かい缶コーヒーを差し出した。

  「ども。」

 氷雨は起き上がって、両手でコーヒーをくるむようにして受け取った。
 立は、氷雨の前のソファーに座って――、
                                      ヨンフォア
  「氷雨。俺は、マジで信用して、信頼してる奴じゃねーと、400FOURはやらねぇ。氷雨。お前だから、くれてやる。」

  「……」

 氷雨はコーヒーを両手に、上目遣いで立を見る。

  「お前だから、くれてやる。」

 投げられたCB 400 FOURの鍵を、氷雨は無言で受け取った。

 いつも、同情を求めていた俺。
 いつも、信頼を求めていた俺。

 その自分に気づいていながら、認めるのが恐かった、俺。

 捨てようと思った。

  「……家に帰ろうと思う。」

 立は、ひとりごちるように氷雨に言った。
 氷雨は、穏やかな顔で、

  「タツル、俺、今すっげぇ気持ちいーぜ。」

 満面の笑みを見せた――……。


  「立ちゃん!!」

 横浜の実家。
      なみか
 母親の波風が出迎え、おもむろに目を丸くした。
 と、同時に、

  「あなた!!」

 左頬に痛みが走った。
 立は、よろめいて、そして目の前の父親に、跪いた。

  「申し訳ありませんでした。お父さん、お母さん。」

  「……」

 俺は、両親に甘えていた。
 自分からサッカーを捨てたくせに。
 全て親のせいにして、誰かのせいにして……。

 父親に反発するくらいなら。
 母親や妹を悲しませるくらいなら。
 どうして俺は、サッカーを……

 サッカーを続けなかったんだ。
 自分からやめてやるとヤケになって。
 悪にはみ出した。
 鬱憤を晴らす場を、俺は誤ったんだ。

 わかっていた。
 それを認めるのが、恐くて――、

  「ごほっ。」

 立は、跪いたまま声にだして咳をした。
 長い前髪が揺れる。

 そのまま数回、咳がでて、喉を押さえた。
 肺からでる、重い咳。

  「立ちゃん!」

 母親の細い腕を支えに、体を起こす。
 止まらない咳。
 胸が苦しい。

  「立ちゃん!」

 母親の声がワントーン上がる。

  「波風、何してる。早く!」

 父親の低い声にも支えられた。
 だんだんと意識が遠のいていく。
 父親の懐かしい匂いがした。
 立は、そのまま意識を失った――……。


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