7


 ――後悔は、人生最悪の報いだ。
        たつる     ひだか
 あれから、立は、淹駕の言葉をずっと考えていた。
 すぐにでも入院しろといった父親に、時間をもらった。
 今後のことを、独りで考えたい。

 考える。
 しかし、自分自身まだ受け入れられていないのが現状だった。
 何をどう考えるというのか。
 癌の知識さえ、自分にはない。
 この後、自分はどうなっていくのか……。

  「……後悔。」

 立は、自室のベッドに横たわり、呟いた。
 ……俺にとっての後悔は……。

 窓の外から、聞きなれたエンジン音が耳に入った。
 立は立ち上がる。
 まもなく玄関の甲高いインターフォンが鳴り響いた。
 階段を下りて、玄関へ向かう。

  「……どちらさまでしょうか。」

 母親の憔悴しきったか細い声が聞こえた。
 あれから、母親は立に病気のことを一言もいわない。
 しかし、あきらかにだんだん痩せてきている。
 どっちが病人何だかわからないほど。
         とくさ
  「あ、あの。木賊と申します。……立くん……」

  「立は……」

 母親の言いかけた声を、立は遮るように母親の肩を叩いて――、

  「今開ける。」

  「立ちゃ……」

 大丈夫。と、微笑んで門を開けた。
 重厚な門が自動で開いた。

  「あがれよ。」

  「おう。どした。最近顔みせねーじゃん。」
 つづし
 矜は、黒のズボンにラフなTシャツ姿で、玄関先に止めたHONDA XELVISを垣間見て、停めても大丈夫か。と、了承を得てから玄関に足を運んだ。

  「ちょっと、風邪ひいてさ。」

 部屋へと続く階段をあがりながら、軽く咳をして見せた。

  「ヤワな体してんな。」

 矜は冗談ぽく立の背中を叩く。
 立は背中で苦笑いをした。

  「何か話?」

 矜は、立の綺麗に整頓された部屋に腰下ろして、頷く。

  「ちょっとさ。ヤな話。」

 頭に載せた丸グラサンを何気に触り、後ろで一つに束ねてある黒髪を撫でる。
 上目遣いで立を見て――、
           スピード
  「湘南の奴ら、SPEEDとモメたらしくてよ。」

  「SPEEDと?」
                                     きらず   もどき
 SPEED――高速道路をヤサとする改造四輪の集団。頭、煌津 擬。
                       ブルース
  「ああ。話によると手ぇ出したの、BLUESの頭らしくてよ。」

 立が首を傾げるのを予期していたらしく――、
                あさわ
  「だろ?BLUESの頭、浅我。んな奴じゃねーじゃん。何かワケあんのかな。って。」

  「……。」

  「いずれ、SPEEDの頭がお前んとこ来るだろうけど。」
            しなだ                     きらず
  「ん。わかった。氏灘と話してみるよ。煌津だってんなバカじゃない。和解くらい知ってんだろ。」

 立が頷くのに、矜は渋い顔をして言葉を続けた。

  「でも、最近ちょっとヤベーらしいぜ、BLUES。血の気の多い奴が入ってきたっつってた。」
   ひさめ
  「氷雨みたいの?」

 立が失笑すると――、

  「っあいつさぁ〜お前の単車すげー気に入って。手ぇつけらんねーぞ。責任取れよな。無メンのくせしやがってよぉ。」

 とことん困ってます。と、顔に表して、髪をかきあげた。
 立はさらに笑顔になる。

  「ストレス発散してんだろ。」

  「しすぎだっつーの。」

 立が再び失笑したとき、軽い咳がでた。
 もうひとつ。

 やばい。
 立の顔が歪む。
 咳が止まらない。
 喉を押さえる。
 強くて、喉を詰まらすような、咳。

  「ちょ……まじ大丈夫かよ。お前。」

 矜が尋常ではない咳をする立の背中を撫でた。

  「へー……き。大、丈夫……ごほっ……」

 まだ止まらない。
 矜は、心配そうに何度も背中を撫でる。

  「ごっ、……ありが……と……ごほ……」

 息を大きく吸って、そしてゆっくり吐く。
 そして、また咳をした。
 長い。
 長すぎる。

  「立ちゃん!!」

  「母さん……」

 母親が紅茶を持っていたお盆を危うく落としそうになりながら、立の異変に、お盆を置いて、すぐさま階段を転がるように降りて行った。

  「い、今救急車呼んだから!立ちゃん、しっかりして!!」

 再び階段を上ってきた母親に背を撫でられる立。
 咳はまだ止まらない。

  「なっ……なんだよ。……なんだよ、おい。」

 立の苦しそうな顔。
 腰を屈めて、胸と喉をかきむしるように手を動かし、必死に深呼吸しようとする姿。
 矜は、それまで立を撫でていた手をまじまじ見つめ、そして立を見る。
 母親の尋常ではない騒ぎ様。

  「……」

 得体の知れない恐怖が矜を襲った。
 すぐに救急車が来て、立は病院へ――、

  「……立。」

  「ごめん。何か、騒々しくて。」

 立はいつもの笑顔で笑いかけたが、矜はマジメな面持ちのまま続けた。

  「ごめん、じゃない。お前、何だよ。風邪って……」

  「うん。……俺さ、昔から気管支とか肺が悪くてさ……ここんとこちょっと体調崩してて……」

 微笑した。

  「だって……そんなの……」

 憂う矜に、もう大丈夫。と、笑って見せた。
 病院の個室。
 真っ白で殺風景な部屋。
 立が横たわっているベッドしかないので、余計に広く感じる。

  「立。」
       よぼる
 白衣姿の丁と淹駕が現れた。
 そして、矜を見るなり、丁の表情があからさまに変わる。

  「帰ってもらいなさい。立。まだ族なんか入っていたのか?」

 突き刺さる、厳しい瞳。

  「こんな奴らと……」

  「父さん!!」

 立は、父親の言葉を遮った。
 ベッドから上半身を起こして――、

  「俺は辞めない。俺は、絶対辞めない!!」

  「立!お前、わかっているのか?今、自分がっ……」

 大声を上げて取り乱し、そして矜を見て口をつぐんだ。
 矜は目を見開いて無言。
 丁と立を交互に見た。

  「……後悔したくない。」

 立は、下を向いて呟いた。
 そして、顔を上げる。

  「後悔は、もうしたくない!」

 立の真っ直ぐな瞳。
 丁の目とぶつかった。
 丁は、目を反らして――、

  「入院手続きを取る。外にはでるな。」

  「父さん!!」

 翻そうとした父親の腕を、立はつかんだ。
 真っ直ぐで、真剣なまなざしをぶつける。

  「お前は……お前はわかっていない!お前は!!」

 腕をつかまれたまま、丁は首を振った。
 目も瞑り下をむいた。

  「……わかってる。わかってるよ。父さんがどれだけ俺のことを思っててくれてるのか。」

 丁は顔を上げて、

  「だったら……だったらどうして言う事を聞いてくれないんだ!!安静にしていてくれ……ここで、安静に……!!」

 声を荒げた。
 立は、ゆっくり首を振る。

  「できない……。」

  「立!!」

  「俺にとって、今、矜たちと離れることは、後悔になるから。」

 丁は、信じられない。と、いう顔つきを隠さずに続けた。
 そこに、矜がいることを忘れているかのように――、

  「それが、お前の寿命を縮めるといってもか!!?」

  「そうだ!それでもいい!!」

 立も負けずに大声を張り上げた。
 そして――、

  「わかってくれ、父さん。このまま死にたくない!少しでもいい。短くてもいいから俺は、矜たち皆と一緒にいたい。……一緒にいたいんだ!!」

 立の声が涙に代わった。

  「ずっと……ずっと後悔してた。サッカーをやめたこと。父さんや母さんのせいにして、悪さばっかして、わざと自分からサッカーを遠ざけた。そんな自分。一番嫌いで、いつも後悔してた!!」

 唇をかみ締める。
 頬に涙が伝う。

  「これだけは、ゆずれない!!父さんのでもない、誰のでもない。俺の人生だから!!!」

  「……。」

 病室が静寂に戻った。

  「丁。」

 静かで威厳のある、淹駕の低い声。

  「患者の意志は、尊重すべきではないのか。」

 立くんが、自分で考え、出した結論だ。と、付け加えた。
 丁は無言のまま立ち尽くした。
 ゆっくり、その瞳を閉じた。

  「……ごめんなさい。いつも……勝手ばっかり言って。」

 立のその言葉に、切ない瞳で立を一瞥してから、背を向けた。
 淹駕は、微笑して立に頭を下げ、丁を追って病室をでる。

  「……立。」

 ようやく矜が口を開いた。
 呆然と立ち尽くしたまま、立を見る。

  「悪い。ウソをついて。」

 矜は、ゆっくり首を振って――、

  「ウソって……ウソってなんだよ!!」

 あからさまに取り乱し、立の両腕をつかんで、立を揺さぶる。
 自分の頭に過ぎった思いを消し去ってくれることを願って。
 しかし。

  「……俺。……もう、長くない。」

 その瞬間。
 矜の立を揺さぶっていた腕が静止した。
 生唾を飲み込む音が静寂を破った。
 数秒見つめあう。

  「……癌、なんだ。もう手遅れで……ハタチまで生きれればいいほうだって……」

  「……ウソだといってくれ。」

 立から力なく腕をおろして、下をむいて呟いた。

  「冗談だと……言ってくれ立!!!」

 矜の、少し垂れ気味の瞳が潤んできた。
 薄い唇はきつく閉じている。
 立は、ゆっくりと首を横に振った。

  「っ……」

 矜が崩れ落ちる。
 床に両膝をついて、うなだれた矜を、立は見下ろして――、

  「報いだと思ってる。……自分で諦めたサッカー両親のせいにして、やつあたりして……後悔ばっかしてた……でも。」

 立の淡とした言葉に、矜が顔を上げた。

  「ひとつだけ手に入れたものがある。矜たち仲間。」

 俺の大切な仲間たち。
 立が優しい笑みを浮かべて、矜の肩を叩いた。

  「もう、後悔はしたくないんだ。」

 ――後悔は、人生最悪の報いだ。

 それが、淹駕の言葉から見つけた出した立の答えだった。
      とくさ
  「……木賊くん。と、いったね。」

 丁が再び現れて、矜を見た。
 おもむろに右手を差し出しす。
 矜が上目遣いに丁を見て、そして手を出した。

  「立をよろしく頼む。」

  「……」

 矜の手の平に、車の鍵が乗っかった――……。


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